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副官サマの日記帳  作者: 茅嶋ときわ
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副官サマとメイドの噂再び2

 気配消しの魔法はとても便利だ。特に、人目につかないように目的の場所へと行きたい時は非常に重宝する。

 中級程度の気配消しが使えれば、魔導師の素質が優れている人間以外はそうそう気づきはしない。

 僕は今、その魔法を使って給仕区の奥へと向かっている。

 

「聞いた? 鉄仮面様と例のメイドの」

「聞いた聞いた! 宿屋での話でしょ?」

「そうそう! 宮廷以外でもなんて、お盛んよねぇ?」

 

 目の前でクスクスくすくすと、笑いながら楽しげに話すメイドたち。

 噂の張本人が背後にひっそりついて来ているなんて、夢にも思っていないだろう。

 

「副官様の愛玩メイドって、本当だったんだねぇ」

「宿屋に入ってしばらく出てこなかったって話だけど、いったい中で何やってたんだろうねぇ?」

 

 思い切りため息をつきたくなる内容だが、ため息をついたら前を行く彼女たちに気づかれてしまうから、我慢しないといけない。気配は消していても、物音やこれ見よがしな息遣いなんてしたら、当然魔法の効果はなくなる。

 それにしても、昨日の今日でこんなに宿屋での噂が広がるなんて、使用人の情報網とは凄い物だな。給仕区へ入ってからほとんどこの噂ばかり耳にする。

 

『例の噂にまた拍車をかけるのでは?』

 

 レティシアが危惧していた理由が、何となくわかった気がする。

 給仕区の事情は僕よりも、やはりレティシアの方が詳しいだろう。噂の広がり方や、誰の耳にどう入っていくのか、僕が知らない危険が彼女には見えているのかもしれない。けど、それにしたって、レティシアは心配しすぎだ。そうしてその結果があの発言になってしまったのだろうし……。

 どんな形であろうとお側に——— なんて、捉え方一つでまったく別の意味になってしまうと、僕が言わなければおそらく彼女は気づかなかっただろう。

 前を行く使用人たちの話に耳を傾けながら、ナギの宿屋で良い雰囲気になっていた時のことを思い出す。そうすると、ちょっとした罪悪感が胸の奥をちくりと刺してきた。

 

『僕は、自分でも驚くくらい、貴方に本気なんですよ』


 思い出すとちょっぴり恥ずかしい僕の言った言葉。ただ、そんな真面目くさいことを言っている反面、頭の中では良からぬ考えがずっと巡っていた。そのことにレティシアは微塵も気がついていないだろう。

 

 もし、あの夜のようにベッドに押し付けて、そのまま唇を落としたらどんな反応をするのだろう——— 。


 今だから思うが、あの宿屋でそんなことをしなくて本当に良かったと思っている。

 レティシアを雇い入れる原因を作ったあの日の僕の思考と、何ら変わっていない。

 もしも宿屋で僕が想像した通りのことをしてしまっていたら、今流れている新しい噂は否定できなくなる。そうなったら、嘘のつけないレティシアは態度に出てしまうだろう。

 噂が噂でなくなったら、いったいどうなるのやら……。

 まぁ、僕としてはちゃんと責任を取るつもりでいるし、特に何の問題もないのだが、レティシアはそうはいかないだろう。

 仕事上、給仕区へ赴かない日は無いだろうし、噂を直接耳にすることも、好奇の目で見られることも多いはずだ。噂を否定できなくなったら、さぞや居心地が悪いだろう。

 恋人関係じゃなくても、僕に雇われているというだけで良からぬ噂は立つ。僕がセオドールを雇った時もアホくさい噂が飛び交ったものだ。

 あぁでも……そう考えると、良からぬ噂の元凶はどれも僕のせいだという気がしてきたな。

 そもそも僕が誰かと関係を深めなければ、噂は立たないわけだしな……。

 だいたい、毎度毎度どうして僕が絡む噂はそんなに好色寄りなるのだろう?

 長いこと宮廷に居て今まで気にしないよう努めていたけど、最近すごく気になって仕方がない。

 実際に遊びまわってるルーイならばいざ知らず、どうしてただ仕事に明け暮れているだけの僕にそんな噂が立つのだろうか……。噂好きの好みは本当に良くわからない。

 でも、やはり、昨日の今日で宿屋の件がこんなに多くの人に伝わっているのはちょっとばかりおかしい。

 愛玩メイドの噂にしても、普段よりも度が過ぎているように思える。

 薄々、誰かが故意に噂を広げるために根回しをしているのだろうとは思っていたが、どうやらそろそろその根本を調べる時期が来たようだ。

 僕は今日、その為にこうして給仕区の奥へと足を伸ばしたのだ。

 ソレーユ・パンゴ。

 そう書かれた金属板が掛けられた茶色のドアの前に立ち止まり、そのドアを真っ直ぐ見て、控えめに二度ノックをする。

 

「はい。どなたでしょうか?」

 

 愛想を微塵も感じない素っ気ない声が内側から返ってきたが、ドアは開かない。きっと机についたまま答えたのだろう。

 

「ルカです。少し話す時間をいただけませんか?」

 

 ドア越しに名前を告げると、ギッと椅子か何かが軋む音がして、ようやくドアが開いた。

 開いた扉の奥からふわりとラベンダーの匂いが廊下へ漂ってくる。

 

「お約束はいただいておりませんが……?」

 

 ソレーユは淡々と言って、ほんの少しだけ首を傾げた。

 僕同様に鉄仮面と言われるソレーユの表情は僕でもいまいち読めない。

 こういった人間とは腹の探り合いになるような会話は好ましくない。素直に正直に、思っていることを述べることが重要だ。

 

「急に質問が浮かんだものですから。忙しいなら出直しますが?」

「いいえ。ルカ様のお話をお伺いしないわけにはまいりませんでしょう。どうぞ、お入り下さい」

 

 丁寧な言葉とは裏腹な冷たい視線が、遠慮なく僕の胸をえぐってくる。

 

——急な質問と言って、どうせまた厄介ごとを持ち込むつもりでしょう?

——追い返したくても追い返せないとわかっていて質問するのは無粋よ。

——だいたい、私の部下を奪っていっておいて、どの面下げて来たのかしら?

 

 普段読みにくいソレーユの感情や考えが、今日に限ってはなぜかもろもろわかってしまい、苦笑いを浮かべたくなった。

 レティシアを引き抜いてから、ソレーユが僕に対してあまり良い感情を持っていないということは知っていたが、それが滲み出てしまうほどだとは思っていなかった。


「イリア様用にラベンダーの匂い袋を作っていたところです。お見苦しいようなら片付けますが?」

 

 苦笑いで引きつりそうな口元を何とかこらえていると、ソレーユが机の上に置かれたラベンダーと水桶、布やリボンを手のひらで指して尋ねてきた。

 ラベンダーの香りは嫌いではないし、特に邪魔とも思わないので、「いいえ、そのままで」と首を横に振って手近の古びた椅子に腰を下ろす。

 ソレーユにも座ってもらうために彼女の席を見て頷くと、ソレーユは机について姿勢を正し、真っ直ぐこちらを見据えて急かすように尋ねた。

 

「それで、どういったご用件で?」

「今ある噂について質問がありまして」

 

 前置きもなく濁さすはっきり要件を伝えると、ソレーユは細い眉を少しだけ歪めて見せた。

 

「レティシアと、ルカ様の噂のことでございますか?」

「そうです。その出どころを、あなたならご存知じゃないかと思いまして」

 

 そう告げるとソレーユは、「はぁ」とこれ見よがしに大きなため息をついて、机の上で指を組んだ。

 

「それを今さら知って、どうなさるおつもりで?」

「時期を見ていたんですよ。ちょっと気になることがありましてね。出どころがそこと結びつかないのであれば、どうするつもりもありません」

「その結びつく先は、教えていただけないのでしょうか?」

「教えてしまうと巻き込まれますが?」

 

 僕の言葉に沈黙したソレーユは、少し考えてから「良いでしょう」とため息をつきながら頷いた。

 了解を得た僕は、遠慮なく質問を繰り出す。

 

「新しい噂がありますよね? 宿屋の……」

「昨夜あたりから出た噂でございますね」

「そうです。それについて、どの程度把握していますか?」

 

 ソレーユは少しだけ声を抑えて答えた。

 

「宿屋に関しての噂が広がったのは、確か昨夜から昼までの間で、政務区担当の者からだったかと。誰かは特定できませんが、政務官のどなたかから使用人へ伝わったのではと」

「政務官からですか?」

 

 頷くソレーユを見ながら、僕は宿屋までつけてきた人影のことを思い出した。

 人影のその正体は、デクス家の使用人。おそらくメイドだ。

 あの時レティシアには言わなかったが、マントから覗く服装が茶席に居たメイドと同じ物だった。慌てて出てきたのかエプロンも身につけたままだったし、間違いないだろう。

 レティシアのお仕着せのことがあってから、ついその服装に注目する癖がついてしまったのが幸いした。ただ、レティシアが言ったようにあの人影は素人だったから、きっとデクスさんの指示ではないだろう。

 

「何を探りたいのやらと、あの時は思いましたが……」

 

 僕の独り言にソレーユが首を傾げた。

 リリアーナ。

 きっと後をつけさせたのは彼女だろう。

 ナギからの三枚目の報告書にあった彼女の名前は、偶然ではないと、そんな気がする。

 なら、噂の元を話した政務官はデクスさんか? 

 娘から、僕が件のメイドと宿屋に入っていったと聞かされて、宮廷で吹聴したと? 

 彼がそんなことをするような人間とは思えないが、人間はわからないからな。

 けど、そんなことをする理由はなんだ?

 

「他の噂についても、教えてもらえますか?」

「致しかたございませんでしょう。では最初の噂から……」

 

 ソレーユは今まで流れた僕とレティシアとの噂について順に話し始めた。

 最初の噂である、僕がメイドに良からぬ事をしたという噂は、レティシアと同じ持ち場のメイドたちからで、愛玩メイドと異名がついたのは、そこから派生した噂が宮廷から城下へ出てから後だったそうだ。

 よくもまぁ、俗っぽい物語に出てきそうな異名を思いつくものだ。

 

「次の噂は、書記官室でございますね」

 

 内容がわりと過激なのに淡々と話すソレーユの肝の座り方はすごい。普通の女性ならこんなに顔色も変えずに話せないだろう。

 

「深夜書記官室の椅子の上で——— とのことでしたが?」

 

 本当か? と尋ねるような視線を向けられ慌てて首を横に振る。

 熱があったせいで正直少しばかり記憶が朧げだが、そんなことはしていないはずだ。

 あの晩は刺客に襲われた僕をレティシアが助けただけだったはずで、そのことを知っているのはごく少数だ。それでも噂は流れた。それも椅子の上で云々と、まことにうらや——— けしからん内容の物がだ。

 刺客が流したのではないかとセオドールがちらりと言っていたが、だとしてもやはり理由が明確ではない。

 そんな噂があっても、僕の仕事にも評判にもまったく支障はない。

 今までも良くあった宮廷の色事の噂。あくまでそんな〝噂〟の範疇を出なければ、誰もそんな噂を本気に捉えはしない。

 ではその対象が、僕ではなくレティシアだったとしたら?

 そう考えてみても、やはりしっくりこない。

 彼女を噂で傷つけて僕から遠ざけるという目的か? とも思ったが、それをしたところでいったい相手に何の得があるというのだろう。

 メイドとしても護衛としても使えるし、僕の意中の人だけど、それがどう邪魔になるというのか。

 

「ルカ様、先を続けても?」

 

 考え込んでいる僕を気遣って、ソレーユが途中で声をかけた。

 僕は頷いて続きに耳を傾ける。

 書記官室での噂は、出どころは給仕区ということ以外は不明だそうだ。いつの間にか広がっていたらしい。そうして書記官室の次は、訓練場での噂だ。

 この噂を僕は知らなかったが、これもレティシアの剣の腕とかには一切関係なく、色事に置き換えられた噂になっていた。

 そんな訓練場で複数でなんて、するわけないだろう。何を考えているんだろうか噂を立てた人間は……。

 

「訓練場での噂は、騎士区の担当の使用人からだったと思いますが、それが従僕かメイドかは不明です。まぁ内容としては、かなり信憑性にかけるものですからね。姿を見かけた誰かの空想だと思っております。その次は、夏至祭ですね」

 

 夏至祭かぁ……あの時はまぁ……二人で出かけたりしたから、噂になっても仕方がないだろう。西区では一緒に踊ったしなぁ。

 ぼんやりと楽しかった夏至祭最終日のことを思い出していると、ソレーユが咳払いをした。

 にやけかけていた口元を引き締め直し、ソレーユを真っ直ぐ見据え直す。

 

「夏至祭の噂は、一緒にお出かけになられて——— と、それ以前までの噂に比べると大したことのない内容でしたが……事実でございましたか?」

「あぁ……うん……」

 

 嘘をつく理由もないし、認めるしかない。

 ソレーユは小さくため息をついたが、そのことには言及せずに先を続けた。

 次は夏至祭後に広がった噂についてだ。

 一つは執務室で、もう一つはどこかの空き部屋で良からぬ行為をしたという物だ。執務室での噂は給仕区から。空き部屋の噂は政務区からだった。そうしてその後は、ルチアーノ公の夜会以降、昨日まで新しい噂は無かったそうだ。

 

「私が知るところはそのくらいでございます」

「あなたが気になった噂の出方や広がり方は、ありませんか?」

 

 そう尋ねると、ソレーユは一分ほどじっと考えてから独り言のように話し始めた。

 

「気になると言われると、昨日からある宿屋の噂でございますね。いささかいつもの噂とは広がり方が珍しいように思えます」

「というと?」

「普段はもう少し、若い使用人たちから徐々に、日にちをいくらかまたいで給仕区全体へ広がるのですが、宿屋の噂は、勤め始めてわりと長い、年齢も上の使用人たちから一気に広がったようです」

 

 宿屋の噂についてソレーユも疑問を感じたと言うならば、やはりこの噂には人の意思が働いているのだろう。

 まぁ、あの宿屋にはナギもいるし、潜入して探るなんてことはできないだろうから心配はない。たとえ待ち伏せていても、宿屋の入り口は見つからないだろうしな。なにせあの宿屋にはナギの特別な魔法がかかっていて、ナギに招かれない客は絶対に入ることはできない。あの魔法がどういった仕組みかは知らないが、その効果の程は十分に知っている。

 

「レティシアは、あなた様でなくとも雇われるという決断をしたのでしょうかね……」

 

 ぽそり と、ソレーユの口から噂とは全然関係のない疑問が漏れた。

 そのことに、彼女自身も驚いたようで口に手を当てて二度瞬いた。

 

——もしあの夜、あんな行動したのが僕じゃなくても、レティシアは同じように許して、良い待遇の雇用に納得し、その人に雇われただろうか?——

 

 ソレーユの疑問。それは、僕も気になっていて、宿屋で尋ねたことだった。

 でもレティシアは、『わかりません。考えたことがありません』としか言わなかった。だから、ソレーユの疑問に僕は答えられない。

 

「噂については以上でございます」

 

 沈黙が生まれる前に、ソレーユが元の鉄仮面に戻ってはっきりと告げ、話の道を正した。

 僕は頷いて、椅子の背から背中を浮かせる。

 

「じゃあ、最後にもう一つだけ、教えてください」


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