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副官サマの日記帳  作者: 茅嶋ときわ
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副官サマとルチアーノ公の夜会 前編

「すみませんね、レティシア」

「いいえ」

 

 セオドール様の手伝いで訪れた午後の中央広場。昼はとうに過ぎているが、日が傾くにはまだ早い時間。道にも店にも人はまばらで、買い出しをするには良い時間帯だ。

 

「あと一軒で買い物は済むので、あなたはあの喫茶店で荷物を見ていてもらえますか?」

 

 赤屋根目立つ冒険者ギルドの建物がよく見える通りの、少し広い喫茶店。外に面した席と通りに境はなく、セオドール様はそこの一席にどんどん歩いて行って、手にしていた荷物を椅子に積み上げた。そんな姿に女給がすぐに気が付き、品書きを片手にやってくる。

 

「お二人様でございますか?」

 

 可愛らしい格好の女給がにっこりと微笑んで尋ねると、セオドール様が荷物の一つから必要なものを取り出しながら女給に「そうですよ」とそっけない返答を返した。

 

「けれど、私はちょっとだけ用を済ませてくるので、先に彼女の飲み物だけお願いします。ではレティシア、私ちょっと行ってきますね」


 一度も女給に顔を向けずにせかせかと席を後にしたセオドール様を女給と見送る。視界からセオドール様が消えると、女給がゆっくりと品書きを私に差し出した。

 無理矢理でもなく雑でもなく、とても良い間で差し出しされた品書きに、彼女の慣れを感じる。

 私は差し出された品書きを受け取り、縦長の品書きを開く。中は見やすい文字の大きさで品名と簡単な説明が書かれている。

 食事とデザートの頁を飛ばし、飲み物の頁に目をやる。この喫茶店はどうやらお茶を多く取り扱っているようで、普通よりも多くのお茶の種類が書いてあった。

 つい最近飲んだお茶に目が止まり、迷うことなくそれを注文する。

 

「白嶺茶をお願いします」

「かしこまりました。お品書きは置いたままにしましょうか?」

「そうですね、そうしていただけると嬉しいです」

「ではそのままに」

 

 丁寧に頭を下げて奥のカウンターへと軽やかに歩いていく女給。どうやらカウンターのある場所が厨房になっているようだ。料理人に笑顔で注文を渡している。

 そんな店内の様子を見ていると、すぐ傍の道路を熱を帯びた風が通りを抜けていった。

 肌にじっとりとした暑さを感じて、着たままだった外套を脱いで軽く畳んで椅子の背にかける。

 夏至を過ぎて一気に暑さを増してきたここ数日。宮廷ではあまり服装に季節感を感じなかったが、城下に降りると道行く人たちの服装には夏の装いが目立つ。

 

「お待たせしまた。白嶺茶(はくれいちや)でございます」

「ありがとうございます」

 

 ふわりと良い香りのする白嶺茶は、どうやら香り付きのようだ。宮廷に勤めてから初めて飲んだ、茉莉花茶(まつりかちゃ)に似た香りがする。

 女給が白磁のポットから一杯だけそろいのカップに注いで、「熱いのでお気をつけてお飲み下さい」と言って奥へと下がっていった。

 カップに注がれた白嶺茶は綺麗に澄んでいる。それだけで、この茶葉が高級なのだとわかる。白嶺茶は値段によって濁り具合が違うのだ。ルカ様のところで良く出す物も澄んでいるから高級なのだろうが、ここまで澄んではいない。

 淹れ方も重要なのだと前にセオドール様が言っていたことを思い出す。この喫茶店はお茶の種類が多かったから、淹れ方も良く訓練されているのだろう。店主はきっと茶葉に精通しているに違いない。

 私はカップを持ち上げてゆっくり口元に持っていく。

 心地よく鼻先をくすぐる湯気の香りを楽しみながら一口だけ口に含む。舌先から舌奥へと柔らかい甘味が包みこみ、優しく喉を降りていく。

 美味しい。

 素直な言葉が浮かぶと、自然ともう一口と口が急いだ。二口目を飲み込むと、今度は肩から力が抜けた。

 夏至祭が終わってから色々考えることが増えて、息をつく余裕がなかった。

 考え事の中心は、やはりルカ様のことだ。

 

『僕は、あなたが好きです』

 

 何度思い返しても、やはりあの時の言葉は告白以外には考えられない。そうしてそれを思い出すたびに私は自分に問いかける。どうするのか? と。

 夏至祭の最終日に〝断る〟と決めたはずなのに、私の気持ちは未だに揺らいでいる。

 貴族と平民。その垣根が昔ほど高くないのはわかっているが、自分がその垣根を越えられるとはどうしても思えない。育った環境、培われた教養、他者への対応の仕方だって全然ちがう。

 それに慣れる自信ははっきり言ってまったくない。それでも断りの返事を返す気にならない。

 そうしてまた、自分に問いかけるのだ。

 断ろうと思っているのに、どうしてそれができないのか?

 私はルカ様が好き。その気持ちが邪魔をしている。

 相談できる相手はいない。

 ソレーユさんにも、西区の友人にもできない。唯一、セオドール様ならば、ルカ様から何か聞いているかもしれないし、色々ご存知かと思って何度か相談をしようとしたが、場所が見つからず断念してしまった。

 ルカ様の部屋ではさすがに口に出しにくいし、宮廷のいずこかでもしにくい。

 夏至祭から帰ってきた私は今日まで毎日、そうした自問自答と相談しようかどうしようかを何度も何度も繰り返していた。

 私はカップをテーブルに戻し、背もたれに背を預ける。

 石畳の道に太陽が反射してきらりと目の端に刺さった。席から少し離れた通りの角の、裏路地へと向かう道の石畳だ。光の隣は路地裏に折れ、深い影が落ちている。

 光と影の境目にわずかに立ちのぼる陽炎。そこに、黒い靴が踏み入った。そうして、靴を覆い隠すように翻るマントが私の目を刺した石畳の光を呆気なく遮る。

 裾にふんだんに施された銀の刺繍が遮った光を反射させている。ひるがえったマントの質から、貴族の方だとすぐに悟った。

 目深にフードを被っているところを見ると、きっとあまり人目に触れたくないのだろう。そんなことを考えながらぼんやりとその貴族様を眺めていると、わずかに強い風が吹いて、テーブルクロスや屋根の布部分などがバサリと大きくはためいた。

 ふわり と、お茶の香りに混じってゴールドティアーの香りが鼻を掠める。

 香りの元は、先ほどの貴族様だ。

 風に巻き込まれたマントが大きくひるがえらぬようにと、杖を持つ手で押さえ込んでいる。そんな脇から、何かが転げ落ちた。

 小ぶりの巾着だ。

 貴族様は気づかない様子で裏路地の影へと歩いていく。

 

「あの! もし!」

 

 私は席を立って貴族様に声をかける。

 本当は声をかけることに抵抗があったが、落とし物をしたのを見過ごすことができなかった。

 石畳の上に転がる巾着まで走り、手を伸ばす。すると、ガツ と、わざとらしい音を立てて巾着と伸ばした私の手の間に杖先が打ち付けられた。

 顔を上げると、フードの影の中から射るような目が覗いていた。

 

「誰かと思えば、執政官補様のメイドか」

 

 吐き捨てるような言い方だった。

 

「レティシア!」

「セオドール様……」

 

 呼び声に振り向くと、セオドール様が急足でやってきて、私の背後に立った。

 

「何かございましたか? 確かカルーク様でございますよね?」

 

 セオドール様の言葉に、貴族様は舌打ちをして手早く巾着を拾い上げて懐にしまった。

 

「何もない。落とし物をしただけだ」

 

 射るような目をフードの影に隠し、貴族様が言った。

 

「カルーク様! こちらでございます!」

 

 従者だろうか、路地裏から声がかかり、貴族様が「失礼する」と言って踵を返した。

 

「ゴールドティアー? 惚れ薬でもお飲みになられたのでしょうかね? カルーク様は」

 

 貴族様が立ちさった後にセオドール様が眉を少し寄せて独り言をつぶやいた。

 ゴールドティアーは魔法薬に良く用いられる薬草で、濃く煮出せば煮出すほど香りが強くなり効能が増す。効能が増すといっても、魔法薬の種類によって加減が必要なので、調合時は気をつけないといけない。強い効能のゴールドティアーを使う魔法薬はやはり強力な物が多く、セオドール様が言った惚れ薬もそうだ。まぁ、巷で評判の若い娘向けに売られている惚れ薬にはさして入っていないだろうが。

 

「何か言われましたか?」

「いいえ、何も」

「それならば良かった。何かあったらルカ様に顔向けできませんからね」

 

 妙に安堵した顔をしたセオドール様に立ち上がりながら尋ねる。

 

「ルカ様のお仕事に重要な方だったのですか?」

「まぁ、カルーク様は外務省の上の方でいらっしゃるから、お仕事には重要な方ですが……お仕事というよりは、ただあの方は貴族主義であられるので、あなたに何か言ったんじゃないかと心配になっただけですよ」

 

 にこりと笑ったセオドール様は、「喫茶店に戻りましょう」と歩き始めた。

 

『誰かと思えば、執政官補様のメイドか』

 

 貴族様、カルーク様はそうおっしゃた。

 宮廷でも城下でも、ルカ様の雇ったメイドに対する噂が今も流れている。けれど、その本人が私であることを知る者は多くはない。特に、あまり関わりのない政務官たちは知らない人が多いだろう。

 なぜカルーク様が自分を知っていたのか。そのことが気になったが、要らぬ詮索をすべきではないと冷静な私が考えを遮った。

 セオドール様に続いて喫茶店の席に戻ると、セオドール様はさっそく品書きを手に取って眺め始めた。

 

「おや、ここはケーキも多いんですね……歩いて小腹も空きましたし、いただきましょうかね。あなたはどうです?」

 

 お茶しか頼んでいない私に尋ねるが、私は首を横に振った。

 

「そうですか。あ、注文をお願いします」

 

 品書き片手に先ほどの女給を呼び止め、アプリコットケーキと黒苺のタルト、それから濃い紅茶を頼んで品書きを返した。

 

「アプリコットケーキに生クリームはどうなさいますか?」

 

 品書きを受け取りながら女給が尋ねるとセオドール様は「つけて下さい」と頷いた。

 女給は「かしこまりました」とお辞儀をし、先ほどと同じくカウンターへと戻っていく。一つだけ違うのは、戻って注文表を渡してから、同僚の女給と何やら話を始めたことだ。

 チラチラとこちらを見て、ときおり楽しそうにウフフと口元に手を持っていって笑っている。そういえば、少し頬が赤かった気がする。

 

「おもてになられるのですね」

 

 冷めて温くなった白嶺茶を飲みながらセオドール様に言うと、セオドール様は首を傾げた。

 

「先ほどの給仕さん、まだセオドール様をみていらっしゃいます」

 

 そう言うと、セオドール様はチラリとカウンターで談笑している女給を見て、「はぁ」とため息をついた。

 

「あまり見られるのは好きではないのですがね」

 

 ポツリと出た言葉に、私は意外だなと驚いてカップを口から離した。

 宮廷でも外でも、余裕たっぷりに闊歩しているセオドール様は、注目されることを気にしているとはとても思えない。控えめな他の執事よりも目立っていることが多いので、てっきりそういうのがお好きなのかと思っていた。

 

「なんです? 意外だと言いたそうな顔ですね? 私、以前はあなたが言う通り、注目されるのは嫌ではなかったのですよ。花のような娘さん方から注目されるのは嬉しかったですからね。けど、ルカ様とご一緒するようになって、人の顔色を読むのが上手くなりましてね。そうしましたらとたんに、人に注目されることが嫌になったのです。なんで注目しているのか――― と、胸の内まで見えてしまいそうな気がしましてね」

「そうでしたか」

 

 自信たっぷりな素振りしか見てこなかったが、セオドール様にも繊細な一面があるのだ。

 

「セオドール様は、ルカ様にお仕えして長いのですか?」

 

 ふと、質問が口からこぼれた。

 

「そうですねぇ……お仕えすると言ったら、ルカ様の執事になったのは四・五年前からですから、そんなに長くはありませんね。ただ、ご性格は良く存じ上げておりましたよ。私はもともとフレデリカ家の従僕でしたので」

「そうなのですか?」

「えぇ、ですので、フレデリカ領でのことを換算しますと、長い、と言えますかね」

 

 会話の最中に女給が静かにセオドール様のケーキと紅茶を運んできて、紅茶を一杯カップに注いだ。

 

「ご苦労様。ありがとうございます」

 

 紅茶を注いだ女給仕にセオドール様が声をかけると、嬉しそうに笑って下がっていく。

 セオドール様はそんな女給よりも、さらに言えば紅茶よりも先に、さっそく! と言わんばかりに運ばれてきた二つケーキを眺めながらデザートフォークを手に唇を弧にした。

 セオドール様は忙しくても午後のおやつは絶対に欠かさない。雇われてからセオドール様がそれをしない日は一日ともなかった。

 

「それで? 私に聞きたいことはそれだけですか?」

 

 アプリコットケーキを生クリームごと突き刺して大きく切りながら、セオドール様が尋ねた。

 私は口元につけていたカップを傾けるのをやめて、セオドール様を見る。

 

「ここ数日、やたらと私を見ておりましたよね? 何か宮廷では聞けない質問があるのかと、今日はお誘いしたのですが?」

 

 言ってパクリとケーキを頬張り、モグモグと幸せそうに頬を緩めるセオドール様に、私は動揺した。

 聞きたいことはある。

 見ていたのは相談したかったからだと、気づかれていたのか。

 なら、この機会を逃してはいけない。

 

「あの……ルカ様は、どこまで本気なのでしょうか?」

 

 宮廷——— ルカ様のお部屋ではないからか、今まで口籠もっていた質問がぽろりと漏れた。

 

「なんですって?」

 

 口に運びかけた二口目のアプリコットケーキが皿に転がった。

 私は質問が突飛すぎたと唇を結び、セオドール様から視線を逸らした。

 でも、なんて聞けば良いのだろう?

 告白されて、どう答えるべきか悩んでいると、素直に尋ねるのはなんだか恥ずかしいし気まずい。

 やはり、聞かなければ良かった。

 質問したかったのに、どうしたら良いのかわからなくなってしまった。

 セオドール様との間に、なんて返そうか——— と、そんな考え事をしているような間がたっぷりと空いた。そんな間の後、セオドール様が皿に転がった二口目のアプリコットケーキをもう一度突き刺して口を開いた。

 

「ルカ様は、どこまでも本気だと思いますよ。レティシア・スプリング」

 

 私の質問がどういう事に対して言っているのかを理解しているような口ぶりだった。

 セオドール様は二口目のケーキを口に運び、ゆっくりと噛んでから紅茶を飲み込んでからフォークを皿に置いた。

 

「直接は聞いてはおりませんが、夏至祭から帰ったルカ様の様子を見るに、何かあなたにおっしゃたんでしょう? レティシア。それをあなたは悩んでいる。違っていたら申し訳ないですが……」


 セオドール様が私をまっすぐ見て〝聞きたいことはこの事であっているか?〟と視線で尋ねてきた。

 私は大きく頷く。するとセオドール様は小さくため息をついて答えた。


「その件に関しては、あなたの心が定まらないと始まりませんね。じゃないとその悩みをずっと悩み続けることになりますよ」

「心……ですか」

 

 心。それを定めるのが難しいから相談したいのだ。

 断るべきだ。でも断りたくない。

 やはり断るべきだろうかと尋ねようとすると、セオドール様が先に話し始めた。

 

「まぁ、年長者からの助言を与えるならば、まずはそのままの気持ちをお伝えなさい――― というところでしょうか。悩んでいることについても全部、とりあえず話し合ったら良いんですよ。それが一番お互いにとって良いと思いますよ」

 

 迷っている気持ちも全部伝えろと?

 そんなことを伝えたら、迷惑ではないのか?

 こういった話は、白黒はっきりつけた答えじゃないといけないんじゃないのか?

 悩んでいると、セオドール様がため息まじりに紅茶のカップを持ち上げた。

 

「まぁ、ルチアーノ公の夜会が済むまでは、悩んでも良いでしょう。返答をするならば、夜会後が望ましいですしね……。落とし所が良いとは限らないでしょうから」

 

 そう言って、セオドール様は紅茶を一口飲んでからおもむろに紅茶のポットを取り上げた。

 

「そのお茶、冷めてしまったでしょう。考え事をするのならば、温かいものをお飲みなさい。さぁ、ほら、どうぞ」

 

 予備に置いてあった空のカップに、なみなみと紅茶を注いで差し出される。

 赤みを帯びた濃い色の紅が、揺れてきらきらと光った。

 

「私が残りのケーキを食べてひと心地つくまでの間は、存分に悩んで相談もどうぞ。その代わり、帰ったらその辛気臭い顔は少しは控えてくださいね」

 

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