バッカンド大隊のマルゴッス
雨もようやく小ぶりになってきた辺りで、バッカンド大隊と合流することができた。
彼らは野営しており、負傷している者なども多く、ようやく戦場といった具合になってきた。
約1000人規模の大隊は、すでに激戦を終えた後の様子だった。
死んだ者も多いようで、丁重にそれらは扱われていた。弔った後は埋めるのが常だ。戦場から遺体を持ち帰ることは、荷が増えるためしない。だからこのグルグル草原には多くの骸が埋まっている。
「大隊長殿、はじめまして。マルチプル・レイヴンズ小隊長のレシキ=レイニーデイです。これからオッカムとの戦で協力させてもらいます。よろしくお願いします」
「バッカンド大隊長、マルゴッス=クンクです。今日合流することになっている小隊の中では君たちが一番早く到着してくれた。素早い機動というのは理想的な物だ。君たちの評判はあまり良いものではないが、もしかするとそれは誤りなのかもしれないですね。よろしくお願いしますよ」
やけに恰幅の良い小男で、にこにことしている表情、切れ長な常に笑っているかのような細目が印象的な大隊長だった。年齢は四十代くらいだろうか。
一通り自己紹介などを終えてから、レシキは司令部を出て周囲の様子を窺うことにした。
クロイズがすでに横になって半分眠っていたし、ガルラも隠れて酒を飲み始めていたので頭を悩ませたが、普段と違う様子すぎて緊張が濃厚であるよりはマシか、とレシキは怒りはしなかった。だが、やはり多少イライラしているのは自覚していた。
作戦が危険であることが理由か、それともセルファが操り人形となっていることが許せないことが理由なのか。銀髪のレシキは別にセルファという人物をそこまで大切には思っていない傾向がある。勿論彼にとっても彼女は親友だったが、恋愛感情とは違った。恋愛感情を抱いているのは、黒髪だけだからだ。
「まったく難儀なものだ。自分の人格が三つもあるせいか、自分の感情を上手く把握できていないような気がする。これは、俺の弱点だろうな」
「なに独り言言ってんだ、小隊長」カンラが何時の間にか背後にいて、レシキをじっと見ていた。
少し戸惑ってから、いや、と首を横に振る。
「感情というものは厄介で、だから把握しておきたいなと思っただけだ」
「感情の把握? そんな必要あるのか? 感情ってのは、振り回されてなんぼみたいなもんだろ」
「ははは。そんな考え方もあるだろうな。だが、上に立つ者は感情を支配しなくてはな」
カンラはきょとんとした顔を作る。
「なんだ。小隊長は、出世したい感じの奴なのか? こんなぐうたらな部隊の隊長の時点で、出世の期待は望み薄な気がするけど」
「いや、カンラ。大切なのは実力を身に付けることだ。どんな出世コースに乗っても、死んでしまったらそれでおしまいだし、実力がなければ尊敬される男にはなれない。一番出世するための近道とは、俺が思うに、自分を成長させることを常に続けることだ」
「へえ。まあ、貴族だから出世するとか、エリートだから出世するとか、そういう感じよりは好感の持てる考え方だな。まあ、よろしく頼むぜ小隊長。私も衛生兵として活躍してみせっからさ!」
「ああ。期待してるぞ、カンラ」
グルグル草原を見回せる少し高くなっている所でしばらく佇んでから、野営地を見て回っているとアンナが寝込んでいる兵士にパンをねじ込んでいるのが見えた。「無理やりでも食べなきゃ死んでしまいます!」と叫んでいる。やめさせようかと思ったが、まあいいかと感じ、司令部へと戻った。
バッカンド大隊の副官シェルカス=ロックがマルコッズと何やら相談をしている。シェルカスという男には外見に特徴がなく、性格も自己紹介を聞く限りでは、冷静で、知的な印象はあったが、他には特筆すべき点はなかった。
まあ、兵士が特徴的である必要などはないだろうが。
自分が話しかけても邪魔になるだけか、とレシキが司令部を再び出てみると、丁度草原の向こう側から百人規模の中隊くらいの部隊が進軍してくるのが見えた。イスカリオテ領地からだから当然味方だろう。
その後も次々と小隊、中隊が合流してきて、1500人規模の連隊といってもいい部隊となった。その1500人全員がマルゴッスの指揮下に入ることになる。これから、オッカムとやり合うことになるのだ。相手が人か魔物になるのかはわからないが、血で血を争うことになるのは間違いないことだ。その戦いを切り抜けて、極秘任務としてダンジョンに潜る必要もあるのだ。簡単なミッションではないが、やらなければならない。自分が兵士である限り。レシキは目を瞑った。
「全員、集合!」
シェルカスが魔術で全員に聞こえる大声を発する。寝込んでいた者、雑談をしていた者、訓練していた者など、全員が整列して司令部前に集まった。1500人規模が密集すると壮観ではあるだろうが、指揮する側としては苦労するだろう。
マルゴッスが用意された台に登り、魔術で拡声する。
「えー……。今回の細かな作戦についてはシェルカス副官に説明してもらうつもりですから、私からは言いませんが、この作戦を成功させるために重要なことはいかに、敵を殲滅させるために連携を上手くできるかに掛かっています。斥候、歩兵、弓兵、騎兵、衛生兵、そのどれもが勝利のために必要な兵士です。この中の誰かは必ず死ぬことになるでしょう。戦いとは死だからです。死こそが至高であり、死こそに向かっていくものが人生というものです。夢とは死であり、現実も死なのです。我々は死というものの奴隷であり、また友人でもあるのです。我々は死を思うことで、生を実感できるのです。いいですか、ここが重要な所ですが、決して死にたくないとは思わないことです。死にたくないと思うことが、かえってその兵士を死ぬことへと導きます。我々は死を受け入れてこそ、戦いで生き抜くことが可能なのです。破滅を恐れるな。敵を破壊せよ。我々なら確実に勝利を掴み取ることが可能なはずです。イスカリオテに勝利を。オッカムに敗北を。勝利の女神は、必ずや我々に微笑んでくれることでしょう!」
さすがに演説には慣れているのだな、とレシキは思った。兵士の士気や結束力を高めるという意味では十分な内容だったと感じられる。
その後、シェルカスが台に登り、作戦についての説明を始めた。
内容はとても単純なもので、数での相手の制圧ということだ。斥候によって相手の数、地形などをしっかりと把握し、戦えると判断できる状況であったら陣形を組み、弓兵で敵にダメージを与えて、歩兵で守り、相手が崩れてきた所で騎兵を突撃させる。予備隊を残しておき、緊急時にはその部隊で対応していく。重要なことはとにかく相手の戦力を計り違えないことと、地形で不利を取らないこと。また敵の奇襲などに十分警戒し、思い通りのことをさせず、正面からの戦闘に持ち込む。力押しと堅実さを求めた作戦とのことだった。
単純だからこそ、連携も取りやすい。ハリボテのような作りたての部隊だから、たしかに複雑な作戦よりかは良い結果を生むだろう。
レシキはこれならよほどのことがない限り大丈夫だろう、と安心した。
自分の小隊員たちの顔色も窺ってみたが、みんな不満はないように思えた。ただ、クロイズだけがやけに不満気だったので、レシキは話を聞いてみた。
「なにか、気に入らないんですよね。あの大隊長の、死にたくないと思うなという言葉が、やけに引っかかるというか。俺たちは人間ですぜ。そんな俺たちが、戦場でびびって死にたくないと思っちまうのは、生理現象みたいなもので、不可避なことだと思うんですよ」
「まあ、彼が言っていたのは士気を高めるための方便みたいなものだろう。そんなに気にすることもないさ。臆病になるよりは、勇敢に戦えってところか」
「戦いは臆病なくらいが丁度良いんですよ。早死にするのは勇敢なやつばかりさ。俺は死ぬくらいなら逃亡を選びますよ。まあ、苦しい状況であればあるほど、燃えるのも事実ですが」
「まあ人によって戦い方も違うだろうし、俺たちはまだあの大隊長の人格すらもわかっちゃいないからな。不安に思うのは当然だろうが、今回の作戦では指揮官はあの人だ。指揮官が二人以上いるわけにもいかん。まあ小隊での行動の指揮自体は俺が取るだろうが……」
「リーダーが大隊長だったら良かったんですがね。まあ、文句を言いたいほどの不満ではないです。少し我慢して、戦い抜いてダンジョンとやらに挑戦してやるとしますよ」
「ああ……。クロイズ、頑張ってくれ」
「俺はガルラが心配ですがね。下手すると、一番死ぬ可能性が高いのは奴ですからね」
わからない話ではなかったが、まあ、彼のもう一つの人格のことを考えればその心配はないと思えた。レシキからすれば、クロイズも大分心配ではあった。
二重人格を上手く切り替えることができるようにならないと、今後どこかで行き詰まる可能性は十分にある。マルチプル・レイヴンが生き残るには、二重人格をコントロールできるかできないかが分かれ目になるのは間違いないだろう。
能力が二つあると言っても、それは人格を切り替えられなければ作戦の中で機能させることなどできはしないのだから。
まあ、今回の大隊での作戦においては能力は秘匿するつもりだから、二重人格をコントロールすることが必須ではない。かといって、練習をするような時間もない。
悩ましい所ではあった。
「クロイズも人格を変えられる切っ掛けを掴んでおけ。特にお前の場合、俺やガルラともまた少し違ったパターンだからな……」
「二重人格であることには変わりありませんよ。ま、意識はしてみますがね。リーダーは多重人格を切り替える上で意識してることってあるんですかい?」
「それぞれ、必要になったら出てくるのは間違いないな。赤髪は俺が怒りを感じたりすると出てくることが多いが、黒髪はあまり出てこない。そう考えると俺にとって一番難しいことは黒髪を自由に出すことだろうな」
「俺のもう一つの人格に関しても、何が切っ掛けなのかわからない部分がありますからね。あいつが出たり俺が出たりを繰り返すと厄介なことになるから、本当に意識して出し入れできれば最高なんですがね……」
「まあこればっかりはな……。二重人格者特有の悩みだから、解決策がそこら辺に転がってる訳でもない。人格も人によって違うから、自分のことは自分で編み出さなければならないということになる。厄介なのは、間違いないな。俺たちが今回の戦いで意識しなければならない最優先事項はそこかもしれん。ダンジョンに向かう時には能力を使いこなせなければならないと考えると、やはり時間が足りない」
「時間ばっかりは、止められませんからね。誰にとっても平等なものですからね、時間ってやつは」
「時間を止められる能力者なんて存在する訳がないしな……」
やがて隊列を組んで、進軍が開始されることとなった。
マルチプル・レイヴンは歩兵なので主に弓兵を守ったり、という役割になる。位置としては最前列に当たるので、危険は高い。後々に隠れて離脱しなければならないことを考えると最前線というのは都合が悪くはないと思えた。乱戦になれば、全滅を装って離脱できる。
「味方まで騙すというのは、性に合わんな」
レシキはそう呻いた。まあ悪い意味で騙すということではなく、作戦のため。つまりイスカリオテの勝利のためにつく嘘なのだから、後ろめたいことではないのだ。
大事なのは、とにかくまずは生き延びることだ。そうしなければ、黒髪のためにも自分のためにも、セルファを救うことなどできないのだから。