副官サマのメイドの腕前 後編
刺客に襲われた翌日から数えて三日後の正午。執務室にレティシアを連れたセオドールが顔を出した。その姿にいち早く反応を示したアレス皇子は、机の上に投げ出していた足を床へ戻しながら、唇の端をこれでもかと上げて言った。
「おやおや、執事とメイドがそろってまぁまぁまぁマァ!」
まるで獲物を捕らえたが如く目を大きく見開いたアレス皇子が、二人をじっと見つめてニヤついている。
僕はそんな皇子を横目でチラと見てから、手元の書類をまとめて引き出しにしまい、静かに立ち上がった。
「では、僕は休憩に」
「いやいや! ちょっと、それはオカシイデショ?」
首を横に振ってガタリとわざとらしく音を立てて立ち上がるアレス皇子に、レティシアが驚いて半歩下がった。しかし、アレス皇子はそんなことには気も止めず、セオドールとレティシアを順に指さした。
「お昼ピクニック! とかなワケないでしょ? 何するの? どっか行くの? どこ行くの⁉︎」
ねぇねぇねぇねぇ! と言わんばかりの顔つきで僕に詰め寄り、アレス皇子は僕とレティシアたちを交互に見る。
待ち合わせ場所を執務室にしたのはどうやら間違いだった様だ。
どうせアレス皇子は昼前にふらふら出て行ってしまうからと油断していた。今日に限ってアレス皇子がじっと昼まで仕事しているなんて、予想外だった。
僕は渋々アレス皇子に答える。
「僕が預かっている件で呼んだんです。アレス皇子が気に留める必要はありませんよ」
今のところは――― と、心の中で付け加える。
刺客に襲われたことについては、翌日早々にアレス皇子とルーイに報告をした。そうして僕は、しばらくは様子を見たいと提案し、二人はそれを受け入れた。
僕が内密に処理できるのならば、それが一番だと二人も思ったのだろう。
「むぅっ! 関係ないって酷いじゃない!」
いやいや、酷くないだろう?
受け入れたということは、二人は介入しないということだ。
僕は僕の返答に不貞腐れた顔をしたアレス皇子を見て、どうしようかと悩んだ。
腕を組んで、明らかな抗議の目を向けてくるアレス皇子の言いたいことはわかっている。
なんか面白そうだからついて行きたい。
純粋な好奇心といえば聞こえがいいが、この人の場合は〝巻き込まれるのは嫌なくせに、蚊帳の外も嫌〟という七面倒くさいやつだ。
アレス皇子はレティシアのことを疑っているようだし、同行させるのはあまりいい判断とは思えない。今以上に刺客とレティシアとを関連づける要素を増やすべきじゃないだろう。
しかし、僕は悩んだ末、歩き始めながらアレス皇子に言った。
「わかりました。良いですよ、ついてきて」
「えー………。なんだよ。ロペスじゃん」
意気揚々興奮気味にるんるんとついてきたアレス皇子は、目的地に到着早々肩を落としてつまらなそうに顔と声から色味を無くした。
正午の太陽が真上から降り注ぐ中庭。ここは限られた騎士の訓練施設がある場所だ。
「これは殿下! 昼休憩に稽古とは感心ですな!」
ハッハッ! と豪快に笑った見事な口髭の老騎士ロペスは、がっくりしているアレス皇子に大きく手を振った。
アレス皇子はロペスの言葉に鼻息を荒くして、止めていた足をどしどしと打ち付けるようにして再び歩き始め、少し大きな声でロペスに叫ぶ。
「休憩時間に稽古なんてするわけないじゃん! この僕が!」
「おや、そうでございますか? それは失礼いたしました」
アレス皇子のアホな発言にもハハハ! と世間話のように笑って受け流してくれるロペスは、僕とアレス皇子の幼い頃からの武術の指南役だ。とても信頼のおける人物で、滅多に訓練をしなくなった今でもなにかと頼りにしてしまう。
僕はアレス皇子とロペスの会話の隙を見て、ロペスに本題を進めたいと声をかけた。
「人ばらいはしてありますか?」
「えぇ、してありますよルカ様」
この訓練施設にはあまり人が来ないからする必要もないか思ったが、念には念を入れたほうが良い。
「あぁそうそう、先にお待ちになっておられますよ」
「?」
ロペスが思い出したように言って後ろを振り返り、二階のテラスの影が落ちているベンチに向かって手を上げた。
僕は首を傾げて影の中に目を凝らす。
お待ちになっているって、僕はここにいる人間以上は誘っていないぞ?
セオドールが誰か誘ったのかと目配せして尋ねてみるが、セオードルは首を横に振った。
「こんにちは、ルカ」
「イリア様……」
影の中から歩いてきて優雅に挨拶をしたのは、イリア様だった。
どうしてイリア様が?
そんな疑問を浮かべると、イリア様が両手を合わせて自身の口元にちょこんとつけ、クスクスと笑った。
「ちょっと前にレティシアに薬草取りを手伝ってもらってね、偶然今日のことを知ったのですよ」
「レティシアに聞いたのですか?」
「えぇ」
まさかレティシアからイリア様に情報が漏れるとは思っていなかった僕は、振り返ってセオドールの半歩後ろでどぎまぎしているレティシアを見た。
緊張以上の焦りと、僕とイリア様から視線を逸らし続けている様子を見るからに、〝つい〟とか〝うっかり〟で漏らしてしまったのだなとわかった。
「怒らないであげてねルカ。私はそういう話を聞いてしまいやすいのです。ね? 知っているでしょう?」
小首を傾げてにっこり笑ったイリア様に、レティシアに対して怒る気はないと告げた。
イリア様を前にすると、ついつい本音を漏らしてしまうのはよくあることだ。僕だって、気をつけていてもそういうことがある。
しかし、皇子と姫がそろってしまうとは、予想外もいいところだ。
ロペスの横にいるアレス皇子はイリア様を見てめちゃくちゃ手を振って無言で存在を主張している。
「それで? 何をするの?」
イリア様はというと、アレス皇子を無視して僕に尋ねてきた。
僕はちょっとアレス皇子が可哀想な気もしたが、アホなやり取りで時間を無駄にするのは嫌だったので、イリア様同様、皇子は無視をして話を進めることにした。
「レティシア、こっちに」
僕は緊張と動揺でいっぱいの顔つきのレティシアを手招いた。
レティシアは途中に何もない場所で突っかかりながら僕の近くにやってきて、イリア様とロペスに頭を下げた。
「少し古い物ですが、手入れはしてありますので、こちらからお好きな物をお選び下さい」
ロペスがレティシアに穏やかに言って、近くのベンチに置かれている長さと形の違う剣を手のひらで示した。
レティシアは躊躇いながらもじっと剣を眺め、一本の細身の剣を指さす。
「これですか?」
ロペスが剣を取り、レティシアに渡す。
メイドに剣。
何とも不思議な取り合わせだ。
「では、こちらで。お着替えは?」
「必要ない」
レティシアに代わって僕が答えると、ロペスと少し離れているところで見ていたアレス皇子の眉が中央に寄った。
「この格好でどれだけ動けるのか見たいんです」
お仕着せを見下ろしながら言うと、ロペスは納得して頷いたが、アレス皇子はできなかったようでベンチに近づいてきた。
「その子が戦うって聞いてない上に、その格好のままでやるってどう言うこと?」
腰に手を当てて僕に詰め寄るアレス皇子に、レティシアがベンチから数歩下がって頭を下げ、そのまま固まった。
今アレス皇子に色々と説明するのは面倒臭いし、時間がかかりそうだ。
僕はジロリとアレス皇子を見て言った。
「皇子がお相手して下さるんですか?」
そう言うと、アレス皇子は言葉を飲み込み視線を逸らした。
「まぁまぁ。この娘さんのお相手は、この老兵が用意してございますので。ね? 殿下はお座りなってご覧下さい」
「そーするよ!」
アレス皇子がロペスの言う通りにベンチに腰かけ足を組むと、ロペスは先ほどイリア様が居たあたりの影になっているベンチの方へとまた手を上げて、「頼むよ」と声をかけた。
暗がりになったところから歩いてきたのは、面付きの兜を被った軽装の兵士だ。体格的にはアレス皇子より少し良いくらいか。
「彼は私の教え子で騎士なのですが、最近まで怪我で療養しておりましてね。まだ前線に戻すのは無理ですが、この程度ならば良い相手になるでしょう」
「よろしくお願いいたします」
兜越しに聞こえた声はくぐもっていたが、まだ若い声音だ。
騎士はアレス皇子とイリア様、僕とセオードル、レティシアにも順に頭を下げ、中央の一番開けた場所へと移動して腰に下げていた直剣を抜き放った。その緊張感のある動作に、場の空気が一気に引き締まった。
「さ、準備ができているようなら、さっさと初めてしまいましょうか」
ロペスの言葉にレティシアがひどく動揺した顔で僕を見た。
そんな顔をされても、逃してやることはできない。
僕はロペスに目配せして、レティシアの背中を押させた。
中央へと背を押されたレティシアは、数歩よろけたがすぐに姿勢を立て直し、細身の剣を携えてとぼとぼと歩いていく。
中央の床の、長方形の線に囲まれた中に二人が収まると、ロペスが右手を上げた。
「一本取ればそこで終わりとする。特に禁止することはない。準備はいいか?」
中央の二人は互いに数歩の距離を保ち、見合っている。
騎士が、まだ構えていないレティシアに催促するように剣先を小さく横に振った。
レティシアは戸惑って一度僕の方を見たが、観念したように口元を引き締め、持っている剣を構えた。
「では、はじめ!」
ロペスの開始の掛け声とともに、騎士が地面を蹴ってレティシアとの間合いを詰めた。
ひらりと舞う長いスカートを剣が掠める。
剣を避けたレティシアは、躊躇うことなく騎士の脇腹へと剣を向ける。
「ほぉ。あの娘よく飛び込みますなぁ」
髭を撫でながらロペスが感嘆の声を漏らした。
騎士がレティシアの剣を自身の直剣で払いのけ、高い金属音が響く。
だいぶ重い音だったが、レティシアの足取りは崩れることなく、距離を置いてから再び剣を構えて真っ直ぐに騎士へと突き出した。
「騎士の子ってどこの騎士団なの?」
頭の後ろで手を組んでのんびり見物しているアレス皇子がロペスに尋ねた。
「黒騎士団ですよ」
「へぇ。じゃあそうとう強いんじゃん。メイドちゃんてば大丈夫なのかなぁ?」
チラリと僕を見て言うアレス皇子に、イリア様が横目で見て言った。
「アレスはレティシアが気に入って?」
「なんでそうなるのさ、イリア」
まさかのイリア様の質問返しに、アレス皇子が組んでいた手と足を外してベンチから背を離した。
皇子とイリア様のやり取りの最中も、騎士とレティシアの戦闘を続いている。
剣の弾かれる音と石の床を蹴る二種類の靴が中庭に反響している。
「基礎は、東の者がよく使う流儀のようですが、出身はネレストリアですか?」
「いいえ。書類上ではアストラル帝国城下です。父君がネレストリアで傭兵をしていたそうですよ」
「なるほどなるほど。それならば納得いきますな。剣筋は良いが、動きは荒削りで生活のための剣に見えます。教えは父君でしょう?」
「そう聞いています」
どこか楽しそうに騎士とレティシアの戦闘を見ているロペスは、いつの間にか髭を撫でるのを止めていた。
どうやらだいぶ注意深く観察しているようだ。
この様子を見ると、ロペスに立ち合いを頼んで正解だったようだ。
現役を退いて久しいが、ロペスは他国の剣技にも精通していて目も確かだ。
「それにしても、あの長いスカートでよくあんなに動けますなぁ」
ひらひらヒラヒラ、騎士の攻撃を避けて動くたびに宙を翻るスカート。確かによく足に絡まないでいると思う。
しばらく見ていると、騎士が大きく動いてレティシアに詰め寄り連撃を放った。
一撃目二撃目はなんとか防いだが、三撃目は重い攻撃だったようで、剣ごとレティシアの腕が弾かれて大きく斜め後ろに半円を描いた。
途中で手から剣が抜けて、だいぶ遠くの床めがけて飛んでいく。
カラン と虚しい音を響かせて床に剣が転がると、中庭には自然の奏でる音しか聞こえなくなった。
どうやら勝負はついたようだ。
自分の手から飛んでいった剣と自身の手を交互に見て、レティシアが悔しそうな顔をしている。
「そこまで! 二人とも、よくやった!」
ロペスがそう騎士とレティシアに言って二・三拍手を送ると、僕に顔を向けて、
「良い護衛を見つけましたな」
と笑った。
僕は護衛を雇ったんだったか? と自身に問いかける。
イリア様がロペスに尋ねた。
「これから訓練していくのですか?」
「そうですね。このままにしておくのはもったいないですね」
ロペスが僕を見て、つられたのかイリア様も僕を見た。
僕は少し考えを巡らす。
レティシアの本分はメイドだが、これから先、まだ彼女が僕のところで働くのなら、腕は磨いていた方がいいだろう。また刺客に襲われることもあるかもしれない。
ただ、レティシアはそれをやりたくはなさそうだ。
剣を拾ってこちらに戻ってくるレティシアの顔には、不安な色が浮かんでいる。
おそらく自分の今後が勝手に決まっていきそうな雰囲気に狼狽しているのだろう。
「あら、なら。ルカもしたらいいわ」
「はい?」
突然のイリア様の言葉に、皆が目を見開いた。
「アレスから、ルカはこのごろ机仕事ばかりだって聞いていたの。運動不足じゃなくて? 魔導師だって杖での戦う時があるのよ? 体が鈍っていたら、いざと言う時に困るでしょう?」
それは困る。
困るけど、やりたくないというのが僕の本心だ。
僕は元々は研究を主にしていた魔導師だし……そもそも、イリア様はどうなんだ? イリア様だって魔導師だ。
「イリア様はやっておいでて?」
「もちろん!」
こういう時に、かわいい顔でドヤ顔をするあたりがアレス皇子と気が合うんだろうな。
表情と仕草からするに、僕からの答えは肯定的な物しか受け付けないという意志を感じる。
どう返答しようか迷っていると、ロペスが髭に手を伸ばして言った。
「まず、当面は午後に一時間でどうですかな? もちろん、二人ともそれぞれの仕事の邪魔にならない程度で。どうかね?」
尋ねるロペスに、セオドールが「良いですねぇ!」と大きく頷いた。
「よしよし。執事様のお許しが出ましたし、娘さんについてはルカ様も賛成でしょう。で、ルカ様ご自身はどうしますかな?」
ロペスが僕を見ると、全員が僕に注目した。
レティシアのなんとも言えない複雑な目つきに若干居心地が悪い。
〝やらない〟
なんて、言える雰囲気じゃあない。
僕はため息をつく。
レティシアだって本意ではないのにやるわけだし、主人としても男としても、僕が逃げるのは格好悪いだろう?
「仕方ないですね。わかりました」