副官サマと陰謀説 後編
「お二人とも、お止め下さいませ!」
そう言って僕とルーイの間に入ってきたレティシアに、思わず背筋が凍った。
ルーイはあと一歩で踏み出す寸前のところだった。もう少し遅ければ杖から魔法が放たれて、大怪我を負っていたところだ。
どうしていきなり入ってきたのかとレティシアを睨む。しかし、逆に睨み返されてしまい、その圧倒感についたじろいでしまった。
「邪魔をするな」
ルーイがレティシアに凄んで言うが、レティシアは動じずまっすぐルーイを見据えて続けた。
「これ以上はお止め下さいませ。もし続けるというのならば、魔法なしでおやり下さい」
「なんでおまえに指図されなければいけない?」
ルーイとレティシアは、互いに一歩も引かない姿勢で睨み合った。
チリチリと鳴り続けるルーイの杖先の雷。
その雷はいつ放たれてもおかしくない。レティシアを巻き込むことになっても、ルーイならあり得ることだ。
不安が胸に過ぎるが、その不安はすぐに消えることになった。
ルーイが「フン」と鼻を鳴らし、杖先を動かして雷を消失させたからだ。
ルーイの表情からは攻撃性が抜けている。
きっとレティシアの一歩も引かないという姿勢に面倒臭さの方がまさって、興が削がれたのだろう。
杖から雷が消えたことで、訓練場の空気からも魔力の気配が薄れてていく。訓練場の空気からほとんど魔法の気配が消えた頃、僕はもう大丈夫だろうと錫杖を立て直して構えを解いた。そうすると、ルーイがレティシアから視線をわずかに移動させて僕を見て言った。
「一つ、ルカに聞きたいことを思い出した」
「なんです?」
ルーイは杖尻をそっと床につけてから静かに尋ねた。
「カルークについて、どこまで調べた?」
ブリュッセル・カルーク。
外務省の在外公務室で室長補佐官をしている男で、ルチアーノ公の夜会でアレス皇子が〝気になる〟と言った人物でもある。
皇子はカルークが南の帝国と通じているのではないかとお疑いで、夜会の際に調べた方が良いのではとお悩みだった。ルーイは家の事情があるからと断り、僕がその役をもらったのだが、これがまたどうしてか、おかしな展開になってきている。
リリアーナ。まさか彼女からカルークの名が出るとは。
僕は先日の夕食会のことを思い出しながら、ルーイに答えを返した。
「まだざっと調べたところで、尻尾を掴むには至ってませんよ」
「それは、怪しい箇所はあったってことか?」
さぁ? と肩をすくめて見せると、ルーイはため息をついて杖を消した。
「聞きたいことってのは、カルークのことじゃあないんだ。二日前に、ちょっと気になる話を聞いてな」
「気になるって、どういう?」
「ヒースの部下が、カルークの机の上におまえの手帳に似ている物があったってな。だから、おまえに手帳を失くしたかどうか聞こうと思ってさ」
「僕の手帳って、どれです?」
「多分、いつも持ってるやつじゃないか? ほら、アレスの行動記録とかつけてるやつ」
「あぁ……」
思わぬところからの情報に、内心驚いた。
手帳の行方に関しての調査録にカルークの名前はなかった。ただ、彼に通じる人間の名前は確かにあった。だから、彼のところに手帳があっても不思議ではないが、こうしてルーイから話を聞くことになるとは、これもまた、面白い展開だ。
「本当にそれ、僕の手帳だったんですか?」
「さぁな。書類を受け取りに行ってちらっと見ただけだったそうだから、本当にそうかはわからない。ただ、念のため伝えておこうってさ」
そう言って、ルーイは僕から視線を外して吹き抜けのどこかを見上げた。
「ちなみに、僕の手帳があった机の上というのは、政務区の彼の机ですか?」
「多分な。まぁ、席の配置に詳しいわけじゃないだろうから、確証はないけど」
「ふぅん」
僕が相槌を打つと、ルーイは「はぁ」とどこか疲れたようにため息をついて、足先を出入り口へと向けた。
「オレが言いたかったのはそれだけだ。気になるなら後で調べてくれ。じゃあ、また明日な」
「えぇ、また明日」
訓練場から出て行くルーイの背を見送ってから、僕はレティシアの肩を軽く叩いて一緒にロペスの所へと戻る。そうすると、ロペスがどこかそわそわした様子で尋ねてきた。
「ルカ様。今しがたルーイ様とお話しされていたカルークとは、外務省にお勤めの?」
そのロペスの尋ね方に、何か言いたいことがあるのだと感じ、僕はロペスを見上げた。
「そうです。知り合いですか?」
「いいえ。私は挨拶程度にしか話したことはございません。ただ、私の友人が古物商をしておりまして、彼の実家と懇意にしておるそうで、先ごろ、その縁でブリュッセル氏の夜会に招かれたそうなのです。その話で少し気になったことがありまして……お探しの話では無いかもしれませんが……」
「何が繋がるかわかりませんからね。話を聞かせてもらっても?」
そう返すと、少し長くなるのかロペスはベンチを手のひらで指した。
僕は促されるままにベンチに座る。レティシアがたたんでくれた僕の外套の横だ。
レティシアも座るだろうか? と見上げるが、彼女は小さく首を振った。
僕は見上げた流れでロペスに視線を向け、話をするように頷いた。
「それでは、友人から聞いた話を」
ロペスが髭を撫でながら話し始めた。
「ここ最近、ブリュッセル氏は頻繁に夜会を催されるそうで、友人はカルーク家経由でたまたま誘われ、顔を出したのだそうです。その夜会が、どうにも胡散臭かったと申しておりまして」
「胡散臭い?」
「えぇ。あまり、ルカ様にこういったことを言いたくはありませんが、反皇帝派や反アレス派が異様に多かったとのことでございます」
少し口籠もり気味で言うロペスに、僕はなるべく気にしないという素振りを見せて先を続けさせた。
「夜会自体も、実際は特別な招待状がないと入れないそうで、その招待状をもらうには、夜会参加者の紹介が必要などと、いくらか手順が要るのだとか」
「秘密の夜会、ということですか?」
「聞いた感じでは、そのようですな。友人曰く、その夜会では集会のようなことは行われていないとのことでしたが、勧誘のようなことはしているみたいだと」
「勧誘とは、良い話ではありませんね」
「えぇ……」
表情を曇らせて頷いたロペスは、少しだけ間を空けてから続ける。
「友人が、その時に受けた勧誘のような話しは、ブリュッセル氏の思想に絡んだものだったそうで……講演会のようなものに一緒に行かないかと、誘われたそうでございます」
夜会で主催者絡みの講演会に誘うというのはよくあることだが、その顔ぶれが反体制が多いというのは気になる。そうして、カルークの思想に絡んでいるというのならば尚更だ。
「カルークの思想は、貴族主義と魔法優位でしたね?」
「はい。あともう一つ、おそらく優生思想なるものも」
「優生思想?」
ナギの調べにはそれについての記載はなかった。
ロペスが渋い顔で尋ねてきた。
「ルカ様は、優生統律会というものをご存知で?」
「いいえ、知りませんね」
初めて聞く名前だが、名前通りの意味の会ならば、危うさを多く孕んでいそうだ。
優れた生物が全ての元になるべきで、世を統べるべきだ——— と、そんなところだろうか。
「反体制の中には、その会に入っている者が非常に多かったと言っておりました」
「どうしてその会の人間だとがわかったんです?」
「優生統律会は、カフスなどのボタンの一部に、会の印をつけているのだそうです」
「へぇ……」
知っている人間にだけがその存在がわかる、秘密の会というわけか。余計に怪しく思えるな。
「まぁ、聞いた当初は私も話半分でございましたがね。どの皇帝の時代にも、一つや二つ、こういった陰謀めいた話はありますから……ただ、ブリュッセル氏をお調べだと聞いたからには、話さないわけは——— と」
「そうですね。話してもらえて良かったですよ、ロペス。ありがとう。そうだ、ついでですから、僕もロペスに意見を聞かせてもらいましょうか」
「私でわかることでしたら、どうぞ何なりと」
穏やかに笑い、ロペスが頷いた。
僕は夏至祭の時から少し引っかかっていることを質問してみる。
「夏至祭の折に訪れた城下で、短剣が品薄だと耳にしまして、何か思い当たることはないですか?」
「短剣、でございますか?」
「えぇ。どんなことでも構いません」
「短剣……」
何度か反芻してから、ロペスは思い出しながら答えた。
「そういえば、レイ様が黒騎士団の団長に就任した際に、短剣が品切れになったことがございましたな」
「レイ様が? なぜ?」
レイ様が黒騎士団の団長に就任したのは、だいたい二年半前のことだ。その時に短剣が品切れになったとは知らなかった。
「あの時は確か、冒険者ギルドに倣って黒騎士団と問わず、すべての新人騎士に配ったのでしたかな。今後の働きに期待するという意味を込めて」
レイ様は豪胆だからな。やりそうだ。
しかし、今回はそういったこととは無関係のように思える。もしレイ様のように買い占めるのならば、雑貨店の店主が情報を持っているだろう。けど、彼は何も知らないと言っていた。そうして〝誰かが買い占めさせているのでは〟という話が同業の間で出ていると、そう言っていた。
「それ以外に、思い当たることは?」
「うーん……特にはありませんな」
「そうですか、ありがとう」
「では、今日はもうこの辺りで訓練は終わりにしましょう。外の騎士らもそろそろ戻ってくるでしょうし、私も戻りませんと」
* * *
訓練場を後にしてから帰りの廊下で、僕は足を止めて後ろにいるレティシアを振り返った。
「ちょっと、戻る前に話をしたいんですが……構いませんか?」
近くの使われていない部屋の扉をちらと見ると、レティシアは少し戸惑った素振りを見せた。
きっと以前からある噂が気になっているのだろう。
「そう長い時間ではありません。先ほどの話で、ちょっとあなたに確認したいことがあって」
「私に、でございますか?」
「えぇ」
レティシアはしばらく考え込んでから「わかりました」と頷いた。
僕はそれを見てから扉を開けて、先にレティシアを中へと誘導した。廊下に人気がないことを確認してから扉を閉め、窓際まで歩いてゆったりと空けられている厚手のカーテンを少し退けて外を見る。
下の庭に衛兵の姿が見えたが、それ以外に人はいない。
ざっと他に気配がないのを確認してから、扉近くに居るレティシアを手招きする。
レティシアは緊張した様子で歩いてきて、少し距離を取って立ち止まった。
小声でも十分届く距離にいることを確認して、僕は話し始める。
「三日後の夜の話なんですが、先ほど話題に上がった、ブリュッセル・カルークの特別な夜会に行く予定があります。そのことについて、あなたにいくつか話をしておかないといけないことがありまして……」
夕日はまだ沈んでいないだろうが、位置的に日差しは入りにくく、部屋は薄暗い。だけど、レティシアの表情は良く見える。
固く真剣な表情。
これからする話がそう捉える必要があるものだと認識しているのだろう。
僕は少しだけレティシアから視線を逸らし、近くに置いてある埃除けの布がかけられた家具を見ながら続ける。
「まず、カルークという外務省の政務官の話ですが、ルチアーノ公の夜会の際に、アレス皇子が〝気になる〟と言ったことから調査をすることになりまして、担当しているのが僕なんです。アレス皇子が〝この人危ない〟とか〝気になる〟とか言った人間は、今まで何かしら問題があることが多かったので、今回もそうだろうと予想しています。なのでこれまで調べていたんですが、ここ最近、少し面白い展開になりましてね」
デクス邸の夕食会で、リリアーナが僕に言ったこと。最初こそ、ただ後ろ髪引かれての無謀な戯言だと思ったが、その先の話を聞くに、どうやらそれは戯言ではないようだった。
カルークの特別な夜会。内容こそリリアーナは教えてくれなかったが、彼女は僕に『ルカ様なら、いらっしゃればすぐにそれとわかるでしょう』と自信たっぷりに笑ってみせた。
その言い方と表情は、これまでに会ったどの令嬢よりもしたたかそうだった。
それにしても、まさかリリアーナからカルークに繋がるとは……なんとも面白い。
思い出してうっかり口元を緩めた僕に、レティシアが眉根を寄せて何が面白のいのだという怪訝な顔をした。
僕は一度軽く咳払いをしてから、レティシアに視線を向けて続ける。
「それで、カルークの特別な夜会ですが、実はその招待を、リリアーナがしてくれたんですよ」
「リリアーナ様が?」
怪訝な顔のまま首を傾げたレティシアは、心底不思議そうだ。それもそうだろう。普通に見ているだけではリリアーナのような令嬢が、カルークの怪しい夜会に参加するなどとは考えない。
「えぇ。最初はどうして、リリアーナがカルークの夜会の招待を? と、僕も疑問に思いましたし、罠かなとも考えたんですが、さらに調査を進めるには良い機会だと捉え直しまして、招待を受けることにしたんです」
カルークの特別な夜会がロペスの話どおりならば、参加者の顔ぶれはかなり怪しい。会場は、リリアーナが言うにはいつもブリュッセル・カルーク個人の邸宅だそうだから、僕が参加している間にナギとその部下に潜入してもらい、各所を調べるのが良いだろうということになった。それに、夜会に参加すれば、リリアーナがカルークとどういう繋がりなのかもはっきりわかるだろう。
ただ、リリアーナがー怪しいとはレティシアに伝えない方が良いだろう。手帳の件に名前が上がっているなどという情報を教えれば、きっとレティシアは警戒心をむき出しにする。彼女はそういうことを隠せる性質ではないからな。
「なぜ、私に話すのでございますか?」
この先の話に自分が絡んでくると予感がしたのか、硬い声音でレティシアが尋ねてきた。
僕は少し躊躇いがちに視線をレティシアから外し、ぼんやりと部屋の壁を見て答えた。
「えぇ、そうなんですよね。その、護衛の話なんですが………」
そう切り出すと、レティシアが食い気味で「私が行くのでございますか?」と嫌そうな声を上げた。その表情は、見なくてもわかる。
僕は壁を見たままなるべく穏やかに話しを続ける。
「頼みたいと、思っています。ただ、今回はナギも連れて行くつもりでいます。それで、ナギには頃合いを見て屋敷の探りを入れてもらう——— 」
壁を見ている視界の隅で、一人じゃないのかと安堵仕掛けたレティシアの顔が曇ったのが見えて、言葉が途中で失速してしまった。
ちらと視線を向けるとレティシアの視線とぶつかり、気まずくなる。しかし、レティシアの視線に話の先を早く知りたいという意思を感じて、僕は何とか気を取り直して先を続けた。
「ナギは僕らと一緒に、その部下は別口から潜入してもらい、屋敷の調査をすることになっています。その時間は、なるべく短時間で終わらせる予定です」
「それは、ナギさんたちが調べている間、ルカ様が夜会に出席なさって、その……囮として時間を稼ぐということでございますか?」
レティシアはこういう感が優れている。ただ、その感の良さがあるからこそ、過度に心配したり考え込んだりしてしまう。それに、護衛という仕事はレティシアにとっては良い話ではない。きっと断れるなら断りたいはずだ。それをわかってはいるが、それでも僕は、今回もレティシアに提案する他はない。
「そうです。一時間か二時間、そのくらいの時間を考えています。まぁ、あなたを護衛として連れるのは、例によって僕の部下に空きが無いからなんですけどね……そこは申し訳ないんですが、お願いしたいんですよ。ただ、今回はいつもと違って危険に晒される可能性が大きいですから、どうしても嫌だと言うのならば無理強いはしません」
「それは……」
提案に対しての選択の自由。それがあるような話し方をしたが、実際のところ僕はレティシアが断らないことを確信している。
悩むレティシアの顔を見ながら、その返事は「はい」だろう? と心の片隅で答えの正否を予測してしまう僕は、意地が悪いのだろうか。
普段何とも思わない自分の狡猾さにまた気まずさを覚え、レティシアを連れて行く理由を咄嗟に付け加えた。
「私的な訪問ですから、宮廷の公的な護衛を連れて行くのはちょっとはばかられますし、あなたなら、カルークもリリアーナもそこまで警戒しないでしょう? 調査の目を欺く予防線にもなるかと」
レティシアは、〝噂のメイド〟としての認識が強い。だから、彼女の戦闘能力が優れていることには気付かれにくいだろう。それが、きっと良い強みになる。
僕の話が終わると、レティシアはたっぷり考え込んでから、仕方なさそうに頷いた。
「……わかりました」