激戦について
水着のような薄い服装をしている、やけに胸の大きな紫色の短髪をした女性、ラシャイニ=カルルスマッケはオッカムの司令官である。冷静な様子で盤上を眺めていた彼女は、紫煙をたゆらせながら、ふふっ、と薄く笑った。勝利を確信した微笑みであった。
「策も何もあったものではない。ただの力任せ。ゴブリンの数に物を言わせた物量戦。五十の戦力を駆逐するなど、訳はない。問題はセルファも殺してしまう可能性があるという点にあるが、まあ代わりはいるだろう」
ラシャイニは体勢を変えて、横になった。巨乳がたゆんと揺れる。
「はあ、家が恋しい。さっさと、帰りたい……」
たしかに、戦場を離れれば誰だって一般人のように生活がある。たとえば彼女には愛しの犬がいて、寂しく帰りを待っているはずだった。
この戦が一段落つけば、休暇がもらえる予定ではあった。
ラシャイニは防衛に関する司令官で、一大攻撃作戦に関しては別の者が指揮を取る予定である。そのため、とにかく侵入者を排除すれば、彼女の仕事は終わりなのだが。
そう簡単には、いかなかった。
「ゴブリン部隊が、五百、数が削がれているとの報告が!」
兵士が慌てて入ってきて、そう告げた。ラシャイニは横になって眠たげだった体を硬直でもさせるように棒のように起き上がらせて、「何を言っているんだ」と、その報告が嘘のように感じてしまうほどに動揺した。
すぐに頭を切り替えて、盤上を眺める。
「近くにまだゴブリン部隊が残っていたはずだ。予備の部隊だ。抜けた穴をそいつらで補完させろ。もう人間の部隊は近くにはいないのだ。ゴブリンだけで何とかするしかないのだぞ……」
「敵戦力は、想像以上のものであるかと」
「そんなことはわかっている! 一瞬で五百など、おそらく敵はセルファを完全に味方につけたのだ。セルファ級の魔法使いでなければ、こんな殲滅力は発揮できないはずだ」
「それが……」
「なんだ」
「セルファは気絶しているとの報告も入っています」
「……セルファ以上の、魔法使いでも連中の中にいるというのか……? そんなほいほい、あんなおぞましい兵器があってたまるものか! いいか、敵は何か特別な策を取っているに違いない。それが何かはわからないが、対策を取らねば撤退するしかない……。おい、ゴブリン部隊が、後三百やられたら、撤退を命令することにする。この司令部も引き上げる。防衛ラインを下げて、これ以上好き勝手やられることのないようにしなければならない」
「了解しました。そのように」
「さがれ」
兵士が去っていった後、ラシャイニはひどい目眩に襲われた。ショックなことに遭遇することこういうことがある。眉間に皺を寄せてから、彼女は撤退の準備をはじめなければならないだろうと察した。
「防衛には、引き下がることも大切だ。戦力が足りない時に、策がない時には、潔く退かなければならない。たとえ、屈辱を味わい、苦虫を噛み潰すように苦しめられてもだ!」
彼女はそういう意味ではたしかに冷静だったし、優秀な将であったかもしれない。堅実な、戦いについて知っている女なのかもしれない。
彼女の誤算は、相手がマルチプル・レイヴンという特殊な小隊だったという点に、あるのかもしれない。
その五十対千の戦いを、切り立った崖上から眺めているものがいた。それは全身を真っ黒いローブで身を包み、骸骨の仮面をつけていた。紛れもなく、ただの人間ではない。普通は駆け上がれないような崖上にいる時点で、一般人ではない。
その者は仮面の下で声が漏れない大きな欠伸をしてから、両手を上げて伸びをした。
ただひたすらに、その者は眺めるだけだった。
何かを見定めるように。何かを思案でもするかのように。
やがてそいつは影へと溶けて、姿をその場から消す。誰もそいつがいたことには気がつかなかった。空を飛ぶ鳥ですら、その存在を察知できなかっただろう。
その頃戦場では、女性化したクロイズと、アンナが、コンビネーションを組んで猛威を振るっていた。クロイズはあんなの背中におんぶしてもらい、そしてアンナはビーンズガンを跳躍して空中から放ち続けていた。放物線を描いて、敵陣へと落下していく豆鉄砲。
通常なら何の意味も為さないような、ただの嫌がらせのような射撃のはずであった。
だが、それは本来と違い、爆発する。
しかもその爆発の、熱量が凄まじい。一発の弾丸で、十匹くらいのゴブリンが同時に駆逐される火力と、範囲である。それが一発二発ならたいしたことはないが、ビーンズガンは一秒に十発程度射出できる上に、弾丸はコアに内蔵されていて無限のように体内にあり、補充さえしっかりすれば弾切れすることもない。
恐ろしい継続火力で、敵陣を駆逐していく両名。この戦場を支配しているのは、紛れもなく彼女らであった。
クロイズの能力は『爆発付与』。自分が触れている物、あるいは者に、爆発する属性を付与することができる。クロスボウを持たせれば、矢が爆発するし、このようにアンナに触れていれば、アンナが使用する武器ですらも爆発するようになる。
確かにそれは、戦争という集団戦の中では一人の兵士が持つには十分すぎる能力であった。とにかく距離がある、連射できる兵器さえあれば、無限に爆発によって兵士を爆散できるのだ。そう考えるととても恐ろしい能力だと言えた。
「いつでも女性になっててもらえれば、戦いももっと楽だったんじゃないですかね」
「私は男の方の私が、逆境で戦う精神を諦めた時、つまりかなりの窮地に追い込まれた時にしか変わることができない。つまり、私は切り札というわけなのよ。もっと崇めなさい。私は、男版のクロイズと違って、逆境とか、不利な状況とか、尊敬されないだとか、ごめんだわ。ひたすらにポジティブな圧倒的な、優越感に浸る女でありたいのよ」
「変わったお方なのですね。ていうか、男のクロイズとは真逆ですね」
「私はあいつが嫌いだし、あいつも私が嫌いなの。そもそも一つの体で二つの性別にならなくちゃいけない時点で、うまくいくはずもないんだけどね」
「まあ、私はそういうお方も嫌いじゃないですが。クロイズという人格はどちらも、素敵な方だと思っていますよ、今の所」
「あら、アンドロイドの割に半分だけはわかっているようね。何、ああいう男が好みなのかしら。恋でもしている乙女だなんて、実に人間的で面白いわね。気に入ったわ、私の言うことをしっかり聞くアンドロイドになりなさい。おいしい思いをさせてあげるから」
「私は恋だなんて、そんなものはしません! 何言ってるんですか、恋だなんてしてるわけないじゃないですか。私が恋をしてたら、アンドロイドという個性が失われますよ。私は恋なんてしませんからね!」
「なんか会話が噛み合ってない上に、どんだけわかりやすい性格をしているのかしら、あなた……」
そんな雑談をしている間に、ゴブリンたちはさらに三百程度は駆逐されていた。
ただひたすら、跳躍してビーンズガンを放物線状に放射し、着地したらまた跳んで放つ。そんな繰り返しだけで、まるで戦車を二十台くらい持ってきたかのような戦果だった。
ゴブリンたちは、進軍をやめて、撤退していく。
「引き際がいいじゃないか。ちょっと遅かったかもしれないけどな……」銀髪のレシキが笑う。
ビーンズガンを撃つことをやめたアンナは、先ほどの言葉に照れたまままだ、言う。
「私はですね、恋なんてしてないですよ! いいですか、絶対に忘れてください。撤回してくださいよ。私はですね、恋愛とかそういうものには興味を持っていない、人間味のないアンドロイドで……」
「……何言ってんだ、アンナ。恋の話を、あいつとしてたのか? 随分と余裕だな」
「お、男のクロイズで、ですか!? い、今のは独り言です。私は何も言ってませんし、照れてもいるわけないじゃないですか、このオタンチン!」
「……は?」
戦場は静まり返った。退路もしっかり確保された。もはや何も心配はないだろう。敵軍は自らの領地のもっと奥深くへと去っていったのだ。イスカリオテへの道は、随分と広く、そしてまだ地平線の向こうではあったが、確実にその先にそのシリウスはあるのだ。
行きはよいよい、帰りもよいよい。
特に問題も発生せず、小隊は帰り道を行きの時と同様の速度で、しかし心は随分と開放された状態で、進んでいった。
途中の休憩でも宴会のように騒ぎ、酒が入り、全員でふざけあい、何度も笑いあったのだ。
勝利の美酒に酔うとは、まさにこういうことをいうのであろう。
協力し合い、彼らは心技体を示したのだ。
賞賛されるべき、素晴らしきに値する、奇跡のような戦果を誰かは語り継ぐだろうか。それはまだわからないし、戦いは終わっていない。未来のことは、誰にもわからない。
一時の、休憩でしかないのだ。
下層の駐屯地、そのすぐ外でレシキは上層を見上げていた。数本のエレベーターで繋がっているだけの、同じ位置にあるのにまったく別の二つの世界。どちらもシリウスであり、イスカリオテであるはずなのに生活はまるで違う。
戦場から帰還した小隊は、わずかばかりの休暇を手に入れた。二週間。セルファはいまだ病院で入院中で、たまに黒髪になってお見舞いには行くが、なかなか状態はよろしくない。なにせ肉体と精神が分離していたものを強制的に融合させようとした訳だから、バランスが崩れても何もおかしなことではない。
魔術的なことだから、医療では完全な治療とまではいかない可能性もあった。もっと専門的な治療をしないと、本来の状態には戻れないという話も聞かされた。セルファは話もできるし、体も動かせるのだが、たしかに魔法も基礎的なものしか使えないらしいし、やけに疲労感があってたまに吐き気も感じるらしい。
あまり、良い状態とはいえない。たしかに、魔法的な知識を持った人物と接触して、セルファのことを相談する必要があるのかもしれない。
銀髪のレシキは、雨が降りそうだったので、駐屯地の中に戻った。
地下に進み、壁に取り付けられている灯りを頼りに、いつもの部屋に入る。
いつも通りの、それにアンナとカンラが加わった副長たちの姿が、そこにあった。カンラは正式にマルチプル=レイヴンに入隊となった。レシキの意向で、いきなり副長を任せることにした。新入りではあったが、軍に身を置いている期間は長く、知識と優秀な回復能力、そして持ち前の性格の明るさを評価したからだ。
アンナは副長ではないが、なぜか部屋にいる。まあ、別に来てはいけないわけではないのだが。
他の兵士たちは部屋が別にある。部屋が二つ与えられているという点では、優遇されている。
レシキは、休暇を終えたばかりの全員に向かって、叫んだ。
「今日は、とくに任務なし。全員、好きなところで待機だ!」
「いやっほおおおおおおおおおおおおおう」
「ガハハ。酒を飲みに行くか、カンラ」
「いいねえ、行く行く」
「相変わらずの、暇小隊ですね……」
彼らがそれぞれ部屋を出て行った後、レシキは一人、自分のデスクに座って鍵の掛けられている引き出しを開けた。そこから一つの、用紙を取り出す。バイオレット総帥の印が押されており、そこには文章が記されている。
『イスカリオテ・ダンジョン計画』
休暇以前にもらったものだ。つまり、オッカムのダンジョンを制圧してからすぐ後、いやそれ以前からこの計画自体は構想はあったのだろう。バイオレット総帥は、イスカリオテもダンジョンを作ることを考えており……。
そして、その計画によれば、『強力な魔法使いによる封印を施す』とある。そしてその候補者の名前の一つに、『セルファ=ランバート』と記載されている。はっきりいって、こんなことになるとは考えてもいなかったが、こうやって候補者に上げている以上、セルファを救済することを前提にしていた可能性は十分ある。つまり、セルファが選ばれる可能性は、高いのだ。
「肉体と精神が分離したことによる後遺症であんな状態になっている人間に、より鞭でも打つように再び封印となれなどと……。舐めているのか、ふざけているのか? ……これは、悪意だ。人間が人間をもっとも不愉快にさせる、悪意という奴の塊だ。こんな提案をするのは、人を見下しているからだ。……やはり……」
レシキは目を瞑り、足を組んだ。頬に指を当てて考え事をして、しばらく押し黙っていた。
ずっと以前から、このシリウスという構造に疑念は抱えていた。
栄えた上層という人類の高度な文明的な生活が、必ずしも必要であるのかと。
たしかに人を幸せにする要素として、文明は必要だ。
しかし選ばれた人間にしか享受できない、上層と下層に分離した差別的な文明は、人と人に軋轢を生むのではないか。事実、そういう不満はこのシリウスではよく耳にする話だ。下層の者には諦めと妬みがあり、上層の者には奢りと怠慢がある。
万人に供給されない文明的な生活に、本当の価値はあるのだろうか。実は人間の心を貧しくさせる、悪しき存在なのではないか?
それは今まで、レシキにとってはただの疑念でしかなかった。心の内に秘めていた、別にそんな思いがあるからといって、何か文明の退廃を訴えるだとか、啓蒙書のような物を書こうとか、そういう実際的な行動を起こすにいたるまでの強い思いはなかった。
だが、このバイオレット総帥の判の押された、『イスカリオテ・ダンジョン計画』を見て、その悪意を汲み取って、セルファの危機を感じ取り、レシキの疑念はより強くなり、成長したと言ってもいい。
行動を起こすに値するほどの、思いの萌芽。
理由ができたのだ。やらなければならないという、切羽詰まった、必要性というものが。
セルファのために。黒髪のために。イスカリオテのために。
上から見下すような、その強烈な悪意を打ち砕くために。
そのために必要なものを、手に入れなくてはならない。
最上層に繋がるエレベーターに乗りながら、以前のことを思い出していた。バイオレット総帥とはじめて会話をした、極秘任務に赴く直前の頃の事だ。
思えば、あの時も非常に不愉快な気持ちにさせられたものだ。総帥の癖に人間が嫌いだとも言っていた気がする。人間嫌いに人間を統治する役割を任せるなど、そもそも相性が悪い、間違った話じゃないだろうか。
唾を舐めろと言われたり、多重人格者は愚か者だと言われたり、舌打ちもされた気がする。こう考えてみると結構気にしていたようだ。人の悪意というものは、なかなか心に染み付いて忘れないものなのだろう。そんな粘液のようなこびりつく悪意をばらまかれたと思うと、大変失礼だし、人間嫌いらしいといえばそうだし、何か仕返しをしたい気持ちにもなる。
まあ、仕返しというか、しっぺ返しというか。
そういう悪意を振りまいたことに対する後悔を、あの総帥にさせてやらなければならない。
人が嫌いだからといって、人を蔑ろにしていい訳ではないと、いい大人の癖に理解していないのなら、俺がそのことを教えてやる。
「ついたか」
足を踏み出す。赤を基調とした金の装飾のされた自動扉が開き、
「入りなさい」
と声がする。以前来たのと同様の、ディスプレイが数多く浮かんでいる機械的な部屋の最奥でバイオレット総帥が手元でディスプレイを操作している。その目の前まで銀髪を揺らしながら近づいて、まずは挨拶をする。「本日は、お時間を取っていただきありがとうございます」
しかし返事はこない。
「あの……」
「少し、黙っていてくれたまえ。今忙しいんだ。あと、声がうるさい」
いちいち一言が多い男だ、とレシキは腕を組む。
しばらく黙っていると、
「沈黙は嫌いだ。不愉快だといってもいい」
と総帥が呟いた。ここでレシキは察した。この男は、人を嫌な気持ちにさせることに関して特化しているのではないか、と。仮にも総帥になった男だ、無意識的に他人を怒らせるような発言をしたりはしないだろう。知性はあるはずなのだ。歪んでいるのは、その悪意だ。
「私のご機嫌を取り給え。かといってゴマすりのようなものも不快だ。本心から私を褒めるような、実に核心をついた言葉のやり取りをすることを心掛けたまえ。小隊長たる者、人心をうまく取り扱うものなのだろう? そのお手並みを、ちょっと私に見せてくれたまえよ」
「バイオレット総帥からは、知性が節々から感じられて、優れた人種であるような後光というか、オーラのようなものが見えます。ですから緊張して、いつものような話術をすることは、恐れ多くてとてもできそうにありません」
「あはははは。なるほど、誤魔化したね。私が顔も性格も脳みそもいい完璧超人であることは揺るがない事実だが、君にそのことが理解できるとは思えないからね。君は、お茶は好きかい?」
「お茶ですか? たまに飲みますが、コーヒーの方が好きですね。カフェインが多く含まれているので」
「まあ、飲み給えよ。あまり良い茶葉ではないのだが、君程度に高級な茶葉を使う必要はないだろうからね」
「……ありがたく、いただきます」
「おっと、失礼」
バイオレット総帥はおそらく、わざとやったのだが、カップから熱いお茶がこぼれて、大量のお茶がレシキの服にかかった。バイオレット総帥はにやにやとしながら、「すまないね。軍服は高いのにね」と笑った。
どんどん行動が露骨になっていくので、相手が調子に乗ってきていることが手に取るようにわかった。そろそろ、反撃に出よう……。
「お茶には、人の心を癒す効果があるように思います。人と人の団欒の場を温めたり、意味があったりなかったりする会話を楽しむための、促進剤のような役割だってあるでしょう。私たちの世界は残酷です。ですから、そういうものも時には必要です」
「わかる話だねえ。だけど、お茶ってものはただの飲み物だよ。食べ物は食べ物。人は人。すべてこの世は人と人のつながりのためにあるとでもいうのかね? 違うよ、あるのは事実だけだ。ただそこにあるものだけがすべて。有る物が満たされたこの世で、私たちは有る物をたくさん手に入れなければいつかは滅びる」
「いいえ。有る物だけではありません。無い物だってあります」
「無い物? 無いということは、無いではないか。無いものは、存在していないのではないかな。頭の調子が悪いのではないかな。少し、休暇を取りすぎてとぼけてしまったのかい?」
「この世には目に見えない物がいっぱいあるということです。特に、人間に関してはその事柄が多い気がします。目に見えない、無い物。それが人間という生き物が生活していく上では、無いようで、実は必要あるのです。一見不要なものに見える余計なものにも、意味があるように感じられるのが私たち人間の、優れた機能の一部としてあるからです」
「君は学者か何かにでもなりたいのかい。そんな意味不明なことを言う人間には、せいぜい浮浪者がお似合いのような気がするが……」
「あなたは先ほど、お茶をわざとこぼしました」
「わざと? いや、間違っただけさ。気分が悪くなってしまったかな」
「問題は、あなたがそこに重要な断絶を生み出すことを、躊躇しないことです。お茶を飲むことを共有するだけでも人には繋がりが生まれます。それを悪意で踏みにじれば、当然繋がりは絶たれます」
「君は説教でもしにきたのかい? 私を誰だと思ってるんだ? このイスカリオテの総帥……」
「本当に、あなたは総帥にふさわしいでしょうか」
「はあ?」
「人と人が繋がらなければ社会は機能しません。私たちが関わらないようで、実は関わっているすべての物事は、そうやって繋がることで、お互いが生きているのだと認識できるのではないですか。つながりがないとは、孤独ということです。世界が孤立するということです。孤独です。あなたにはお似合いかもしれませんが、世界はそういうわけにはいきません。人間の営みは、一人では成立しないからです」
「つまり、孤独を愛する人間嫌いには、総帥という人類をまとめる仕事はふさわしくないと? いや、いいかな、私は孤独であるからこそいい仕事ができるのだ。人は人と関わると煩雑な人間関係というものに振り回されて、どうでも良い心配事にエネルギーを取られて、実際的な能力というものを高める余裕が生まれなくなるんだ。だから、人間関係というのは愚かなことなのさ」
「私たちは、愚かであっても、能力がなくても、一人では人間を成り立たせることができない。すべての人間が何らかの形で繋がっているという事実を、断絶するのでは、本当の意味での豊かな生活は成り立たない。最後には、人は滅びます」
「君は幸福論者なのかね。いいか、滅んだっていいじゃないか。人間なんてものはなあ、残酷な人殺しの、自然を蝕む、星の寄生虫なんだよ! だから戦争を起こし、ダンジョンなんてものも作り、この世界を崩壊させていくんだ。それが事実だ。人とは、悪しき悪意の塊なのだから!」
「それはあんたの悪意だ! あんたの悪意が世界の総意だなんて、そんな奢りが許されると思わないほうがいい」
「君だって君自身の考えが、世界の総意になると思っているのだろう? 自分の考えていることこそが実は一番正しくて、大勢の人がそれに従えば、人々は幸せになれるとでも思っているのではないかね。君はねえ、所詮、ただのお天気者なんだよ。人が幸福になるべきだという考えが、本当に正しいものなのだと勘違いをするなよ!」
「ああ。だからここからは、俺の求めるものと、あんたの求めるもの、その二つのぶつかり合いだ。結局は、こうやって会話をしたところで、お互いが理解しあえるはずもない。それはそれで別に構わなかった。だが、セルファを苦しめるような悪意を、見逃す訳にはいかない。黒髪の本当に大切なものを、また手放させる訳にはいかない。俺はあいつのために生まれた。あいつが幸せになるために、この世界も幸せにする。俺は、それを否定する邪魔者とは、戦わなければならない!」
爆発が発生した。それは外からの音だった。
何かが起きた。バイオレット総帥は、これはクーデターだと察したので、すぐに親衛隊を呼び出すためのベルを押そうとした。だが、それを押すための手が、ちぎれていた。
片腕が、吹き飛んで無くなっていた。血が大量に流れて、地面に染みを作った。もう一本の手でベルを押そうとしたが、それを握り締められて、止められる。
真っ黒な、赤い血液の線が入った巨大な手が、バイオレット総帥の腕を握り締めていた。
真っ赤な髪の毛をしたレシキ=レイニーデイが、そのままバイオレット総帥を宙に浮かすと、壁へと放り投げた。壁に激突して、総帥は変な呻き声を発した。
「惨めだなあ、総帥さんよお」
また爆発音が鳴り響く。衝撃で建物が揺れる。バイオレット総帥は目の前にいるレシキという人間が、かなりの危険分子であったのだと理解した。だが、もう手遅れだった。おそらく助けはこないだろうし、この凶暴な男から逃れる手段も、ないのだから。
「お、お前らはこのシリウスを、どうするつもりだ。こんなことをして、民たちが納得すると思うのか。私は好感度が高い方なのだ。そんな総帥を殺せば、民たちはお前たちを許さないのだぞ。処刑されても文句はいえんのだ。わかっているのか。お前たちは、自分の首を絞めて……」
「ごちゃごちゃうるせえんだよ。俺たちはなあ、お前を殺しに来ただけじゃねえ。この上層をぶっ壊しにきたんだからよお」
「はっ?」総帥は理解が追いつかなかった。このシリウスを、破壊するだと?
「小隊員たちは銀髪を信頼していてよお。しかも極秘任務の成功で、その結束はより深まったらしくてよお。みんな、レシキの言うことにはじめは戸惑ったが、結局はやるって決めてくれたぜ。俺たちはこの浮かんでいる上層をぶっ壊して、墜落させる」
「そんなことをすれば、下層も押し潰れて、多くの命が失われることになるぞ! 上層に住んでいる者だって只では済むまい。そもそも、今は戦争中なのだ! 今上層の文明を失えば、それこそオッカムに侵略されてここは御終いだ。お前らは、それをわかっているのか!?」
「もう人々は避難させている。シリウスにオッカムの超強力な爆弾が飛んでくるってデマを流してなあ。上層も下層もなくなっちまうが、失われる命は、お前の命だけだ。人命さえあれば人はやり直せる。人の命こそが宝なのであって、文明が宝なのではないからなあ」
「お前らは、勘違いをしている。人命が失われないだと。オッカムが侵略してくれば、人々は蹂躙されるのだ。これは、大きな間違いだ。終わりだ、この世の破滅だ。滅びるのだ!」
「おいおい。滅びちまってもいいとかお前は言ってたじゃねえか。結局、お前も滅びるのが怖いんだなあ。嘘つきなんだな、お前は。いいか、このイスカリオテを蹂躙させるような事にはならねえ。銀髪もそこら辺のことはちゃんと考えてる。協力者ってのがいてよお、それの出現で、レシキは今回の計画の決め手にしたらしい。あんたには紹介できねえ。あんたはここで死ぬからだ。どう殺して欲しいとかあるか? 別に、聞いてやってもいいぜ」
「ら、楽に殺してくれ……。どうせなら、痛くない、安楽死のような最後を迎えたい、と、常々、思っていたから……」
「それは叶わねえ」
「ええ?」
「せっかくの大物だ。まあ、実際的には小物なのかもしれねえが、総帥なのは事実だ。そんなやつをせっかく俺の手で殺せるってのに、楽に、安楽死なんて、許せねえ。俺自身が、俺を許せねえからさあ」
「聞いてくれるといったじゃないか。嘘をついたな!」
「上に立つ者を下に突き落とす。下克上。その精神が、俺は好きだ。なぜだかわからねえが、性質も特徴も違う俺たち三人に、唯一共通していることがある。それは、反発する心だ。上から見下して優越している者を下に蹴落としたいという、反骨心のようなものだ」
「なにを言っているんだ。反骨心だ?」
「お前みたいな人間は実に丁度良い。実に、俺たちのその心をそそらせてくれる。覚悟はできたか、できたなら、行くぜ。神に祈りな、せいぜい早く地獄に連れて行ってくださいってな!」
「やめろおおおお!」
壁にまずは何度も叩きつける。壁にひびが入り、やがて壁が崩壊するまで叩き続けた。完全にそれだけで激痛が走る中、次に腹を殴られて、股間を握り締められて、それを思いっきりぐちゃりと潰された。玉が潰されたのだ。
「あぎゃあああああああああああああああ]
あまりの痛みに悶絶する総帥は、しばらく地面でもがき苦しんで暴れまわった。しばらく赤髪はそれを眺めていた。次にどう苦しめてやろうか、どうすれば意識を失わせずに苦しめられるか。そうやって拷問を楽しんでいた。
「さて、じゃあ、もうしばらく待ってみるか。痛みに苦しむ姿を見るってのも、大事なことだからな」
「ひ、ひと思いにころぢてくれええ」
「何言ってやがる。まだ、はじまったばかりじゃねえか。お前の悪意に対するしっぺ返しは、これからはじまるんだ」
「……あ、あぎゃば……」
赤髪はゆっくりと総帥へと近づいていく。
地獄は、この男そのものだ。
総帥はそう察した。地獄のすべてが凝縮されたような男に、不運なことに狙われてしまった。まさしくこれは、どんな人間よりも不運で、不幸なことだ。
総帥であるはずの自分が、なぜこんな目に。
しっぺ返しがこんなにひどいだなんて、聞いていなかった。誰も、そんなことは、教えてくれなかったじゃないか。私は私の生き方をしていただけだ。他人をそれで困らせたからって、私にはその権利があったはずだ。私は、優秀な、選ばれた人間であったはずなのに……。
『黒神獣転身』
能力によって全身が怪物のようになった赤髪は、もがき苦しむ総帥の前に立った。
その真っ黒な顔が、たしかに笑った。
「お前にだって、悪意は……ある……では、にゃいか……」
首を絞められて、宙に持ち上げられる。
「やっぱ、もういいや。飽きた」
「ひゃあ……!」
首が握り締められて、ぐちゃりとちぎれた。
噴水のように首と血液が、射出されて辺りを血だらけにした。
首のなくなった総帥の体が、ぶらん、と揺れる。レシキはそれを放り投げると、ふう、とため息をついた。
そして能力を解除すると、何事もなかったかのように部屋を出て行った。
急がなければ上層が完全に破壊されて墜落に巻き込まれてしまうので、時間があるわけではなかった。
また、爆発が起きて、最上層が揺れる。
いよいよ、本格的に崩壊がはじまろうとしていた。
赤髪は爆発に紛れて外に飛び出し、空中を飛んだ。能力によって変身したまま、羽を生やすことで安全にシリウスの外れに着地する。小隊の仲間たちが待機している集合地点で合流する。そこに、一人、小隊の者ではない者がいる。
全身を真っ黒なローブで身を包んだ、骸骨の仮面をつけた輩である。身長はアンナ程度の、男性よりは小柄な体型をしているそいつは、やはり女性らしい声でレシキへと話しかけてくる。すでにレシキは赤髪から銀髪へと転じていて、彼はディスプレイを展開させて辺りを偵察をしていた。偵察をしながら、彼は話を聞く。
「これで後戻りはできないね。賽は投げられたという訳だ」
「あんたが俺に提案をしなければ、こういうことは実行できなかった。バイオレット総帥の言う通り、オッカムに民が蹂躙されることになっていただろうからな。だが、こうなり、そして戦える見込みも生まれた以上、俺たちは努力する。オッカムだって、蹴散らしてみせる」
「血がまた流れることになる。戦える戦力を貰える代わりに、闇の者に借りを作ることにもなるのだと、お忘れなく」
「わかっているさ。あんたらに借りを作るリスクも含めて、これから前途多難だってことはな。だがあのままではセルファが危険だったし、俺もこのシリウスを変えたいとも思っていた。それで、本当に闇の軍勢は協力してくれるんだろうな」
「私たちは闇の中でも異端。そして少数派だ。闇の者も一つにまとまっているわけではない。だがこの世を戦乱で染め上げることを目的とする多数派と違い、我々は戦争の終結を求めている。その点では、君とは同志だ。協力は、約束通りさせてもらうよ」
「なら、問題はない。これからはシビリゼーションシール・キャンセラーのような文明の利器だって生産できないんだ。魔法に長けた闇の軍勢の力が無ければ、オッカムとは対等に渡り合えないからな」
「わかっていると思いますが、オッカムにも闇の軍勢は協力している。我々とはまた立場の違う闇の者たちが、ダンジョンのことを彼らに教えた。闇の手先は、まだこの島以外にも数多くはこびって裏からシリウスを動かしている。大陸にも、ダンジョンという存在は数多く生み出されている。世界中が魔物だらけになって収集が付かなくなるのも、時間の問題だ」
「ああ。やらなければ、この世はさらにおぞましい様相になる。おそらく連中は文明の力で。俺たちは魔法の力で。文明対魔法。どちらが勝つかは、わからないはずだ」
「文明側も魔法を使えることはお忘れなく。では、レシキ殿。私の闇の仲間たちが集まったようですので、指揮する者として一言、挨拶でも」
彼女の言う通り、闇の兵士たちがいつの間にか、周辺で集まっていた。全員が黒のローブを見にまとっていて、仮面をつけている。明らかに普通の人間とは様子が違い、強い魔力も感じる。
その場にいるのは、百人ほど。
「彼らは全員、これから各部隊を指揮してもらう予定です。各部隊百人ほど。その百人が百ですから、一万の戦力があることになります。当然、この程度の数ではオッカムに勝つことなど夢のまた夢です。ですが、我々闇の戦力はこれだけです。あとは、イスカリオテの兵士たちが合わさって、全戦力となることになるでしょう。ダンジョンの知識は、我々にもありますが……」
「ダンジョンを使う気はないよ。非人道的な兵器は使う気はない」
「本当に、そんな聖人のような立ち位置で、血みどろの戦争に勝利できると思うの?」
「できるさ。数で負けていようと、全員がそれぞれのできることで、力を合わせていけば、やれないことなんてない。俺たちなら、やれる。なあ、みんな」
レシキの声に、小隊員たちも頷いた。全員、やる気のある決意ある瞳をしていた。
骸骨の仮面をつけていた女は、その仮面を外した。フードも外す。真っ白な髪の毛をしていて、ショートカット。内跳ねしている髪の毛と、外跳ねしている髪の毛。少し癖のある感じがある。顔つきは大人びていたが、どこか少女らしさも残していて、特に紫色の両瞳が無邪気さを残していてやけに光り輝いている。澄んだ瞳という奴だった。
そんな彼女に合わせて、闇の兵士たちも仮面をそれぞれ外し、全員が素顔を晒した。
「自己紹介をしておきましょうか。私の名は、クレイ。クレイです。これからよろしくお願いします、レシキ=レイニーデイ殿。そしてイスカリオテの皆さん。我々は、キラブラッドクリムゾン。闇の爪弾き者であり、あなた達と志を共にする者です。共に真紅の血を流し、いっぱい殺しましょう。平和のために。みんな、わかっているな!」
彼女の声に応えて、兵士たちが拳を振り上げる。マルチプル・レイヴンと、キラブラッドクリムゾン。二つが顔を見合わせたまま、互いを確認し合うように、しばらく見合っていた。
レシキとクレイは、握手を交わした。
全員が、やがて声を上げた。
避難地域となっている場所には、食料だとか医療だとかの問題はあったが、キラブラッドクリムゾンの闇側からの援助によって、何とか一人も飢えたりすることもなく、生活が可能だった。上層が落下した、下層があった場所から、瓦礫となった物の撤去作業が推し進められて、いくらか人が住める環境は取り戻されつつあった。
これを見る度に大変なことをしてしまった感じがして、レシキも落ち着かなくなる時があった。覚悟してやったこととは言え、上層を破壊したことはやはり大きなことだった。
問題も多々ある。元上層の人間と下層の人間の軋轢だ。上から見上げていた者は突然生活の水準レベルが落ちたことで不満たらたらだったし、下層の人間と同じ所で生活をするというだけでも文句が噴出していた。下層の人間側からしてもそれは同じだったし、住む環境が変わったのは下層の人間にとっても同じだったから、不満はやはり多かった。
今まで頼りにしていたシリウスがほとんど破壊された状況にあるということも、民を不安にさせるには十分だった。オッカムがこの破壊を行ったことにしているから、オッカムへの怒りの感情は民にとって凄まじかった。それは嘘ではあったからレシキもあまり良くは思っていなかったが、こればっかりは仕方がなかった。自分たちがやりました、などと告白すれば、処刑確定だろう。
レシキは、セルファの様子を見に来ていた。
闇の軍勢の魔法の知識のおかげで、彼女は施術され、すっかり元気になりつつあった。まだ以前のようには戻れてはいないが、吐き気なども収まったようだったし、元気も取り戻しつつあった。黒髪はベッドで横たわるセルファに、連日励ましの言葉を掛けていた。
「まあ、これからはセルファも戦いのことは忘れて、イスカリオテの民たちと仲良くやっていけよな。俺は戦争に行っちまうだろうが、ちゃんと会いに戻ってくるからさ」
「私も、戦う」
「え? いや、何言ってんの。お前はせっかくこういう体に戻ったんだから、戦いのことなんて忘れろって……」
「今まで私の人生のすべては魔法を使うことに集約されてるんだから。そんな私が魔法も使わない生活を送ったって、何の役にも立てないし」
「魔法は戦いだけじゃなく、生活を利便にするものだって……」
「私は戦闘特化型だから。あのね、レシキ。やっぱりあなただけじゃ不安。仲間たちがいるといったって、戦場で生存能力があるのは圧倒的に私の方なんだから。もっと私を頼りにして、一緒に頑張っていこうよ。せっかくまた一緒になれたんだから、同じ場所で戦っていかなきゃ、時間が勿体ないでしょ? 会えない時間がさ」
「いや……そうかもしれないが……だが……」
「もう! ちょっと、手を出してよ」
「え?」
セルファはレシキの両手を、両手で包み込んだ。
柔らかく、暖かい手だった。
「この手を握るってことが、私たちの一緒にいる証だよ。これからは、ずっとこうやっていられる。……ちょっと恥ずかしいから、たまにやるだけだよ。証は、たまに確認するだけ。だけど、証は常に存在する。私たちは、ずっと一緒にいられるんだよ。肉体が滅びなければ」
「ああ……。そうだな! 体と心。その二つがある限り、俺たちは滅びないからな! 離れていた者が一つになったんだ。オッカムなんかに、負けてられないからな」
「うん。頑張ろうね、レシキ。……ちょっと、外を歩こうか」
二人は連れ添って歩き、人のいない崖までやってきた。
二人はそこで、太陽を見た。丁度、日の出だった。
空は真っ青で、どこまでも突き抜けている。
朝がはじまる。
「また一日がはじまるね」
「明日があって、明後日があって、一週間があって、一ヶ月があって、一年がある。ずっと、そうやって続けばいいな」
「そうだね。そのために、私たちには魔法がある。そして、能力がある」
「はは。……やってみるか!」
太陽に照らされたレシキが、三人になったようにセルファには見えた。それは一瞬のことだったから、錯覚だったかもしれない。目をこすってみれば、すぐにレシキはいつも通りの黒髪で、一人の肉体でしかなかった。銀髪も、赤髪もいない。彼の内側にはいるだろうが。
セルファも前を向いた。
二人の瞳が照らされて、眩い光を放っていた。




