副官サマとお嬢様 後編
デクス邸からの帰路。僕は後ろにひっそりとついてくるレティシアが気がかりで何度も振り返って様子を伺った。
神妙な面持ちで、若干俯き加減で歩いているレティシアからは、普段よりもずっと硬い雰囲気が滲みでいている。
父からの手紙が来てからずっと落ち込んではいたが、それとはなんだか違う。もっとこう、何かを決断するために悩んでいるような感じがする。
デクス邸を訪れる前まではこんな顔はしていなかった。
僕はついつい不安になって、デクス邸で話したことを思い出せるだけ思い出す。
リリアーナとの会話で、何かレティシアが落ち込むような内容があっただろうか?
振り返りながら思い出した会話の中には、特にこれといってレティシアが悩むような話題は思い当たらない。じゃあやっぱり、あの場に連れて行ったこと自体が良くなかったということか?
僕は心中、「だから一人で行くと言ったのに……」とつぶやいて視線を足元に落とした。
拳大に切り出された石畳。
形はまばらで、どれ一つとして同じ形は見つからない。
この道を、まっすぐ戻れば城へ着く。しかし、僕は途中で左に折れて、北区へと繋がる道へと進む。
背後でレティシアが不思議そうに視線を向けてきたが、どこへ向かうのかは尋ねてこなかった。
夕方に仕事があると、デクス邸で僕はそう告げた。
せっかく城下へ降りるのならば、ここでしか手に入らない仕事の材料を回収していきたいと思ったのだ。
今向かっているのは僕の配下がやっている小さな宿屋で、それは北区にある。
北区はそのほとんどが貴族向けの店だが、彼が経営するその宿は北区の中では手頃な値段で泊まれるため、多少懐に余裕のある冒険者たちが良く利用している。
最近は食通の間でも隠れた名店と話題になっているとかで、夕食だけをとりに来る客も多いそうだ。ただ、入り組んだ路地裏にあるため、あまり女性は訪れないと悲しそうに言っていた。
北区は貴族御用達が多く治安が良い。けど、だからと言って薄暗い路地を女性一人で歩くのはあまり宜しくない。
僕らは路地を何度か折れて黙々と歩き続けた。そうして、道に敷かれた石畳の種類が変わるころ、木製のこじんまりとした看板が視界に飛び込んできた。
ツバメの描かれたその看板が、宿の目印だ。
少し立て付けの悪い入り口扉を開けて入ると、魔法の鈴が高らかに鳴った。
店内に客は二名。ぽつぽつと、離れたテーブル席で食事をしている。
「あい、いらっしゃい! って、なぁんだ。ルカ様じゃないですか……」
魔法の鈴の合図で満面の笑顔で奥のカウンターに顔を覗かせたナギが、僕の顔を見るや否や、口角を大袈裟に下げて肩を落とした。
そんながっかりする反応をされるとちょっと傷つく。
「上は? 空いていますか?」
カウンターに近づいて尋ねると、ナギは僕ではなくレティシアに視線を向けて答えた。
「空いてますよ。今日はみーんな女の子たちが出はからっちゃいましたからね」
ナギの言い方に、レティシアの眉根がいっそう深く皺を刻んだのを見て、僕はため息まじりにレティシアに説明をする。
「誤解しないで下さいよレティシア? そういった宿ではないでからね? 女の子たちというのは、ナギの配下を指した言葉です。ナギ、いたずらに困惑させるようなことを言うのは止めて下さい」
説明後ナギに抗議すると、ナギは肩をすくめて「はいはい」と頼りない返事をし太い柱に掛けてある鍵を一本を外した。
「ルカ様、部屋って長い時間使います?」
「いいえ。ちょっと休憩するだけです。夜になる前には城へ戻ります」
ナギは僕の返答を聞いてから「そうですか」と頷いて部屋の鍵を差し出した。僕は鍵を受け取って、それをレティシアの前にそのまま差し出した。
レティシアは首を傾げてじっと僕を見返してくる。
「僕はちょっと、ナギと仕事の話があります。先に上がっていて下さい。鍵の頭にあるのと同じ図形が扉にありますから、そこへ」
そう説明すると、レティシアは頷いて入り口にある横の階段を素直に上がって行った。
「なかなか良いお嬢さんじゃないですか、ルカ様?」
「僕もそう思いますよ。それで、ナギ。僕の手帳は見つかりましたか?」
先日の夏至祭で落とした手帳の行方を、ナギの部下が追っている。今まではあまり良い報告がなかったが、昨日追加情報が入ったとダートが飛んできたのだ。
「手帳の行方はまだわかっちゃいませんけどね、はい。追加情報は入りましたよ。ここに簡単にまとめてあります」
ナギがカウンターの下から二枚の紙を取り出した。
紙に書きつけられた文字の密集率は低く、すぐに読み終えてしまう。
「拾って三人目からの足取りが消えてるじゃないですか」
「そうですよ」
「そうですよって……それじゃあ以前の報告と変わりませんよね? 路地で監視していたあなたの部下が撒かれたままじゃないですか」
「ちょっと、嫌味な言い方しないで下さいよ。仕方ないでしょう? 相手が同じ種類の人間だったんだから……」
僕の手帳は、落としたところからその行方を監視されていた。
誰が拾い、誰の元へと辿り着くのか。
ある店の前で落とすこと、失くして探し回る姿を見せることは、僕とナギが仕組んだことだった。
書記官室で遭遇した刺客についての情報を得るため、どうするかとナギと話していて突然思いついた博打まがいの罠。
まぁ何もしないよりは良いんじゃないですかねぇ——— なんて、ナギも遊びついでにやってみようと、子供のいたずら程度の感覚で始めたことだった。
まぁ、巻き込んでしまったレティシアには少し悪い気がするが、彼女の狼狽える姿があったからこそ、成功したとも言えるし仕方がない。
ルカの手帳にはアルスウォルトの情報が書いてあるらしい。それも、ここ最近の動向についての。
そんな情報をあらかじめ宮廷や城下で流し、普段使っている手帳——— 魔法で不自然じゃない程度に内容を削ぎ落とした複製品の手帳を落とす。
拾った一人目はどこかの店の店員で、近くの店に届けた。その店の店員は衛兵に届けようと幼い息子に手渡した。幼い息子は衛兵に届ける途中で誰かにぶつかり、そこから手帳は行方不明になった。
その時近くに居たわかる限りの人間を、ナギの配下が現在捜索している。
「はい、これが三枚目」
「あるなら最初から……」
もったいぶって三枚目を出してきたナギにジト目を向けると、ナギは「大変だったんですもん」と唇をとがらせた。
三枚目に書かれていたことは、想定内の内容半分、驚き半分といったところだった。
* * *
夕方の日差しがゆっくりと沈む前の強い光を落としている。
私はそんな夕日が目を刺してこない場所に立ち、じっと窓の外の様子を伺っている。
この部屋は宿屋の二階で、景色はさほど良くない。
周りは細い路地で、その路地の両脇には三階、もしくはそれ以上の建物が並んでいてほとんど空も見えない。所々にある低い建物と路地の隙間から太陽の光とともにほんのちょっと垣間見える程度だ。
カチャカチャと、ドアの外で食器の鳴る音が聞こえた。
気配からするにどうやらルカ様のようだ。
私は振り向いて迎え入れなければと思いつつも、窓の外から目を離すことを躊躇った。そうこうしている間にルカ様が部屋に入ってきて、肩でドアを閉めた。
ルカ様の手にある中型のトレイの上に乗っているのは、どうやらお茶のようだ。きっと下に居た人——— ナギさんが用意したのだろう。
落とさないように慎重に抱えている姿が窓ガラスに反射して見え、なんだか愛しい気持ちが胸に湧いてきた。
ルカ様が窓の外を眺めている私を不思議そうに見て、持っていたお茶を窓の近くにある小さなテーブルに置いて尋ねてきた。
「外に何か?」
私は少しだけ身を引いて、無言で人差し指を窓の外に向ける。
ルカ様は窓ガラスに近づいて私の指先を追って外を眺め、ほんの少し目を細めた。
店の近くの細い路地の曲がり角。そこにたたずむ人影を捉えたのだ。
フード付きの丈の短いマントを身に纏った人影は一人。角に身を潜めながら辺りをキョロキョロと伺っている。その姿は明らかに怪しい。
「この宿屋に入る少し前から、ずっとついて来ておりました」
つけられていると認識した時に教えればよかったのだろうが、その機会を見つけられなかった。
人影を観察している様子のルカ様に言うと、「何を探りたいのやら……」と小さいため息をついてポツリと呟くように言った。その言い方からするに、誰があの人影の主人か検討がついているようだ。
尾行のやり方を見るには素人だと思う。気配を消すということはなく、たどたどしくこちらの様子を伺って、時々一人芝居のように角や街灯に隠れたりしていた。きっとこの人影を使っている主人もその手の行為に不慣れな人間なのだろう。
一体誰が?
そんな疑問が浮かぶが、ルカ様は誰がとは教えてくれなかった。聞いても教えてくれなさそうな雰囲気だったので、私はもう一つ浮かんだ疑問を尋ねることにした。
「ここから出てくるのを待っているのでしょうか?」
「そうかもしれませんね」
軽い口調の返しは、どこか他人事のようにも聞こえた。
どうやらルカ様にとってこの事態はさほど重大なことではないらしい。人影が素人だから、大したことにはならないとお考えなのかもしれない。
「まぁ、もう少ししたら城に戻りますし、好きなようにさせておけば良いですよ。さぁ、ちょっと休憩しましょう」
さらりと言って、ルカ様は窓から離れてテーブル席へ着き、カップにお茶を注ぎ始めた。
湯気から香るのは薄い薔薇の香りだ。
しかし、私はどうしても窓の外が気になり人影を見続けてしまう。
「レティシア、気にする必要はありませんよ?」
テーブル席からルカ様の声が飛んできて、つい「そうでしょうか……」と反論が口をついた。
太陽が沈んだのか、窓の外からの明かりが陰って室内が急に暗くなった。
「例の噂に、また拍車をかけるのでは?」
私はルカ様にほんの少し振り向いて尋ねた。
素人だからといって、あの人影のことを油断していいのだろうか?
副官様の愛玩メイド。
この噂は城下の人たちも知っている。それに興味を持った人が、私たちがその当人だと気づいて付けて来たとしたら厄介じゃないだろうか?
愛玩メイドの噂は未だに宮廷の噂の上位に君臨し続けていて、内容は日々過激さを増している。
件のメイドと宿屋に入ってしばらく出てこなかった。
そんな話題は噂に拍車をかける良質な材料だ。そんな材料を与えてしまっては、噂の寿命は伸びる一方だ。これ以上噂が大きくなることは避けたいし、私も耳にしたくない。
ルカ様はそんな私の考えを知ってか知らないでか、いつも通りゆっくりと薔薇茶を飲み込み、なぜかクスクスと笑った。
「私には、面白い事とは思えません」
何がおかしかったのだろうと、思わずテーブルへと身を乗り出すように歩み、ルカ様を正面から見据える。
「私は、私がルカ様の行く手を阻む材料になることは望んでおりません」
ルカ様のお父上からの手紙にあった、『メイドにうつつを抜かしては、お前の先は開けぬぞ』という行が頭から離れない。
きっと噂もお耳に入っているのだろう。でなければそんなことを言ってくるはずがない。
ルカ様は怒りを滲ませる私に小さくため息をついてから、お茶を一口すすって少しだけ考えるような間を置いた。そうして、カップを持ったままルカ様は言う。
「僕の行く手を阻むと言っても、あなたが気にしている噂に波風を立てているのは、僕のような気がしますね。というか、元凶も僕のような気がします」
そう言われて、〝そんなことはない〟と反論することができなかった。
メイドによからぬことをして、そのメイドを雇って傍に置き、城下へも連れていく。
雇われることを決めたのは私だが、そのきっかけを与えたのはルカ様だ。
元凶がルカ様だと言われて否定はできない。
「どのみち、立ってしまっている噂は消せませんから、それについて思い悩んでも仕方がないことです。きっと僕とあなたが大多数の——— 宮廷の玄関口とか城下の中央広場なんかで決別でもしない限り、これからも些細な言動が尾ひれになって噂に付くでしょう。それを気にするなら恋人どころか、メイドであることすらできない。そうでしょう?」
その問いかけに、私は黙り込んだ。
ルカ様の言うことは的を得ている。噂を気にしていては確かに仕事にならない。
でも、私はやはりこの仕事は手放したくはない。
「ねぇレティシア。あの時、あなたは僕じゃなくても、雇われるという決断をしましたか?」
ルカ様がカップの中身をほとんど飲み干してから、机の上にカップを戻して空いた手をテーブルへそっと置いて尋ねた。
思いもよらない質問がきて、驚いて思考が止まった。
尋ねられたことをそのまま自分に反芻させ、心の中に問いかけてみる。
もし、あの夜にあんな行動したのがルカ様ではなくても、私は同じように許して雇われることに納得しだろうか?
「……それは、わかりません。考えたことがありません」
問いかけてすぐには答えは出ず、曖昧な返答しか口から出せない。きっと、考えてもわからないかもしれない。
ルカ様に雇われればもっと帝国のお役に立てる機会が増えるかもしれない。雇われることに決めた理由は、それが一番だったと思う。
なら、もしそれがルーイ様であっても、同じように頷いただろうか?
想像してみるが、うまく絵が浮かばない。
太陽の光が失せて久しい室内には、沈黙と同じくらい暗闇が蔓延り始めている。
ルカ様が橙色に近い灯りを指先に浮かべて、テーブルの中央に置いてあるランタンに灯りを入れた。
ほんのりと暖かさを感じる橙色の光に、緊張の糸が少しだけほぐれて私の口からポツポツと言葉が漏れた。
それは、ルカ様への返答ではなく、今日ずっと考えていたことだった。
「先日、セオドール様に、私の心が定まらないと、ずっと思い悩むことになると言われました」
「ヘぇ。セオドールがそんなことを……。それで? あなたは?」
「自分の気持ちは、わかっているのです。でも、やはり考えれば考えるほど難しくて……けど、今日、一つだけ……決めたことがございます」
デクス邸でルカ様とリリアーナ様を見ていて、どんな形であれば自信を持ってルカ様のお側に居られるのか。そのことを、この宿屋に来るまでずっと考えていた。
メイドと護衛のこの仕事しかない。
私が自信を持っているものはこの二つだ。
護衛に関してはまだ不慣れだが、きっとそれは訓練や努力でなんとかできる自信がある。
リリアーナ様のような優雅な仕草や気さくな会話、お嬢様然とした諸々を習得するより遥かに自分に合っていると思う。
「その……メイドとして、ルカ様をお支えできるのであれば、どんな形であれずっとお側にお仕えしようと。望まれるだけ、お側に居させていただければと」
今はまだ、ルカ様の隣に恋人として並ぶ自分が想像できない。それは、自信がないというのが一番の原因だろう。
なら、私は今自信を持てるこの仕事をきちんとこなして、行き着く先を見なければいけないんじゃないかと思う。その結果がどんなものであれ。
そのことを伝えると、揺らぐことのない魔法の灯りがチラと揺れた気がした。
「それは……ちょっと都合が良すぎませんか?」
ルカ様にため息混じりに言われ、思わず「すみません」と謝罪が口をついた。
『僕は僕の仕事を、あなたはあなたの仕事を』
告白の返事をした夜に言ったルカ様の言葉に、知らぬうちに甘えてしまったのだろう。
やはり、私の考えは都合が良すぎだったのだ。どちらかを取るべきなのだ。
メイドか、恋人か。
「レティシア、ちょっと、顔を上げて」
俯いた私の視界に、ひらひらとルカ様の手が掠めた。
顔を上げると、テーブルに少し身を乗り出して、私の方へと手を伸ばしていた。
「別に、あなたにとって都合が良すぎる考えだと、言ったわけではありませんよ? というか……そうでしょう? あなたが至った結論は、僕にとってずいぶんと都合の良い物じゃあありませんか?」
乗り出した体と伸ばした手を戻しながら、ルカ様が言った。
言われて、私は少し考えてみてる。しかし、ルカ様がおっしゃっていることが理解できない。
私にとって都合の良い結論だとは思うが、ルカ様にとってもそう取れるのだろうか?
「僕は、あなたを愛人なんてものにするつもりはありませんよ? あなたの言い方だとそれが含まれているように聞こえます」
ルカ様の口から〝愛人〟という言葉を聞いて、私の口にしたことがそういう意図になるのだと気づいて顔が熱くなった。
それこそ、今噂になっているような愛玩メイドでも良いと、自ら言ったということだ。
恥ずかしくなって顔を両手で覆うと、ルカ様が椅子を立った音が聞こえた。
「あなたが大きな不安を抱えていることはこの間わかりました。けど、その不安はすぐに拭える物ではないと僕は思って、少しづつ解決すればいいと言いました。今でもそう思っています」
だんだんと近づいてくるルカ様の声が止むと、顔を覆っていた両手をそっと取られてゆっくりと胸の高さまで下ろされた。
「だいたい、あなたが望まないならば無理に結婚してくれなんて言いませんし……この関係のままでずっといたいなら、僕はそれでもかまいません。と言っても、主人と使用人の関係じゃありませんよ? 恋人として、ですからね?」
念を押すようにはっきりと〝恋人〟を強調され、頬の熱だけがもっと上がった気がした。
真っ直ぐ見据えてくる水色の瞳に、魔法のランタンの明かりが映っているのがわかる。
軽く体を前に倒せば互いの温もりがわかるほどに近い。
そんな距離で、ルカ様がそっと唇を耳元に近づけて囁いた。
「僕は、自分でも驚くくらい、貴方に本気なんですよ」