副官サマ二人2
帰城しナギさんと今後について話し合った翌日のこと。私は給仕区から新しいリネンとカーテンを運ぶため、政務官居住区の廊下を歩いていた。
籠の一番上に置かれたカーテンから、歩くたびに薔薇の良い香りがしてくる。その香りはほのかにかおる程度で、鼻に届くととても癒される気分になる。
「あら、レティシアじゃない」
「ソレーユさん」
ずいぶんと先の廊下から、ソレーユさんが歩いてきて声をかけてくれた。
政務官居住区にソレーユさんがいることは、とても珍しい。
両手には何も持っておらず、何をしているのだろうと気になり尋ねてみる。
「何か、おありだったんですか?」
「大したことじゃないわ。ちょっとケイレブ大臣の執事に注意事があったのよ」
ソレーユさんは足早に私の近くまで歩いてきて足を止め、静かに話を始めた。
「最近、あそこのメイドの服装と化粧が派手でね、他から苦情がきたものだから……それで、あなたは? 朝の仕事の途中かしら?」
私の手元の籠を眺めながら、ソレーユさんが首を傾げた。
私は頷きながら籠の中身に視線を落とす。
「お部屋に湿気がこもり気味でしたので、セオドール様と相談して、早めにカーテンを変えようと言うことになりまして、取りに行った帰りでございます」
「そう。カビてからじゃ遅いものね。ご苦労様」
寒暖差が多く、窓に結露ができることが多いので、カビには絶好の繁殖期だ。特にバルコニーに面したカーテンは、雨にもさらされやすく、良く苗床になってしまう。
「それで、最近は——— 」
ソレーユさんが質問しようとすると、政務区へ続いている廊下から、「図書室へ」という声が聞こえてきて、私は慌てて顔を向けた。
そうした理由は、その声に聞き覚えがあったからだ。
昨夜聞いた、少し低い、感情のあまり入っていない声。
カルーク様だ。
洒落た膝丈の上着にはたっぷり刺繍が施され、胸元には濃い色の蝶ネクタイがパリッと必要以上のシワを作らず鎮座している。
カルーク様の両脇には二人の男がいて、何やら話しをしている。
ボソボソと、「図書館」「調べ物」「石」など、単語が聞こえてくるが、距離があるため全文はわからない。
どうしよう……。
カルーク様はまだこちらには気づいていない。けど、気づくのは時間の問題だろう。
昨日ナギさんから聞いた話では、カルーク様は自身のご実家の隊商が襲われた件でとてもピリピリしているとのことだ。昨夜の夜会で晒されたこともあるし、ここで顔を合わせるはあまり良くない気がする。ルカ様のいらっしゃらないところで接触するのもはばかられるし……。あぁ、図書室へ向かう政務官がこの廊下を通ることはよくあるのだから、こんな事態があるかもと考慮しておけばよかった。
私は後悔しながらどこか身を潜める場所がないかと周囲を探す。
廊下に物は少なく、隠れられる場所は限られてる。
調度品の飾られた棚の影、壁から少しんばかり廊下へ出ている柱の横、あとは、窓に纏められた大カーテンだろうか。一番隠れやすいのは、やはりカーテンか。
私はすぐ近くの背後にあるカーテンに目を向け、小さく頷いてから手に持っていた籠をソレーユさんに押し付けて、くるりとカーテンの内側に身を滑り込ませた。
「ちょっと⁉︎」
ソレーユさんは一瞬何が起こったのか素っ頓狂な声を上げたが、すぐにカルーク様が歩いてこられたのでそのまま窓際まで下り、礼を取った。
宮廷の使用人・衛兵は、政務官以上の人間には道を譲り、礼を取るのが規則だ。
カルーク様はチラリとソレーユさんに視線を向けたが、特に気に止めずに、両脇の男たちと談笑しながら図書室へ向けて歩いていく。
廊下のまっすぐ行けば、図書室だ。けど、その距離はだいぶある。少なくとも、五分以上はこのまま隠れている必要があるだろう。
「ねぇ、あなた、いつまで隠れているつもりなの?」
カルーク様が通り過ぎていった後もまだ隠れ続けている私に、ソレーユさんが尋ねてきた。それもそうだろう。元部下にたまたま会って話をしていたら、唐突に洗濯籠を押しつけられ、いきなり隠れられてしまったのだ。
「すみません。もう少しだけ……」
カルーク様やルカ様の名前を出して、隠れている理由を説明するわけにもいかないので、そう返事をするしかない。
ソレーユさんは私の返答に大きなため息をついて、小さく鼻を鳴らした。
呆れさせた、もしくは怒らせてしまったかと少し不安になったが、その後に続いたソレーユさんの言葉はその不安を拭ってくれた。
「まぁいいわ。休憩とでも思いましょう」
「すみません……」
「ありがとうと言ってちょうだい」
ソレーユさんは笑い飛ばすように言って、カルーク様がいらっしゃる以前にしようとしていた話を話し始めた。
「最近、あなたの面白い噂が多いわね」
「そ、そうですか?」
面白い噂とは、なんだろう?
そう考えていると、ほんの少しだけ私の隠れているカーテンが揺れた。おそらくソレーユさんがカーテンの側まで寄ったのだろう。
「メイドから護衛に転職するんですって?」
「いいえ! それは違います!」
思わずカーテンを掴んで声を荒げてしまい、慌てて口を結ぶ。
どこからそんな話が出たのだろう……。
もしかして、玄関での騒動が原因だろうか?
あの一件以降、〝ルカ様のメイドはヤバい〟と、あちこちで耳にするようになった。その内容はどれも想像から出たものだとすぐにわかるほど脚色された物だった。
それからは、自分の噂も含めて、あまり噂というものが気にならないようになった。だから、今現在どれだけ新しい噂が増えたのかはほとんど知らない。
きっとソレーユさんの方が詳しいだろう。
「でも、護衛……ルカ様のお供はしているのよね?」
「それは……そうですが」
カーテン越しにソレーユさんが小さくため息をついたのが聞こえた。
「あなたとルカ様って、いったいどうなってるのかしらね?」
「ど、どうとは?」
どうなっている——— とは、どういった意味でだろう?
メイドが護衛という事だろうか? それとも……別の関係か?
尋ねられてつい焦ってしまのは、質問してきた人が元上司だからだろうか。
私とルカ様は、使用人と主人という立場は今まで通りなにも変わらない。けど、そこに恋人というなんとも甘い響の関係がくっついてしまった。
それに対する自信は、今つけている最中で、まだそういう関係かと尋ねられるとはっきり答えづらいし、どうにも落ち着かない。
心のどこかでやっぱりいけないことなんじゃないかという意識が、まだ拭いきれていないせいだ。
沈黙した私に、ソレーユさんが気を遣ったように声を潜めて言った。
「別に、恋人関係を責めやしないわよ? 昔とは違うしね。仕事さえきちんとして、風紀を乱さない限りは、そういう事は個人の自由だと思うわ」
ソレーユさんはその言葉の後にしばらく間を置いてから続けた。
「ただ、あなたはちょっと流されやすいところがあるし、ルカ様は使えるものはなんでも使う性質の方でしょう? 何か、無理矢理やらされたりしてるんじゃないかと、ちょっと心配なのよ」
「ソレーユさん……」
辞めた時はもう話なんてできないんじゃないかと思ったが、ソレーユさんは今でも私のことを気に留めてくれているようだ。
そういえば、以前も噂話を聴かせないようにして下さったりしたな。
思い出して、なんだか嬉しくてじんわり目頭が熱くなった。
「まぁ、あなたが承知してのことなら良いのよ?」
「……はい。私は、ルカ様のお役に立つことを望んでおりますので、どうかご心配なさらず。でも、ありがとうございます。ソレーユさん」
「や、やぁね! お礼を言われるようなことじゃないわっ」
珍しく上ずった声に、カーテン越しでもソレーユさんが照れているのがわかった。
「……で?」
「はい?」
「さっきの人から、どうして隠れたの?」
話の流れでカルーク様について尋ねられ、私はつい話をしそうになり、いけない! と口を押さえた。
こういった会話の流れに持っていくのはさすがメイド長だ。しかし、さすがにこれは話せない。
「少し、込み入った事情がありまして……」
「教えてくれないのね?」
「それは……ルカ様次第でございます」
私の返答に、ソレーユさんが息を呑んだ。
「あなた、ずいぶんとイヤらしい答え方を覚えたじゃない……」
どこか楽しげな、でもほんのちょっぴりがっかりしているような、そんな口調だった。
「けど、その様子だと、ルカ様のところは楽しいみたいね?」
「はい。だいぶ勝手は違いますが、毎日充実しています」
「そう。あぁ、そういえば、昨夜はあなた居なかったわよね?」
「え? はい。居りませんでしたが……?」
ソレーユさんは少しだけ考えるような間を置いてから再び話し始めた。
「昨夜、ちょっと今日のことでセオドール様に相談しに伺ったのだけれど、入れ違いにルーイ様とお会いしたのよ」
「ルーイ様に、ですが?」
「そう。まぁあの二人が互いの自室を訪ねるというのは珍しいことじゃないけれど、昨日はルカ様もご不在だったでしょう?」
カルーク様の夜会へ一緒に出かけていたのだ。部屋にはセオドール様しかいらっしゃらなかったと思う。
「セオドール様がおっしゃるには、何か緊急の書類が必要とかで、仕方なく自室へお通ししたとか……」
ルーイ様が、ルカ様の部屋に何かを取りに来たと?
そんなことがあったのならば、きっとセオドール様はルカ様にお伝えしたはずだ。
「入れ違いでご挨拶した時のお顔がなんだか気になってね……」
「どう、気になったのでしょう?」
「そうねぇ……緊急って言葉が似合う顔つきだったのは確かなんだけど、なんだかとても慌てて見えて……何かマズイことでもやったじゃないかって」
思い出しながら話すソレーユさんに、なんだか胸の奥がざわざわした。
昨日のナギさんとの話し合いの中に出てきたルーイ様の話は、カルーク様のご実家の隊商が襲われた際に、その場に居合わせたという話だった。
ルカ様はそれについて訝しげな顔をしていたが、特に追及はしなかった。
『まぁ、ルーイについては、これからの話しに出てくると思いますから……』
昨日のルカ様の言葉と共に、宮廷の玄関で出会したルーイ様の姿が脳裏に浮かぶ。
ところどころ煤にまみれてボロボロになった制服は、確かに隊商を救うために戦ったという出立ちだった。けど、ルカ様のあのおっしゃり方は、隊商のことだけではないような気がする。もっと、深くルーイ様が関わっているような、そんな感じを受けた。
「あの、ソレーユさん。それは、何時ごろだったのでしょうか?」
「え? あぁ……そうね。多分、十時は過ぎていたと思うわ」
「十時……」
ルカ様は、カルーク様が夜会会場を離れたのは十時半に近かったとおっしゃっていた。
隊商が襲われた時間と、ルーイ様がルカ様の部屋を訪れた時間。そこにほとんど開きはない。
魔法でも使わない限り、現場に居合わせることはできないはずだ。
いや、本当に居合わせたのか?
ナギさんの報告では駆けつけたということになっていなかったか?
居合わせたのと駆けつけたのでは、だいぶ違いがあるように思える。
ルーイ様と襲われた隊商が繋がる理由も要因も、全く思い付かないが、なんだか私の頭の中ではそれが繋がっているような気がしてならない。
「ねぇ、大丈夫?」
「あ、すみません……」
考え込んで沈黙した私に、ソレーユさんが心配そうに声をかけてきた。
「その……先ほどの政務官様たちは、もう行かれましたでしょうか?」
カルーク様の姿が消えていれば、このカーテンから出ていける。
「あの殿方はもう廊下の奥へ消えたわよ」
「そ、そうですか……」
ソレーユさんの返事を疑うわけではないが、念のためカーテンから少しだけ顔を覗かせて、廊下を確認してから出て、ソレーユさんから洗濯籠を受け取った。
「ありがとうございました。持っていただいて」
「今度お茶でもご馳走してちょうだいね。最近こんな籠を持つことがなかったから、ちょっとばかり肩が凝ったわ」
冗談ぽくいうソレーユさんに、「わかりました」と言って、お辞儀をしてから急ぎ足で踵を返す。
カルーク様と会わないように気をつけながら、少しだけ歩く速度を早くしてルカ様の居室へと向かう。
戻ったら、セオドール様にルーイ様のことを確認してみよう。そうしてルカ様に、ソレーユさんから聞いたルーイ様の話をしたのかどうかを尋ねてみよう。
それから、ルカ様に会いに行かないといけない。
なんだか、無性にそんな気になった。