副官サマと長い夜の帳6
レティシアが浴室を使っている間中、僕は父が寄越した手紙のことを思い返していた。
『メイドにうつつを抜かしていては、お前の先は開けぬぞ』
今思い出してもその内容には疑問しか浮かばない。
父はあまり身分を気にしない人だ。フレデリカの領地で暮らすようになってからは、率先してクワを手に、毎朝早く民の元へと出かけて行っている。
そもそも父のことだ、もしも本気で僕とレティシアのことを咎めたいのなら、見合いなんて物ではなく、もっと強烈な手段でその意思を示してくるだろう。
デクスの令嬢と会えと言ってきたのだって、実は見合いでなかったかもしれないし……。
デクス家、もしくはリリアーナについて、何か不審な点を見つけていた可能性の方が高い気がする。
宮廷での職を退いて久しいが、軍師の才はまだ枯れてはいない。
疑問が生じれば今でも徹底して調べさせている。
もしかしたら、僕は父に良いように使われているだけなのかもしれない。
〝メイドにうつつを抜かして〟と言われたら、抜かしていなくてもわずかに自分の挙動にそう思わせる点がなかったかと、我が身を振り返り己を律する。そんな僕の性質を、父はよく知っている。
『あの人、そこかしこで見かけるからさ……』
ルチアーノ公の夜会でアレス皇子ははっきりとそう言った。
城下でアレス皇子の目に留まるほどカルークが暗躍していたのならば、父の手の者が気づかないということはない。そう、父だけじゃなく、ルチアーノ公だってそうだ。
アレス皇子の不信感に父の手紙、そうしてカルークの特別な夜会に参加していたルチアーノ公。リリアーナとハラージュの邪な関係。
この繋がりの終点はどこにあるのだろう?
「アレス皇子はきっと南の帝国に繋がっているとお考えなんだろうけど……」
どう南の帝国と繋がるのかが、うまく見えてこない。
城下で品薄という短剣についても、いったい何の目的で集められているのかわからない。短剣だけで謀反を起こす気だろうか? そんなことが可能だと?
材料は少しづつ揃ってきているが、全体像を見るにはまだ足りない。今のままではあらゆる可能性に繋がってしまう。
今日の調査でどれだけの情報が得られたのか、早く知りたい。
推測の域を脱さなければ本格的に動けない。
戴冠式まで今月を含めてあと二ヶ月。できれば今月中に突き止めたい。
頬杖をついて暖炉の火をじっと見つめていると、浴室の方から「ルカ様……」とレティシアに呼ばれた。
僕は座ったまま浴室の方へと顔を向ける。すると、浴室の扉の影に、夏用の薄い夜着を纏ったレティシアが、なんだか恥ずかしそうに立っているのが見えた。
「どうしました?」
声をかけると、レティシアはもじもじしながら答えた。
「その、この服は少し生地が薄くて……」
「寒いですか?」
「いいえ、寒くはないのですが……」
レティシアの言わんとしていることがわからず、ソファから立ち上がって浴室まで歩くと、レティシアが来ないでくれと言わんばかりに扉を軽く閉じた。
なんだか拒否されているみたで少し傷ついた。
「その、ちょっと肌が透けて……」
妙に必死な声でそう言われて、「あぁ」と納得しつつも扉を軽く押さえて中を覗く。
「る、ルカ様!」
「失礼」
まさか開けて見られるとは思っていなかったレティシアは、顔を真っ赤にして抗議してきた。その姿はいつもの元気なレティシアと変わらない。その姿に安心して口元が緩んだ。
「ちょっと待っていて下さいね」
恥ずかしがるレティシアを浴室に残し、僕はソファへと戻る。
先ほどレティシアの夜着を受け取った時に、僕も自分の寝巻きをもらった。それには確か、膝丈の夜用のガウンがあったはずだ。
本来ならこの部屋のクローゼットにいくらか服を置いてあるのだが、この季節はカビないように別室に移してあるのだそうだ。だから今は貰ったものしかこの部屋に着るものはない。
僕はガウンだけを持ち上げて浴室へ戻り、扉越しに差し出した。
「これでどうですか?」
「……おかりします」
レティシアは扉の隙間から手だけを伸ばし、ガウンを持っていった。
レティシアと僕はさほど背丈が変わらない。きっとガウンの寸法もだいたい合うだろう。
中から夜着に擦れているのか、シュルシュルと羽織る音が聞こえてくる。
これが脱いでいるのだったらなぁと、下心が顔を覗かせるが、さすがに今夜はそんなことをして良いような状況ではないだろう。
下心をえい! と押さえ込むと、扉をゆっくりと開けてレティシアが出てきた。
「大丈夫そうですね?」
「はい。ありがとうございます」
温まったからか、屋敷に到着した時よりもかなり顔の血色が良くなった。それに緊張もほとんど取れたようで、表情がだいぶ緩んでいる。
「特に何か思い出したことがなければ、もう寝て下さい。前はあなたのベッドを取ってしまいましたから、今回は僕のを提供しますよ」
そう言って机の横にあるベッドを手のひらで指すと、レティシアが首を傾げた。
「ルカ様はどちらでお休みに?」
「僕はもう少し起きています。ナギからの報告があるかもしれませんので」
「なら、私も———」
言いかけたレティシアの手を掴んで、ベッドへ引いていって腰を降ろさせる。
「あなたが寝たら、少しだけ報告を待って僕も休みます。怪我をしたんですから、早く寝ないと」
半ば無理やり枕に押し倒すと、重みでベッドが軽く揺れた。
うっすらとレティシアの頬が染まったのが見えて、押し込めた下心が出てきそうになるが、身を引くことでなんとか気を沈め、ベッドの縁に緩く腰掛けた。
「眠くないなら、少し話をしましょうか?」
座ったまま手を伸ばし、足元にある薄がけを摘んでレティシアの肩まで広げながら尋ねると、レティシアは戸惑った顔で僕を見上げた。
その顔が可愛らしくてつい笑ってしまう。
「さぁ、目を閉じて」
言いながらレティシアの瞼を手のひらで覆い、眠りの魔法をかける。強い魔法ではなく、ほんのり眠気を誘うものだ。
こうでもしないとレティシアは僕が寝るまで起きていそうだからな。
「さて、以前は東の帝国でのことを話しましたけど、どうしましょうかね……」
なんの話をしようかと悩んでいると、レティシアがぽそりと言った。
「フレデリカ領のことを知りとうございます」
「そうですか? 畑と小さな町村しかない田舎ですよ?」
「行ったことがないので興味があります。ルカ様は子供の頃はそこでお過ごしだったのですよね?」
「子供と言っても、四歳くらいまでです。そのあとはほとんど、城かこの屋敷に居たので……そうですね、フレデリカのことは、短い滞在の間に起きたことしか話せませんが、良いですか?」
頷くレティシアに、僕はフレデリカ領でのことをぼんやりと思い出した。
どこまでも続くなだらかな丘。広大な領地のほとんどは自然のままで、点在するように小さな町村がある。そんな町の一つに、フレデリカの本邸はある。そうして、そんな本邸のある町のすぐ先、北西の方角は、理由があって未だ未開の地になっている。
「ルカ様は町にもよく行かれたのですか?」
「えぇ、行きましたよ。多くは父に無理やり連れられてでしたが、正教会の礼拝もありましたから、屋敷の者たちと訪れることもありましたね」
「セオドール様も?」
「そうですね。セオドールもです。そういえば、彼は僕が生まれた頃から屋敷にいた気がしますね」
思えばだいぶ長い付き合いだ。物心ついてから覚えているセオドールの顔は、今と大して変わらなかったように思える。屋敷に来る以前は何をしていたかは、聞いたことがない。
「レティシアは、セオドールから昔のことを聞いたことは?」
尋ねると、眠そうに瞼を下げながら、
「フレデリカのお屋敷で従僕をしていた、ということ以外は……」
と途切れ途切れに答えた。
セオドールはお喋りだが、自分の昔のことは滅多に話をしない。今度レティシアと尋ねてみようか。
そう思って、レティシアに話しかけようとすると、瞼がピッタリと閉じていた。
「レティシア?」
名前を呼んでみたが返事はない。少し前屈みになって見下ろしてみると、小さな寝息が聞こえた。胸元も穏やかに上下している。
どうやら眠りについたようだ。
僕は身を引いてベッドから腰を上げる。すると、コツコツ と窓に何かが当たる音がした。
何だろうとカーテンを開けると、窓の外に小さなカラスが止まっているのを見つけた。その足には小さな筒が見える。
窓を開けてカラスを招き入れると、カラスは人懐っこく自ら筒のついた片足を伸ばしてきた。
僕は筒を外し、筒の蓋を捻って中身を確認する。
中身は指先程度の紙が筒状に折りたたまれていた。
巻かれた紙を伸ばして広げていくと、あれよあれよという間に普段よく目にする大きさの報告書になった。
どうやら紙に魔法がかけてあったようだ。
報告書は全部で三枚あり、最後の紙の末尾を見ると、ナギの署名が入っていた。どうやらこのカラスはナギのお使いで来たようだ。
空の筒をカラスの足へ戻すと、カラスは僕を見てから窓の外に飛び立っていった。
僕は窓を閉めて報告書に目を通す。
冒頭にはカルークの屋敷での調査は概ね良好に済んだと書かれていて、続いて調査について簡単にまとめられていた。
その中でまず僕の目に止まったのは、屋敷の内部にある保管庫についてだった。
豆の入った木箱に、短剣が隠してあったという内容だ。
木箱の数は五つで、一箱に入っていた短剣はおよそ十五本〜二十本。そのうち二つの木箱は空で、別室で見つけたリストにその受け渡し先が記されていたとのことだ。そのリストには受け取った人物の名前と所在地が、一人一人記載されているらしく、明日ナギが直接僕に届けてくれると書いてある。
これはかなり大きな収穫だ。
短剣を買い占めている人物とカルークとが結びついた。もしかしたら黒幕もカルークかもしれない。おそらくリストにある人物たちを照らし合わせてみれば、もっと色々とわかるだろう。そうして、その短剣がこれから何に使われようとしているのかも、はっきりするはずだ。
僕は一枚目の内容に満足して頷き、二枚目を読み始める。
二枚目には、先ほどの夜会の目的についてが書かれていた。
あの特別な夜会の目的は、ロペスが言った通りにあくまで交流と結束を確かめるためのもので、集会のようなことは一切していないそうだ。そうして、カルーク自身は優生統律会には所属してはいないらしい。しかし、その会への勧誘は承認しているという。おそらくカルークと懇意にしている人間の中に、会の幹部など、権力を持った人物が居るのだろう。もしかしたら、その人物はカルークの目論見に資金援助などをしているのかもしれない。できればその人物についても詳しく知りたいところだが、そこまではわからなかったようだ。
二枚目をめくり、最後の一枚を見る。
最後の一枚にはカルークが夜会の最中に場を離れた理由が詳細に書かれていた。
まずは襲われた隊商についてだ。
襲われたのはやはりカルーク家の隊商で、一緒に帰路についていた他の商家の隊商一つも同時に被害にあったらしい。
隊商二つの主な積荷は鉄や鋼で、北の鉱山からアストラル城下まで運ぶ途中だったそうだ。
襲撃された場所は城下より馬で半日いったところにある大きな湖の側で、襲ったのは盗賊とのことだったが、計画性が見られたそうで、実際本当に盗賊だったのかはまだはっきりとしていないらしい。
そうして面白いことに、その襲撃の際に駆けつけたのは、偶然通りかかった宮廷魔導師の一班だったとのことだ。下に箇条書きで駆けつけた宮廷魔導師の名前が記されていた。
その中には僕のよく知る人物の名前があった。
本来ならそんなところに名前があったらおかしい人物だが、それを見つけても疑問に思わないのは、こんなことがいずれ起きるのではないかと予想していたからだ。
そうしてその予想は、できれば外れて欲しかったと僕を落胆させた。
僕は報告書をたたみ直して、机の引き出しから封筒を取り出して中へしまい、軽く封を折り曲げてから机の上に置いた。
——きっと、僕らがこれからやることのほとんどは、誰にも理解されないんだよ——
以前アレス皇子がつぶやいていたことが頭に過る。
あの時は、何を感傷的になっているのだと思ったが、最近になってなんとなく、その気持ちがわかるようになってきた。
夜寝る時に、ふと孤独を感じる時があるのだ。
もしかしたら、アレス皇子はずっと前からそんな孤独を抱いていたのかもしれない。
良い孤独が良い王を作ると、先人が言っていた。
孤独を知るものは人の痛みがわかる。
それがわからない人間は民を導けない。
独りよがりな政策はいずれ国を滅ぼしてしまう。
横たわるレティシアを見つめながら、僕は静かに今後について考え始めた。