副官サマと夏至祭2
中央広場の赤屋根の建物といえば、城下に住まう者の大半は冒険者ギルドを想像する。目立つ建物は待ち合わせの目印になるし、何より付近で長いことうろうろしていても誰にも文句を言われない。
今日は夏至祭の三日目。レティシアとの待ち合わせのためにギルドの建物前までやって来たが、僕は着いて早々後悔し始めいていた。
人が多くてどうにも落ち着かない。
それが理由だ。
レティシアとの約束の時間まではあと十五分ほどだが、もう少し遅く着くようすれば良かったと心底思っている。
広場の賑わいは普段の数倍はあるだろうか。正直に言うと、僕は昔からこういった祭事の賑わいが非常に苦手だ。きっとレティシアとの約束がなかったら、夏至祭中は静かな自室に引きこもって、本でも読んでいたことだろう。
僕は賑わう広場から足元へと視線を外らし、ため息をついた。すると、ふいに視界の端を鮮やかな赤色が掠めて見え思わず目が追った。
追った先に見えたのは、三人の若者が駆けていく後ろ姿だ。そうして、僕の目が追った赤は、彼らの衣装の一部だった。
鮮やかな赤い布を引き立てるように合わせられた黒い布地。それには草花柄の刺繍が施されている。
人混みの中でも良く目立つこの衣装は、この地域の伝統的な民族衣装だ。
こうした衣装を夏至祭では身につける者は非常に多く、どの地区に行っても見つけることができる。
駆けていく若者たちは手にチラシを持っているから、何かの催し物のために身につけているのかもしれない。けど、たとえ仕事だとしても、彼らの顔には眩しいくらいの笑顔が輝いていて、とても楽しそうに見えた。
僕は彼らの笑顔に釣られて、少しだけ気分が浮上し、再び賑わう広場へと視線を向けた。
遠くに見える夏至祭の柱から、軽快な音楽が響いてくる。
どうやら夏至祭の踊りが始まったようだ。
行き交う人々もそれに気づいて、視線を柱へと向けている。
「おっと失礼!」
すぐ近くで音楽に気を取られ、互いに衝突した人が居た。
お互い苦笑して頭を下げて別れて行ったが、片方はどうやら他国の人間のようだ。
身につけている物からすると、ヘクセンからの旅行者だろうか。
『ヘクセンは南と手を組んでいるという噂があるが?』
昨日の会食で聞いた不穏な発言が、旅行者と重なって思い起こされた。
不穏な疑問を口にしたのは、ここよりも西にある小国の大臣だった。この大臣は以前から明け透けのない人物だと有名だったから、おそらくその質問に表裏はなかったのだろう。だが、会食中に出す話題ではなかった。
南という単語が指すのは、南の帝国アルスウォルト。その名すら、あの場で出すのが良くないというのに、まったく困ったものだ。
アルスウォルトとこの帝国は、過去に何度も大きな戦をしており、僕が幼少の頃も国境を揺るがすような戦があった。その後は向こうが代替わりをしたせいもあるのか、現在まで大きな戦は起こっていない。しかし、虎視眈々と機会を伺っているのは明白だ。
現に、最近では国境付近で小さな小競り合いが度々あると報告を受けている。
アルスウォルトは昔から力に固執している帝国だ。そのため諦めることや同盟を結ぼうなどという気はほぼないだろう。
ヘクセンは、そんなアルスウォルトとの国境に近い小国で、我々の属国ではなく同盟国であり、とても繊細な関係を保ち続けている。
そんな国へ、『南と手を組んでいる噂があるが?』なんて質問を真っ向からぶつけるなんて、肝が冷えるどころの騒ぎではない。
さすがのアレス皇子も、この質問には眉を寄せて無言で持っていたワイングラスをテーブルへ戻していた。
もちろん、もしヘクセンが裏切るようなことがあっても対処できるとは思う。
アルスウォルの動きに対して警戒は抜かりないし、国境の守りも固めている。ヘクセンでなくとも、万が一どこかの小国が裏切る、または落とされるようなことがあったとしても、押し返せるだけの自信はある。
しかしだ、我が帝国は戴冠式前。祝い事の前に南の帝国とのいざこざなんて、触れて欲しくはない。
非公式の会食だったが、その悪い流れのまま進んだ会話は、この後の公式での仕事に大変支障をきたすであろう物になってしまった。
あぁ、なんだってあんな質問をしてくれたんだろうかあの大臣は……。
明日訪問予定のヘクセン国王に、この件が伝わらないことを祈っているが、おそらく伝わるだろうな……。
だんだんと重くなっていく胃に手のひらをはわせると、名前を呼ばれた気がした。
僕は俯き加減になっていた顔を上げて辺りを見渡した。
「ルカ様!」
西区からの大通り、人混みをすり抜けるように、レティシアがこちらに向かって走ってくるのが見えた。
恥ずかしそうに片手を上げて、周りの人の目を気にしているレティシアは、どうやら私服みたいだ。まぁ、実家に帰っているのだから、お仕着せを着ているわけはないか……それにしても、なんだ。膝丈のスカートに膝下までの靴下というのは、なんだか新鮮だな。途中に覗いている膝が素肌というのがなんとも眩しい。
妙に気分が上がってきたぞ。
「お待たせしてしまいましたか?」
目と鼻の先まで来て立ち止まったレティシアは、弾んだ息を整えながら僕に尋ねた。
僕は「いいえ」と首を振りながら、彼女の首の後ろにチラチラと見えているリボンを目で追いかけた。
髪を普段よりも下めに結っているようで、よく見ると三つ編みになっている。
お洒落をしてきてくれたのだろうかと考えたら、胸がドキドキしてきた。
「あの、ルカ様?」
観察していると、レティシアが不思議そうに首を傾げた。
なんとく気恥ずかしくなって、僕は広場へ向けて一歩勢いよく踏み出し、歩きは始めた。
「では、さっさと行きましょうか」
* * *
僕らがまず訪れたのは、イリア様ご指定の服屋だった。
服屋は東区の中程にあり、外観は高級感のある落ち着いた作りだったが、店内に入るとそれは一変した。
まるで虹の中にでも迷い込んだのではないかと思うほど、店内には様々な色が満ちていた。その中でも一番目を引いたのは、入り口カウンター上に飾られた、〝色彩の踊り〟と書かれた看板だ。
普通は外に飾る物なんじゃないかと思うが、その鮮やかさから察するに、景観を損なう云々と言われたのかも知れない。
「あらあら〜! よく来たわねぇ〜! ささっ、こっちよ〜!」
看板を眺めていると、奥から裁縫師が現れた。この間イリア様が連れていた裁縫師だ。
前回会った時は寡黙な印象だったが、こちらが本性か? ずいぶんと明るい口調と態度だな。
僕は腕を引かれて奥へと連れていかれるレティシアの後に続いて歩く。
「さ、マントを脱いでちょうだい!」
奥に着くと、カーテンで間仕切りされた部屋に通され、僕は椅子を勧められた。
大柄な人間が座っても余裕がある一人がけのソファは、細かな刺繍の施された高級の布地が貼られていてとても座り心地が良かった。
「あらぁ、このマント、魔法付き?」
レティシアのマントを受け取った裁縫師が、珍しそうに広げて眺めた。
そういえば、レティシアは外に行く時はいつもこのマントだな。そう思って尋ねてみる。
「いつもそのマントですよね?」
「はい。宮廷での仕事が決まった時に、一着は良い物を持っていたほうが良いと、母がくれた物でございます」
禁名の母からの贈り物か。付与魔法付きとは興味があるな。
僕は裁縫師からマントを受け取り、観察してみることにした。
「じゃ、私たちは試着ね!」
マントを脱いだレティシアは、裁縫師にカーテン裏で着替えてくるようにとお仕着せとエプロンを渡された。レティシアが助けて欲しそうにこちらを見てきたが、それを着ないと服屋での用事は終わらない。だから助けることはできない。
従うようにと頷く僕に、レティシアは肩を落としておずおずとカーテン裏に消えて行った。
残された僕は、手元のマントに視線を落とし、両手で軽くつまんで広げてみた。
布地は付与魔法をかけやすいとされる物が使われているが、僕の知るそれよりも厚い作りをしていた。きっと何かこだわりがあってそうしたのだろうが、理由は良くわからない。
かけられている付与魔法は、簡単な雨除けと寒暖を和らげる魔法で、良く使用されているものだった。身近で言えば、宮廷のお仕着せなんかにも付与されている。あとは、防護魔法もかけらているみたいだが、こちらはちょっとやりすぎなんじゃないかと思ってしまった。
かけられている防護魔法は上級魔法の一種で、命を狙われやすい貴族たちが良く使う、一度だけ危険から身を守ってくれるという代物だ。下町の娘の衣服にかけるようなものじゃあない。そうだな、かけるのならばもっと単純な、例えば防御力を上げるとか、硬化系のやつとかで良かったんじゃないかと思う。
西区がそんな危険に見舞われるくらい治安が悪い――― なんてことは、今では絶対にないと思う。もしそんなことが頻繁にあるようなら、僕は自分の仕事に自信がなくなりそうだ。
暗い思考になり始めて、僕は首を横に振って気を取り直してマントを裏返してみた。
裏地は肌触りの良い布が使われていて、その布からも魔法の気配を感じた。
布自体に魔法がかかっているのではないようで、どこに魔法の元があるのかと生地を隅々まで観察して探す。そうしていると、おそらく首元だろうか、そこに一つ、魔法陣を見つけた。
光の当て具合でチラチラと浮いて見える程度だが、左前と右側の肋くらいの位置にもそれがあった。
印刷された物ではなく手書きのようで、何か特別な液体を使ったのだと思うが、匂いもないしどういった物が使われたのかはわからない。
ただ魔法陣の役割だけは明瞭だ。
付与魔法をより効果的にする物で、表布にかけられた魔法にそれぞれ対応するようになっている。
今ここで分析できるのはそれくらいだろうか。
僕は一息ついてからしわになったところを丁寧に伸ばし、表に返して綺麗に畳んでサイドテーブルへと置いた。
マントの観察を終えてしまった僕は、ソファの上でぼーっと目の前の光景を見るしかなくなった。
カーテンの奥では裁縫師がレティシアのお仕着せに細かな調整をしているところらしく、ときおり「動かないで! 刺さるわよ!」と悲鳴に近い声が聞こえてくる。
そういえば、どんな物を試着していたのか良く覚えていないな。
この前はアレス皇子やイリア様が居たし、図書室の一件で気まずかったし……良く見ていなかった。
そう考えていると、折よく裁縫師がカーテンを開けてレティシアを前に軽く突いた。
「さ、これでどうかしらね! ご主人様にも見てもらいましょう!」
裁縫師に押されて二・三歩前によろけるレティシアの頬は赤い。
もしかして、恥ずかしいのだろうか?
僕はよろけて立ち止まったレティシアを、爪先から頭のてっぺんまでじっくりと眺めた。
ちょっとした手直しということだったが、裾も短くなって軽そうだし、袖もスッキリして見えるし、これはなかなか良いんじゃないか?
僕の視線が気になるのか、レティシアがさらに顔を赤くしたが、僕は構わず観察を続けた。
エプロンの装飾は前よりこっちの方がレティシアには似合っている気がする。こう、前は垂れ気味だったフリルが、上向きになっていて元気そうに見えるのが良い。あと、頭につけるやつだ。なんて言うのかは知らないが、頭上にチラチラ見えるレースの飾りが非常に良い感じだ。ふわふわしていて可愛い。
今までは確か髪を包んでいるようなものだったか? あれも悪くはないが、この結った髪の根元に巻く型の物の方がやはり良いな。
「ねぇ、ところであなた、靴は何足持ってるの?」
じっくりとレティシアを観察していると、裁縫師がふとレティシアの足元を見て眉をしかめた。
「え? えぇと……二足、でございますが?」
赤面したまま疑問まじりに答えるレティシアに、裁縫師は「あぁ〜やっぱりねぇ!」と言って額に手の甲を当てて演技がましくレティシアを見下ろした。
「仕事と私事とは分けて履くべきだわ。あなたまだ若いんだから!」
「は、はぁ……」
絶対購入する気がないとわかる返答がレティシアから出ると、裁縫師から急に視線が飛んできた。
〝ご主人様、買ってあげるのよ!〟
その視線がそう言っているのだとなぜだかわかってしまい、どうしようか悩んだが、あまりの視線の圧についつい頷いてしまった。
僕の承諾に満足したのか、裁縫師はレティシアに視線を戻し、きついところや気になるところはないかと改めて尋ねた。
レティシアは特に問題ないとのことだったので、試着は無事に終わることとなった。
カーテンを引き直し、レティシアが裏で着替えを始める。
「まだどこか行くんでしょう?」
裁縫師が僕に尋ねてきたので、次に行く予定の雑貨屋の名前を出した。
「あら! なら割引券持ってく? 夏至祭期間限定で、この辺りのお店で使えるのよ」
「……いただけるのでしたら」
雑貨屋といえば聞こえがいいが、取り扱っているのは武器防具と魔法具だ。そこで割引券を使うというのはいささか変な気もするが、まぁいいか。
完成品は宮廷まで届けてくれるとのことだったので、僕らは割引券をもらってから、すぐ近くにある雑貨店へと場所を移すことにした。