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副官サマの日記帳  作者: 茅嶋ときわ
18/50

副官サマとメイドと皇子とお姫様 後編

 アレス皇子とイリア様を見送ってしばらくすると、セオドール様が戻っていらして居間でグラスを片している私を見て眉を寄せた。

 セオドール様が言うには、イリア様から来訪を告げられてはいたが、要件までは聞いていなかったそうだ。何があったのかと尋ねるセオドール様に、私はイリア様からお仕着せについてのご提案があり、裁縫師と侍女を連れていらしたのだと簡単に説明した。しかしその説明では足りなかったようで、セオドール様はさらに眉根を寄せて詳細を求めた。

 私はグラスを片す手を止めて、お仕着せの形を宮廷と差別化して欲しいこと、剣を振るうために動くのに快適な裾の長さにしたらどうかなど、先ほどあったことを順を追って説明した。

 

「はぁ、そんなことが。あなたも災難でしたね」

 

 セオドール様は、心底労っているような顔つきで私にそう言ったが、本来すでに終わっているはずの午前の掃除や片付けがまだ終わっていないことに気づくと「さっさと済ませてしまいなさい」と急かすように指示を出した。

 

「今日は私、夕方からフレデリカ家の別邸に呼ばれておりまして、夜まで戻れないのです。夕方からの給仕は全てあなたにやってもらわないといけません」

 

 そういえば、今朝方そんなことを聞いた気がする。私は頷いて手早くグラスを片しに台所へ行くった。

 ルカ様はセオドール様がお戻りなる少し前に執務室へと出かけて行って、帰りは夕方の早い時間だと言っていた。なら、それまでにルカ様の部屋の掃除と居間の掃除、今日やろうとしていた窓の手入れをして、夕食の支度をしなければならない。料理自体はセオドール様がなさるだろうが、お出かけの時間を聞くに、盛り付けやテーブルセッティングは私がやることになるだろう。だからそれについての手順を伺う時間も必要だ。

 

「レティシア、窓は予定通りにやって欲しいですが、バルコニーは晴れた日で良いですよ」

 

 居間へ向かう途中、セオドール様が執務机越しに言った。

 私は「わかりました」と頷いて、まずはルカ様の部屋へと向かう。

 リネン類は午前中のうちに取り替えたので、家具についた埃を落とし、床掃除をして脱衣所・浴室に向かう。ルカ様の部屋は物が少なく、机周りは触らぬ決まりなので、そんなに手間はかからない。脱衣所もそうだ。さっと全てを拭くだけで綺麗になってしまう。きっと、普段からルカ様が簡単に拭いてるんだろうと思う。

 あとは浴室の掃除だが、これは他よりは時間がかかるし滑りやすいから大変だ。

 私は脱衣所でブーツとストッキングを脱いで、ドレスの裾とエプロンをたくし上げてエプロンの紐に挟み込み、浴室用のデッキブラシを持って中へと入った。

 ひんやりとした石の感触が、足の裏に気持ちよく広がる。

 石の床に置かれている手桶に水を汲み、一気に床へと流してブラシで端から端までを磨いていく。

 ゴシゴシと少しずつ進みながら磨いていくこの作業はけっこう好きだが、腰にくる。特に、剣の稽古が響いている今の私の体にはきつい。

 筋肉痛を忘れようと半分ほど無心で磨いていると、ふとルカ様の顔が頭に浮かんだ。

 先ほど部屋を出ていく時、とても暗い顔をしていた。

 イリア様たちがいらしている時にはそんな表情はしていなかったはずだし、その前もそうだ。

 帰り際、アレス皇子に何か渡されたように見えたが、それが原因だろうか?

 もしかしたら何か難しい仕事をもらったのかもしれない。

 ゴシゴシ——— と、考えながらも手は休めず、デッキブラシから浴槽用のスポンジに持ち替え中もきっちり磨いて冷水で流す。

 これで居間以外は一通りの掃除が終わった。

 私は脱いであったストッキングとブーツを手早く身につけ、たくし上げたスカートとエプロンをしっかり元に戻し、脱衣所から居間までをゆっくり歩きながらやり残しがないかを確認した。

 特にやり残しはないようだったのでそのまま居間まで戻ると、窓際に木製のバケツと雑巾、拭き上げ専用の布が置かれていた。きっとセオドール様が用意したのだろう。

 先に居間の掃除をしようと思っていたが、外の雲行きを見るからに窓からやった方が良さそうだ。

 空に広がる重たい灰色の雲は、これから雨足が強くなること教えてくれている。

 私は腕まくりをして窓に寄り、雑巾を絞って一枚ずつ丁寧に拭いていく。

 拭き上げている途中で、窓ガラスに映った自分の姿にふと、図書室でのことを思い出しかけた。私は振り払うようにキュキュッと、映り込んだ姿に雑巾を擦り付ける。

 悪いことをして隠しているような、そんな緊張がみぞおちを刺激する。

 私はわざと唾を音を立てて飲み込み、刺激してくる原因を忘れようと必死で窓を磨く。

 集中していたおかげか、全ての窓掃除が予定よりも早く終わり、残るは居間の掃除だけになった。

 普段通り棚やテーブル、ソファーの埃を落として床のちりを片付ける。そうこうしていると、ガタガタ と窓が大きく鳴った。

 どうやら強い風が出てきたようだ。

 窓掃除の道具を戻すために使用人部屋へと戻ると、台所でセオードル様が夕食の支度を始めていた。しゃりしゃりと野菜の皮を剥く音が聞こえてくる。

 私は足早に掃除用具を片付け、手を洗ってセオドール様の横に並んで手伝いを始める。

 材料からするに、今日の夕食は牛肉のシチューみたいだ。

 夕食の手伝いをしていると、あっという間に夕方になって、セオドール様が忙しそうに出かけて行った。

 

「あぁ、今から出かけるのか?」

「えぇ、行ってまいります」

 

 セオドール様が部屋を出てすぐ、外でそんな話し声が聞こえてきた。

 声からするに、相手はルカ様だ。

 私は閉めようとしていた廊下側の扉をそのままに、ルカ様が戻ってくるのを待った。

 ルカ様はボソボソとセオドール様と二言三言交わすと、扉を潜って部屋へ戻ってきた。

 

「お帰りなさいませ」

「ただいま」

 

 声の調子は普段通りだったが、その表情は午後に出て行った時の暗い表情だった。

 もしやどこか体調でも悪いのか? とも思ったが、顔色自体は良く、夕食もすぐに食べるとのことで、食欲もあり体調を崩したわけではなさそうだ。

 私はルカ様が部屋着に着替えている間に準備を進めた。

 十分もしないうちにルカ様は居間に戻ってきて着席し、自ら水をグラスに注いでごくごくと飲み干した。どうやらだいぶ喉が渇いていたようだ。

 私は普段セオドール様がする通りに、ルカ様の前に食事を並べ始める。

 

「レティシアは?」

 

 テーブルに並べられた料理を見て、ルカ様にそう尋ねられたが、今日はまだやることがあるから後から食べるのだと答えた。

 ルカ様は「そうですか」と特に疑いもせずに頷いて、牛肉のシチューを食べ始めた。

 私はシチューを食べるルカ様の姿を横見しながら、みぞおちに残る罪悪感めいた緊張感をなんとか押しやろうと浅く呼吸を繰り返した。

 本当は、夕食は二人で食べろとセオドール様に言われたのだが、どうにも図書館でのことが頭から離れず、食事を一緒にする気になれなかった。

 罪悪感とか後悔とか、気恥ずかしさとか切ない気持ちとか、色々な気持ちがごちゃごちゃに絡んでどうしようもなくもどかしい。掃除とか、集中できることがあればその間は忘れられるのに、それがなければ複雑な気持ちの行き場がなくなる。

 こんな状態で二人で食事をしろなんて、無理な話だ。表情こそこっそり観察しているが、恥ずかしいというか、顔を見ると動揺してしまいまともに見られない。そのせいもあって、今日の夕食はとても静かだ。

 ルカ様からも特に会話はなく、部屋の中には外の風の音に食器の小さな音が響くだけだ。

 お喋りのセオドール様が居れば、きっともっと会話が弾んで楽しい夕食になっただろうに。

 私は今日は居て欲しかったなぁと、内心でため息をついた。

 すべてを綺麗に食べ終えたルカ様に夕食後のお茶を入れると、ルカ様がぽつぽつと顔を上げずに話始めた。

 

「夏至祭の日ですが——— 」

 

 夏至祭。そういえばもうあと少しで夏至祭か。もしかしたら、表情が暗いのは夏至祭までの対応がお忙しくてお疲れなのか? いや、図書室ではそんな風に見えなかったし、違うか……いや、でも——— 。

 

「レティシア、聞いていますか?」

「え? はい。夏至祭の……」

 

 後半のほとんどを聞いていなかった私は、その先の言葉を見つけられなくてルカ様に「申し訳ございません」と頭を下げた。

 ルカ様は小さくため息をついてから、もう一度同じ話を話し始めた。

 

「夏至祭の日ですが、五日間のうち二日間は僕は公務で出かけます。なので、あなたにお休みをあげられるのは三日目からになるのですが、どうですか?」

「お休み、でございますか?」

 

 思ってもいなかった休みの提案に驚いてしまった。

 そういえば、宮廷の時にも夏至祭の日は申請を出せば一日〜二日程度の休暇があった。そうか、休みがもらえるのか。

 これはとても嬉しい。

 

「セオドールとも相談したのですが、もし二日目の公務が早く終わったら、夜に帰省してもらっても構いません。西区の安全なところまで馬車で送りましょう」

「あ、馬車は、そんな……。夏至祭で夜も人が多いでしょうし、深夜でなければ歩いて帰っても問題ないかと……」

「そうですか? まぁ、それについてはその日の状況を見ることにしましょう。では、二日目の夜か三日目の朝に帰省ということで良いですか?」


 頷くと、ルカ様は上着の内ポケットから手帳を取り出して、携帯用の付けペンで何やら記し始めた。その手の中の手帳に見覚えがあるのは、ルカ様の日記帳と良く似ているからだろうか。大きさこそ違うが、赤い表紙のそれと同じような装丁をしている。

 

「それでですね、三日目と五日目なのですが、僕の用事に付き合ってもらいたくてですね……三日目は昼から夕方くらいで、五日目は夕方から夜にかけてなのですが、どうですか?」

 

 夏至祭をお忍びで視察するということだろうか? 前の城下視察の時のように、民に紛れたいと? それならば、断る理由はない。

 私はこくりと頷いた。するとルカ様は、少し表情に明るさを取り戻し、「そうですか、良かった」と手帳にまた何かを記した。

 

「では待ち合わせですが、三日目は中央広場の赤旗亭の前でお願いします」

 

 赤旗亭とは、確か冒険者ギルドの西域支部があるところだったか。赤い屋根の目立つ建物だった気がするが、自信がない。念のためルカ様に確認すると、「そうです」と頷いた。

 

「それで五日目はですね、その……西橋の、あの料理店の前でどうでしょう?」

「……石を無くした店の?」

「えぇ、お互いわかりやすいところが良いかと思いまして」

「わかりました」

 

 また西区へ(おもむ)くということは、きっと何か気になることでもあるのだろう。

 西橋に夏至祭の柱を立てた時、あの時の魔導師たちの疲弊の仕方は尋常ではなかった。魔力を持たない私にはわからないが、きっとあの石が原因なのだろう。そういえば、配下に調査させると言っていたから、もしかしたら何か進展があったのかもしれない。

 

「そうそう、三日目で言い忘れたのですが、その日はちょっと脱ぎやすい服装を着てきてもらえますか?」

「ぬ? はい?」

 

 思わず聞き返すと、ルカ様は少し頬を赤らめて慌てて空いた手を横に振った。

 

「そ、そういうのではなく! 午前にイリア様が裁縫師を連れてきていたでしょう? あの人の店に服を取りに行くんですよ。それで、確認のために試着させたいからと……」

 

 あぁ、なんだ。そういうことか。

 安心して胸に手を当てると、ルカ様も誤解が解けたと思ったのか、安堵するような小さな息をついた。

 

「あとは、ちょっと装備品も整えようかと思っています」

 

 紅茶を飲みながら続けて言ったルカ様に、私は尋ね返した。

 

「装備品……でございますか?」

「そうですよ。あなたの、装備品ですね」

 

 私の、を強調して言ったルカ様は、カップをソーサーに戻して私の顔を見上げた。

 

「稽古の時はここの備品でいいでしょうが、実際はそうはいかないでしょう? ご実家に扱い慣れている剣などがあれば、それでも良いですが……宮廷のそのお仕着せに、剣を下げては歩けないでしょう? その格好でも装備できるように、隠しナイフとか色々、そろえるには良い機会かと思ったんです」

 

 そう言われれば、確かにそのことについて考えなければいけないか。

 剣の稽古は万が一の時にルカ様を守るための、要は護衛訓練だ。しかし、いくら許されているからと宮廷でメイドが剣をぶら下げて歩いているのはどうにもおかしい。ルカ様が言うように、隠しナイフとかそういった装備は必要だろう。でも、質素倹約ではなかったか? 必要だとはお思うが、私の装備品に投資して良いのだろうか?

 

「あの、剣は、多分まだ実家にあるかと思いますので……。他の装備ももしかしたら……。一度実家にあるものを調べてからでもよろしいですか?」

 

 そう尋ねると、ルカ様は頷いたが、私が望んだ返答はくれなかった。

 

「では、使えるものがあったら当日それも持ってきてください」

「え?」

「実際全部装備してみた方がわかりやすいでしょう? 僕も見ておきたいですしね」


 休暇中に使える装備品を調べ、値段や云々(うんぬん)、父に助言を求めようかと思ったのだが、ルカ様はどううやら夏至祭の三日目に全てそろえてしまいたいらしい。

 支払いはどこから出るのか聞きたいが、妙に機嫌の良くなったルカ様を見ていると言い出せない。

 私はルカ様のカップに二杯目の紅茶を注ぎながら、横目でルカ様をもう一度見る。

 赤い手帳にまだ何かを記入していて、瞳が文字を追って動いている。

 暗かった表情は午前に近いくらい明るさを取り戻し、どこか楽しそうだ。

 私はポットをテーブルに置いて小さくため息をついて、楽しそうなルカ様を見ながら心に誓う。

 買い物の際にあまり散財させないように努めなければと。

 

「今日は夜通し雨でしょうね」

 

 二杯目の紅茶を飲むためにカップを持ち上げたルカ様が、窓ガラスに吹き付けられる雨粒を眺めながら言った。赤い手帳はいつの間にかしまわれている。

 私は窓ガラスに流れ落ちる雨粒を目で追いながら、今年の夏至祭は無事に終えることができるのだろうかとぼんやりと思った。

 

気づいたら10万文字超えていました(*´ω`*)

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