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3/23

彼の二つ目の猟奇的な人格 赤髪

 ある快晴の朝。巨大な荷物を背負った少年が、上層都市を歩いている。途中何度か休憩しながら、疲れる身体に鞭打ってだいぶ長いこと歩いていた。それほどに重たい荷物だった。

 彼、レキシ=レイニーデイは一軒の豪邸の前で、立ち止まった。

 深呼吸しても、落ち着かない。検診でも受けてるみたいに、何度も息を吸って、吐いて、を繰り返してから壁に取り付けられている呼び鈴を押した。チンコーン、と音が鳴る。

 しばらく荷物を下ろして待っていると、玄関からメイド服を着た、若い美人な女性が現れた。おそらくメイドさんであるとは思えた。にこやかな笑顔の似合う、優しそうな人だ。

「あらあら。どうしたんですか、お嬢様の同級生の方でしょうか。あいにく、今お嬢様は魔法の特訓中でして……」

 レシキは緊張を隠しながら答える。

「じ、実は、セルファさんに大切な用事がありまして……。特訓が終わるまで、ここで待っていても良いですか?」

「お嬢様の特訓は後二、三時間はかかると思いますが、それでも大丈夫ですか?」

「はい。待ちます」

 そういうわけでレシキは門扉近くの壁に寄りかかり、時が過ぎるのを待つことにした。通り過ぎる人があまりに大きな荷物に驚くのを尻目に、レシキは自分のやっていることが愚かなことではないかと感じ始めていた。この豪邸を訪れたことを、やや後悔すらしていた。だが、一度やると決めたからには、やり遂げるのが人間としての正しい生き方じゃないだろうか。

 やがて太陽が昇って、中空を舞う頃、門扉の奥の扉が開く音が聞こえた。レシキは埃を振り払って立ち上がると、玄関から出てきた人が見える位置に移動した。

「レシキくん。たしか、名前はレシキよね。どうしたの、何か用があってここに来たの?」

 セルファは汗をタオルで拭き取りながら現れた。距離があったが、彼女が近づけば近づくほど、花のような香りが鼻をついた。その香りに決意の気持ちが鈍るのを防ぎながら、レシキは思い切って言ってみることにした。

「俺を、住み込みで修行させてもらえませんか! 俺に、魔法を教えてください!」

「……は?」セルファの表情が困惑に染まった。

「前助けてもらった時に、俺は女に助けてもらうような弱虫なんだってわかったんだ。どうすれば強くなれるかな、って考えて、強いやつに魔法を教わればいいんだって気がついた。だから、魔法を教えてもらうためにここにきた! 荷物も、持ってきた!」

「はあ……」セルファは動揺を隠せない。

 それから様々説得すること、二十分ほど。いろいろと事情を話した結果、とりあえず動揺するばかりだったセルファも事情を飲み込んだ。

「レシキくん。私はまだ未熟者だけど、たしかにあなたに魔法を教えられない訳じゃない。基礎レベルのことならあなたに教授できることもあるでしょう。だけど、いきなり押しかけてきて住み込みで修行させてくださいって、あまりに理解不能だと思うんだけど」

「いや、やっぱりこういうのって自分のやる気を示さなければいけないと思って……」

「なら、住み込みは駄目だけど、毎日稽古はつけてあげてもいいよ。もしあなたがやる気だというなら、私に指導してくださってる先生を紹介してあげてもいいわ。そのためのお金が足りないというなら、私の家から出して上げる程度のことも、きっとできると思う」

「本当か!? 住み込みじゃないのは残念だけど……」本音がつい出てしまう。

「残念……とは? 何かあなたからは、嘘をついている匂いがするな……」

 セルファはレシキに顔を近づけると、突然、その頬をペロリと舐めた。

 あまりのことで意味がわからず、動揺するレシキにセルファは叫んだ。

「この味は! 嘘をついている味だぜ!」セルファはポーズを決めた。

「え……」レシキは固まる。

「冗談よ。なんかこういうことをする漫画を見たことがあって、一回やってみたかったんだ。レシキくん、あなたみたいな強くなりたいって思ってそのために行動を起こせる人って、たしかに強くなれるはずだと私は思う。だから、今日はあなたのこと少し見直した。これから修行は大変だと思うけど、未熟者同士、頑張ってみようか!」

「お……おう! よろしく、セルファさん!」

「ああ、さんとか付けるのやめようか。面倒だし。よろしくね、レシキ」

「そうだな。俺、頑張って強くなるよ、セルファ!」

 こうして、レシキの密かなる目論見は、八十%くらいは成功したのだ。

 住み込みを突然申し込むのは子供地味た行動ではあったが、その確かな行動力によって一歩前進したと言えるだろう。セルファが思っていたよりも少し変わっていたという所も、成功の理由だったかもしれない。

 それから、数ヵ月後。



 セルファが威風堂々といった格好でレシキの背後で、仁王立ちをしている中、レシキはいじめっ子集達と向かい合っていた。彼も両腕を組み、堂々とした立ち振る舞いである。風が吹き、砂埃が舞うその空き地には、二人といじめっ子たち以外には誰もいない。邪魔はないということだ。

「で、なんの用かなあ、レシキ。俺たちをこんな所に呼び出して、しかもセルファまで引き連れて、なに、彼女ができましたーって、自慢しにきたのかなあ?」

 そんな挑発的な言葉に、二人は一切動揺しない。まるで屈強な精神力を持った戦士のようであった。二人とも腕を組んだまま、立ち尽くしている。

「おいおい。何か言ってくれよ。会話ってのはお互いが誠意を持って続けようとする意思がないと成立しないって知らないのか? 常識だろ、じょ、う、し、き。お前らはこっちの貴重な時間ってやつを消費させて俺たちを拘束しているんだぜ。ああ、最悪だから、ぼこぼこにしちまおうかなあー」

 それでも二人は堂々と立ち尽くしたままだ。何も言わない。

 いい加減に痺れを切らしたいじめっ子たちから、喧嘩をしようという意思が芽生え始める。

 喧嘩というより、一方的に蹂躙しようという心持ちであったが。

「ああ、わかった。セルファがいるからそんなに自信たっぷりなんだなあ、レシキ。結局女の力を頼りにする雑魚ってわけだ。お前みたいなやつを世間では、女々しいって言うらしいぜ。じゃあまずはその邪魔なセルファから片付けてやるとするか。おい、お前ら、取り囲め」

 セルファを取り囲もうとするいじめっ子たちを、レシキが遮って止める。「どけよ」と言われるがまったくどこうとはしない。ややにらみ合ってから、遂にレシキが拳を繰り出した。

「グボヴェア!」

 呪文のような呻き声を発しながら、いじめっ子は数メートル吹っ飛んだ。ただの少年の拳でそんなに吹き飛ぶはずはなかった。そう、レシキの拳は魔法によって強化されていたのだ。

「お、お、おお、お前、痛えじゃねえか! こんなひどいことをしやがって……」

「人は痛みがあるから、痛みを避けようとするものだよな。じゃあ胸に痛みのようなものを抱えなければ、人は心をどんどん傷つけていくものなのだろうか」

「あ? 一体、なにを言ってやがる。こっちに来るんじゃねえ、お前ら、取り囲め!」

「お前みたいな痛みを感じない奴は、心を痛めないような奴は、どうすれば傷つけることができるのか。修行しながら、考えていた。答えはすぐに出た。心がダメなら、身体に教えてやればいいんだってさ」

「く、来るな……。何をやってんだお前ら、俺がまた殴られるって時に、なんでそんなところでぼーっとしていやがるんだ!」

「他人の心と身体を傷つけてきたやつに、自分の心の痛みを知ることはできない。他者とは自分の鏡だという言葉もあるもんなあ。他人を大切にできない奴に、自分を大切にできるはずがない。だから、俺は殴るんだ。殴って、お前を傷つけて、お前に気づかせてやりたいんだ。身体を傷つけて、その痛みを大切にできるような人間に、変えてやる」

「そんな権利が、お前にあるってのかよ! さっきからガキとは思えねえ理屈ばっかりごねやがって。お前まさかあれか、異世界転生でもした実は大人でしたっていう、あれかよ!」

「大当たりだ、クソ野郎!」

 倒れている彼を無理やり服を引っ張って起き上がらせると、レシキの拳が再び炸裂する。顔面から歯が飛び出して、血も流れる。いじめっ子は、屁でもこいたみたいな声を漏らしながら、空き地の地面を吹っ飛んで、寝っ転がって動かなくなった。

 他のいじめっ子たちは、蟻の集団が踏み潰されないように逃げていくかのように、その場を去っていった。レシキの拳は魔法によって発光していたが、その光がやがて止んだ。

「よし。やったぜ、セルファ! お前のおかげだ、お前のおかげで、俺は成長できた気がするよ」

「厳しい修行に耐えたのはあなた自身の力だよ。私は、背中を押しただけだもの」

「それでも、お前に感謝したい。そうだ、飯でもどっか食いに行こうぜ。腹減ってきたよ、なんか」

「じゃあ家に戻りましょ。家のシェフが作る、ボルシチでも食べましょうか」

「そうだな。じゃあお言葉に甘えることにするよ。いやあ、何かやり遂げたっていうか、頑張った感じがあるよなあ、本当」

 そんな言葉を交わしながら、二人は空き地を後にした。

 いじめっ子だけが一人取り残されて、寂れた地方の道路標識のように寂しそうだった。



 それから幾年が過ぎた。

 少年と少女だった二人も、年齢で言えば中学生くらいにまで大きくなり、その二人の距離も恋人のように近づいていったかといえば、そうでもなかった。

 恋人というより、親友であった。

「それで私がインフェルノを唱えたら、先生も腰を抜かしちゃって。そう考えるとやっぱりレシキって肝が据わってるよね。私があなたと喧嘩してメテオをぶちかましてやった時も、怯える所かこっちに走ってきたもんね」

 昔を思い出して笑うその彼女は、やっぱり可愛かった。

 そんなことをずっと思いながら、もう何年も過ぎてしまった。

「お前に殺気がないことは察知できたからな。本気で殺しにかかってくる魔法を唱えられたら、俺だって小便漏らすよ。びびって、ズボンをだらだらに汚しちまうだろうな。そういう意味では俺もお前も、まだまだひよっこだと思うぜ。なにせ、この世界ではそういう危険な魔法使いがいっぱいいるはずだからな」

「この島から出ない限りは安全だよ。大陸では戦争が常に起こっているらしいけど、この島にある二つのシリウスは同盟を結んでいるわけだし……」

「まあ、そうだけど。そうだ、今度の夏休みの休暇……」そこまでいってからレシキは緊張のせいで言葉を上手く紡げなくなった。鼻をぽりぽりと人差し指で掻いて、その緊張をごまかした。

「何、なんかいった?」セルファがレシキを覗き込むようにして見る。自分たちの性別が違うことなどまるで気にもしていないような、周りの目など億尾にもしていないような、そんな距離で二人は少し見つめ合った。

「いや……今度、遊びに行かない? 海とか、山とかさ……」

「え? 遊びに? レシキと?」

「別に今まで修行でいつも一緒にいるんだから、それとあんまり変わらねえよ。ただ、いつも修行ばっかりじゃ疲れちまうだろ? たまにはさ、羽を伸ばすって意味でも……」

「あー、なるほど、海かあ。でも水着とかも買わなくちゃいけないからなあ。山も、虫とかいっぱいいそうだし、それに結構遠いよね。なんか、もっと面白そうな場所になら行きたいなあ」

「それじゃあキャンプとかは? 花火をやるってのもありだな。とにかく夏なんだから、夏らしいことしたくない? いっつも魔法のことばっか考えてると、やっぱり気が滅入ることもあるしさ」

「うん、そうだね。わからなくもないかな。じゃあ、他に誰か誘おうか?」

「俺たちを怖がってる級友たちを誘っても、楽しんでくれないと思うけどな。別に誰か誘わなくても楽しめるだろ」せっかくのチャンスを他の誰かを誘って台無しにしてしまうのは避けたいレシキである。

 セルファも納得したらしく、こくりと頷いた。金の長い髪が揺れる。そして青い瞳が輝いて、光を煌めかせていた。

「じゃあ、夏休みの予定は一つ、それで埋まったね。言っておくけど、夏休みも修行をサボったりしちゃダメだよ。レシキはただでさえ、魔法の才覚が悪くて、私より数段で遅れてるんだから……」

 痛い所を突かれて、レシキは少し俯く。

「セルファみたいな天才と比べられたら誰だって落ちこぼれになるだろ。俺だって魔術学院の中では結構上の方のはずだぞ。お前が異常なんだ、い、じょ、う」

「何その言い方。異常じゃないよ別に、つ、う、じょ、う、ですから!」

「い、じょ、う!」

「つ、う、じょ、う!」

 そんな彼らの喧嘩を、またか、とクラスメイトたちは静かに見守っていた。いつものことだったし、下手に囃子立てたらセルファの容赦ない魔法や、レシキの鉄拳が飛んでくる可能性はあったので、みんな黙っていた。

 ああ、今日も魔法学院は平和です、母さん。

 そんなことを思うすべてが平均的で性格も普通なその人は、遠くの家族に手紙を書こうと思いながら、窓の外を眺めていた。雲が流れて、太陽が照りつけている。悪くない天気だ。ほぼ快晴といってもいい。こんな天気を好きじゃない人間は、この世にいるだろうか。きっと、いないだろうな。

「ああ、今日も魔法学院は平和です、父さん」

 そんなことを口に出した彼の頭に、鉛筆が刺さった。

「ぎゃああああああああああああああああ!」

 叫びながらのたうち回る彼に、誰かが回復の魔法を唱えてあげる。喧嘩の飛び火が、早速やってきたというわけである。

 それから数日後。



 豪雨が降り注ぐ中を、傘も刺さずにレシキは一人歩いていた。夏休みになって三日目の頃、突然の夕立ちに降られて、ずぶ濡れになっていた。

 別にかまわないと思っていた。濡れても、良かった。

 そんな気分だった。

 彼は空を見上げる。真っ黒な雲が天空を占めていて、何も太陽とかは見えない。そんな中を歩く彼の気持ちは空と同じで、暗かった。

 ああ、そういえば約束をしていたんだった。キャンプとか、花火とか。

 たった一日だけでもいいから、そういうことをしてみたかった。セルファはやっぱり俺にとってはただの親友じゃないから。あいつがどう思ってるかは知らないけど、俺は……。

 レシキは俯いた。水たまりに次々と雨がはねて行く。何でもない光景だったのに、それをしばらく眺めていた。ただただ、思考放棄したかったのかもしれない。

 長いこと一緒だったから、たまに忘れてしまっていたことは、レシキという人間にとってセルファという存在がどれだけ大切だったかということだった。親友だった。だが、それ以上にやはり、好きだったのだ。ずっと長いあいだ、恋をし続けていたのだ。

 それはきっと、これからだって変わることはない。

 遠くに彼女が行ってしまったからといって、気持ちが変わることはないのだ。

 それはとても残酷なことだ。想うだけで、もう出会うことはきっとないのだから。勿論、いつかは出会えるかもしれない。でも、そんな長い時間を、耐えなくてはならないのか? 俺のこれから先の人生はどうなるんだろう。セルファがいたから、魔法を鍛えて少しでもあいつに追いつきたいと思えたのだ。希望がなくなったら、人はどうなるのだろうか。

 あのいじめられっ子たちに負けてしまうような、そんな弱かった自分に、戻っていくのだろうか。

 嫌だな。

 そう思いながら、彼は天空を見上げた。

 相変わらず、空は真っ黒だった。

 


 セルファが隣国であるシリウス、オッカムへと移住してから、数年が過ぎた。高校生くらいの年齢になったレシキは、失意から立ち直れないでいた。まるで時が止まったかのように、あるいは時を巻き戻していくかのように、未来を一切見ずに未来へと進む日々を送っていた。

 そんなある日、魔導学院の教授に呼ばれて、教授の個室に召喚された。

 レシキは俯き気味な様子のまま、何の用件で呼ばれたのかは知らないが、さっさと解放して欲しいと苛立った気持ちを持っていた。

 苛立ってばかりの毎日だったが、そんな自分を改善したいとは思わない。

「先日、君が喧嘩した魔術学院の生徒。その親が学院に訴えにやってきてね。少し、問題になっているんだよ」

「はあ……。そうですか」どうでもよかった。

「君はまるで覇気というものを持っていないね。どうにも無気力といった具合だ。こういう人間は大抵、自分の弱さを隠すために、暴力に訴えることがある。君がまさにそのタイプだ。レシキくん。君は変わらないといけないのだよ」

「変わる……ですか……」なんでそんな面倒なことをしなくてはいけないんだ。

「君が昔セルファ=ランバートと仲良くしていた頃と、今の彼女がいなくなった君とでは、まるで別人のようになってしまったという話は聞いたことがあるよ。君にとって彼女がどんな存在だったのかはわからないが、君が変わるためには、その彼女のことを忘れる必要があるのだ。どうすれば忘れられるか、わかるかな?」

「わかりませんね……そもそも、忘れられることでは……」こいつ、面倒くさいな。

「彼女のことよりも情熱を向けられる、意志が燃え上がるような事柄を、見つけ出す必要があるのだよ。君の中に炎を滾らせて、目的を生み出して、一つずつ解決していき、やがて大きな目的を達成していく。そのような工程を作り出していける機能を君の中に生み出せば、彼女のことだって忘れられるのだ……。だから、君は、もっと私を頼りにしてもいいんだよ」

「教授を、ですか。いえ、結構です」はやく終わりにしてくれ。

「どんなことを辛いと思い、どんなことが楽しいんだ。私に一つだけでもいいから教えておくれ。そして、もっと近づいて話をしよう。そんなところに突っ立っていないで、私の息が届く範囲で話をしようじゃないか。私には知識の泉がある。その知識の素晴らしさを君に教えて、身も心も、生まれ変わらせてあげようじゃないか……君は、とても可愛い顔をしているよな……とっても、可愛らしいよ……レシキくん……」

「きょ、教授……?」なんだ、この男。こいつ、二人きりになってはいけないタイプの男だ!

 レシキは後ずさりして、その場から逃げ出そうとした。

 しかし、身体が動かない。足元を見ると、そこに魔法陣があった。おそらく、身体を拘束するタイプの魔法陣だ。俯いていたのに、油断していたから気がつかなかったのか、それとも発動するまでわからないようにされていたのか。この、ホモが……。

「……こんなことをして、ただですむと思ってるのか……?」

「君もすぐに素直になるさ。私の素晴らしさを知れば、そんな拘束などなくても、私を求めるように変わっていくだろう……」

「人間ってのは愚かな生き物だ。残酷だし、変だ。だからすぐにおかしなことを言い出すし、おかしなことをやっても気にも止めず、自分の欲望を叶えようとするんだな」

「私は欲望では動いていない。知識を元にして……」

「教授。俺は知識とかってものを信用していない。大切なことはすべて、自分の内側にあるんだ。その内側が一度腐っちまった奴は、そのことに気がつかず、どんどん腐っていくものなのかもしれない」

「腐ってるか……なるほど、そういう言い方もあるだろう。だがね、レシキくん。安心したまえ、君もすぐに私のように腐っていくことができるだろう。人によって物の見方は違うものだ。百八十度変わることだってある。君も私を知れば、知識を得れば、腐った食べ物が実は発酵食品だと気が付くように、考えを変えることができるんだ。さあ、安心して、私を受け入れたまえ……」

「あんたには指一本触れられない。俺のこの身体は、失われたあいつを幸せにするためという理由でしか、動くことはない! 身体だけじゃなく、心ですらも!」

「なっ……なんだ……何を……」教授は動揺して、後ずさりした。

 レキシの全身が発光し、動けないはずの身体が動き始める。それだけではなかった。

 黒髪が、真っ赤に染まっていく。

 鮮血のように。あるいは、業火のように。

「お前がさあ、この世界を悪癖で満たす邪悪なのかどうか俺にはわからないが、今ここで俺が出てきてしまったからには、俺は俺としての役割を果たさなければならねえよなあ」

「誰だ、お前……レシキくんでは、ないのか……?」教授は赤髪のことをまじまじと見つめた。

 雰囲気だけでなく、喋り方もどこか違うし、何より眼が違う。人を、平気で拷問してからなぶり殺しにしそうな、そんな眼をしている。

「簡単なことなんだ。とても簡単なルールというやつに乗っ取って、俺は俺のしなければならないことをこなしていく。それが人の世の仕組みってやつを担うってことだ。俺にしかできないことを、俺のために行う。そんな繰り返しを、人は営みと呼ぶよなあ。なんで、人というものはそんな営むなどという文明的な行為をして生きていくのか、俺は知識がないからわからねえ。お前いってたよなあ、知識が大事だって。俺に教えてくれよ、知識ってやつの重要性を」

「ち、知識があれば、ひ、人は賢く、た、ただ正しく生きて……」

「甘いんだよなあ。賢くじゃねえだろ、お前はずる賢く生きてえだけだ。そして正しくというが、お前はお前にとっての正しさだけが全てだと認識しているんじゃねえか。お前が正しいと思ったことが、他の者にとっても正しい物になりえると、考えているんだろうなあ。だから、あんな自信満々でいられたんだろうよ」

「わ、私には積み重ねてきた、し、思慮の深さというものがあり……そ、それが間違っていると、き、ききき君はいうの、ののかね」

「間違っちゃいねえよ。人によって正しさが違うってのは事実だからだ。お前の過ちはただ一つ、自分の正しさを押し付けようとするやり方と、その相手を、間違えちまったことだけだ。お前がこれから受ける身体的な苦痛は、その罰だ。てめえみたいな人間は、裁かれるためにあるんだぜ!」

「や、やめろー!」教授は頭を抱えて、逃げ出そうとしたが頭部を掴まれる。

 その手の力は尋常ではなかった。

 教授はすぐに身体を持ち上げられて、宙に浮いてしまう。足をばたつかせてもがくが、何の意味もない。彼はそれでも暴れ続けた。そこに知性というものはなかった。

「化けの皮が早速剥がれてきちまったなあ、教授さんよおおお? てめえみたいな野郎を罰することは、俺の本懐だぜ」

 頭を潰れてしまうでのはないかと思うほど握り締めてから、その手を離して一旦彼を解放してから、うずくまった彼を蹴り上げて、再び宙に浮かした。

 その彼の鳩尾を数回連続で殴りつけて壁に叩きつけてから、またもや頭を掴み取ると、今度はそのまま床に頭を叩きつけた。顔面が潰れて、鼻血が飛び出し、歯が抜け落ちた。

「も、みょう、も、や、やへ、て」彼が何と言っているのか、赤髪は興味を持たない。

「なんていってんのか知らねえが、まだまだ終わらねえよ。死ぬ一歩前までいけばよお、お前みたいな上から目線のグズやろうでも、生まれ変わって良い人間になれるかもしれねえからなあ」

「ひぇ、しぇー!」

「シェーじゃねえんだよ。なんだその一発ギャグみたいなものは。まあ、こんなもんにしといてやるか。あんまり人を痛めつけるのは、本当は好きじゃないからよお」

 赤髪は教授を解放した。

 と見せかけて、またもや鳩尾を蹴り上げると、宙に浮いた彼の顔面を本気で殴りつけて、またも壁に叩きつけた。まるで人ではなく、物を扱うような冷酷さと残酷さの含まれた、ひたすらの暴力。教授は、ぴくぴくと痙攣するだけになった。

 赤髪は、不敵に微笑んでから、その場を後にした。

 この行為が明るみになり、レシキ=レイニーデイは魔法学院はおろか、シリウス上層からも追放ということになった。両親は彼がそのような立場になったことをひどく嘆いたが、レシキ自身はたいしてショックを受けることもなく、結果を受け入れていた。

 彼は下層に落ちて、そして、兵士になった。



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