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副官サマの日記帳  作者: 茅嶋ときわ
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副官サマと長い夜の帳5

 ルカ様が部屋を出ていかれてからどのくらい経っただろうか。数分、いや、十分以上は経っていそうだ。

 飲み物を取りに行くと言っていたが、もしかしたら、先程の老執事に事情を説明しているのかもしれない。

 

「はぁ……」

 

 暗い路地裏や公園の茂みの中にいるよりは幾分マシだが、見知らぬ部屋にポツンと取り残されては不安な気持ちが胸にわく。なんだか、暖かいはずの暖炉の熱もさほど感じない。

 僕の部屋——— とルカ様がおっしゃていたが、私の知る宮廷のそれとはだいぶ違う。

 室内はこじんまりしているし、私が座っている二人がけのソファの他には小さな机とベッド、壁際に大きな本棚が二つあるだけだ。そうして本棚にはほとんど本は入っていない。

 宮廷のルカ様の部屋の本棚にはもっとぎっしりと本が詰まっているから、変な気分だ。

 窓の外を見れば少しは気持ちが落ち着くかと思い、窓を探す。

 窓は机の側に一箇所だけあった。けれど、カーテンが閉じられていて外の様子は伺えない。

 カーテンを開けようかと考えたが、足が重くて立ち上がる気にならず、ため息が口をついて出た。

 それからしばらくはぼんやりと、ゆらゆらと揺れる暖炉の炎を見ていた。すると、急にゾクゾク と全身に悪寒を感じ、指先に息をはいて擦り合わせる。

 じんわりと指先が温まってくると、指から手首にかけての緊張が少しだけ抜けていった。そうすると、暖炉の火からも少しずつ熱を感じるようになってきた。

 魔法の火の暖かさに包まれていく体からゆっくりと緊張が抜けて、肩の関節が緩んで小さな音をたてる。

 先ほど治してもらった肩にもう痛みはない。動かしてみても全然平気だ。

 肩を軽く回していると、ふとソファの背に外套がかけられていることに気づいた。

 手を伸ばしてみると、夜露で湿った私とルカ様の外套だった。

 二着は折り畳まれて重なっていて、だいぶ湿っている。このままかけておいたらソファまで湿ってしまうだろう。

 私は立ち上がり、暖炉の近くに置いてある火の粉避けを暖炉に対して斜めに置き、重ならないように丁寧に外套を並べてかけた。

 魔法の火からは火の粉は飛ばないから、こうしておいても問題はないだろう。

 

「あなた、何をやっているんですか?」

「あ、ルカ様……」

 

 突然横から呆れたルカ様の声が飛んできたので顔を向けると、その声に合った表情をしたルカ様と目が合った。

 扉の開いた音に気づかなかった。

 

「性分、でございましょう、ルカ様。そう呆れた顔をしては可哀想でございますよ」

 

 老執事がルカ様の背後からひょっこりと顔を覗かせて言うと、ルカ様は「そういうものですか?」とちらりと私を見て首を傾げた。

 

「さぁルカ様、ここに立ったままではせっかくの飲み物が冷めてしまいます」

「うん……」

 

 老執事に言われ、ルカ様がきちんと部屋に入ってくると、それに続いて老執事も入ってきて、銀色のトレイをゆっくりとした動作で暖炉前に置かれている足の短いテーブルに置いた。

 トレイの上には湯気が上るカップが二つ置かれている。

 

「こちらはルカ様に。こちらはあなたにです」

 

 トレイからカップを下ろして並べながら言った老執事は、カップの中身についての説明を付け加えた。

 

「どちらにも、ブランデーとシシリ液を垂らしておりますので、温まって落ち着きますよ」

 

 にこりと穏やかに笑う老執事に、何となく安心感を覚え、残った緊張がほぐれていく。重く感じていた足が緩み、微かに膝が笑った。

 

「レティシア、座って飲みましょう」

 

 膝が笑ったせいでふらついて見えたのか、ルカ様が私の背を押してソファに戻るよう促した。私がソファに座ると、ルカ様もその隣に座り、置かれているカップを取り上げて私へ差し出してくる。

 立ち上る湯気からはミルクの香りがしている。

 以前城下でルカ様をお助けした時のことを、ほんの少しだけ思い出した。

 あの時も、ルカ様にミルクをお出ししたのだった。

 私はルカ様の手からカップを受け取り、ゆっくりとミルクの香りを鼻に吸い込んだ。

 それを見てから、ルカ様も自分のカップを持ち上げて香りを確かめた。

 

「おや、僕のはミルクじゃないんですか?」

「ルカ様の物は気が休まる薬草茶でございます。寝つきも良くなりますよ」

「ふぅん。そうですか、ありがとう」

 

 ルカ様の老執事への態度は、セオドール様への態度と大差ない。きっと長いお付き合いなのだろう。

 

「では、私はこれで。何かご用がございましたら遠慮なくお呼び下さい」

「うん。遅くにすみませんでした。おやすみ」

「おやすみなさいませ」

 

 静かに会釈をして、老執事は部屋から出て行った。

 ルカ様がカップの中身をゆっくりと飲み始めたので、私も倣ってゆっくりと飲み込む。

 ミルクの甘い味と暖かさに、体の内側にある緊張が溶けていく。

 ほっ と思わず息をつくと、ルカ様が私に顔を向けて尋ねてきた。

 

「それで、レティシア。誰にやられたんですか?」

 

 私はカップを手に持ったまま、躊躇いがちに返答する。

  

「……ジョルジュ・ハラージュ様に」

「あの細身の男にですか?」

 

 頷くと、ルカ様が「魔法かな……」とつぶやいた。

 確かに魔法ならば、細い腕でも屈強な男のような力で殴ることができるだろう。

 カルーク様のあの夜会の参加者は、貴族主義・魔法優位の方ばかりだと言っていた。魔法優位を掲げるくらいだ、参加者自身も中級以上の魔法は使えるだろう。

 

「しかし、なんであの男があなたに手をあげるようなことに?」

「それは……」

 

 言っても良いのだろうかと迷ってしまう。だって、リリアーナ様のことも話さねばならないのだ。

 どこからどう話すべきだろうか。

 考えていると、ルカ様がまた質問をしてきた。

 

「会場をリリアーナと出て行きましたよね? なら、リリアーナも関わっているってことですか?」

「それは……」

 

 そうなのだが、どう説明して良いか言葉が見つからない。頑張って考えてようやく思いついた言葉は、リリアーナ様とハラージュ様の関係性についてのことだった。

 

「ハラージュ様は、リリアーナ様に言われたようで……」

「リリアーナに? ハラージュは何か彼女に弱みを握られているということですか?」

「いいえ、そうは見えませんでした。どちらかというととても親しげに——— 」

 

 殴り蹴られたあとのことを思い出す。

 屋敷まで戻って見つけた、薄闇の中で重なる影。たくし上げられたスカートの裾。まだ耳にすぐに蘇る甘い声。

 しかし、それをそのまま伝えるのはちょっと気が引ける。

 どう伝えようとまた考えていると、ルカ様が先に口を開いた。

 

「家同士の付き合いは長そうですから、あの二人が懇意なのは何となくわかります。けど、従う理由はわかりませんね。恋人同士ではないでしょうし……」

「その……そういった関係のご様子でした」

「どういうことです?」

 

 尋ね返されて、もう見たままに伝えるしかなくなり、目撃したことを辿々しく伝える。するとルカ様は、「はぁ」と長いため息をついて、ソファの背もたれに深くもたれかかった。

 

「それは、ずいぶんと刺激的な話ですね」

 

 ルカ様は言ってからカップの中身を飲み干して、「他に何か、話しておきたいことは?」と尋ねてきた。

 

「その……優生統律会ですが、リリアーナ様もそうなのですか?」

「その印があったんですか?」

「胸元の飾りに……」

「ならそうなんでしょう」

 

 それを予想していたかのような落ち着きぶりだった。

 貴族主義・魔法優位・優生思想。リリアーナ様がそうだと言われても、自然と「あぁそうなんだ」と頷けてしまう。一見したら可愛らしく利発的なご令嬢なのに、彼女の何がそう思わせるのかわからない。

 溢れ出る自信の源がそれらの思想だからか? 滲み出てしまっている、ということだろうか?

 少しばかり考えてみたが答えははっきりせず、「はぁ」と短いため息がついて出た。

 ミルクを一口飲み込み、考えを切り替える。

 そういえば、どうしてリリアーナ様は、ルカ様をあの夜会に誘ったのだろう?

 ルカ様は貴族主義でもなければ魔法優位でもない。あの夜会には同じ考えの人間以外は招かれないと言っていた。

 また少し考えてみたが答えは出ず、私はルカ様に尋ねてみることにした。

 

「リリアーナ様は、どうしてルカ様をあの夜会に招待したのですか?」

「あぁそれは——— 」

 

 反射的に答えかけたルカ様は途中で言葉を消した。視線がほんのわずかに天井へと泳いだのを見て、どうやら私には言えないことがあるようだと悟る。

 話途中の口元は、わずかに開いたままだ。

 そんなに長い時間ではなかったが、そのまま何かを考えている様子だった。

 

「——— えぇと、ちょっとナギと謀事(はかりごと)をしましてね。それのせいで、リリアーナは僕が魔法優位であると勘違いをしたんだと思います」

 

 ナギさんとの謀事、というまた新しい気がかりが出てきて、それについても尋ねようとしたが、ルカ様に先に言葉を奪われてしまった。

 

「まぁ、それについてはおいおい話します。今日は止めましょう」

 

 本当に話してくれるかどうかは怪しいが、主人にそう言われては引くしかない。

 私は残ったミルクを飲み干して、カップをテーブルへ戻した。

 

「何か他に気になっていることはありますか?」

 

 考えてみたが、特に浮かばない。首を横に振ると、ルカ様は「そうでうすか」と頷いて、自身の横から畳まれた布を持ち上げた。

 

「じゃあ、話はこれで終わりにしましょう。これをどうぞ」

 

 そう言って差し出されたその布は、どうやら夜着のようだ。

 

「そこの浴室で温まってくると良いですよ。お湯の出し方は宮廷と同じです。残念ながらシャワーしかありませんが、それでも体は温まるでしょう」

 

 指さされて振り向くと、右側の壁に一枚扉を見つけた。どうやらそこが浴室らしい。

 浴室の位置を確認してから夜着を受け取ると、その下には大中小のタオルもあった。手触りはとてもよく、ふわふわしている。

 

「久しく若い女性がこの屋敷を訪れることがなかったようで、それしか用意がなかったそうです。下着は城に戻るまで、今のままで我慢して下さい」

「お、お気になさらず……」

 

 ルカ様に下着の心配までされて恥ずかしくなって夜着とタオルを胸に抱え込む。

 柔らかいタオルが胸と腕の間でやんわりと潰れる。

 

「その……浴室を使うのは、私が先でよろしいのですか?」

「もちろんですよ。僕のわがままに付き合ってもらって怪我までしたんです。お先にどうぞ」

 

 どこか申し訳なさそうに笑って言ったルカ様に、私は頷いて「それでは」と立ち上がる。

 確かにルカ様の事前の指示に従って、やり返すことは避け、できるだけ無力なメイドでいることに注力した。その結果、だいぶ痛い思いはしたが、そのおかげでハラージュ様やリリアーナ様の裏の顔を見ることができた。

 あの時、リリアーナ様の魔法で抵抗することは難しかったが、もしルカ様の指示がなければ、死に物狂いでなんとか反撃していたと思う。

 しかし、だからといって、主人よりも先にお湯を使うというのはどうにも気が咎めてしまう。

 頭の奥では〝それくらいの労い当然よ!〟と言っている自分がいるが、思考の大部分は〝本当に先に入っていいの?〟と疑問を投げかけてきている。

 ソファを立ち上がってその場でソワソワしている私に、座ったままルカ様が私を見上げて眉を寄せた。

 

「まだどこか痛みますか?」

「いいえ、そうではなく……」

「治療後、まだ痛い気がするという患者はよくいるんですよ。もしそうなら、入るのを手伝いますが?」

「いいえ、本当に痛みは——— 」

 

と、真面目に返しかけて、ルカ様の口元に意地悪そうな笑みが浮かんでいることに気づいた。

 ルカ様が何食わぬ顔で立ち上がり、私の服を掴もうと手を伸ばしてくる。

 

「て、手伝いはなくて大丈夫でございます! お、お先に!」

 

 伸ばされた手を慌てて避けて、私は急足で浴室の扉の中へと駆け込んだ。

 

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