副官サマとルチアーノ公の夜会 後編
しとやかなバイオリンの音色に、様々な靴の音がそろったリズムを刻む。
今日はルチアーノ公の夜会当日。アレス皇子とルーイとともに、僕は会場であるルチアーノ公の本邸にやってきた。
馬車から下りてすぐに入ることができる玄関には、僕ら以外にも数名の招待客が居た。
招待客リストと照合されている者、連れと外套・荷物を預ける順番を待っている者、知り合いと談笑している者。
僕らはそんな彼らを横目に、案内係に着いて夜会会場の脇にある待機所へと静かに移動する。
年に二回開催されるルチアーノ公の夜会は、親睦の意味を込め、各派閥の幹部以下を招待していることで有名だ。今年は特に、若手の政務官を多く集めたとルチアーノ公に聞いた。二日前の議会で意気揚々と意見していた若い政務官たちも、きっと招待されていることだろう。
僕は議会の最中に怒って退出していってしまったアレス皇子のことを思い出し、ちらりと当人を盗み見る。
今日ばかりは例え機嫌が悪くても、印象が悪くなるような言動はしないで欲しい――― そう願わずにはいられない。
実を言うと僕は、ルチアーノ公の夜会に正式に招待されるのは初めてだ。だから三度目のアレス皇子やルーイとは違い、かなり緊張している。
待機所から夜会会場へは大きなカーテン二枚でゆったりと仕切られていて、そのカーテンの隙間からは会場の様子が覗くことができる。
僕は緊張を落ち着けようとカーテンから会場をちらりと覗いた。
まず目に入ったのは会場の広さだった。
城の大広間よりは狭いが、それを彷彿とするような作りで、貴族の邸宅の広間としてはかなり広い方だ。
次に目に止まったのは豪華で大きなシャンデリアで、天井に二つ、同じ形の物がつる下がっている。その二つのシャンデリアは、美しい魔法の光を会場中に降らせ、招待客の衣装や宝石をきらきらと照らし出している。
ルチアーノ公の夜会は煌びやかでも有名だと、ルーイが以前言っていた。
〝煌びやか〟と言うのは、この様子から来たのだろうか。
質素倹約。我が帝国はその言葉が未だ重要だから、他国から見ればこの夜会はとても質素だろう。しかし、僕からしたら十分に贅沢に見える。
良い印象を与えよう! 美しくあろう!
あいつよりも良い服を! あの方よりも最新の物を!
色とりどりの艶やかで豪勢な衣服と宝石に加え、髪型も男女ともにとても見栄え良く整えられている。
遠巻きに見ても個性豊かな出立ち。
それはまるで、それぞれの思惑を服装で表現しているような気さえする。
——あぁ、緊張するなぁ……——
初参加である上に、得意ではない夜会という物に、僕の緊張はどんどん高まっていく。カーテン越しに見える見覚えのある政務官たちの姿が通るたびに、その高まり方は早くなる。
「あー、めっちゃ人いるねぇ。僕もう人酔いしそう……」
夜会に到着してまだ十分も経ってはいないが、アレス皇子は僕と同じように会場を覗いて、〝もう帰りたい〟と言いたそうな顔で呟いた。
普段ならば〝何を言っているんですか!〟と叱咤するところだが、今日はその意見に同意する。
僕だって、執政官補という立場でなければさっさと帰りたい。
カーテン越しに見える様々な派閥の幹部候補たちは、アレス皇子が皇帝となってから対峙していかなければいけない者たちだ。そんな彼らと少しでも接点を持ち、わずかでも意見を交わしておくことは非常に重要だ。
帰りたくても帰るわけにはいかない。
「おいおいなんだよ二人とも。トンボ帰りじゃまた悪い噂しか立たないぞ?」
一番夜会慣れしているルーイがしれっとした顔で外套を脱いで、上着を回収に来た外套係に手渡しながら言った。
「ルーイはこの匂い、気にならないの?」
外套を脱ぎもしないで口元に手を当てているアレス皇子の顔は、若干青ざめて見える。どうやら本当に人酔いしたみたいだ。
ルーイが「そんな嫌な匂いするか?」と天井に鼻を向けてスンスンと匂いを嗅いだ。
「香水と料理の匂いはかなりしてますよね。あまり良い取り合わせではないです。僕もあまり長いこと嗅いでいたくはありません……」
アレス皇子につられてうっかり憂鬱な本音を漏らすと、ルーイが「お前もかよ……」と呟いてため息をついた。
「外套をお預かりいたします」
なかなか外套を脱がない僕に、外套係が手のひらで指して柔らかく言った。
僕は手早く外套を脱いで渡し、脱いだことでわずかによれた上着の襟や袖を正す。そうしていると、アレス皇子の傍で、別の外套係が外套をどう脱がそうかと困惑している様子が見えた。アレス皇子はどうやら会場が気になるようで、彼の存在に気づいてないみたいだ。
外套係とアレス皇子の様子を見ていると、玄関側の扉がノックなしに開いて、靴の踵が小気味よく鳴り響いた。
「あらみなさん。そろってましたのね? まぁアレス。外套を脱がないのですか?」
靴を鳴らして入ってきたのはイリア様だった。
露出の少ない薄いスミレ色のドレスに、白のレースで編まれたショールが可憐で良く似合っている。
「イリア!」
まるで飼い主と犬のように、アレス皇子はイリア様に満面の笑みで振り返ってトコトコと近づいていく。さすがにイリア様はよしよし——— とはしなかったが、次期皇帝の威厳は一体どこにあるのかと疑問に思う光景だ。外套係の口元が笑いを堪えるためかわずかにひくついている。
イリア様と共に入ってきた侍女が、アレス皇子の外套がそのままなことに気づき、器用に脱がせて外套係に手渡した。
外套係はもう少しこの場に居たい素振りを見せたが、侍女が仕事が終わったのなら早く退出しなさいといった顔で見たので名残惜しそうに退出して行った。
「お二人ともお連れはいらっしゃらないのですか?」
イリア様がルーイと僕を順に見て言うと、ルーイがヘラりと笑って答えた。
「独身のお嬢様方のお相手をするのに連れは要りません」
普段通りしれっと答えたルーイに、この夜会でもお嬢様の相手ばかりをする気なのかと内心イラっとしたが、イリア様の目が僕に向いたので、咳払いをして視線をアレス皇子に向け答えを返した。
「僕は皇子のお供で来ているつもりなので」
「まぁ、そうですか」
どこか残念そうなイリア様が頷くと、大きな張りのある声が「殿下!」と呼び、会場との境にあるカーテンがバサッと見事なひるがえりを見せた。
「お待ちしておりましたよ!」
ひるがえるカーテンから嬉しそうに顔を綻ばせて入ってくるふさふさの口髭の老人、ルチアーノ公は、手を広げてアレス皇子へ向かって歩いた。
「大叔父様。初めてこの夜会に招待してくれましたね」
アレス皇子がにこりと笑い、挨拶程度にルチアーノ公と軽く抱き合う。
ルチアーノ公は現皇帝の母方の弟で、アレス皇子の大叔父にあたる。皇子とルチアーノ公の関係は、たまに訪れる仲のいい親戚の叔父さんといったところだ。
「毎年よく集まりますね。こんなたくさん……」
アレス皇子がカーテン奥をちらりと見ながらルチアーノ公に言うと、ルチアーノ公はただ静かに笑っただけだった。
ルチアーノ公は前皇帝の執政官で、現皇帝がまだ若い頃にも数年執政官を務めていた人物だ。
なぜそんな立場だったルチアーノ公が、こうして争いのある派閥の面々を呼んで夜会ができるのか?
夜会のことを知らない、特になりたての政務官は必ずそんな疑問を持つ。
こんな夜会ができる理由。それは、彼の穏やかな性質が一番大きく関係しているが、もう一つ、彼がずっと中立の姿勢を貫き通しているからだと言えよう。
現役だった頃からルチアーノ公は、どの派閥の意見もないがしろにせず、皇帝陛下が受けきれない話もきちんと議論し処理をしてきた。
自身が皇帝派であっても、対立派閥に己の意見を押し付けるようなことは決してなかったという。
年齢を理由に政務官を引退する最後まで、あくまで中立な返答を返し続けたのだそうだ。そうして退いてもなお、様々な派閥からご意見役として慕われ相談を受けている。だから、ルチアーノ公が国のために互いに親睦を深める会をやろう! と人を招けば、こうして簡単に人が集まるのだ。
ルチアーノ公がひとしきりアレス皇子との挨拶を終えると、今度は僕とルーイに顔を向けてにっこりと微笑んだ。
「ルカ、ルーイ! おまえたちも良く来たな!」
アレス皇子にしたのと同様に、ルチアーノ公は僕らとも軽く抱き合った。
ルチアーノ公の夜会には初めて出るが、アレス皇子の大叔父ともあって、彼とは幼い頃から面識がある。皇子の兄弟とともに、僕らもルチアーノ公には可愛がってもらった。手に入りにくいお菓子や珍しい玩具をたくさんもらったり……まぁ、成人してからも若干子供の頃みたいな接し方をされることがあるのは困るのだが――― 僕の頭をガシガシと撫でるのは、そろそろ止めてもらいたい。
せっかくセオドールに綺麗に整えてもらった髪がだいぶ乱れてしまった。
僕はルチアーノ公をジト目で見上げるが、彼の意識の先はもうアレス皇子に戻っていた。
僕は皇子とのやりとりを見ながらせっせと乱れた髪を手で直す。
「では、そろそろ広間に案内しますかな?」
「良いよ。さっと終わらせようじゃないか!」
腹を括ったのか、アレス皇子は大きく深呼吸をしてルチアーノ公に頷いた。人酔いで青ざめていた顔色はいつの間にか元に戻っている。
ルチアーノ公がアレス皇子の返答を受け、キリッとした顔を作って切れた身のこなしで会場へと踵を返した。
カーテンの向こう側へいよいよ向かうのだ。
少し落ち着いていた緊張が、再び胸から広がり始めた。
ルチアーノ公がカーテンに手をかけると、それを見計らったように中の音楽が止んで談笑が途切れた。
広間に入っていくルチアーノ公の後に、アレス皇子とイリア様が続いてゆっくりと歩いて行った。
道を開けるためか、広間からは招待客が足早に歩く音が聞こえてくる。靴と衣服が擦れる音だ。
「オレたちも行くぞ」
ルーイに促され、アレス皇子たちと少し距離を取り僕たちも広間へと足を踏み入れる。
広間の招待客はまるで誰かが意図的に整列させたかのように、見事に綺麗に左右にぱっくりと別れていた。
穏健派、強硬派、保守派、魔法優位に貴族優位。小さい派閥から大きな派閥まで、見事に別れて並んでいる。
そろっている顔つきを見ると、どうにも無事に帰れるような気がしない。
先日意気揚々と発言していた若い政務官たち。そんなやる気を帯びた政務官たちと、これから時間が許す限り会話――― いいや、おそらくは議論をしなければならない。
自然と胃に片手がはいそうになるが、さすがにここでそんな弱気な姿を見せるわけにもいかず、グッと堪えて歩き続きけた。
「あーあ。なんかすっごい睨まれてる気がするんだけど……僕、来ない方が良かったのかしら?」
広間奥に特別に置かれた雛壇に上がると、アレス皇子がルチアーノ公にひそひそと尋ねた。
ルチアーノ公は眉を寄せて、「何をおっしゃいますか……」とため息をつく。
「嫌われてるのは今に始まったことじゃないだろ? 今さら気にしてどうするんだ?」
フンッと鼻を鳴らしてルーイがアレス皇子の横に並ぶと、アレス皇子は「そうだけどさぁ」とボソリと呟いて視線を正面へと向けた。
残念ながら、アレス皇子は現皇帝派とアレス派以外からはあまり好かれていない。
性格の不一致と言われるほど、他派閥とアレス皇子の間には揉め事が絶えない。
「大叔父様を見習おうと努力はしてるんだけどなぁ」
「アレス、見習うのは良いですが、ルチアーノとアレスは全然性格が違うでしょう? 同じように皆さんの主張を受けるのは難しいですよ。だからあまりそれを気にすることはありませんよ」
「それはそうだけどねぇ」
アレス皇子はイリア様の慰めの言葉に「ハァ」と諦めたような観念したような、どちらとも取れるようなため息をついた。
「さてさて、殿下! 意気消沈しても時間は待ってはくれません。挨拶をせねば! さぁ、用意は良いですかな?」
「わかってるよ。どうぞ!」
アレス皇子が気を引き締めて姿勢を正して返事をすると、ルチアーノ公はまた顔をキリッとさせて会場全体に向けて声を上げた。
「皆喜べ! 今夜は次代のアストラル帝国皇帝陛下、アレス・ティルト・リヤーナ・アストラル・ウォルシュ様が参られた! 親睦会とも言われる我が夜会には、とびきりの主賓である! 殿下のお言葉の後にはもちろん、殿下や執政官補殿らと存分に話すことができる! 皆楽しみにしておられよ!」
政治的に非公式な政治的な親睦会。そこに次期皇帝が訪れて交流ができるとなれば、喜ばない政務官は居ないだろう。招待されてこれを逃す政務官は、きっとこの会場には居ない。しかも、非公式という言葉があるように、少しやり過ぎた発言をしてしまっても大方は黙認される。
喧嘩騒ぎには決してならない。
白熱した議論になりかけても、それ以上になる前にお互い一歩引く。それはルチアーノ公がこの夜会で唯一設けているルールで、それができるであろう者しかルチアーノ公は招かない。
「では、殿下に挨拶をお願いしよう!」
ルチアーノ公がアレス皇子に振り向き、脇へと身を退けた。
「やぁみんな、こんばんは」
そんな出だしで良いのかと思ったが、アレス皇子の静かで穏やかな声が会場に響くと、一瞬で場の空気が変わった。
深く重い緊張した空気。会場全体に広がったその空気は、次第に人の内側にも入り込み、次々と招待客の顔が引き締まった顔つきになっていく。
皇子はそんな招待客の顔を見ながら、挨拶を続ける。
「自らの判断を信じよ。だが、自らの判断が正しいと自惚れてはならない——— 僕は、この言葉が好きだ。王族は人の上に立つべくして生まれた存在であるから、常に他者へは自信があるように見せねばならない。そんな伝統が今でもあちこちの国に残っている。しかし、時には自身に問いかけるべきだと思っている。我が国の行いはどうか、民は満足しているか、自分は間違った旗を振ってはいないか?」
視線を泳がせることなく、真っ直ぐと前を見てアレス皇子は続けた。
「ここに集ったみなは、このアストラルを尊び、民を正しい道へと導くことを望んでいる者たちだろう。立場や派閥は違えど、向かう先は同じ。だからこそ、僕は今日、皆にぜひとも自分が自惚れていないかどうかを自問してもらいたい。自惚れは己の目を曇らせる。目を曇らせた者に民は導けない。もし、僕の目が曇ったら、ここに居る二人はきっと僕を諭してくれるだろう」
アレス皇子が両手で僕とルーイを指した。
「みなにも、この二人のように、僕が間違ったら意見できるような政務官になってもらいたい。王は傲ることなく民に仕え、民は怠けることなく王に仕える。曇りなき目で、我々は民とともにアストラルの道を先へと続けたい。みなもそうであると願っている!」
言葉強くアレス皇子が最後の言葉を締めると、
「アストラルの栄光ある未来に!」
と会場のどこかから声が上がった。
「アストラル帝国万歳!」
「より良き未来に!」
声が続くと歓声がわき、その後に盛大な拍手が長く続いた。
どうやらアレス皇子の挨拶は無事に済んだようだ。
ルチアーノ公が皇子の隣に立って、夜会の続きを楽しむようにと告げる。
「はぁ〜! やれやれ!」
と、もう終わったような口ぶりでアレス皇子が言うと、傍でイリア様が「これからが本番でしょう?」とアレス皇子の脇腹を肘で突いた。
そう、主賓の挨拶が終わったこれからが大事だ。
今まさに降りようとしている雛壇の端には、すでに派閥の幹部候補たちが集まってきている。
イリア様が僕とルーイを見上げて、にこりと微笑んで言った。
「さぁ、頑張りましょう!」
* * *
「いぃやぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁっ! 疲れたぁ……」
当初居た待機所に戻って来たアレス皇子は、そう言って大袈裟に両足を投げ出しドサッと椅子に座った。
僕はそんなアレス皇子が人目につかぬよう、開けっ放しのカーテンをさっと後ろ手で閉める。
挨拶が済んでからのまるまるニ時間。政務官たちに囲まれつづけ、途切れる事なく会話が続いた。
普段の仕事の倍は話したんじゃないかと思う。話の途中で何何杯も飲み物を飲んだが、まだ喉が渇いている。
ルチアーノ公が気を利かせて休憩を提案しに来なかったら、おそらく今でもあの輪から抜けられなかっただろう。今後ああいった状況でうまく休憩に抜ける方法を探さないと身がもたないな。
「狭いところって落ち着くねぇ〜」
投げ出した両足を踵を軸にぶらぶらと動かしているアレス皇子は、人目が無いのを良いことにずいぶんとくつろいでいる。
ルーイが全員分の飲み物を持ってカーテンから入ってきて、アレス皇子と僕に順に差し出した。
ルーイはいつも、こういうところは気が利く。
夜会慣れしているからだろうか?
「ところでさ、僕さっき気になる話を聞いちゃったんだけど」
アレス皇子がチビチビと飲み物を飲みながら話し始めた。
僕はアレス皇子の飲み方が少し気になり、もらった飲み物の匂いを少し嗅いでみた。どうやら酒入りの飲み物のようだ。強くはなさそうだが、疲れた喉に一気流したら早く酔いが回りそうだ。
「あれだろう? ブリュッセル・カルークの話だろう?」
「そうそう! ルーイも聞いたんだね!」
アレス皇子の言葉にルーイが「まぁ話半分にだけどな」と頷いて、ごくごくと飲み物を飲み込んだ。
僕はその話をまったく耳にしていなかったので、しばらく二人の話を聞くことにした。
「カルーク家は商家だ。南の商人とは昔から交易関係にある。ただ交流があるというだけで、そんな物騒な話に繋げる必要はない」
「話だけなら僕だって信じないよ! けど最近あの人、そこかしこで見かけるからさ……つい僕も疑いたくなっちゃって……」
コトリ と、持っていたグラスをサイドテーブルに置いて、アレス皇子は「ふぅ」と息をはいた。
「だがカルーク家はともかく、疑惑の当人であるブリュッセルは外務省の人間だぞ? 確証もないのに疑うと発言するは不用心じゃないか?」
どうやらこの二人は、外務省に勤めるブリュッセル・カルークという政務官がアルスウォルトと繋がっているのでは? という話を聞いたらしい。そうして、アレス皇子はそれがとても引っかかっている様子だ。
アレス皇子はルーイの忠告を受けてもこの話を終わらせる気にならなかったようで、「けどねぇ」と言って言葉を探し、今度はため息をついた。
ルーイを説得できるだけの言葉が見つからないのだろう。
僕は一口だけ酒を飲み込んで、アレス皇子に尋ねた。
「そこかしこで見かけたっておっしゃいましたよね? それって城下ですか?」
尋ねると、アレス皇子は肩をすくめて見せた。おそらく肯定の意味だろう。
「先に言っておくが、俺は調べないぞ。ただでさえ父上に睨まれてるんだ」
「じゃあルカくんは?」
どうして僕に振ってくるのか? と疑問が過るが、ルーイの口ぶりからするに〝調べられない〟だろうから承諾せざるを得ない。
「カルークは確か穏健派でしたよね?」
「そうだね。外務省の一番上が今は穏健派の人だし、呼ばれたんだろうね。商家生まれだけあってその辺は得意みたいだし? まぁ僕としてはさ、早めに摘める芽は摘んでおきたいんだよ。二人ともそれは同じ意見でしょ?」
ルーイはともかく、僕は確かに皇子と同じ意見ではある。しかし、役職付きの、しかも外務省の人間を調べるのは厄介だ。下手に探っては〝なぜ探るのか?〟と逆に噛みつかれてしまう。なら、そういった調査に慣れているナギか、ナギの部下に頼んでみるか?
「わかりました。すぐに調べてみます」
「おいルカ、良いのか? おまえはこの間の刺客の件が片付いていないだろ?」
僕の承諾にルーイが心配そうに顔を覗きんできた。
「えぇ。まだ片付いていませんが、今は動き待ちなので部下も手が空いているんですよ。それに、カルークについては調べるだけです。何か問題が出たら僕一人で片付けるなんてことはしませんよ」
そう言うとルーイは「それなら良いが……」とグラスの残りを飲み干した。
全員の飲み物が空になるころ、イリア様がルチアーノ公と一緒に休憩の終わりを告げに来た。
僕らは会話を止めて、眼前の仕事に意識を集中させる。
夜会ももう後半。あと二時間ほどだ。気を引き締めて切り抜けよう。