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副官サマの日記帳  作者: 茅嶋ときわ
38/50

副官サマと長い夜の帳1

ここから先のお話は、暴力表現などが多く出てくるようになります。苦手な方はご注意ください。

 闇色のマントから伸びる腕。

 男性にしては細い腕を指先までたどると、白い手袋をはめた指先が固く握られていた。

 それを認識した直後に頬に広がった鈍い痛み。

 反射的に後ずさろうとして、靴の踵が夜露で滑って石畳の上に尻餅をついた。

 それを見て、暗闇の中で男が笑う。

 光の届かない細い路地裏では、男の表情はよく見えない。夜目のきかない私には特にだ。

 暗闇の中でマントが男の細身の体に沿ってゆらゆらと揺れている。

 打たれて痛む頬に、夜の冷たさが張り付いてくる。

 素手で殴られたにしては酷い痛み方だ。もっと硬い物で殴られたみたいに感じる。

 この細い男のどこに、そんな力があったのだろう。

 そうして、なぜこうまでする必要があるのだろうか————

 

 

 

   *  *  *  

 

 

 

 時さかのぼって、カルーク様の特別な夜会。

 玄関先に到着したルカ様を、〝待っていた!〟と言わんばかりに、リリアーナ様が出迎えて、にっこりと微笑んだ。

 

「お待ちしておりましたわ! ルカ様」

「すみません。本当はそちらに迎えに行くべきだったのに、仕事の都合上ここを待ち合わせ場所にしてしまって……」

「いいえ、お気になさらないで下さいな。私はルカ様と夜会を共にできるだけ嬉しいんですのよ」

 

 嫌な顔一つ見せずに言ったリリアーナ様の目が、ルカ様の後方に控えている私を捉える。

 わかりやすく下がり寄せられる眉。その先には落胆した声音が続いた。

 

「ルカ様は、どうしてもその方を近くに連れておきたいのですわね?」

 

 言い方こそ上品だが、それが嫌味だということはわかる。

 ルカ様は外套を脱ぎながら、外向けのうっすらとした笑顔を口元に浮かべ、リリアーナ様に返事をした。

 

「護衛ですから仕方ないでしょう? それに今日は彼女だけではありません。夜ですから、もう一人連れてきています。二人とも中で連れ回すようなことはしません。だから許して下さいませんか?」

 

 リリアーナ様が私の隣に居るナギさんを見上げて、「はぁ」と憂鬱そうなため息をついだが、「まぁよろしいですわ」と仕方なさげに頷いた。そうして外套を脱いだルカ様の腕に自分の腕を絡め、猫がすり寄るようにそっと体を密着させる。

 あまり見ていたい光景ではなくて目線を逸らすと、ナギさんが私の肩をトントンと叩いて、「あっちで待機だね」と、玄関脇にあるこじんまりとした扉を指さした。

 

「じゃあ、戻る時に声をかけます」

「了解でございマス」

 

 ルカ様に少し戯けた口調で返事をしたナギさんは、私を促して扉の先にある部屋へと向かった。

 普通の扉よりも身幅の狭い、一枚扉を開けて中へ入る。中には様々な出立ちの人たちが、各々思うように過ごしていた。

 この人たちも私たちと同じ護衛なのだろう。

 

「おや、女の護衛か? 珍しいな」

 

 入り口付近で水を飲んでいた男が私を見て言うと、部屋中の視線が一気に私へと向いた。その視線は珍しい物を見る時のそれで、居た堪れない気分になってもじもじしてしまう。そんな私を見て、声をかけてきた男が申し訳なさそうに笑って、視線を向けてきた人たちに〝見てやるな〟と片手を振って見せた。そうすると、私に集中していた視線がいくらか減り、ちょっとだけ落ち着きを取り戻せた。

 護衛の男が言うには、商人の護衛というならば女性の護衛は珍しくないが、こういった大きな夜会に来るような人物の護衛ではとても珍しいそうだ。

 

「お、こっちらから中の様子が見えるようになってんのね。ありがたい」

 

 私が護衛の男と話している間に奥の壁に寄っていたナギさんが、その壁に垂れ下がる大きなカーテンの端を摘んで中を覗き込みながら言った。そうして首だけカーテンの奥に消えた状態で、私を後ろ手で手招きする。

 呼ばれるがままに歩いてカーテンに近づくと、だんだんと軽やかな音楽が聞こえてきた。

 どうやらこのカーテンの奥で夜会が行われているらしい。

 ナギさんが摘んでいたカーテンを、私が入りやすようにもう少し持ち上げてくれたので、会釈して隙間に頭を入れる。

 途中でカーテンを見上げて見ると、布地が思ったよりも分厚く、どうやら音を遮断する効果があるみたいだった。

 私は頭を出して、ナギさんと同じようにカーテンの奥を覗く。すると、きらきらと降り注ぐ光に一瞬目がくらみ、目がチカチカした。

 会場の中央にある大きなシャンデリアから降り注ぐ光。それは昼間のように明るく広間全体を照らしている。

 その明るさは今いる自分たちの部屋とは雲泥の差で、まるで別の世界を覗いているみたいな気分になった。

 シャンデリアから降るその光は、光量もすごいがその光の輝きもとても美しく、ときおり虹色に見えた。きっと、飾りでぶら下がっている水晶に反射して、ほのかな色味がついているのだと思う。そうして、そんな美しい光の下でゆったりと踊る人たち。その人たちの豪華で華やかな衣装は、宮廷で見かける普段の装いのご婦人たちとは全然違う。

 細かなレースの施された裾の長いドレスに、高く結い上げられた髪。その髪は遠目に見ても艶やかで、衣装に合った髪留めや(かんざし)を惜しげなく散りばめている。開いた胸元に揺れる宝石の首飾りも見事な物だ。

 夜会では、あんな豪華なドレスを身に纏うのか……。

 裾を優雅に翻して踊るご婦人たちはみんなにこやかで楽しそうだ。音楽に乗って動く足取りもとても軽やかで、つい心が弾んでくる。


「すごいですね……」

 

 宮廷メイドになってから夜会や晩餐会の支度を手伝ったことはあるが、来客がある状態の会場を見る機会はついぞなかった。

 いつも裏で係の人のところまで料理を運んだり食器を洗ったりと、雑事に明け暮れていたからだ。

 城下暮らしの貴族様の夜会でこの煌びやかさなら、城の夜会や晩餐会はもっと凄いだろうな——— と、そう思っていると、ふと耳にルカ様の声が聞こえた気がして、もう少しだけ頭を出して辺りを見渡した。

 ルカ様は右側の壁際にいらっしゃった。

 リリアーナ様とにこやかに談笑している。

 二人の目の前には政務官みたいなしっかりした顔つきの男性二人がいるので、おそらく挨拶がてらの会話をしているのだと思う。

 夏至祭時に公務でお供した城下の寄付金集めの集会。その時のルカ様と姿が重なる。

 パッと見てすぐに貴族だとわかる仕草と話し方。それにいつも見ているルカ様とはだいぶ微笑み方が違う。隙がないとでも表現しようか。なんだか別人を見ているようだ。

 夜会という場にいるから、余計にそんな気がするのだろうか?

 普通にメイドの仕事をしているだけなら、こんな会場を覗く機会なんてなかっただろうし、華やかさにだいぶ衝撃を受けている。

 動揺して急に高まってくる緊張感。

 急にこの分厚いカーテンが、私とルカ様の世界の境界線のように思えてきて、思わず顔を引っ込めた。

 一歩踏み出せばその世界へ入れるけれど、入ってもそこへ馴染むことは難しい。

 ルカ様の横で背筋を伸ばして穏やかに相槌を打つリリアーナ様を見ていると、どうしても気持ちが沈んで悪い考えが浮かんでくる。

 私はきっとあんな風にはできない……。護衛としてお供するのが精一杯だ。

 憂鬱な気分になっていると、ボソリとナギさんがつぶやいた。

 

「お、本命のご登場だ」

 

 その声にハッとして、再びカーテンから顔を出して、伏せかけていた視線をルカ様とリリアーナ様に戻す。すると、今まで会話していた政務官と入れ替わりに、背の高い男がやってきたのが見えた。

 豪華な上着にふんだんにあしらわれている銀糸の装飾。よく磨かれた革靴の一部には、宝石が光っている。

 服装だけ見たらルカ様よりも豪華だ。

 

「これはこれは、フレデリカの若君がいらっしゃるとは、夢にも思いませんでした」


 熟成された茶葉のような落ち着いた髪色。優雅で堂々とした動作。ルカ様とはまた違う性質の貴族様だ。

 この方が、カルーク様か。

 アレス皇子が〝怪しい〟と言い、ルカ様が調べているという人物。先にいくらか不穏な情報を聞いてしまったからか、つい勘繰って観察してしまう。

  

「僕もここに来ることになるとは予想外でした。リリアーナに声をかけてもらったおかげですね」

「ふふ、ルカ様をお誘いしなければと強く感じましたの。きっと必然だったのですわ」

 

 今まで聞こえてこなかったルカ様たちの会話が急に聞こえるようになって、眉を寄せてナギさんを見る。そうすると、ナギさんが開いた手の指を使って輪っかを作り、ルカ様たちの方へ向けていた。

 私が見ていることに気づいたナギさんと視線が合う。

 ナギさんはパチンと片目をつむって唇の端を持ち上げて見せた。

 どうやらナギさんは聴覚に作用する魔法を使っているらしい。

 私たちの近くにいる他の護衛たちはこのことに気づいている様子はないから、おそらく効果範囲は狭く、ナギさんと私の頭部部分くらいなのだろう。

 

「必然とは、面白いことを言うな。リリアーナ」

「あら、カルーク様はそう思いませんの?」

 

 リリアーナ様の問いかけに、カルーク様は意味深げに微笑んでルカ様へ視線を向けた。

 

「必然だったかどうかは、あなた様次第でしょうな。ルカ様?」

「僕次第で必然になるなんて、ずいぶんと面白い必然ですね」

 

 腹の探り合いをしているということが私にもわかるほど、ルカ様とカルーク様のやりとりは硬い。それを見ているリリアーナ様は、困った人たちを見るように、少しだけ眉を下げて苦笑いを浮かべている。

 不意にナギさんが私の肩を指でトントンと叩き、その指をカルーク様の側にいる政務官の袖元へ向けた。

 何があるのかとじっと観察すると、上着の袖の下にチラチラと見えるシャツの袖を止めているカフスに、何か紋章のようなものが見えた。

 

「あれが優生統律会の印だよ。覚えておきな。この会場にいる人間は、俺らみたいな護衛も含めてその会に属している可能性が高い」

 

 そう言われてつい部屋の中を振り返ろうとすると、ナギさんに頭を掴まれてグイッと広間の方へと戻されてしまった。

 横目でナギさんを見上げると、「そういうあからさまな態度は禁止」と早口で注意された。

 

「私、ルカ様にはそういう志がおありかと思って、今夜お誘いしたのですわ。カルーク様」

 

 リリアーナ様がカルーク様を見上げて言うと、カルーク様は少しだけ訝しげな顔をした。

 そういう志とは、どれを指しているのだろうか?

 貴族主義・魔法優位・優生思想、そのどれかだろうが、ルカ様がそうだと、なぜリリアーナ様は思ったのだろう?

 気になってじっとリリアーナ様を観察すると、胸元に光る金属製の飾りに優生統律会の印を見つけた。それを見てもあまり驚かなかったのは、どことなくそんな予感がしていたからだ。

 

「ウゥン、しかし、今までそういう素振りを見せたことがなかったのに、急に我々と同じ志をお持ちだとおっしゃられるとは……」

「そういう考えを持っていても、フレデリカ家は真逆の思想ですし、アレス皇子の側にはルーイ・アルバハームがいる。アルバハーム家は代々あなたと同じ思想です。僕の立場だと、おおっぴらに僕の考えがそうであると発言するのは(はばか)られますよ。特に今はね」

 

 カルーク様の疑惑に満ちた問いかけに、ルカ様はうっすら笑ってチラリと広間に居る人たちを見た。

 

「だから、こういった夜会にお招きいただけたのは幸いでした。もっと早くリリアーナと知り合えば良かったですね」

「まぁ! ルカ様はお上手ですこと! お誘いするまでは私のことには微塵も興味がないようでしたのに!」

 

 リリアーナ様は抗議めいた目つきでルカ様を見上げ、その腕に触れた。それを見て、カルーク様が冷ややかな笑みを浮かべる。

 

「あぁ、そういえば、あなた様は平民のメイドに夢中なのでしたか?」


 カルーク様の言葉には感情が乗り切っていない。

 

「あくまで噂ですよ。僕が誰かを雇うと、すぐそういった噂が出るんです」

「出自のわからない執事と平民のメイドをお雇いとは、私にはそれが良い人選とはとても思えませんが? 我々とお同じ考えというならば特に……」

「使用人は能力重視、ですのよね? ルカ様?」

「えぇ、そうですね」

 

 リリアーナ様の助け舟にルカ様が頷き終わると、カルーク様が思い立ったように振り返り、まっすぐとこちらに視線を向けた。

 まるで私が見ていることに気づいていたかのような眼差しに、胸に緊張が走る。

 カルーク様の後ろでリリアーナ様が何やら彼に話しかけたが、カルーク様はそれには答えず、大きく一歩、踏み出した。

 ツカツカ と足早に、こちらに向かってくるカルーク様。

 近づくにつれて感じる彼の苛立った気配に、思わず二歩後退する。

 ふわり と今までナギさんが摘んでいたカーテンが、目の前にゆっくりと落ちてくる。しかし、カーテンは元の真っ直ぐな形に戻ることはなかった。

 落ちかけていたカーテンは、カルーク様によって掴まれ、勢いよく捲られて半分開かれてしまう。

 広間の明かりが待機室にいっきに差し込み、カルーク様が私を見下ろして低く唸るような声音で言った。

 

「なぜ、メイドがこんな場所に居る?」

 

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