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副官サマの日記帳  作者: 茅嶋ときわ
19/50

副官サマと夏至祭1

 穏やかな午前の日差しを受けて、中央広場に飾られた草花(くさばな)が美しく輝いている。

 夏至祭用に用意されたこの草花飾(くさばなかざ)りは、ほとんどが生花でできていて、すべてこの地域で育てられた物だ。

 一年のうちにこの時期でしか、こんな彩り鮮やかな草花を見ることはできないので、ついつい目が行ってしまう。

 

「レティシア! よそ見は厳禁ですよ!」

 

 前を行くセオドール様からお叱りが飛んできて、私は窓の外から慌てて視線を室内へと戻した。

 私は今、ルカ様の式典用のマントを運んでいる最中(さいちゅう)だ。

 本来ならばすでに着用していないといけないのだが、支度の途中で留め具が外れてしまい、今まで直していたのだ。

 

「もうすぐ始まってしまいますよ!」

 

 ほらほら! と前方から急かされながら、急足(いそぎあし)でバルコニー前で待機しているルカ様のところまで歩く。

 どんなに急いでいても、規則上走るのは厳禁だ。

 

「あぁ良かった。間に合いましたか」

 

 マントを持ってきた私とセオドール様を交互に見て、ルカ様が安堵のため息をついた。

 

「えぇえぇ、さぁさ! ルカ様、羽織って下さいませね!」


 ルカ様の言葉を受け流すように頷きながら、セオドール様が私の手からマントを持ち上げて丁寧に広げる。

 白く少し厚みのある滑らかな布地が、床に向かって柔らかなしわを作った。

 この白のマントは、ルカ様が公的な式典でよく着用される物で、宮廷魔導師長が身につけるそれに似せて作られていてる。だから一見したら、副官というよりも、高位の魔導師といった印象が強い。

 ルカ様は宮廷魔導師長も兼任されいるから、もしかしたらわざとその様にされているのかもしれない。

 ちなみにマントの下の服と靴も、それに合わせて白で統一されていて、普段よりもかなり豪華な服装になっている。特に、白の衣服に施されている金の刺繍は見事なもので、繊細な気品を醸し出していてルカ様にとてもよくお似合いだ。

 それにしても、なぜ急に留め具が外れたのだろうか?

 私はルカ様の胸元にある留め具をじっと見つめる。

 金属と丈夫な布とで作られた留め具は、昨夜セオドール様と一緒に確かめた時にはほつれもなく、不具合などはなかった。

 もしかして、運んだ時にどこかに引っ掛けたとか?

 留め具について考えていると、急に部屋に緊張感が満ちて自ずと扉に視線が向いた。

 

「陛下がいらした」

 

 扉付近に居たルーイ様が、扉を見てボソリとつぶやくように言った。

 気づけば、この部屋にいるほとんどの人間が扉を向いていた。

 

「皇帝陛下、ご到着!」

 

 外に立つ扉係が、皇帝陛下の到着を声高らかに伝え、両開きの扉が同時に開いて皇帝陛下が現れた。

 部屋に満ちていた緊張感が一気に凝縮され、場の空気がピンと張り詰める。

 全員が姿勢を正してバルコニーへ向かって歩む皇帝陛下に注目している。

 無言で歩いているだけなのに、圧倒するような気迫を受けて思わず身震いが走った。

 身長高く体格の良い皇帝陛下は、若い時は剣の達人としてその名を轟かせていたと言う。金の髪と眼光の鋭さから、金獅子なんて異名があったとか。

 きっと対峙した者の中には、気迫だけで負けた気になってしまった者も多かったことだろう。

 皇帝陛下が歩むのを見て、式典参加者が各々準備のために位置につき始めた。

 私はセオドール様や他の侍従たちと共に壁際まで下がり、邪魔にならないようにじっと息を潜める。それでもやはり、皇帝陛下が気になって、横目で陛下の背中を盗み見るように姿を追った。

 皇帝陛下の背を守るようにある赤と黒のマントが、優雅に波打っている。

 毛皮と光沢の布とで作られているこのマントは、代々の皇帝に受け継がれている物で、襟元や裾に金糸で帝国の伝統的な模様が刺繍されている。

 皇帝陛下が窓際に近づくたびに、日の光を受けて金糸がキラキラと(きら)めいてとても綺麗だ。


「今年も助かる。ありがとう司教殿」


 バルコニーの前まで歩まれた皇帝陛下が、窓横に立っていた司教にそう声をかけると、司教はにっこりと笑って深く頭を下げた。それを受けて、陛下の傍らで副官が丁寧に頭を下げて返した。

 夏至祭の始まりを告げる式典は、毎年この正教会の大礼拝堂を借りて行われる。窓辺に立っている司教は、この礼拝堂の管理者なのだろう。

 正教会はどの国の祭事にも参加しないという決まりがあるから、好意で場所を貸しているだけのはずだ。

 この中央広場で民衆から距離を取れて、なおかつ向こうからも姿を目視できる場所は、ここくらいしかない。簡単にいえば、おあつらえ向きのバルコニーがあるからなのだが、寄付金なしで無償で貸してもらえるのは帝国にとってはありがたいことだろう。

 窓辺からバルコニーに出て行った皇帝陛下を、民衆が盛大な歓声で迎えるのが聞こえてきた。

 その歓声に、去年までは私もあの広場から遠目でこの光景を見ていたのだなぁと、胸に感慨深さが広がった。まさかこんな近くで拝見できる日が来ようとは、広場から見ていた時の自分は思ってもいなかっただろう。

 歓声が高まるにつれ、感動で目頭に涙が込み上げてきた。

 隣に立つセオドール様が怪訝な顔で私を見下ろしてきたが、気付かぬふりをして皇帝陛下の背中をじっと見つめ続けた。

 皇帝陛下は民衆に短い挨拶と祝辞を述べると、すぐに背後に控えているアレス皇子を手招いた。


「アレス、来なさい」


 今年は秋に戴冠式を控えているため、アレス皇子からの祝辞が追加されたのだそうだ。

 私は目頭の涙を中指で軽く拭いながら、皇帝陛下の横に歩いていくアレス皇子の姿を眺めた。

 衣装は地味な色で刺繍も少なく、あまり普段の物と変わらないように見えるが、着けている金属製の装飾はとても王族らしい煌びやかな物だ。良く見ると、装飾の所々にアストラル帝国の紋章が施されているので、受け継がれているものなのかもしれない。


「アレス皇子〜!」

「皇子頑張って〜!」

「お・う・じぃ〜!」

 

 皇帝陛下の真横にアレス皇子が並んだとたん、皇帝陛下への歓声とはまた違った声色の歓声が一斉に上がった。その歓声は、皇子と民との距離感の近さを感じさせてくれた。

 今までそんなこと、感じたこともなかったのに、聞く場所が違うだけで受け取り方が変わるのだなと不思議に思った。

 アレス皇子が片手を上げると歓声がスッと(しず)まり、広場に優しい静寂が訪れた。

 

「みな夏至祭が楽しみだろうから、挨拶は手短にするよ。今年の夏至祭は期間中、天候に恵まれるそうだから、みな安心して楽しめるだろう。それに、工事中の箇所も粗方は安全策は施したからね。悪さをしない限りは問題ないだろう。もちろんしないよね? そんなことしたら僕が楽しめなくなっちゃうからね?」

 

 語尾を戯けさせたアレス皇子に笑い声が上がる。

 アレス皇子はそんな笑い声を聞きつつ、両腕を広げて見せた。それを合図に両側から副官であるルカ様とルーイ様が姿を現す。

 なんだか妙にドキドキしてしまうのは、なぜだろう。

 

「夏至祭五日間の流れは昨年と変わらないけど、安全のための注意事項はちょっぴり増えたんだ。私の片腕たちからわかりやすく伝えてもらうよ」

 

 本来は皇帝の副官が述べるこれを、今年ルカ様たちが行うのは、やはり戴冠式を控えているからだろう。多分、民へのお披露目の一環なのだと思う。もしかしたら、戴冠式まで順調に進んでいるという安心感も与えたいのかもしれない。

 バルコニーの右後方に立つ皇帝陛下の傍らで、皇帝の副官が心配そうな面持ちでルカ様たちを見ているのが見えて、失礼だとは思うがちょっぴり面白いと思った。

 名前はど忘れしてしまったが、皇帝陛下の副官は心配性で有名だ。その心配は親心からなのだろうが、その表情を見るからに、きっと今、気が気じゃないのだろう。

 

「では、まず僕から簡単に夏至祭の流れを——— 」

 

 アレス皇子に目配せされて、ルカ様が夏至祭期間中の流れについて話し始めた。

 私の位置からではルカ様の後ろ姿しか見えず、私はなんとかして表情が見えないかと、周りに悟られないように少しだけ体を斜めにして角度を探る。

 だって、すごく見たい。

 きっと、今日のルカ様は正面から見たらとても格好いいと思うのだ。

 普段下ろしたままの前髪はきちっと後方に撫でつけられていてキリッとしているし、式典時のみ着けるサークレットもお顔に映えてより聡明さを際立たせている。

 準備している時から、公務時のお姿を想像していたのに、なのに! 拝見できる距離が近い弊害が、こんなところにあろうとは!

 皇帝陛下やアレス皇子は横顔を垣間見ることができたが、ルカ様に至っては全くといって良いほど見えない。

 ルカ様のサークレットから垂れる帯状の薄布が、微風で揺れているくらいしか目視できない。

 何度か頑張って角度を調整してみたが、どう足掻いても無理なようで、私は諦めてルカ様の肩越しに見える広場を眺めることにした。

 広場に目を向けて自然と目に行くのは、草花飾りの向こう側に立つ夏至祭の柱だ。

 おそらくこの中央広場の柱が五地区の柱の中で一番豪華なんだと思う。

 美しく編まれた花飾りに混じって飾られた帯が、遠目に見ても高価な物だとわかる。

 柱を眺めていると、ルカ様からルーイ様へと交代し、注意事項が読まれ始めた。

 ルーイ様のお顔はほんの少しだけ見ることができた。

 いつにも増して厳しい顔つきをしているのは、緊張しているからだろうか。

 ルカ様が言うには、ルーイ様はいつもヘラヘラしているそうだ。けど、私がお会いした限りのルーイ様は、今のように厳しいお顔だったため、ルカ様の言うヘラヘラしているというのがうまく掴めないでいる。

 ルーイ様の注意事項も問題なく進み終わりに差し掛かってくると、祭り独特の雰囲気が広場に立ち込め始めた。

 これが終わればいよいよ夏至祭が始まると、誰もがわかっているからだろう。

 私も自然と夏至祭への期待が高まってきた。


「では、我が民も他国からの旅行者も、夏至祭を存分に楽しまれるように!」

 

 ルーイ様が最後にそう声高く言うと、歓声と拍手が鳴り響いて広場がいっそう騒がしくなった。きっとそれぞれ、これからの予定について話して盛り上がっているのだろう。そんな広場の様子を見下ろし、皇帝陛下とアレス皇子が何やら話をしているのが見えたが、バルコニーからルカ様が戻って来たので視線をルカ様へと急いで移した。

 

「さて、次は北区でしたか?」

「左様でございます。北区で行われる寄付金集めですね」

 

 ルカ様の質問に答えたセオドール様は、ルカ様に予定の書かれた紙を差し出した。

 開会式が終わってもルカ様たちは休まずにそのまま次の公務へ向かう。

 アレス皇子は皇帝陛下とともに、ルカ様とルーイ様は手分けをして、五地区のいずれかで行われる催し物に顔を出すのが毎年の恒例だそうだ。

 私はセオドール様とお世話係としてルカ様について回り、分刻みに役目をこなすルカ様を補助するのだが、私にとってこれは初めてのことで、まったく勝手がわからずに、始終セオドール様に指示されたことをするのみとなってしまった。それどころか、途中でルカ様に何度か助けられてしまい、到底補助しているなんて気にはなれなかった。

 来年があるなら是非とも役に立たなかった自分を払拭(ふっしょく)したいところだ。

 だって、気づいたらルカ様のお部屋に戻ってきていて、ようやく公務が終わっていてたことを悟ったなんて、使用人としては最悪じゃないか?


「では、さっさと後片付けをしましょうかね」


 戻ってすぐ、休みもしないでセオドール様が指示出しを始めたので、私はまたそれに従うことになった。

 ルカ様の明日のお出かけの準備をし、今日の衣装にブラシをかけて、それから普段通りの雑事を済ませ、自室に戻れたのは夜中の三時を回った頃だった。

 剣の稽古よりも遥かに疲れ、両足がひどくだるい。

 居間で今日のことを振り返って談笑していたルカ様とセオドール様は、さほど疲れていない様子だったが、あれは慣れているからだろうか。私はもう、立っているのもやっとだというのに……。

 私は残りの力を振り絞り、なんとかお仕着せを脱いで夜着への着替えもほどほどに、ぐったりとベッドへ倒れ込んだ。そうして翌朝まで、一度も目覚めることなく深い眠りについた。

 

 

 

 夏至祭の二日目は、まだ前日の疲れを引きずる私とは真逆に、ルカ様は元気よくお出かけになられた。

 今日はアレス皇子との公務の後に、他国の要人たちと会食をするのだと言っていた。口ぶりからするに、会食は非公式のものなのだろう。どの国とは限定していなかったから、色々な国の方とお会いするのかも知れない。

 セオドール様と私は普段通りの仕事をしながら、ルカ様のお戻りを部屋で待った。ただ、私に限っては、空いた時間に帰省の準備をさせていただいたのだが、荷物が少ないので十数分とかからなかった。

 夜、十時半を回った頃、予定よりも遅く戻られたルカ様は、朝とは打って変わって酷くお疲れのご様子だった。その上、今までで見た中で一番イライラしていらっしゃった。

 普段なら帰ってきたら「戻りました」と挨拶があるのに、今日は無言で険しい顔のまま、着ていた外套を投げつけるようにセオドール様に渡し、大股で自室まで歩いて行ってしまった。

 私はびっくりしながらセオドール様の顔を見上げた。

 セオドール様は慣れているご様子で、軽く肩を上げて見せて、「少し冷ましたお茶を持ってきて下さい」と私に言ってから、ルカ様の後を追って行った。

 私は言われた通り、台所でお茶を入れて少し冷ましてから居間へと運ぶ。そうすると、ルカ様の部屋から「セオドール、お茶だ!」と少し荒ぶった声が聞こえてきて、私は慌てて居間のテーブルに置きかけていたトレイを持ち上げ直し、ルカ様の部屋まで持っていた。

 

「あの……お茶を……」

 

 荒ぶったルカ様の声に動揺していたのか、この日に限ってノックをせずに声をかけてしまった。声をかけた時にそのことに気づいて、バツが悪くなって立ち止まる。

 そんな私に気づいたルカ様も、なんだかバツの悪そうな顔をして私から視線を逸らせた。

 

「あぁご苦労様レティシア。さ、ルカ様お茶ですよ」

 

 セオドール様が気まずい空間を取りなすようにトレイごと受け取り、ルカ様にそのまま差し出した。

 ルカ様はトレイからカップを取り上げて二口ほどごくごくと飲み込むと、一度大きくため息をついてから私に顔ごと視線を向けて尋ねた。

 

「帰る準備はできていますか?」

 

 私は姿勢を正して二度早く頷いた。

 ルカ様はお茶をもう一口飲み込み、セオドール様に尋ねる。

 

「セオドール、もう他に彼女の仕事はないのか?」

「えぇ、ございませんよ。ルカ様が許可を下されば、もう帰しても構いません」

「なら、馬車を」

 

 馬車なんて! と断ろうとするが、その前にルカ様の言葉に(さえぎ)られてしまった。

 

「今日の大通りは大混雑です。正教会裏の馬車道(ばしゃみち)を行かないと、帰りは真夜中ですよ」

 

 外であったことを思い出しのか、またイライラし始めたルカ様に、私は馬車を断る勇気を完全にくじかれて黙り込んだ。それを見てか、セオドール様が両手を軽くパンと鳴らし、少し明るい口調で提案した。

 

「おやおや、それならば早く出たほうが良いでしょうかね? 夜遊びの貴族様たちで馬車道まで混雑したら大変でしょうし」

 

 セオドール様の提案に、ルカ様は相槌(あいづち)を打って、「では馬車まで送って行って下さい」と、机の上に置いてあった丸い下げ札をセオドール様に差し出した。

 

「それを持っていけば優先して馬車を出してくれます。明日会った時に返してもらいますので、無くさないように」

 

 セオドール様経由で手渡された下げ札は、手のひらに簡単に収まってしまう大きさだった。どこかに紛れたら本当に無くしてしまいそうだ。気をつけなければいけない。

 

「じゃあ、さっさと行きましょうか」

 

 私は部屋まで戻ってエプロンだけを脱ぎ、お仕着せの上から外套を羽織って用意していた肩かけ鞄を下げ廊下へ出る。

 廊下に出ると、セオドール様が普段王族以外の城の人間——— 貴族・大臣や政務官が使う馬車置き場へと案内してくれた。

 初めて訪れた場所に、ソワソワしてしまう。

 周りを見渡すと、残っている馬車はまばらだった。

 夏至祭だから外に行っている人間が多いのだろう。

 セオドール様に言われ、私は係員に下げ札を見せる。そうすると、すぐに馬車を用意してくれた。

 

「馬車が残っていて良かったですね」

 

 馬車のドアを開けながら、セオドール様がにこりと笑った。

 私はドアを開けられるなんてことが滅多になかったので、なんだか照れ臭くてうつむき加減で頷きながら乗り込んだ。

 荷物やドレスの裾が挟まっていないかを確認したセオドール様が、扉を閉める寸前で小声で囁いてくる。

 

「ルカ様ですが、人間ですからああいったこともありますので。許して差し上げて下さいね」

 

 ああいったこととは、イラついた態度のことだろうか?

 初めてのことで驚きはしたが、悪態なんて兄の方が酷いし、ルカ様のなんて慣れてしまえば全然可愛いと思う。

 私はセオドール様に頷いて、「気にしていません」と言葉を返した。その返しに、セオドール様は安心したようにまたにっこりと笑って、

 

「良い休暇を」

 

と、御者に馬車を出すように合図を送った。

 発車の揺れはほとんどなく、ゆっくりと馬車が動き出し、馬の蹄と車輪の音が軽快に響き始めた。

 馬車は一度も止まることなく正教会裏の馬車道を進み、西区の境を越えて、その道が大通りにぶつかるまで走り続けた。

 車中でぼんやりと窓の外を眺めていると、ふと、昨日お手伝いした公務のことが頭に過った。

 当日は疲れだけしか感じなかったが、改めて思い出すと、公務をするルカ様はお忍びの時の姿とも全然違い、貴族然としたところをたくさん垣間見せてくれた。

 様々な階級のどんな人間に何を言われても、怯むことなく自然に接し受け流す姿。凛として隙のない、それでいて優雅な立ち居振る舞いは、貴族の中で生活してきたからこそ培われた物だ。

 私とルカ様とでは、住む世界が全然違う。そんな考えが自然と生まれた。

 世間で良く言われる、庶民と貴族を隔てる壁という物を感じているのかもしれない。

 最近、ルカ様とはとても距離が近い気がしていたが、やはりそれは間違いなのだ。

 大通りと交わる手前までくると、馬車が静かに止まった。

 私は足元に気をつけて馬車から降り、御者にお礼を言ってから良く知る帰路を歩む。

 一歩二歩と、実家に近くなるにつれて無性に懐かしさが込み上げてきた。


 ほんの一月前にも来ているのに、なぜだろう。


 煌びやかな城にずっといるせいで、素朴な感じが恋しくなったのだろうか?

 考えながら歩いていくと、すぐ目と鼻の先にパン屋の看板が見えてきた。

 表口から明かりがもれているので、まだ父は店にいるようだ。

 私は小走り店まで行って、半開きになっているドアをそっと開けながら、店内に向けて言った。

  

「ただいま父さん」

 

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