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副官サマの日記帳  作者: 茅嶋ときわ
30/50

副官サマとお嬢様 前編

 貴族区に入ったところにある花屋の角を曲がり、三本目の路地をジグザグに抜ける。抜けた先には丁寧に整備された緑地があり、それを囲むように貴族の邸宅がぐるりと並んでいる。

 目的地であるデクス邸は、その中の一つだ。

 ルカ様と私は住所を確かめてから屋敷へと近づき、門をじっと眺めた。デクス邸の門は背が高く、黒い鉄でできていてとても豪華に見えた。しかし、門番はおらず呼び鈴やノッカーも見当たらない。

 私はどうすれば良いのかと辺りを見渡してオロオロと悩んだ。すると、ルカ様がおかしそうに「そのまま入って行って大丈夫ですよ」と小さく笑った。

 私は貴族様のお屋敷に訪れるのはこれが初めてだ。勝手も何もわからないので、どうにも緊張してしまう。


「さぁ行きましょう」


 そう背後から促されて、ちょっとだけ恥ずかしくなって俯き加減で門をくぐった。

 黒鉄の門をくぐった後は、しばらく道なりに歩くことなった。宮廷以外でも、玄関までこんなに歩かないといけない家があるのかと驚いてしまう。

 どのくらい歩いたか、細い木立の間に大きな二枚扉の玄関が見えてきた。

 近づくにつれ門に繋がる屋敷の全体も見えてきて、ついつい圧倒されて三歩ほど後ろに後退する。

 

「レティシア、急に下がった危ないですよ。ほら、そこ。段差が……」

「す、すみません……」

 

 背中を軽く押し返しながらルカ様が肩口から顔を覗かせ、私の足元を指さす。

 心地よい声に耳がこそばゆい。 

 背中を軽く押し返され、玄関の階段を登る。そうして大きな扉を前に、一度キュッと唇を結んだ。

 なぜ、私がこの邸宅へ訪れるルカ様のお供についているのか。それは、以前城下を訪れた時と似たような事情なのだが、今回はただのお供ではない。

 

 

 

『お一人で——— でございますか?』

 

 数日前の夕方、ルカ様から湿布薬をもらった後のこと。デクス様から届いた招待状を開封したルカ様は、招待を受けるとセオドール様へと告げて、一人で行くとおっしゃった。それに対し、セオドール様は渋い顔で眉を寄せて反対するように尋ね返した。

 ルカ様はなぜ、セオドール様がそんな反応をなさるのか不思議そうにさらに尋ね返した。

 

『そうですよ? セオドールは空かないでしょう? 何か問題でも?』

 

 ルカ様のような立場なら、護衛を付けずに行くのは少し無謀だと私でも思う。

 宮廷内ならばいざ知らず、いくら魔法に優れているからといって大丈夫ということはない。過信はいけない。

 まだ書記官室で襲ってきた刺客についても解決していないのだ。用心すべきだ。

 

『問題あるから尋ねたのですよ? 他の部下の方はいらっしゃらないので? というか、レティシアではダメなのですか? そのために訓練なさっているのでは?』

 

 蚊帳の外だろうと湿布薬を手に押し黙っていた私に、二人の視線が向きたじろいだ。

 胃の奥がぐっと締め付けられて思わず眉根が寄ってしまった。

 

『訓練は……そうですが……その……デクス邸には、ご令嬢に会いに行くので』

『はぁ?』

 

 セオドール様がなんとも言えぬ声を上げてルカ様を非難するような目で見た。

 それに対してルカ様は、慌てて、まるで誤魔化すように首を振った。

 

『先日の手紙で父が会えと言ってきたんですよ! 招待を受けると手紙に返事をしてしまいましたから……行かないわけにはいきません。そういう意図だとは思いますが、それならそれで……明日断りますし……』

 

 段々と憂鬱そうに消えるルカ様の語尾に、セオドール様が「はぁ」と大きなため息をついて両手を腰にあてた。

 

『それについてはルカ様次第でございますから、私はなんとも申しませんが……。お一人で参らせるわけにはいきません。どんなに強面でも、部下をお連れ下さい』

『だから、ちょうど仕事を与えてしまったばっかりで居ないんですよ。居たら頼んでいます。本当に……。別に僕一人でも良いでしょう? 何がそんなに問題なんです?』

 

 

 

 そう言って話を元に戻したルカ様に、セオドール様が切々となぜダメかという理由を二十分近くたっぷりと語り、けっきょくは強引に、私を連れて行くことを承諾させてしまった。

 私としては、本当は付いてきたくはなかった。だって、ルカ様のお父上がこの屋敷のご令嬢に会えと言ってきたということは、それはもう、お見合いみたいなものだろう。その方と上手くいくことを望まれているのは明白だ。

 ルカ様のことをなんとも思っていなかったら、一緒に行ってもどうでも良いことだが、今の私は違う。


 とても素敵なご令嬢だったら?


 その方と楽しげに話す姿を見たいかと問われたら、見たくはない。でも、私が嫌だという意見を挟む余地はない。

 現状、護衛という仕事が私の契約に付属されてしまっているのだから、仕方がないと諦めるほかないのだ。

 私は左手で下げている剣を少し触ってから、ノッカーを掴んで軽く打ちつけた。すると直ぐに扉が開いて、従僕が中へと招き入れてくれた。

 

「やぁや、これは! ルカ様! ようこそお越し下さいました!」

「お招きいただいてありがとうございます。デクスさん」

 

 玄関に入ってすぐに置かれた一人がけのソファ。その横に立っていた薄い口髭の貴族様——— デクス様が、嬉しそうに頬をほころばせてルカ様へと声をかけた。

 ルカ様は愛想笑いを浮かべて軽くお辞儀をして続ける。

 

「まさか、デクスさんのお屋敷に伺うことになるとは思っておりませんでした」

「はは! それはこちらもでございますよルカ様。まさかこんなにあっさりと、わがままなお願いを聞き入れて下さるとは……いや、幸運でしたな! では、こちらに——— 」

 

 広い玄関を抜けて通された部屋はさほど大きな部屋ではないが、居心地良さそうな中ぶりのソファとテーブルが中央に置かれ、壁際には細かで色のたくさんついた皿や壺が棚に置かれていた。

 どうやらこの部屋は応接室として使っているようだ。

 

「リリアーナ。さぁ、ご挨拶を」

 

 デクス様は長い方のソファに座っている女性に声をかけた。

 白い首筋の上には、薄い栗色の髪が美しい髪飾りでまとめ上げられている。

 

「えぇお父様」

 

 鳥のさえずりかと思うほど、可憐な声音で答えて立ち上がった女性、リリアーナ様は、大きな青い瞳を真っ直ぐにルカ様へと向けた。

 部屋の窓からキラキラと差し込む午後の光に、青い瞳が輝いて見える。

 白く染みのない頬にはほんのり紅がさしてあり、うっすらと化粧をしているのがわかった。

 貴族の女性が好んでする、とても上品な化粧の仕方だ。

 

「初めまして、ルカ様。リリアーナ・デクスと申します。今日はお会いできてとっても嬉しいですわ」

 

 お姫様かと思うくらい優雅に一礼し、柔らかい微笑みを浮かべるリリアーナ様に、ルカ様が静かに「初めまして」と返して手の甲に口付けた。

 

「あなたが僕に会いたいとおっしゃられたそうですね? 驚きました」

「ふふ。そうですわよね。突然でごめんなさい。でも、まさか来て下さるなんて思っていませんでしたのよ? ルカ様がお忙しい方だと存じておりますもの」

「そうですか。実は今日も、夕方にどうしても外せない仕事がありまして長居はできません。あまりこういう場でそれを言うのは良くないとは知っていますが、お伝えしないわけにもいきませんからね。ゆっくりできないということを、先に謝罪します」

 

 素っ気ない調子で言ったルカ様に、リリアーナ様は気にしないと小さく首を振ってにこりと笑った。

 

「えぇ、長居できないであろうことは父に伺っておりますわ。こちらも突然のお誘いでしたもの。ね、お父様?」

「えぇ。来て下さっただけでも嬉しいですよ。では、立ち話もなんですので、こちらへ。今日は天気が良かったので庭に茶席を用意しました」

「待ってお父様。あの、ルカ様。そちらは?」

 

 大きな瞳が私を捉えた。

 思わず一歩下がりそうになるが、さすがにそれは護衛としてはみっともないかと思い踏みとどまる。

 

「あぁ。護衛です。壁際に待機させますので、お気になさらず」

「あら、そうでしたの? 宮廷の兵士——— ではないですわね? 私兵で女性の護衛なんて珍しいわ……」

 

 リリアーナ様は興味深げな口調で言いながら私をじっくりと見つめたが、そのお顔は怪訝そうだった。しかし言及はせず、「まぁ良いですわ」と笑って視線を庭へと向けた。

 青い瞳が私からそれて、内心とてもほっとした。

 噂のメイドだろうと言及されたら居た堪れなかった。

 今日の服装がお仕着せでなかったのが幸いしたのだろうと思い、用意してくれたセオドール様に心中感謝した。

 護衛につくと決まってから、セオドール様がズボンとシャツと上着とを、一式そろえてくれたのだ。借り物だと言っていたから、宮廷のどなたかの私物なのだろう。

 できるだけ汚れないように気をつけたいところだ。特に、戦闘になるようなことは避けたい。

 そんな決意を胸にしていると、ルカ様たちが庭へと向かう途中で棚に飾られた調度品について話している声が聞こえてきた。


「ずいぶんと立派な調度品ですね?」

「えぇ、ですがここにあるほとんどは代々受け継いできたものです。あれは祖父が地方派遣の政務官だった時にお土産で買ってきた壺ですね。祖母が趣味が悪いと飾るのを反対したとか……」

 

 確かに、デクス様のおっしゃった壺は他の調度品に比べて色彩がキツイ気がする。

 しかし、代々受け継がれてきたとデクス様はさらりとおっしゃったが、どの調度品もとても高価なものだ。それこそ宮廷にあってもおかしくないほど魅力的な品に思える。お土産にと気軽に言っていたが、子爵という名に恥じぬ財力がなければこんなにそろえられないだろう。

 私は横目で調度品を眺めながら、前をゆっくりと進んでいくルカ様たちに続いた。

 

「少し軽い食べ物もご用意しましたのよ」

 

 庭へと出ると、強い日差しに一瞬目がくらんだ。それは、庭園に向かって白い布のかけられたテーブル席のせいかもしれない。

 

「せっかくですので、二人で会話を楽しまれてはと思いまして、椅子は二つに。元々それが目的でございましたし。もちろん、ルカ様がよろしければ、ですが?」

 

 デクス様がルカ様に尋ねと、ルカ様は少し困ったような顔をした。

 

「構いませんが……ご令嬢を楽しませるような話題があるかは、保証しませんよ?」

「はは! それはそれで、相性が悪かったと娘も諦めましょう」


 ちらとリリアーナ様を見て、デクス様は笑った。

 どうやらデクス様は無理にルカ様とリリアーナ様を懇意にさせようと言う気はないようだ。その様子に少しだけ安心感が芽生えた。

 家柄財産地位権力。それを目的に親同士が当人を差し置いてどんどん婚約を決めてしまう。そんな物語が巷の小説には非常に多い。私の知る貴族のの世界はほとんどが本の中の物だから、ついそこに照らし合わせてしまい憂鬱になる。けど、デクス様を見ると現実は少し違うのだなと感じることができた。

 ルカ様が今はそんなことばかりではないとこの間おっしゃっていたが、本当にそうなのかもしれない。

 私は庭に通じる窓の横に静かに立ち、ルカ様たちの様子をじっと見守る。

 窓を挟んだ反対には、デクス家のメイドが二人並んでいて、私と同じように二人を見ていた。

 似た立場の人が側にいてほんの少し安心感が沸いたが、やはりなんだか居心地は悪い。

 妙な場所に迷い込んでしまった気がして、ついそわそわと指先を動かしたくなる。

 落ち着かない。

 できることなら玄関で待たせてもらえないだろうか……。

 ここからでもルカ様たちの会話は普通に聞こえてくる。

 聞いてはいけないと思えば思うほど、つい聞き耳を立ててしまう自分が嫌だ。

 

「どうぞ、ルカ様」

「では、失礼して」

 

 私の葛藤をよそに、リリアーナ様はルカ様に椅子をすすめて置いてあったポットを持ち上げた。それを見て着席しながらルカ様が尋ねた。

 

「あなたがお淹れに?」

「えぇ、最近お茶を淹れるのにこってますの。ちゃんと習っておりますから、お味は大丈夫だと思いますわ。お茶のお好みが合っていれば……ですけど」

 

 白いカップに注がれるお茶から湯気が上がる。

 ルカ様がカップを手にとって香りを嗅いだ。

 

「アーエンハイムのお茶ですか?」

「えぇ。お好きだと伺っておりましたが、いかがです?」

 

 上手なすすめ方だと思った。無理やりではなく、お茶を飲んでもらう。

 一口飲み込んだルカ様が、「そうですね、悪くはありません」と少し意地悪げに言った。

 ルカ様はお世辞でも嘘をつかない。きっと、そういうお味だったのだろう。

 リリアーナ様は少し残念そうに笑って、

 

「あら、メイドに淹れてもらった方が良かったかしら?」


と椅子へと腰を下ろした。

 

「茶葉は良い茶葉なのですよ。最盛期よりも質は落ちたかもしれませんが……。最近あちらは不作が続いていて、多く収穫できないのだと商人の方がおっしゃってましたわ」

「そうですね。茶葉に限らず不作は続いているようですね。作物の種すら高騰してきているそうですし。これも、高かったでしょう?」

 

 リリアーナ様はルカ様の質問には答えず、ただ微笑んだだけだった。

 茶葉の値段は答えず、会話を転がす。

 気不味そうにも思えるやり取りなのに、リリアーナ様はそんな雰囲気を残さず軽やかに次の話題へと移った。

 

「ルカ様は今、二十歳でございますよね?」

「えぇ、そうですよ」

「私も同い年なんですのよ」

「そうなんですか?」

「えぇ、そうなんですのよ。だから、お会いしてお話ししてみたかったんですの」

 

 会話は途切れことなく続く。

 お茶を飲みながらリリアーナ様の話に耳を傾けて、ときおり相槌を打ったり返答したりするルカ様は、どんなお気持ちなのだろうと気になってきた。

 ときおり普通に笑っているし、声の調子も明るい。

 あまり嫌そうには見えない。

 なんだか胸がもんもんしてきて、つい二人から視線を逸らしてしまった。

 

『レティシア。自信を持たないと剣先がぶれるぞ? 一回踏み込んでしまったらもう進むしかないんだ。そうしたらもう頼るのは自分だけだ。自信を持つよう努力しなさい』

 

 訓練で失敗した時に、傍で見ていたロペス様に言われたことがふと耳に蘇った。

 自信……と、喉の奥で反芻すると、リリアーナ様の声が妙に頭に響いた。

 

「学舎での私の専攻は魔法薬学でしたのよ。今でも調合法を研究していて、そのあたりのお話も伺えたらなと。ルカ様はこの帝国で一番優れている魔導師様でもありますでしょう? お誘いを受けて下さったら、たくさん質問しようと決めていたのですの」

 

 ルカ様への興味が滲み出る声音。明るく嬉しそうな、上品な笑い方。

 同じ目線の高さで隣で話すことに物怖じしない、培われてきた自信。その自信が貴族特有のものなか、リリアーナ様の性質なのか努力なのかはわからないが、確かなことはリリアーナ様には揺るぎない自信があるということだ。

 ルカ様の隣に立つことを躊躇してしまう私とは違う。

 そう、私は、ルカ様の隣に居る自信がまだないのだ。

 

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