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副官サマの日記帳  作者: 茅嶋ときわ
41/50

副官サマと長い夜の帳4

 広間から出て玄関へ向かう途中で、奥の薄暗い廊下からリリアーナが歩いてくるのが見え足を止めた。

  

「あらルカ様、どちらへ?」

「話がひと段落したので帰ろうかと思いまして。カルーク殿も用事で退出したまま戻られそうにないので」

「あら、そうでしたの?」

 

 リリアーナは僕のところまで歩いてくると、近くにいた外套係を手招いて、僕の外套を持ってくるようにと指示を出した。

 

「それで、リリアーナ。僕の護衛はどこです?」

「あら……護衛なら、私と別れてそのまま外へ残るとおっしゃっておりましたわ」

「外へ?」

「何やら思い詰めているご様子でしたので、戻りがてら使用人に様子を見てくるよう伝えたのですが、報告がないということは、もしかしたらもう外にはいらっしゃらないのかも……」

「そう、ですか……」

 

 さすがに一人で帰ったということはないだろう。あの真面目な性格では、主人を置いて帰るなんて考えつかないはずだ。

 もちろん、カルークに晒されたことでこの場に戻りにくいというのはあるかも知れないが、それよりもきっと、彼女は僕を優先するだろう。もしリリアーナが言うように外へ出たきりというならば、そうせざるを得ない理由ができたのだと思う。

 レティシアのことをもっと考慮して、ナギに調査後も残ってもらうんだったな。

 後悔していると、外套係が僕の外套を持ってやってきた。

 それをリリーアナが受け取り、

   

「玄関先までお送り致しますわ」

 

と言って前を歩き始めた。

 僕はその背を追いかけるように早足で追い抜き、彼女の手から外套を抜き取る。

 

「結構ですよ、リリアーナ。あなたはどうぞ夜会に戻って下さい」


 外套を抜き取られた手を軽く握り込み、リリアーナが僕を見上げて名残惜しそうな顔をする。

 

「せめて一曲くらい、ルカ様と踊りたかったですわ」

「それは申し訳ないです。また機会があれば……」

 

 そう言いながらも、そんな機会は訪れないだろうと心の中で思う。

 貴族主義・魔法優位・優生思想。この三種の思想を併せ持つ人間とは、仕事で無ければ関わり合いたくない。

 リリアーナに振り返らず、急いで玄関の扉をくぐると、

 

「馬車を?」

 

と、外に居た従僕が尋ねてきた。

 僕は首を横に振ってそのまま外階段を下り考える。

 レティシアはいったいどこへ行った?

 外へ出たのはおそらく正面玄関からではないだろう。なら裏口はどこだ?

 小指の爪程度の砂利が敷き詰められた地面に足を下ろすと、靴の底で砂利が転がり音を立てた。

 裏口の場所を特定するために振り返って屋敷の左右を見る。

 右手は外壁に沿って隣家があり、その間に道は無さそうだ。なら、左手か?

 外の従僕に気取られぬよう、正面の門に向かう素振りを見せながら、従僕の視線が僕から逸れるのを待つ。

 門へと向かう僕をしばらく見ていた従僕に、背後から来た別の客が声をかけたのが見えた。

 従僕が客に振り返り視線が僕から逸れる。その隙に、僕は錫杖を取り出して気配消しの魔法をかけ、屋敷の左手へ小走りに向かう。

 外壁に埋め込まれるようにある裏通りに続く格子の扉を見つけ、足を止めてゆっくりと開く。

 裏の細い路地には、ぽつぽつと街灯の灯りが光っていた。

 付近をじっと観察するが、人の気配は無い。

 ここじゃなかったか?

 少し落胆しながら路地の中ほどまで出る。

 路地の右手は上り坂で、正面から少し行ったところからは細い路地が続き、左手には屋敷まで来た時の大通りが見える。

 大通りの向こうは確か中規模の自然公園だったか。

 レティシアはどこに潜んでいるのだろうか?

 僕はもう一度考えながらあたりを見渡す。すると、石畳の溝がキラと光って見えた。

 近くに寄ってみると、その溝は赤くキラキラしていた。

 何かの粉だろうか?

 指先で拭って見ると、夜露に少しばかり溶け出してはいるが、魔法の光る粉だということがわかった。

 

『買うんですか?』

『はい。面白そうなので』

 

 夏至祭の時にしたやりとりが過り、レティシアがこの色の魔法の光粉を買っていたことを思い出した。慌てて石畳の上に他に赤い粉が無いかを探す。

 きっとこれは目印だ。

 赤色の粉が大通りの方へ向かってポツポツと続いている。注意しないとわからない程度に、溝や壁際に沿っている。

 その粉をたどって細い路地を出て大通りへ行くと、公園の茂みの中へと粉は続いていた。


「ルカ様?」

 

 茂みを進んでいると、奥からか細い呼び声が聞こえ、立ち止まって周囲に目を凝らす。すると、暗い茂みの奥にレティシアの姿が見えた。

 

「レティシア! そんなところに……。さぁ、終わりましたよ。帰りましょう」

 

 茂みを割って進みレティシアの側へ行くと、少しだけ安心して肩の力抜けた。

 うずくまっているレティシアに手を差し伸べる。

 レティシアは少しばかり躊躇ったが、僕の手を取った。

 触れた手の冷たさに、どのくらいここに居たのかと疑問が浮かぶ。

 立ち上がらせると、レティシアの外套から夜露がいくらかこぼれ落ちていった。

 茂みの葉についていたものが外套へ移ったのだろうか。

 

「どうしてこんなところに?」

 

 尋ねると、レティシアは言いにくそうに俯いた。


「あぁ、いいです。止めましょう。すみません。話はあとからで……ひとまず戻りましょうか」

 

 そう言ってからレティシアの肩に触れると、びくりと体を震わせた。

 その仕草にアレ? と思って顔を覗き込むが、フードを目深にかぶっているせいで表情がわからない。

 フードの縁に手をかけて少しだけ持ち上げようとすると、レティシアの手が僕の手首に触れて遮った。

 

「フードを取りたくない理由があるんですか?」

 

 そう尋ねると、レティシアは頷いた。

 頷かれたら取らないわけにはいかない。

 僕は遮られた手を動かして、無理やりフードを後方へ剥がした。

 慌てて顔を隠そうとするレティシアの手を、今度は僕が遮る。

 茂みの間からわずかに漏れる公園の明かりに、レティシアの顔がぼんやりと浮かんだ。

 頬に痣が見え、これを隠したかったのかとため息が出た。

 薄暗い中でも目立つ頬の痣は、触れたらかなり痛いだろう。僕は手を引っ込めて尋ねた。

 

「誰に?」

「それは……」

 

 また口籠るレティシアは、チラチラとカルークの屋敷の方向を気にしている。屋敷の人間に見つかるかもししれないという不安があるのだろう。

 しかし、頬の痣をこのままに宮廷に帰るのは考えものだ。

 宮廷の門にも玄関にも多くの衛兵が居るし、そこを通る時にはフードを外さねばならない。

 レティシアは先頃の、騎士と宮廷魔導師とのいざこざの際にそこそこ顔が知れてしまった。こんな状態で戻ったら話題になるだろう。なら一度、別のところで治療してから戻るか? きっと頬以外にも負傷しているだろうし……。

 どこへ連れて行くかと考えて、思いついたのはフレデリカの別邸だった。

 ナギの宿屋というのも浮かんだが、きっと今は先ほど調査した情報を纏めたりしていて落ち着かないだろう。フレデリカの別邸ならば、今は滞在者もおらず、気がしれた使用人たちだけだ。それに転移用の魔法陣もあるし移動が楽だ。

 僕は持ったままの錫杖を地面につけ、杖尻に魔力を込めた。

 濡れた土のほんの少し上に光の線が走る。

 それは僕とレティシアをぐるりと囲み、その内側に魔法陣を展開させていく。

 レティシアの腰を少しだけ引き寄せて杖尻を持ち上げ強く地面へと突きつけると、錫杖の飾りが茂みの中へと響いた。

 音の中で一つ瞬きをすると、もうそこは見知った部屋の中だ。

 床に描かれている転移用の魔法陣が淡い光を放出させて、次第にただ描かれているだけの状態の魔法陣へと変わっていく。

 僕はレティシアの腰から手を離し、部屋の壁際にある使用人を呼び出すための紐を引っ張った。

 もうすでに十一時を回っている。ほとんどの使用人はすでに仕事を終えて部屋に戻っているだろう。誰が来るかはわからないが、できれば話の通じる人間が良い。

 紐を引っ張ってから五分余りすると、部屋の扉がノックされて、「どちら様でいらっしゃいますか?」と少ししゃがれた声が聞こえた。

 その声に安堵して、扉を勢いよく開ける。

 

「おや、これは……ルカ様。お久しぶりでございます」

 

 勢いよく出てきた僕に、老執事は一瞬驚いたが、すぐに冷静さを取り戻して普段の笑顔を浮かべた。

 

「遅くに連絡もなくすみません。僕の部屋は使えますか?」

「はぁ、お部屋はそのままにしてございますが……」

「一晩連れと泊まりたいのですが、構いませんか?」

「それは、もちろんですが……」

 

 老執事はまだ魔法陣の上に立つレティシアを一度僕越しに見たが、何か理由があるのだろうと察したのか、何も聞かずに廊下へと踵を返した。

 

「レティシア、行きましょう」

 

 僕はレティシアの側まで戻ってフードを軽く被せ、手を引く。

 遅い時間の屋敷内で誰かとすれ違うことはないだろうが、すれ違うかもしれないという彼女の不安をフードで少しでも抑えられれば良いなと思う。

 この部屋から僕の部屋まではそう長い距離はない。一階下に下がって左に折れればすぐだ。

 

「何か温かい飲み物をお持ちしましょうか?」

 

 階段を下りながら尋ねてくる老執事に僕は頷いて返す。

 

「ありがとう。でも準備だけで良いです。先に彼女の治療をしないといけませんから、それが終わってから僕が取りに行きます」

「さようでございますか。ではそのように致しましょう」

 

 僕の部屋までくると、老執事は部屋の扉を開けて指を鳴らし、魔法の明かりを点けてから頭を下げて廊下の奥へと歩いていった。

 僕はレティシアを先に部屋へ入れ、廊下に人の気配がないことを確認してから扉を閉じ、念のため気配感知の魔法をかける。

 こうしておけば誰かが近づいたら僕にだけわかる。

 

「外套を」

 

 入ったまま立ち尽くしているレティシアに言うと、レティシアは言われるがままに外套を脱いだ。

 普段なら彼女が真っ先に僕の外套を取りに来るのに、そうしないのはその余裕がないからだろう。

 僕はレティシアの外套を受け取り、部屋の左側にあるソファへと座るように促した。そうしてそのソファの背に、レティシアの外套とさっと脱いだ自分の外套を適当にかけて彼女の隣に座る。

 落ち着かないのか、レティシアは両手をぎゅっと握り合わせて部屋の中を見渡している。

 

「僕の実家の別邸です。宮廷の部屋同様、安心して大丈夫ですよ」

 

 なるべく穏やかな声でレティシアに言うと、少しだけ緊張を解いて、握り合わせた手を解放して膝の上に軽く重ねた。

 僕はレティシアの様子を伺いながら、ゆっくりと頬へと手を伸ばす。すると、レティシアの体が反射的にぎゅっと萎縮した。

 

「傷を見るだけです。怯える必要はありませんよ」

 

 言いながら傷の具合を見ると、頬骨の周囲に内出血があるのがわかった。

 外の暗がりで見たよりも、かなり酷い状態のようだ。

 

「殴られたんですよね? 棒か何かでですか?」

「……素手、だったかと」

「素手? それが本当ならば、さぞ屈強な者だったのでしょうね」

 

 僕の言葉に皮肉っぽさを感じたのか、レティシアの眉が少しピクリと動いた。

 

「他に負傷しているところは?」

 

 尋ねると、言いにくそうにレティシアは肩と腹部に順番に手を乗せて見せた。

 強い緊張状態だったからか、そんな些細な動作もどこかぎこちない。寒さで関節が硬くなっているというのもあるのかもしれない。

 そういえば、部屋の暖炉に火を入れてなかった。

 僕は錫杖を鳴らし、暖炉に火を灯した。

 ソファの目の前にある暖炉に火が灯ると、レティシアの顔色が普段よりもかなり悪いことがわかった。いつもの健康そうな顔色とは程遠い、額から顎先までの全体が青ざめている。

 

「小さい痣や傷はそのままでも良いと思いますが、酷いところは魔法で治してしまいましょう」

 

 治すと言っても実際のことろ、僕は白魔導師でも治癒師でもない。

 東の帝国に居た際に、アレス皇子に勝手に白魔導師として冒険者ギルドに登録されたというだけの話だ。ただその時に学んだ術が、今になって役に立ってはいる。きっとこういうことが必然というのだろう。

 ただ魔法で治すという行為はあまり一般的ではない。慣れていないレティシアはだいぶ不安そうだ。

 

「この程度の治療なら、安心して任せてくれて大丈夫ですよ」

 

 不安を拭うように微笑んで言うと、レティシアは眉を寄せたまま頷いて、僕の肩越しにじっと壁を見据えた。

 

「じゃあまず頬から。治すときに少し痛みますから、我慢して」

 

 錫杖を二度鳴らしてから開いた方の手で頬に触れ、当てた指に軽く力を込める。

 頬の肉がグッと押され、指がわずかに食い込むと、レティシアが小さくうめいた。

 指先から一瞬放たれる熱。魔力が皮膚へ流れてその下へと浸透していく時、それがけっこう痛むのだ。

 レティシアの目にうっすら涙が滲んだ。

 

「もうすぐ終わりますよ」

 

 そう言いながら、頬から消えていく痣をじっと観察する。

 魔法はきちんと作用しているようだ。

 痣が小さくなり消えたところで指を離し、今度は肩を指さす。

 

「申し訳ないんですが、患部を見せてもらえますか? 服の上からだとうまくできないんです」

「ぬ、脱ぐのですか?」

「全部脱がなくても良いですよ、肩だけはだけて……」

 

 言いながら、そういえば腹部もやられたと言っていたなと思い出し、全部脱いでもらったほうがやりやすいのかもしれないと思ったが、それを言ったら説得に時間がかかりそうなので止めることにした。

 レティシアは躊躇ったが、治すためと覚悟したのかブラウスのボタンを外して片方の肩を露出させた。

 肩は頬よりも酷く、痣だけではなくだいぶ腫れている。それにやられてそう時間が経っていないからか、踏みつけられたような靴あとがはっきりと認識できた。

 患部全体を手のひらで隠すように被せ、魔力を徐々に流していく。

 頬よりも広範囲だし腫れも酷い。きっと治療中は先ほどよりも痛むだろう。

 僕はなるべく痛みから意識を逸らせるように、レティシアに話しかけた。

 

「こういった回復魔法は、特別な遺跡や戦場で急を要さない限りあまり使わないんですが、今回はちょっと特別ですね。痕が残るのも嫌ですし」

 

 回復魔法は当人の治癒力を早めたり高めたりしているだけなので、あまり頻繁に使うとその部分だけ早く細胞が劣化していく。だから宮廷の白魔導師・治癒師も城外の者も、滅多なことでは回復魔法は使わない。

 肩を治してあとは、腹部の治療にかかる。

 内臓や骨は無事だったので、肩と同じようにゆっくりと治療していく。

 

「これで全部ですか?」

「……はい。ありがとうございます」

 

 治療が済むと、レティシアはだるさが残っているのか一呼吸置いてから服の乱れを元に戻し始めた。

 僕はそんなレティシアから視線を逸らし、静かに立ち上がって錫杖を手から消す。

 

「じゃあ、飲み物を持ってくるので、しばらく休んでいて下さい。詳しい話はそれからにしましょう」

 

 出て行く時に少し不安そうな顔をしたレティシアに微笑んで、部屋の扉を閉めた。

 

「すぐに戻ります」

 

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