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副官サマの日記帳  作者: 茅嶋ときわ
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副官サマとメイドの噂再び3

 土曜日の午後のこと。珍しく昼ごろに執務室から戻られたルカ様は、温室に薬草の手入れをすると言って出て行った。それからかれこれ三時間、一向に戻られないルカ様を、「探しに行きなさい」とセオドール様に言われ、私は以前に教えられた東屋へと赴くことになった。

 セオドール様曰く、夕方から雨が降るから、外に居らしたら濡れる前に連れ帰って欲しいとのことだ。

 きっとルカ様のお体を案じていらっしゃるのだろう。

 ここ最近は睡眠時間も少なく、執務室にお詰めだった。また以前のように濡れて、お風邪でもめされては大変だ。

 私はまだ晴れている空を見上げて雲の色を観察した。

 頭上にある雲は白く、雨雲ではない。けど、午前よりも少し、風が湿ってきている気がする。

 セオドール様の天気読みは意外と当たる。きっと、もう少ししたらこの晴れた空のどこからか、雨雲がやって来るのだろう。

 雨が来ないうちにと、少しだけ歩く速度を上げて先を急ぐ。

 ルカ様が良く居る東屋は、建物から離れた細い木立の木陰の中に、こじんまりと建っている。その作りは少し古い円形で、屋根を支える中太の六柱(むつばしら)には細い蔦が絡んでいる。その入り口は二箇所。その他はぐるりと背の低い壁が囲っている。

 

「ルカ様?」

 

 柱の影から声をかけてみたが、返事はない。

 ここにはいらっしゃらないのかと思いながら、念のため中を覗いてみる。すると、入口を境に半円に施された東屋の椅子の上で、横たわっている姿が見えた。

 その表情はとても心地良さそうで、うたた寝というよりはお昼寝といったご様子だ。

 私は足音を立てないようにそっと東屋に上がり、ルカ様の側まで歩いて近くにしゃがみこむ。

 すやすやと、穏やかに眠っている顔にはまだ少年ぽさが見える。

 起きていらっしゃる時には見られない顔つきだ。

 額にかかっている細くサラサラした前髪を少し払うと、「うん」とルカ様が身じろぎした。

 起こしてしまったかと慌てて手を引っ込めたが、どうやら目が覚めたわけではないらしい。

 私はしゃがんだままで、じっとルカ様を見つめる。

 

 ルカ様は、リリアーナ様についてどうお考えなのだろう……。

 

 私のことは本気だとおっしゃって、愛人とか、そういったモノにするつもりもないとのことだった。それを信じるならば、きっとルカ様は今後リリアーナ様にお断りを入れるはずだ。けれど、そんなことが本当に許されるのだろうか?

 ルカ様のお父上からのご紹介で、ルカ様のお仕事関係の娘様。その二つだけでも断るには問題があるように思える。

 特に、お父上には何故断ったのかと言及されそうだ。

 それに、リリアーナ様。彼女はいたくルカ様をお気に召しているご様子だった。

 こう言ってはなんだが、リリアーナ様は断わられたからといって素直に引き下がるような性質のご令嬢ではないように見えた。

 全身から溢れ出る彼女の自信がそう思わせたのかもしれない。

 でももし、ルカ様がお断りにならないならば、いずれかリリアーナ様も、こんな無防備なルカ様をご覧になるのだろう?

 そう考えたら、急に胸が苦しくなって、鼻の奥がツンとした。

 

——あぁ、最近こんな想像ばかりしてしまう……——

 

 胸に手を当てて、切ない胸の内をため息に乗せて吐き出す。

 宿屋から戻ってからのこの数日間、考えることはルカ様とリリアーナ様のことばかりだ。

 楽しそうに雑談していた茶席での姿が頭から離れない。

 二人の穏やかそうな顔つきが忘れられず、ふとした瞬間に過るのだ。

 もしも私の存在が無かったら、二人はこのまま結婚してしまうのだろうか?

 親の決めた結婚でも恋愛はできる。

 リリアーナ様は知的で可憐なご令嬢だ。性格さえ合えばルカ様も満更ではないだろう。それに、はたから見たら、並んだ二人はとてもお似合いだし……。

 あぁ、この唇に、リリアーナ様も触れるのだと思うと、何だか嫉妬が芽生えてしまう。

 ルカ様の優しく甘い口づけ。

 理性すら押し返してしまう、痺れるような唇の感触。

 あの口づけを、リリアーナ様も知ってしまうなんて嫌だ。

 今までそんな想像なんてしたこともなかったのに、ルカ様が絡むとつい先へ先へとあらぬ想像をしてしまう。その想像が自分を余計に追い詰めているのは分かっているが、もはや自分の意思では止められない。

 じっとルカ様の唇に視線を落として考え込んでいると、ざくざくと草を踏む音が聞こえてきて、慌てて身を伏せた。

 東屋の柱の影からそっと足音の方向を伺うと、すぐ近くを衛兵が見回りに来ているのが見えた。

 なんで隠れてしまったのだろう……。

 とっさに隠れてしまったが、ただ仕事でルカ様を探しにきただけで、秘密の逢瀬をしているわけではない。隠れる必要なんてないじゃないか。

 でも……仕事だとしても、もし二人でいるところを見られたら、また噂が立つかもしれない。やっぱり、隠れたのはいい判断だったんじゃないか?

 そんなことを考えていると、衛兵たちの話し声が聞こえてきた。

 

「そういやお前聞いた?」

「何を?」

「ルカ様と愛玩メイドの新しい噂」

 

 愛玩メイド。その単語を聞くと、またあのいかがわしい噂かとついつい身構えてしまう。

 こんな噂をしながら見回っている衛兵に出くわしたなんて、今日は運が悪い。

 視線を衛兵から外し、また身を低く隠してじっと息を殺す。

 噂好きの衛兵に二人でいる姿を見られたら、きっと噂に拍車がかかる。

 私はよりいっそう姿勢を低くした。そうしたせいで、自然とルカ様の胸元に顔が近づき、服についた薬草の香りが鼻をくすぐった。

 ムズムズする鼻に、片手を当てて押さえつける。

 

「あぁ、宮廷の玄関で騎士とやり合ったって話?」

「それそれ!」

「ありゃ、まずいよなぁ。騎士が負けたんだろ?」

 

 え? と、衛兵の会話に疑問符が浮かび、思考が止まった。驚いたおかげか鼻のムズムズは治ったが、鼻から手を離すことは忘れてしまった。

 誰と誰がやり合ったと?

 

「そうらしいよ。ルカ様のメイドやばいよなぁ? 一部ではただのメイドじゃないって言われてたけど、騎士を負かしちまうなんてなぁ……。あ〜こわいこわい!」

 

 いやいや、何の話をしているのだあの衛兵たちは。

 負けたも何も、私は一戦たりとも騎士と交えていない。

 怖がられるようなことなんて一切ない。

 訂正したいが、出ていく勇気はない。それがなんとも歯痒い。

 

「あの場に居た宮廷魔導師なんて、睨まれただけで怯んじまったらしいぜ? 愛玩メイドの眼光ってそんな鋭いのかよ! って思ったわ!」

「ハハ! もう愛玩メイドなんて言えねぇなぁ!」

「噂ごと一刀両断! とかされちゃうかもってか?」

「そうそう!」

 

 なんだか、とんでもなく誇張されている。その話はもはや何かの物語にしか聞こえない。

 そもそも、護衛という仕事も確かに受けてはいるが、私は本来ただのメイドなのだ。

 剣の腕だって騎士とやり合ったら絶対に私が負ける。

 ロペス様の訓練でも、手加減してもらった状態で十本やって一本取れれば良い方だし、宮廷魔導師とやり合ったとしても、魔法有りならきっと負けるのは私だ。

 あぁ、噂とはかくも事実からかけ離れていく物なのか。

 笑いながら段々と遠ざかっていく衛兵の声に、押さえていた鼻をようやく離し、低い壁から少しだけ顔をのぞかせ様子を伺う。

 解放された鼻から新鮮な空気が入ってきて、息苦しさが消える。

 足音や話し声とともに、衛兵の姿はすぐに遠くの建物の中に消え、近くには誰もいなくなった。

 ホッとして胸を撫で下ろし、覗いていた顔を引っ込める。すると、すぐ真下からクスクスと笑い声が聞こえて慌てて顔を下へ向けた。

 水色の瞳と視線がぶつかり、頬が自然と熱を持つ。

 口元に片手を当てて、可笑しそうにこちらを見ているルカ様。いったい何時から起きていたのだろうか……。

 ちょっと意地悪だなと思って眉を寄せると、ルカ様の口元にあった手が伸びてきて、頬を軽くつねられた。

 そんな些細なやりとりに、なんだか恋人同士みたいだなぁと思うと、

   

「なんだか恋人らしいことをしてしまいましたね」

 

と、同じようなことをルカ様が穏やかに囁いた。

 自分でも思っていたことを改めて言葉で聞くと、どうしてか気恥ずかしく、頬の熱が顔全体に広がった。

 軽くつねっていたルカ様の指先が、頬をするすると顎に向けて下りていく。その先をつい期待してしまうが、顎に手をかけたルカ様は途中で手を離し、また可笑しそうに笑って肩を震わせた。

 

「あぁ、すみません。さっきの衛兵の話がどうにもおかしくて……本当、ずいぶんと勇ましい噂話でしたね?」

 

 わざとらしい語尾の上げ方に、他人事だと思って! と、ついムッとしてしまうと、それが顔に出ていたのかルカ様は笑うのを止めた。そうして、半身回転させて横になったまま頬杖をつき、私を見上げておっしゃった。

 

「けど実際、剣を弾き飛ばしていましたしね?」

 

 見ていらっしゃらないような素振りだったのに、良く見ていらしたようだ。

 

「あれは、ルカ様が避けようとなさらないから……」

 

 そう抗議すると、ルカ様は少しだけ困ったように眉を寄せて、

 

「剣にも間合いがあるように、魔法にもあるんですよ」

 

と、空いた方の手を宙に浮かべ、人差し指と親指で括弧を作って見せた。

 

「僕の場合、間合いがかなり近いんです。今度、見せた方が良いですかね?」

 

 括弧の距離を極端に縮めて見せるルカ様に、私は見せて欲しいと頷いた。

 今後も護衛につくのであれば、知っておいて損はない。できれば、ルカ様の戦い方も知っておきたい。

 杖での戦いはあまり見たことがないし、興味もある。

 

「じゃあ近いうちに訓練場に顔を出しますよ。あなたが訓練している姿も見たいですしね」

 

 間合いの説明が終わり、行き場のなくなったルカ様の手が、私の顎を軽く掴んで引き寄せた。

 ふわりと香る薬草。また鼻がムズムズしてきて、慌てて両手で覆い横を向くと、くしゅん! と小さなくしゃみが飛び出し、追ってもう一度くしゃみが出た。

 二度くしゃみをすると、むずむすが治った。しかし、やってしまった! とルカ様にぎこちなく顔を向けた。

 いい雰囲気は見事にぶち壊され、ちょっぴり驚いた顔のまま固まっているルカ様がじっと私を見ている。しかし、私と視線が合うとクスクスと笑い出し、ゆっくり身を起こして「うーん」と小さな伸びをした。

 くしゃみに吹き飛ばされてしまった甘い雰囲気は、もう戻らないようだ。

 伸びをしたルカ様が私を見て尋ねる。

 

「それで、あなたは僕を探しに来たんですよね?」

「……はい。セオドール様に探してこいと言われましてまいりました。夕方から雨が降るそうで、濡れたら大変だと」

 

 そう伝えると、ルカ様は後ろを振り返って空いている空間から空を見上げた。

 木立の隙間からわずかに見える空はまだ青く、雲も白いままだ。

 

「雨ですか? まぁ、セオドールの天気読みは当たりますからね。濡れるのも嫌だし、戻りましょうか」

 

 ルカ様に言われ、私は頷いて立ち上がり、先に東屋の入り口から出る。

 東屋の外周の石段二段分をゆっくりと降り、地面に足を下ろす。そうして両足がきちんと土をふむと、

 

「あ、レティシア」

 

と、呼び止められて、何だろうと振り向いた。

 ぐいと引かれる腕。

 そんなに強く引かれたわけでもないのに、半周させられてしまった私は、そのままルカ様に抱き寄せられてしまう。

 服越しに当たる体に、自然と熱がこもる。

 

「戻る前に、せっかくだから……」

 

 そう言って近づく唇が、優しく穏やかに私のそれと重なる。

 先ほど期待していたこの行為に、胸が大きく高鳴った。

 甘く痺れる口づけが、ゆっくりと二度、味わうように落とされる。

 もうきっと、私は戻れないのだと思う。

 以前の、何も知らない私には———。

   

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