副官サマと夏至祭6
飲食店から出ると、外は夜の空が広がり始めていた。
街灯や露店に明かりがちらほらと点いて、夜祭りの雰囲気がそこかしこに見える。
私は夜祭りの景色と雰囲気がとても好きだ。祭りの日は子供でも大人に混じって遅い時間まで外に居て遊んでいられる。子供の時に感じたそんなわくわく感が、夜祭りを見ると今でも胸に蘇るからだ。
「せっかくですから、露店を見て回りましょう」
ルカ様が露店の集まる西橋の広場に向けて歩き始めたので、私もそれに従って続いた。
ルカ様は歩きながら果実水の瓶蓋を器用に開け、瓶を口元に持っていく。どうやら歩きながら飲むようだ。
「ストローをもらってきましょうか?」
飲む前にそう尋ねてみたが、ルカ様は「いいえ」と言って直接口をつけ、二口味わうように飲みこんでから、「美味しいですね」と瓶の中の琥珀色の液体をじっくりと眺めた。
露店の明かりを受けて瓶の中でキラキラ光るリンゴの果実水は、水と同じくらいサラサラして見える。きっと手間をかけて絞り出し、何度もこしたのだろう。
「あ。あそこの店は面白そうですね」
果実水をもう一口飲もうとしたルカ様が、すぐ近くに見えてきた露店の一つにどんどん歩いて行った。私ははぐれないように足早に着いて行く。着いた先の露店には、古い地図が何枚も飾ってあった。
「あぁやっぱり、昔の地図ですね。こっちには北の大陸のもある……」
言いながら食い入るように地図を眺めるルカ様は、口元が緩んでいてとても楽しそうに見える。
私も真似して地図を眺めてみた。
地図は見たところ印刷ではなく、紙に直接書かれた物で、痛み具合から見てもかなり古いことがわかる。そういえば、ルカ様のお部屋の壁にも、何枚か古い地図が貼られていた。もしかしたら地図がお好きなのかもしれない。
私はどういったところが面白いのかとしばらく観察してみたが、あまり面白さは分からなかった。面白くないと思うとつい、他には何かないのだろうかと、両隣の露店も含めて違う物を探してしまう。
右側の露店を見ると、そこには天球儀のような物が大中小と並べられていて、男女の魔導師が手をかざしていた。
何をしているのだろうとじっと見ていると、手がかざされた天球儀がくるくると回り始め、幾重にも重なった輪がそれぞれ意図された方向へと動いていった。
どうやら魔力を流すことによって動く仕組みになっているようだ。これは魔力を持たない私が買っても面白くはなさそうだ。そう思い、左隣の露店に視線を移す。
左隣の露店は魔法薬のお店のようで、色々な形の小瓶が並んでいて興味を惹かれた。
どんな魔法薬が置いてあるのだろうと近くに寄って見てみると、ルカ様がそれに気づいて近くに歩いてきた。そうすると、魔法薬の露店主がわずかに頭をあげて声をかけてくる。
「こんにちは、旦那さんお嬢さん。ゆっくり見ていってね」
占い師みたいなゆったりとしたフード付きのローブをまとった店主は、どうやら女性のようだ。フードの中は影になっていて顔は良く見えないが、覗いている口元は形が良く、艶やかな紅が引かれている。
「レティシアは魔法薬に興味があるんですか?」
小瓶を眺める私に、ルカ様が尋ねた。
「あ、はい。少しだけ。お祭りの時に売っている魔法薬は面白いものがあるので……。ここにもあるかなと」
子供の時から魔法薬の露店を見ては、遊びに使えそうな薬を買っていた。
石鹸の泡が増えるとか、シャボン玉が大きくなるとか、そういったちょっと気分が上がるような物を良く集めた。そうルカ様に話すと、意外そうに「へぇ」と声をあげた。
「面白い魔法薬が好きとは――― あ、じゃあこれなんてどうです? これ、子供の時に良く作って遊びましたよ」
ルカ様が小瓶の中から一つを取り上げて、懐かしそうに目を細めた。
小瓶の中には不透明な橙色の液体が入っていて、瓶の傾きでゆるゆると形を変えている。少しとろみがついている液体のようだ。
「この魔法薬は外気に触れてしばらくすると、液体から輝く粉になるんです。寝ている弟と妹の足にこっそり塗って驚かせるのが楽しかったなぁ」
くすくすと思い出し笑いをするルカ様に、まさかルカ様がそんな悪戯をしたことがあるのかと私は驚いた。ルカ様の子供時代はもっと落ち着いた、子供らしからぬ感じだとばかり思っていた。
「あの、その悪戯、怒られませんでしか?」
「そりゃあもちろん怒られましたよ。知らずに起きて歩き回った二人が、二階から一階の絨毯を金色の足跡だらけにしたんですからね。その原因の僕が怒られないはずはないですよ。あぁ、それはもう両親から大目玉を……」
ハハハと力無く笑って大目玉の先の言葉を消したルカ様に、どう怒られたのかと尋ねてみたが、言いたくなさそうに口ごもって瓶を元に戻してしまった。どうやら言うには恥ずかしい怒られ方をしたようだ。
私はルカ様が戻した瓶を眺めながら店主に尋ねた。
「この魔法薬は何色に光るんですか?」
「赤だよ。だから夜じゃないとあまり目立たないんだ。金とか青とか、昼間でも目立つのは人気でね、二日目には完売さ。今はそれしかないよ」
店主の答えを聞いてから私は少しだけ考えて、ポケットからお財布を取り出した。
「買うんですか?」
「はい。面白そうなので」
値段も高くなくお手頃だったので購入すると、店主が瓶と一緒に骨の書いてある小さな紙を二枚くれた。
「あの、これは?」
「その券ね、最終日だけ配ってる骨つき肉の引換券なのよ。三口もあれば食べ切れちゃうくらいのお肉だけど、そこの橋の横で貰えるから良かったら食べな。せっかくリンゴの果実水も持ってるんだしねぇ」
そう店主に言われて、ルカ様と私はお互い顔を見合わせて首を傾げた。
その様子を見た店主はケラケラと笑いながら言う。
「えぇ? ジンクスやってるんじゃないの? 腕輪に花飾りにリンゴまでそろってるからてっきり」
そう言われて私は、そういえばジンクスの七つの行程にそんな物があった気がすると記憶をだとった。しかし、私が記憶をたどっている間にルカ様の方が先に思い出したらしく、急に赤面して私を見つめて声をあげた。
「あ、だから腕輪!」
雑貨店で私が花のあしらわれた腕輪を贈られることに戸惑った理由に、ようやく合点がいったようだ。
ルカ様は声を上げた後、私をじっと見つめたまま何やら考えこんでしまった。
ガヤガヤと近くの人たちの話し声が耳にまとまって響く。
水色の瞳が私をとらえて離さない。
何とももどかしい間が生まれた。
見つめられているせいか心臓がまた早く鳴り始めて、胸の奥がキュンと締め付けられた。
「その……、だいぶ前から言おうと思っていたのですが」
沈黙を破って話し始めたルカ様は、緊張しているのか一度そこで言葉を切って、小さく息をついてから先を続けた。
「僕……僕は、あなたのことが好きです。その……なので、できればずっと側に居て欲しいと思っているのですが、どうでしょうか? その、あなたの気持ちも聞きたくて……あ、でも! 返事は今じゃなくて! か、考えてからで良いので!」
ぶんぶんと両手を胸の前で振るルカ様に、私は心の中で首を傾げた。
私もルカ様のことはお慕いしているし、今後もお側でお仕えしてくつもりでいるのだが、どうして突然そんなことを言い始めたのだろう? 辞めるつもりがあるなどと、どうして思ったのだろう?
真っ直ぐな水色の瞳を見返して考えてみる。
最近メイドという仕事から逸脱するような内容が多かったからか?
視察のお供とか剣の稽古とか——— いいや、それよりもしかして、図書館でのことが一番の原因か?
そう思い当たった私の顔が、熱が出た時のようにカッと熱くなった。
交わしている視線に急に恥ずかしさを覚え、キュンとしていた胸がドクリと跳ねた。
あれ、これってもしかして? と、期待に満ちた想いが頭を出す。
ルカ様のところで働くのを辞める——— とかじゃ、なくて?
尋ね返そうとルカ様を見ると、ルカ様はもう話題が終わったと思っているみたいで西橋横に視線を向けていた。
「えっと、じゃあ……お肉を、もらいに行きましょうか?」
そうじゃなくて! と尋ねようとするが、「ゴホン!」とわざとらしい大きな咳払いが聞こえて、慌てて咳払いが飛んできた方へ顔を向ける。
咳払いの主は露店の店主で、その唇はわずかばかり引きつっている。それを見た私は、ここが露店のまん前だということを思い出し、紡ごうとしていた言葉をぐっと飲み込んだ。
こんな往来で、さっきのは告白だったのか? なんて尋ねられない。
私はお肉をもらいに歩き始めたルカ様の後に小走りに続いてうつむいた。
とにかく一度落ち着こうと、顔の火照りに果実水の瓶を頬に当てる。
温いはずの瓶が冷たく感じる。
「お? お兄さんたちも肉か? いやぁ悪いな、今ちょうど切れたところなんだ。新しいのができるまで何曲か踊ってきてくれるか?」
うつむいたままの私の代わりにルカ様がお肉をもらいに行ったようで、そんな話し声が聞こえてきた。
視線を上げてみると、係りのお兄さんが空のトレイを見せて申し訳なさそうにルカ様を見ている。
ルカ様が係りのお兄さんに空いた果実水の瓶を渡し、私に振り返った。
「残念でしたね。えっと……じゃあ、言われたとおり、踊って待ちましょうか? 僕、あんまり踊りは上手くないので楽しいか分かりませんが」
照れ臭そうに言ったルカ様が、私に左手を差し出した。
その手に普段している滑らかな白い手袋はない。
私は差し出された手を見下ろして、頬からリンゴの瓶を離す。
さきほどの露店で、きっとルカ様は夏至祭のジンクスについて全部思い出したはずだ。
夏至祭最後の夜、柱の周りで踊っているのはほとんどが恋人同士。ここで踊る恋人たちはみんな、末長く結ばれるためのジンクスを実行している最中だ。
もし、ジンクスの七行程全てを実行したら、本当に末長く結ばれるのだろうか?
もし、ルカ様とやったら私は——— そんな淡い期待が胸に湧いて、私はリンゴの瓶をポケットに無理やりねじ込んで、差し出された手に右手を乗せた。
「靴が当たっても許してくださいね」
ルカ様はそう言って、乗せた私の手を軽く握って夏至祭の柱の方へと引っ張った。
繋いだ手から伝わってくる体温がすごく気持ち良い。
好き——— と、そんな単純な気持ちが温もりから生まれて心に転がった。
『僕は、あなたが好きです』
さっきの言葉はやっぱり告白だったんじゃないかと、淡い期待を持つ自分が胸の奥で言った。
すぐ目の前でときおり足元を見ながら踊るルカ様を見ると、胸の奥がキュンキュンと締め付けられる。
もし、もしも、ルカ様がジョシュみたいに身近な存在なら、きっと私は告白を二つ返事で受けてしまうだろう。そうして、流行りの恋愛小説に書いてあるみたいな甘い関係になって、二人で色々なことをして、未来を作っていくのだ。
けど、そんなことは所詮想像だ。
〝もし・もしも〟に続く言葉が現実になることはない。そんな浮かれた未来は絶対に訪れることはない――― と、頭の奥で冷静な自分がすぐさま釘を刺した。
もしあれが告白でも、ルカ様と私はどうにもなれない。なれるわけがない。それをわかっているでしょう?
冷静な私に尋ねられ、胸が重くなった。
身分も違うし背負っている使命の大きさも全然違う。いくら好きでも、楽しいと思う時があっても、それは決して長く続くようなものではない。
国を支える高官の伴侶には、政治的なやりとりに長けた人が絶対に良い。そうして身分だって、せめて大きな商家の娘くらいないとダメだと思う。そうしてそのどちらも、私が努力したところで到底なれることはない。
私にできるのは、使用人の立場からお支えするくらいだ。
サラサラと揺れるルカ様の前髪。その奥の水色の瞳から目が離せない。
今まで遠いだけの存在だったルカ様に雇われたことで縮んだ距離。知らなかった一面を、日々の生活の中でたくさん知ってしまった。
国を支える素晴らしい人だと憧れていただけだったのに、いつの間にか別の意味で惹かれていた。
私はルカ様が好きなのだろう。
繋いだ手の熱から産まれ続ける二文字の言葉が、胸に溜まっていく。
今だけならと、頭の中の冷静な私が呟いた。
そう、せめて今だけは、楽しくても良いんじゃないか……?
夏至祭が終わるまでの数時間。そうしたら今まで通りの主人と使用人に戻る。告白だったとしても、受けなければ良い。私さえ、その気にならなければ良いのだ。
けれどそんな考えとは裏腹に、繋がった手と交わした瞳からは互いの想いが通じているような気がしてしまう。
軽やかな夏至祭の旋律に、心が揺れる。
伝えてはいけない想いと答えを胸に、私は奏者が休憩に入るまでの四曲を、ルカ様と踊り続けた。




