副官サマ二人3
政務区にある休憩を目的にあつらえられた広間を訪れると、カルークとルーイ、居合わせた他の政務官たちが何やら話をしていた。
近くに行くにつれて聞こえてくる内容は、特になんてこはない、いわゆる雑談というやつだった。
最近の天気は晴れが続いて暑いとか、そのせいで庭の花が萎れ気味だとか、そこから話が飛んで、新しく雇った庭師が怠け者だという嘆き話が始まった。
僕はルーイに用事があってここまで来たのだが、ルーイには直接声をかけず、しれっとその輪に加わることにした。
カルークとルーイが話をしているという状況を、少し観察したいという思いがあったからだ。
「これは、ルカ様。昨日はどうも」
輪に加わった僕に、カルークが真っ先に気づいて挨拶をしてくる。そうすると、話していた政務官たちが言葉を切って僕に注目した。
僕は庭師の話をしていた政務官に少し会釈をしてから、カルークに挨拶を返す。
「どうも、カルーク殿。夜会では挨拶もせずに帰ってしまい、申し訳ありませんでした。カルーク殿はその後すぐお戻りに?」
「いいえ、実はあの後は夜会の終わりまで戻れませんで……自分が主催の夜会なのに、面目ない次第です……ですのでどうか、挨拶のことはお気になさらず」
カルークの顔には張り付いた笑顔が浮かんでいる。それがどうしてかは容易に想像がつく。隊商の件が響いているからだ。うっすらできている目の下のクマに、その処理の大変さが垣間見える。
「夜会に参加したのか?」
政務官を二人挟んだ奥に立つルーイが、片眉を上げて尋ねてきた。
僕は頷きながら答える。
「えぇ、デクス嬢に誘われましてね。楽しかったですよ」
「フゥン。夜会に一緒に行くなんて、お前にしては珍しく、ずいぶんと懇意にしているんだな?」
「趣向が合った、ということでしょう? ルカ様?」
ルーイの質問に僕が答える前に、カルークが言葉を奪って意味ありげな視線を向けてきた。
隊商の件があっても、こういった話を聞き逃さないというのはさすがだと素直に思う。
趣向が合った——— というのは、貴族主義・魔法優位・優生思想の事を指しているのだろうが、実際僕はそのどれでもない。けれど、まだ話は合わせなければいけないので、頷きはせずに、口元だけ緩めて小さく笑って見せた。
カルークの目には、リリアーナとは違いかなりの疑いが見える。
今まで全くその素振りを見せなかった、どちらかというと真逆の姿勢をとっていた人間が、突然その考えを持っていると言ってきたら、誰でもこんな風に警戒するだろう。そうしないリリアーナの方が少し抜けているのかもしれない。
今ここにいる政務官のほとんどは、あの夜会の趣向については知らない。カルークは僕が本当にそういった人間なのか確かめたいのだろうが、この中でそれについて会話する気はないみたいだ。
夜会で見かけた顔もいるが、それはカルークの側にいる男二人だけだ。
現在ではあまり好まれていない思想について、この場で僕に探りを入れようものなら、自身の評判に少なからず影響を及ぼす。それを、カルークは重々承知している。
よからぬ企みを画策するような男だ。そんな危機を自ら招くことはしないだろう。
「カルーク様は、先ほど夜会を途中退席されたとおっしゃっておりましたが、何かおありで?」
話を聞いていた他の政務官がカルークへ尋ねる。
常識を言えば、夜会の主催者がその場を離れて帰ってこないという事態は、一大事を表す。
夜会では、何かが起こったら家族の者や家令に任せるのが普通だ。だからこそ、主催者がその場を離れて帰ってこなかったという話は、この場にいる政務官たちの好奇心に深く刺さったのだ。
皆、カルークの話をぜひ聞きたい! といった顔で視線を向けている。
「隊商が、襲われたのですよね? カルーク様」
黙っているカルークに、ルーイが静かな声で言った。
カルークは無言で頷き、説明したくなさそうに口を開いた。
「昨夜遅くに、私の家の隊商だけではなく、同行していた他の隊商も一緒に襲われまして……。本来は実家の問題なのですが、規模が規模でしたので、途中に呼びつけられまして……」
呼びつけられた——— ということに偽りはないが、隊商が積んでいた荷物は、そのほとんどがカルーク自身が取得するべき物だったとナギの報告書にはあった。
鉄や鋼を権力者が多く集めるというのはあまりよろしくはない。それも、二隊商分ともなれば、由々しき問題になってくる。ただ、書類上はうまく隠蔽されていて、ぱっと見では何も問題がないように、疑惑を向けられないような工夫がされていた。
様々な箇所を経由する形で、発注者や納品先には全く違う人間の名前が並んでいたと、ナギの調べにはあった。
怪しいと思って調べていなければ、誰も気づかなかったことだろう。ナギが気を利かせてその先を調べていなければ、僕だって見落としていたかもしれない。
「そのおっしゃり方だと、たいそうな被害に遭われたようですが、大丈夫ですかな?」
「えぇ、被害額は相当で……保険もありましたので、全額の負債はなんとか免れたのですが、積荷を丸々持っていかれましたのは堪えました……」
「それはお気の毒に……」
カルークはしゃべりながら青ざめた顔で口元に拳を当てた。
被害額に関してなのか、その企みに関してなのか、もしくはその両方か、予期せぬ事態に吐き気が込み上げてきたのだろう。
実際、被害額は小さな商家ならもう潰れている額だし、カルーク家でも、家半分傾いてもおかしくはない額だと思う。
「ところで、ルーイ。どうして隊商が襲われたことを知っているんですか?」
「そういえば、そうですな。噂好きの私たちも知らなかったのに……」
隊商の一件で報告書にルーイの名前があることは百も承知で、しれっとルーイに尋ねてみる。すると、ルーイの隣にいる朗らかそうな政務官も興味深げにルーイを見て首を傾げた。
隊商が襲われた時に駆け付けたとされる宮廷魔導師の一班。その中に、ルーイは居た。
帰城した朝に会ったルーイの服装も、それを裏付けている。
カルーク家の隊商と他の民間の隊商が襲われ、偶然その場に駆け付けた宮廷魔導師。
実に胡散臭い話だ。
僕は続けてルーイに問いかける。
「あちらの方角への遠征なんて、なかったと思いますが……もしかして、ヘクセンの姫君と何か関係が?」
僕の質問にルーイは少しばかり考えてから、言葉なく頷いた。
ヘクセンが少なからず絡んでいるというのは嘘ではない様子だ。
「おや、しかし……ヘクセンとは真逆ではございませんか?」
カルークが不思議そうな顔をしてルーイに視線を向けると、カルークの傍の政務官がクスリと笑った。
「ヘクセンの姫君はルーイ様にゾッコンだと言いますし、無理やり連れ立って物見遊山——— というところでは?」
「……いいえ。その件はもう……今回は姫君は同行はしていないので——— そうですね、彼女のお使い、といったところでしょうか」
ルーイが愛想笑いを浮かべてその政務官に答えると、政務官は「お使い?」と反芻して首を傾げた。しかし、ルーイはそれ以上ヘクセンの姫君について話したくないようで、キュッと口を結んでしまった。
僕は話を戻そうと、襲われた隊商についてまた質問を繰り出す。
「まぁ、その場に駆け付けたのは偶然として、現場はどんな感じだったんですか?」
「それは、報告書に書いたが……」
「まだあなたの報告書は読んでいないんですよ。せっかくですし、直接聞いても構わないでしょう?」
「そうですなぁ。民間の隊商が襲われるなど、ここ最近では一番物騒な事件ですし、継続性がありそうならば我々も考えねばなりません。お話を伺いたいですな」
「そうですか?」
ルーイは迷惑そうな顔をしているが、話に加わっている政務官たちは全員この話題に興味津々だ。このまま話さずに逃げるなんてことはできないだろう。
「まだ本件は調査中なので、少しだけ……ですよ?」
「えぇ、構いませんよ」
「じゃあ、駆けつけた時のことを……」
ルーイの話では、隊商が襲われた時間帯に、偶然近くを通りかかり、件の襲撃を見て慌てて駆けつけたとのことだった。その時には、積荷の三分の一はすでに強奪されていて、移動系の魔法を使った痕跡があったという。しかし、その話の先には、思わぬ単語が出てくることになった。
「襲撃に応戦し始めて間もないころ、残りの荷を守ろうとしている隊商に異変があって……」
「異変ですか?」
「あぁ。魔導師の魔法が暴走し始めたんだ」
「それは……何が原因で?」
魔法が暴走する大きな原因は二つ。魔導師の力不足、それから魔力自体の乱れだ。
「なんらかの力に魔法の行使を阻止された——— と、そんな感じだったな」
「その言い方だと、あなたもその影響を受けたと?」
「そうだ。隊商の魔導師たちから始まり、すぐにその場に居た魔導師たち全員が、魔力をかき乱されて、ほぼ全員が魔法を使えなくなった。あれは実に気持ちの悪いものだった……」
身震いするように腕をさするルーイの顔は、引き攣って強張っている。そうとうその時の感覚が嫌だったのだろう。
「抗魔石、とかいう石があると、前に実家に来た古参の魔導師が言っておりましたが、もしかして積荷に紛れていたとか?」
カルークが尋ねると、ルーイは首を振った。
「いいや。もしそうなら、賊も積荷を盗めなかったはずだ。あの状態で魔法を正確に発動させるのは、そこらの魔導師じゃダメだ。俺だってギリギリだったんだからな」
ルーイの実力は宮廷の者なら誰もが知っている。
魔法を使った戦闘に関して、特に近接中距離の攻防は、帝国でも一・二を争う腕前だ。実際、近距離の戦闘では僕よりもルーイの方が腕が立つ。
「では、何者かがルーイ様たちの邪魔を?」
「そう考えるのが妥当だな」
「途中参戦した賊が持ってきた、ということですかな?」
「まぁ、そうだとは思うが……まだそこは調査中で、はっきりとは言えない」
「けど、本当にそれって抗魔石だったんですか? あれは希少な石ですよ?」
ほとんどの魔導師が文献の中でしか知り得ない石。
僕だって、西橋で初めて見たのだ。
しかし、そんな希少な石が、一・二ヶ月の間に二度も姿を表すなんて、ちょっと出来すぎている気がするな。
「抗魔石だと思う。それ以外の妨害工作は見つからなかったからな。その場にあった妨害工作は、異動系の魔法陣と足止めの罠くらいだった。魔力を乱すような呪いは見つからなかったから……」
ナギの報告書にも同じようなことが書かれていたので、おそらく本当のことだろう。
抗魔石。希少な石だが、僕ら魔導師にとてはずいぶんと厄介な石だ。
ルーイも魔法の行使がギリギリだったと表現していた。
僕も、城下で魔法を妨害された時は散々な目にあったし、もし謀反の場で使われでもしたら、ちょっと怖いな。
無論、魔法は使えなくとも手練れの衛兵や騎士は大勢いるから、応戦はできるだろうけど、あまり考えたくないことだ。
「あ! カルーク様! こんなところに! 会議の準備が整いましてございますよ!」
広間に若手の政務官が入ってきて、カルークに声をかけた。
「わかった。では、私はこの辺で失礼いたします」
「じゃあオレもそろそろ……」
カルークが若手の政務官と両脇にいた男の政務官二人を伴って踵を返すと、ルーイも踵を後ろに下げて言う。それに合わせて、僕もルーイと同じように踵を下げて続けた。
「ルーイが戻るのなら、僕もそうしましょうか。確認しないといけないこともありますしね」
ルーイが僕に訝しげな視線を向けてきたが、気にせず、下げた踵をその場で返して広間の出入り口へと足先を向ける。
ルーイの前を僕が歩く形になってしまったが、ルーイも渋々といった顔つきで歩き始めた。
広間から出て、しばらく廊下を歩いてから、僕は振り向かずにルーイに尋ねる。
「それで、確認しないといけないことなんですが——— 」
「オレにか?」
「そうですよ?」
広間でそう言ったつもりだったが、伝わっていなかったようだ。
僕は歩きながら質問を続ける。
「昨夜、僕の部屋に何か書類を取りに来たとセオドールに聞きましたが……何を?」
「あぁ……けっきょく自分の机にあったんだ。騒がせて悪かったな」
「へぇ……」
カツカツ、コツコツ と、廊下に二人の靴音が反響する。
「先ほどの隊商の話。襲撃があったのは夜十時を回ってすぐだったはずですよね?」
「そうだが?」
「でも、あなたが僕の部屋を訪れたのは十時ごろと聞きました。隊商が襲われたところまではここから馬で半日です。とても移動できる距離じゃあありません。けれどあなたは、襲撃の現場に居合わせたんでしょう? 移動魔法で向かったんですか?」
「……」
僕の質問が終わると、ルーイの靴音が止んだ。
僕も足を止めて振り返る。
「隊商が襲われたという報告が直接あなたに届いたから向かった——— とも考えられますが、もしそうであったら、あなたはカルークの隊商、もしくは同じ場に居た他の隊商を調べていたということになります。そうでしょう?」
廊下には誰も居ないが、本来ならこんな会話をここでするべきではない。人払いもされていないし、ここは政務官がよく通る廊下だ。それでも僕もルーイも、近くの部屋に入ろうとはせず、その場で話を続ける。
「アレス皇子がカルークについて疑問を投げた時、あなたは調べないとはっきり言いましたよね? それなのに、どうしてですか?」
「別に、カルークを調べていたわけじゃあない。本当に偶然——— 」
「偶然? 移動魔法の痕跡があったというのは、実のところ、あなたの物なんじゃないんですか?」
「どういうことだ?」
ルーイの目つきに鋭さが増した。
「二隊商分の積荷を全て強奪して、中規模の戦闘があったにもかかわらず死者はいない。負傷者はいても重症者はいないという、そんな見事な手腕の賊がいるんですかね?」
「それは、積荷を奪ったのはオレだって言いたいのか?」
「僕の質問に答えてくれれば、誤解もすべて解決すると思いますが?」
「……」
ルーイは再び黙り込んだ。
僕はしばらく返答を待ったが、返ってくる様子はない。
軽く右手を上げて、人差し指でまっすぐルーイの手元を指す。
「その手袋、外して見せて下さいよ」
「何?」
「僕は、部屋のある物にちょっとした仕掛けを施してあるんです。僕の考え違いならいいんですけど、念のため確認したくて。外すだけです。なんてことないでしょう?」
「それと隊商の襲撃と、どういう関係があるんだ?」
「直接は結びつきませんが、間接的には結びつくんじゃないかと思っています。まぁ、何もなければ結びつきなんてありませんけどね」
僕は差し出したままの指先を再度動かして、ルーイに手袋を取るよう促す。
ルーイは手袋を取る代わりに、両手をぎゅっと握りしめた。
どうやら外したくないようだ。
なら、やはり、僕の考えは当たっているということだ。
それでも、信じたくない思いがどこかにあって、僕はまた問いかけた。
「見せてくれないんですか?」