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副官サマの日記帳  作者: 茅嶋ときわ
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副官サマとメイドの噂 後編

 日が高くなり、温かみの増した日差しが窓から廊下に差しこんで、今朝の寒さなんて嘘みたいに心地良い。僕はそんな日が差す廊下の右端を、足取り軽やかに歩いている。

 両腕の中に大きな洗濯籠があるのも全然気にならない。

 普段の僕なら、〝なんで僕が忘れ物を運ばないといけないんだ?〟なんて愚痴を呟いていそうだが、今はまったくそんな愚痴は浮かばない。

 図書室でレティシアが忘れていった籠だからかもしれない。

 僕はその籠の中の、リネンの一番上にある本三冊をチラリと見る。そうすると、当然のことのように僕の口元はだらしなく緩んだ。

 口元が緩んですぐに頭に思い浮かぶのは、口づけた瞬間のことだ。

 図書室の窓辺でレティシアと寄せ合った唇の、柔らかく暖かな感触はまだはっきりと思い出せる。

レティシアを雇ってから、何度か想像しては余計な煩悩だと頭の隅へと追いやっていたその行為を、僕はさっきしたのだ。

 あぁ、なんだったら目をつぶらなくても鮮明にあの情景を思い出せるぞ。

 

「あ、ルカ様」

 

 階段付近まで歩くと、間の抜けた呼びかけが左側からかかった。

 僕は緩みっぱなしの口元をそのままに、声の方へと視線を向ける。視線の先に居たのは、短髪に鋭い目つきの少し日焼けした男だ。よく見知ったこの男は、僕が数年前から雇っている配下で、名前をナギという。

 ナギは両手をポケットに突っ込んだまま僕の方へ小走りにやってきて、僕の中の籠を一瞥(いちべつ)して言った。

 

「なんです? 珍しくニヤニヤしちゃって。良いことでもあったんですかぁ?」

 

 緊張感の一切感じない言い方で言ったナギは、ゆっくりと首を右に傾けながら僕の表情をじっくり観察し始めた。

 僕はニヤニヤのおさまらない口元で「まぁそうですね」と答えを返し、ナギの服装をチラリと見た。

 今日は宮廷に居るからか、普段よりもしっかりした格好をしている。きっと調査でもしていたのだろう。

 

「え〜! 良いことあったって、何があったんです? 聞かせてくださいよ!」

 

 僕の返答に食いついてくるナギは、ルーイのどこかイヤらしい聞き方とは違い、子供のような純粋な問いかけ方で尋ねてきた。僕は、まぁナギになら良いだろうと、図書館での出来事をかいつまんで話した。

 図書館で(くだん)のメイドと良い雰囲気になったんだ——— と。件のメイドで通じるのは、レティシアについての調査のほとんどをナギに任せているからだ。

 ナギは僕の話を聞くと、鋭い目を楕円に近づけて驚いた顔をしてわずかに上へと伸びて見せた。

 

「へぇ! そりゃあ大前進ですねぇ! ルカ様!」

 

 ナギの言葉に僕は「うんうん」と強めに二度頷いた。

 レティシアは真面目すぎて、きっと甘い展開にはなかなか進展しないだろうとさっきまで思っていた。だから、図書室での出来事は驚きの大前進だった。

 僕は前々からレティシアに興味を持っていたが、実際の彼女を良くは知らなかったし、自分の気持ちに自信がなかったから、彼女を雇ってからさっきまでは、お互い知っていく時間が必要だろうと長期戦の構えでいた。それに、出会い方にもけっこう問題があったし、まだ怯えるかもしれないと、どこかで思っていたというのもある……。

 しかし! 突然の機会はさっき訪れたわけだ!

 

「まぁそのお顔から察するからに? チューくらいはしちゃったんですよねぇ?」

 

 僕のニヤニヤが移ったのか、ナギの口元もニヤついている。

 僕はナギの質問に、図書館でのことを思い出しながら「ふふふ」と思わず笑い声を上げた。そうして、今度はもう少し詳細にナギに話して聞かせた。すると、だんだんとナギの顔が真顔になっていって、終いには当惑したように右手を軽く額に当てて、「え……? え?」と、聞き間違いかと何度も聞き返してきた。

 僕は首を傾げて、何かおかしなところがあっただろうかと、途中で話を終わらせた。

 

「えっと。図書室で本探してて、良い雰囲気になってチューしたってことですよね?」

 

 言葉を止めた僕に、ナギが確認するように僕の言ったことを噛み砕いて尋ね返してきた。僕はその質問に「そうですよ?」答える。答えを受けたナギは「ウゥン」と小さく唸って、一度僕から視線を床へ落とし、しばらく考え込んでからもう一度顔を上げて尋ねてきた。

 

「ルカ様、彼女に告白しました?」


 告白? 

 告白ってなんだ?

 

「いやね、だから、相手に()()って言いました?」


 疑問が顔に出ていたのか、ナギが問い直した。

 僕はわずかに首を傾けて、どうだったかなと考えて答える。

 

「そういえば、言ってないですね」

「あぁ〜、やっぱりぃ〜……」

 

 ナギは手のひらで目を覆い、〝ちょっと待ってくれ〟と僕にもう片方の手のひらを向けて沈黙した。

 チチチ と窓の外に小鳥が二羽横切り、廊下に鳥の影が横切ると、廊下に静寂が訪れた。

 窓からの暖かな日差しに集中できるほど静かだ。


「いやぁ、やっぱありえないわ!」

 

 がばっ と、長い沈黙ののち、ナギが止めていた息を吐き出すかのように少し大きな声で言って僕を見た。

 まるでどうしようもない子供を見るかのような視線が僕に向かってくる。

 

「何がありえないんです? というか、今の話に問題がありました?」

 

 僕にはナギがそんな態度になる理由がまったくわからない。

 好きって言っていないといけないのか? それなら後で言えば良くはないか?

 口づけは受け入れられたわけだから、レティシアだって満更じゃないってことだろう? そもそも()()()魔法で無理やりしたわけじゃないんだ。レティシアの腕なら嫌なら逃げられただろう。

 

「ナギはレティシアの腕について知っているでしょう? 僕は魔法で無理やりしたわけじゃないんですよ? 嫌なら抵抗できたわけですし……」

 

 思ったことをナギに伝えるが、ナギの顔は相変わらず渋いままだ。

 

「えーとですね……ちょっと唇が触れただけ的な? こう、軽く触れ合って、あ! すみません! 的なチュー?」


 僕とレティシアの演技を交えながら尋ね返してきたナギに、僕は首を横に振って答える。

  

「まぁ最初は軽く。でもなんか気づいたら割とガッツリとしてましたね」

「舌突っ込んだってことですかっ⁉︎」

 

 若干食い気味に、叫ぶように言ったと同時に、ナギは目をまんまるに見開いて口をあんぐりと開けて固まった。僕は眉を寄せて首を傾げるしかない。

 どうしてそんな反応をされるのかまったくわからない。

 

「やばい。そりゃあヤバイですわ!」


 ナギが動くことを思い出したかのように言葉の後半で僕の方へと身を乗り出してきた。その気迫に僕は思わず二、三歩退く。

 

「告白しないでガッツリ口づけして、嫌なら抵抗できたわけだから同意の上! 同じ想い! ってことでしょ? って完結してるルカ様、あんたの頭だめだよ! ダメ!」

「どうしてです?」

「どうしてですって………」

 

 ナギはこれでもかと言うほど長い「ハァァァ」というため息を吐き出して、両手を自分の腰の横に当てた。

 

「ルカ様、例えばですよ、ルカ様のことが好きな女が居るとしましょう? その女がですね、人気のない場所で、二人きりになったからと言って口付けてきたら、どう思います?」

 

 僕はしばし考えて、「人にもよる」と答えた。そうすると、ナギはまたため息をついて、違う質問をしてきた。

 

「そもそもですね、順序がおかしいって気づいてます?」

「順序? 好きって伝えてから口付けないといけないってことですか?」

「そうですよ……」

「事後承諾ではダメだと?」

「そりゃありえないでしょ!」 


 すごい形相で大きな声で言われた僕は、周囲を伺った。あまり人が通らない場所とはいえ、大きな声は廊下に響きやすい。

 

「ルカ様の考え方は一昔前の貴族サマみたいですよ? 使用人をテゴメにしといて、事後に〝抵抗しなかったから互いの了承済みってことだ〟とか〝責任は取るからいいだろう?〟とか。ねぇ? それってそうじゃないでしょ? わかりますかルカ様。恋愛っすよ! れ・ん・あ・い‼︎ あっ! というか、もしかして、もうすでに、あのメイドについて調べてくれってオレに言ってきた時、ルカ様そんなようなことしたんじゃあ?」

 

 そこまで言われて、僕はようやくことの重大さに気づき始めた。

 僕の顔色を読んだのか、ナギが声の調子を落として言った。

 

「もう……なんですか、その下半身で生きてる的なの……ドン引きですよ。ありえない……」

 

 その表現はやめてもらいたいが、否定しきれないのは自分がよくわかっている。

 要するに、魔法を使っていなかったとはいえ、あの夜と同じようなことをしたってことだろう?

 

「ルカ様、あと一つ言っておきますけど、どんなに強い女騎士でも、抵抗できない時があるんですよ? 特にあの彼女はかなり真面目だし、いくら強いからって雇い主に迫られて、流されたというか、抵抗できなかったってこともあるでしょう? わぁ、もしそうならすごく可愛そう……」

「そ、そんなことはないと思いますよ!」

 

 口付けた時は何というか、こう、同じ想いを抱いているんだと感じたし、お互い自然に惹かれ合うって感じだったし……………。そう感じたのは絶対に間違いじゃないはずだ。自信がある!

 

「あ、じゃあオレまだ調査があるんで。ルカ様ぁ、早めにメイドはなんとかした方がいいですぜ〜」


 ナギは唐突に言い出して、いそいそと階段まで駆け、そのまま降りて行ってしまった。

 え? 言うだけ言って、行ってしまうのか? これから僕にどうしろって言うんだ?

 今からどうすれば良いのか尋ねようとしていた僕は、喉まで出てきた質問のやり場に困って口を軽く開いた。

 ヒュウ と、喉奥からため息に似た声にならない音が出ていく。

 まず、謝った方がいいよな?

 籠に視線を落として、僕はとぼとぼと歩き始めた。そうして、歩きながらナギに言われたことを思い返す。

 思い返すたびに、だんだんと〝同じ想いだったはず〟と言う自信が揺らいでくる。

 やっぱり僕の思い違いか? 

 そう思いたかったからという、思い込みかもしれない……?

 自信が揺らいで不安に変わり、僕はため息をついて籠の中のリネンをじっと見つめた。

 あぁそうか、不安にならないために、告白が必要なのか。

 最初に確認しておけば、後から今みたいに悩む必要がないものな。

 僕は階段を上りきり、自分の部屋へと角を曲がりながらどうしようかと考える。

 いや、考えたって仕方がない。やることは決まっているだろう。

 よし、謝ってからちゃんと告白しよう。断られたらその時また考えればいい。

 考えがまとまると急に足取りが軽くなって、僕は残りの部屋までの距離をさっさと歩いた。そうして部屋まで戻ると、戸口にちょっとした渋滞が出来ているのを見つけた。

 型違いのお仕着せや、エプロンなどが吊ってある横に長い衣装掛けが数個、入り口の扉の前を塞いでいる。

 なんだ? と思いなが部屋の前まで来ると、衣装掛けの傍にそれを運んできたと思われる侍女二名に、縦に長い髭の男が無言で立っていた。男は肩から採寸用の測り紐を下げているから、おそらく裁縫師だ。

   

「あらルカ、ちょうどよかったわ」

 

 部屋の扉に近づこうと歩みを進めると、衣装掛けからひょこりとイリア様が顔を覗かせてきた。

 どうしてイリア様がここに? と思っていると、イリア様の後ろから、またひょっこりと顔を覗かせた人物がいた。だいたい見当はついていたが、アレス皇子だ。

 なんだかもう嫌な予感しかしないが、この二人がそろっていると言うことは、どう足掻いても追い返せないということだ。追い返す試みはしないでおこう。

 イリア様がさも約束していたかのような顔つきで僕に微笑みかけた。

 

「誰も居なくて困っていたところなの。ね、開けてくださらない?」


 どういったご要件で? と尋ねようとすると、廊下の反対側からレティシアが歩いて来るのが見えて、僕は言葉を詰まらせた。すると、そんな僕の様子を見て、イリア様とアレス皇子が振り返った。

 その場に居る全員の視線がレティシアに向かう。その視線に気づいてか、うつむき加減で歩いていたレティシアがはっと顔を上げて立ち止まった。

 顔を上げたレティシアは、まずアレス皇子に気付いたようで、慌てて頭を下げた。

 

「気にしないで頭上げて〜! ねぇ、ルカくん。早く入れてくれない? 僕、立ってるの疲れてきちゃった」

 

 僕は仕方ないかと部屋の扉を開けて、アレス皇子を中へと招く。

 

「あら? レティシアはまだ用事があるの?」

「あ、いえ……そう言うわけでは……」

 

 廊下からイリア様とレティシアのやりとりが聞こえ、僕はなんだか気まずい気分になってきた。

 おそらく、レティシアもそう思っているのだろう。きっと許可があればこの場から離れたいはずだ。しかし、どうやらイリア様はレティシアに用事があるようで、半ば強引にレティシアの腕を引いて部屋の中へと入ってきた。

 

「客間がいいわね。運んでちょうだい」

 

 イリア様が中へ入ったのを確認すると、男の裁縫師が呟くように言ってパンパンと手を鳴らした。それを合図に侍女たちが客間に向かって衣装掛けを運び始める。

 それを見たレティシアが、自分の仕事を思い出したようにイリア様に断りを入れてから腕から手を外し、先回りして扉を開けに行った。

 僕は客間に運び込まれる衣装掛けを目で追いながら、イリア様に尋ねた。

 

「今から、何をなさるのですか?」


誤字脱字報告ありがとうございます!

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