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副官サマの日記帳  作者: 茅嶋ときわ
44/50

副官サマ二人1

 早朝、まだ日が昇る前に帰城したルカ様と私は、宮廷の玄関口で衛兵に身分証を確認してもらうために足を止めた。

 日中は全て開放されている玄関扉は、時間帯のせいか一枚しか開いておらず、衛兵の数も少ない。あたりを見渡しても訪問者はおらず、今は私たちだけだ。

 日に熱せられていない早朝のひんやりした空気が、玄関口の正面にある大庭園から流れてきて、服の隙間に入り込んで体を冷やしてくる。フードを取り払った首筋がゾクッとして、反射的に身震いが出た。

 

「どうぞ、お通り下さい」

「ありがとう。では行きましょう」

 

 ルカ様が衛兵から受け取った身分証の、私の分を少し振り返って差し出しながら、扉の内へと足を進める。私もそれに続くため、受け取った身分証を首から下げ直して一歩踏み出す。すると、

 

「どけ、メイド」

 

と、低い一言がすぐ真後ろから聞こえ、背中を強く押された。

 ふらりとよろめいた体の均衡をとりながら、声の方へ顔を向ける。

 長い金の髪が目にとまり、続いてその衣装が視界へ入り込んだ。

 赤と灰がかった紫色の制服。そうしてそこに施されている金糸の刺繍。それはあちこちほつれていて、煤にまみれてボロボロだ。

 良く見れば髪の間にも所々、見てわかる大きさの屑が顔を覗かせている。

 

「聞こえなかったか? どけ、邪魔だ」

「申し訳ございません、ルーイ様……」

 

 閉じられた扉の方へと体を寄せて道を開け、伏せた目線でボロボロの衣服を観察する。

 ボロボロの衣服には、剣で切られたような跡が幾らか見られた。煤は、もしかしたら魔法だろうか? けど、魔法にしては独特の匂いがする……。

 

「おやおや……」

 

 ルーイ様の服を観察していると、扉の内側からルカ様の声が聞こえた。

 玄関で立ち止まっているルーイ様の隙間から中を覗くと、ルカ様が振り返り、目を細めて立っていた。わずかに動いている水色の瞳は、ルーイ様の姿を観察しているようだ。

 

「ずいぶんとめかしこんで、どうしたんです?」

 

 ルカ様の口調は言葉も含めてかなり皮肉めいている。それを向けられたルーイ様の顔は、案の定みるみる曇っていった。

 

「あの、身分証を……」

 

 衛兵がおずおずとルーイ様に身分証を確認したいと片手を差し出した。

 ルーイ様は無言で懐から身分証を取り出し、叩きつけるように衛兵の手のひらへ置いた。その動作の間中、ルーイ様はルカ様から一瞬たりとも視線を逸らさなかった。

 まるで、縄張り争いをする野良猫が鉢合わせたように見つめあっている。しかし、二人は会話を始めようとはしない。

 妙にピリピリとした空気が玄関口に広がっていき、身分証を確認している衛兵の頬がヒクヒクと引きつった。

 

「……どうぞ。お通りください」

 

 ルーイ様の身分証を確認し終えた衛兵が、ルーイ様へと返却すると、ルーイ様はようやくルカ様から視線を外して歩き始めた。

 カツカツと、静まり返っている玄関広間全体に、ルーイ様の靴音が響き渡る。

 ルカ様は距離を空けて隣を歩いて行くルーイ様の後ろ姿をしばらく目で追っていたが、その行き先の予測がついたのか、途中で視線を私へと向けて「行きましょうか」と促してきた。

 私は頷いてから、いそいそと扉をくぐってルカ様の後に続く。それからルーイ様を振り返る。

 ルーイ様は、正面の大階段をすでに中程まで登っていた。どうやら謁見の間に向かっているようだ。

 玄関口から廊下へ続く壁際にある時計を見ると、まだ五時には遥かに遠い。

 こんな早くに謁見の間に誰がいるのだろう?

 大臣だろうか? まさか、皇帝陛下がいらっしゃるなんてことは……ない、かしら?

 気になってチラチラとルーイ様を見ながら歩いていると、前方からルカ様に嗜められた。

 

「レティシア。そうあからさまに観察しては、気づかれますよ?」

「も、申し訳ございません」

 

 ルカ様に謝罪をすると、なんだか妙に既視感を覚え、それがどうしてかを考えた。

 そういえば、昨夜ナギさんにも似たようなことで注意されたような気がする。

 玄関から廊下へと進むと、大階段が見えなくなり、私はようやくルーイ様の姿を追うのを止めた。

 

「まぁ、ルーイについては、これからの話しに出てくると思いますから……」

 

 ため息混じりにルカ様がポツリと言った。

 どうしてルーイ様がこれからの話に出てくるのだろう?

 私たちはナギさんに会うために政務区の執務室へ向かっているのではなかったか?

 昨夜調査したカルーク様の屋敷の、残りの調査報告書と資料をもらうだけかと思っていたが……。

 いや、それよりも、今のルカ様のおっしゃり方では、資料を受け取るだけではなく、今後についても話し合うということになる。そこに私が同席して良いのだろうか? 

 などと、あれこれ考えているうちに、ルカ様の執務室に着いてしまった。

 執務室の前には、早朝にも関わらずいつもの衛兵が二人立っている。

 

「おはようございます、ルカ様」

「おはよう。ナギは?」

「もう来ておられますよ」

 

 衛兵はルカ様の質問に答えながら、さっと扉を開けた。

 一人が通れるくらいの隙間ができると、ルカ様は「どうも」と言って中へと入って行く。私はおずおずとそれに続き、衛兵に会釈をする。

 中へ入ると同時に扉が背後で静かに閉まり、それを見計らったように窓際に居たナギさんが片手を上げて挨拶を繰り出した。

 

「お待ちしてましたよ、ルカ様。おや、娘さんも一緒ですか?」


 窓際のナギさんは、ヘラりと笑って私に片手を振ってくれた。私はそんなナギさんにお辞儀を返す。

 ナギさんの服装は昨夜とだいぶ違うが、政務官同様のきちんとした服装をしていた。

 

「リストは?」

「コチラですね」

 

 ルカ様が自分の執務机にさっと座り、ナギさんを呼んでリストを受け取る。

 リストは薄茶色の封筒に入っていて、ルカ様は手袋を外して封筒を開け、中身を取り出した。

 紙の枚数は、おそらく十数枚。

 ルカ様がそれを全て読み終わるまでには、そう長い時間は掛からなかった。

 

「高官たちの名前が多くありますね」

 

 リストを読み終わったルカ様が、渋い顔をしてナギさんを見上げた。

 ナギさんは肩をすくませて、「困りますよねぇ」と相槌を打った。

 

「どうします? 続けて調査しますか?」

「ここで打ち切る理由なんてないでしょう?」

「じゃあ、短剣の使い道から探りましょうかね?」

 

 短剣、という単語に耳が反応した。そういえば、ルカ様はこの間、ロペス様にも短剣の話を尋ねていた。


「それで、どうやって調べるんですか?」

「リストにある高官数人に接触してみますよ。そのほうが早いでしょう?」

「……勘づかれるんじゃないですか?」

 

 ルカ様の質問に、ナギさんは眉を上げた。

 

「そうも言ってられないとお思いだから、調査を続けろっておっしゃったんでしょ?」

「それは、そうですが……。このリストを見る限りでは、わりと企みの規模が大きいようですし、万が一——— 」

 

 ルカ様が私を見て言葉を切った。

 しかし、ナギさんに先を催促され、迷った様子で続けた。

 

「万が一、なんですか?」

「……万が一、彼らが戴冠式に向けて動きを画策しているのなら、僕の調査が入ったと気づかれたら大ごとになるのでは、とね」

「でも、大ごとになったとしても、戴冠式前にスッキリしておきたいんでしょう?」

 

 尋ね返したナギさんに、ルカ様は無言でため息をついて、椅子の背もたれに背中を預けた。そうして、自身の机の上を眺めながら、独り言のように続ける。

 

「それは……もちろん。戴冠式前にはスッキリさせておきたいですよ」 

 

 ルカ様とナギさんの会話には、謀反を仄めかすような単語がチラチラと混じっていて、キュッと肝が冷えた。

 短剣は、そういう企みに使うということか。

 でも、短剣だけで謀反なんて、起こせるのだろうか?

 全員が手練れであったなら可能かもしれないが、話からすると、短剣を扱う人間は〝高官〟のようだ。実際そんな手練れな高官は居ないだろうし……もしかして、対象の人物に近づく可能性のある人物に渡して、その機会を増やそうということだろうか?

 例えば、アレス皇子を殺害するとか——— と、そこまで考えて、肝が冷えるどころでは無くなったので、ぶんぶんと頭を振って想像を掻き消した。

 ナギさんがそんな私の様子を見て、〝ナニやってんだ?〟いう顔で首を傾げる。

 私は少し恥ずかしくて視線を壁へと向けた。

 

「ま、本当にそうなのかまだわかりませんからねぇ。さて、ちょっとばかり……」

 

 ナギさんは私が視線を向けている壁際に体ごと向けて歩き始める。

 向かう先にあるのはお茶とお茶請けだ。腰丈程度の棚の上に綺麗に整列されているお茶とお茶請けに、じっと目を向けて何やら物色している。

 一分か二分後、ナギさんは物色し終わったのか、片手で器用に空のカップを取り上げて、手のひらの中でくるりと口縁(こうえん)を上向きにした。

 どうやら片手でお茶を入れようとしているらしい。

 

「あの、お茶ならば私がお淹れいたします」

「え? いいよいいよ! 自分でできるから!」

 

 カップを持ったまま揃いのソーサーを取り出して棚の上へ置き、そのまま水差しから空のポットへ水を注ぐナギさんの手つきは、なんだか怪しい。

 震えているわけではないが、いつ取り落としても良いような、そんな危なっかしさがある。

 私はとても見ていられなくて、急ぎ足で棚へと歩き、ナギさんの手からカップを取り上げた。

 

「お運びしますので、どうぞお戻りください。お茶の種類は?」

 

 尋ねるとナギさんは少し困った顔をしたが、普通の緑茶で良いとおっしゃって、お茶菓子を片手いっぱいにのせて、壁際に並べてある椅子をもう一方の手に持ち、ルカ様の机寄りのアレス皇子の机の隅へと歩いてそこへ腰を下ろした。

 

「ルカ様は?」

「じゃあ僕も……ちょっとスッキリしたやつを」

「茉莉花茶でよろしゅうございますか?」

「えぇそれで良いです。レティシアも、自分の分を入れて良いですからね」

「ありがとうございます」

 

 私もナギさん同様に暖かい緑茶にすることにした。

 ここのお茶はどれも小さな薄紙の袋に小分けにされていて、カップに一つづつ入れてお湯を注げば良いだけなのでとても簡単だ。忙しい仕事中、茶葉の量を計らなくてもいいようにという工夫なのだろう。

 お茶を蒸らしている最中、ナギさんをちらと見ると、ナギさんはお茶請けに持っていったビスケットを頬張り始めていた。

 皇子の机でビスケットを食べるナギさんに、ルカ様は何も言わない。

 

「それで、娘さんについてはどうするんですか?」

 

 ビスケットのかけらを口の端からボロボロと落としながら、ナギさんが私を顎でしゃくった。

 

「どうって?」

 

 持っていた書類を鍵付きの机の引き出しに仕舞い込みながら、ルカ様が尋ね返す。

 

「ここに連れてきたってことは、今後この話に娘さんも絡んでくるってことでしょう? だから、どう使うのかなって思って」

「あぁ……」

 

 ルカ様が私を振り返り、無言で私の顔をじっと見据える。

 

——どうしようかなぁ……。

 

 なんて、考えてらっしゃる時の顔つきだ。

 その顔つきに、なんだか嫌な予感がしてならない。

 

「昨日だって、あんなところに連れて行っちゃって……。今更もう関係ないですよって身を引かせるのは遅いですかねぇ」

「え?」

 

 ナギさんの言葉に、カップから茶葉の袋を取り出す私の手が止まった。

 ルカ様のお役に立つのは本望だが、昨夜のような仕事は矢面というか……そんな重要なところに私を関わらせて良いのだろうかと強い疑問が浮かぶ。

 ナギさんが私をチラ見しながら続ける。

 

「今まで通りなら、ちょっと攫われて人質にされるぅ! とかで済んだかもしれませんけどね——— あ、その……お二人の関係性からしてってことですよ? けど、昨日みたいに探りを入れる場に連れて行くなんてのは、矢面に立たせているのと同じでしょう? というか、囮でしたよね? 昨夜の娘さんは……」

「それについては事前にちゃんと、話しましたよ。ねぇ、レティシア。強要はしていませんよね?」

 

 天気でも聞くかのように、普段通りに振り向くルカ様に、私は頷き返して残りの袋をカップから取り出しす。

 確かに、強要はされてはいない。

 お供すると選択したのは自分自身の意思だったと思う。まぁ、ちょっと、想像していたよりも危険で怖かったけど……なんとか切り抜けられたし、傷も治していただいたし、今はあの時に感じた恐怖はもうない。

 

「お二人が、というか、娘さんが納得してるなら良いんですけどね? 昨日だって、念のため部下に見張らせてたんですよ? 素人丸出しで心配だったし……本当になんかあったら恐ろしいことになりそうですし……」

「見張らせていた? ならなんで——— 」

  

 言いかけて、ルカ様は何か思い当たったように口を閉じた。

 ナギさんはルカ様の言葉を待っているのか、お菓子を食べるばかりで話をしない。

 私は静かになった部屋の中、お茶の入ったカップをトレイに乗せ、ルカ様とナギさんの近くへ運び置く。その間も、会話はない。

 重い空気が漂うというわけではないが、薄っすらと漂う思慮中の雰囲気に、少しだけ緊張感を感じる。

 私は棚に残してきた自分のカップまで戻って取り上げ、緊張感を和らげるために一口飲み込んだ。

 カチャリと小さく鳴るカップの音。

 全員がそれぞれお茶を一口二口啜りしばらくすと、窓の外がうっすらと明るくなってきた。

 ルカ様がカップを持ったまま私に振り返って尋ねてた。

 

「レティシアは、このまま僕に使われることになっても良いですか?」

 

 さらりとした言い方だったが、その言葉には多くの危険が孕んでいる。

 このままルカ様に使われるということは、昨夜のようなことが今後、日常の中で度々起こるということだ。普通のメイドでは決して経験し得ないことを。

 

「私は——— ルカ様のお側でお役に立てるのならば、それで構いません。むしろ本望でございます」

 

 思ったよりも簡単に、私の答えはするりと口から出ていった。

 ここ最近、ずっと考えていたのだ。

 どうしたら自信を持ってルカ様のお側にいられるのかと。

 ただのメイドだけではダメで、ちょっと腕の立つ護衛というだけでもダメだ。

 恋人——— と、その言葉に負けないための自信は、どうやったら得られるのだろうか?

 そう考えて思い至った先は、望まれるだけできる限り、その要望に応えていくことだった。それが、自信に繋がると、そんな気がしたのだ。

 

「レティシア……」

「ルカ様……」

「えぇ〜? ちょっと……待って、待ちません?」

 

 ナギさんがかぶりつこうとしていた小さなケーキをゆるゆると下ろしながら、なんだか可哀想な人を見る目で私たちを見て言った。

 

「あのね、綺麗な愛の告白受け取る、受け取った! みたいな雰囲気になってますけど、ルカ様は、娘さんを()として使うって言ってるんですよ? 自分の恋人だとしてもですよ? 娘さん、本当にそれで良いんですか?」

 

 妙に必死で訴えかけてくるナギさんに、私は「はい」とはっきり頷く。

 ナギさんはそんな私の返答に、上半身を仰け反って、あり得ない! と言った顔でさらに続けた。

 

「めっちゃ利用されてる感じしません?」

「ですが……、それは、ナギさんも同じでは? 利用といえば聞こえは悪いですが、お役に立てるのですから……」

「いや、同じって……オレは……」

 

 ナギさんに答えを返すと、ナギさんは一瞬考えて、一息飲み込んでから呼吸を止め、それから今までで一番大きなため息をついた。

 

「ハァ〜。まぁ? 類は友を呼ぶっていう? いや、この親にしてこの子あり? あぁ、この人にこの人ありっ! て感じの方が良いのかな——— まぁ、お二人がそれでお幸せだと言うなら、オレは、良いんですけどね……別に……」

 

 良いんですけど——— とは言ってはいるが、顔つきはずいぶんと嫌そうだ。

 いったい何がナギさんをそんな顔にさせるのだろう?

 わからず首を傾げると、ルカ様がクスクスと笑って、「お茶のおかわりをもらえますか?」とカップを持ち上げた。

 私は頷き、ナギさんにもおかわりはどうかと尋ねる。

 ナギさんが無言でカップを差し出したので、私は受け取りに行って、二人分のお茶を淹れ始めた。

 

「じゃ、まぁともかく。娘さんが加わるってことで、具体的な今後の話を始めますかね?」

 

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