一つの
水着のような薄い服装をしている、やけに胸の大きな紫色の短髪をした女性、ラシャイニ=カルルスマッケはオッカムの司令官である。冷静な様子で盤上を眺めていた彼女は、紫煙をたゆらせながら、ふふっ、と薄く笑った。勝利を確信した微笑みであった。
「策も何もあったものではない。ただの力任せ。ゴブリンの数に物を言わせた物量戦。五十の戦力を駆逐するなど、訳はない。問題はセルファも殺してしまう可能性があるという点にあるが、まあ代わりはいるだろう」
ラシャイニは体勢を変えて、横になった。巨乳がたゆんと揺れる。
「はあ、家が恋しい。さっさと、帰りたい……」
たしかに、戦場を離れれば誰だって一般人のように生活がある。たとえば彼女には愛しの犬がいて、寂しく帰りを待っているはずだった。
この戦が一段落つけば、休暇がもらえる予定ではあった。
ラシャイニは防衛に関する司令官で、一大攻撃作戦に関しては別の者が指揮を取る予定である。そのため、とにかく侵入者を排除すれば、彼女の仕事は終わりなのだが。
そう簡単には、いかなかった。
「ゴブリン部隊が、五百、数が削がれているとの報告が!」
兵士が慌てて入ってきて、そう告げた。ラシャイニは横になって眠たげだった体を硬直でもさせるように棒のように起き上がらせて、「何を言っているんだ」と、その報告が嘘のように感じてしまうほどに動揺した。
すぐに頭を切り替えて、盤上を眺める。
「近くにまだゴブリン部隊が残っていたはずだ。予備の部隊だ。抜けた穴をそいつらで補完させろ。もう人間の部隊は近くにはいないのだ。ゴブリンだけで何とかするしかないのだぞ……」
「敵戦力は、想像以上のものであるかと」
「そんなことはわかっている! 一瞬で五百など、おそらく敵はセルファを完全に味方につけたのだ。セルファ級の魔法使いでなければ、こんな殲滅力は発揮できないはずだ」
「それが……」
「なんだ」
「セルファは気絶しているとの報告も入っています」
「……セルファ以上の、魔法使いでも連中の中にいるというのか……? そんなほいほい、あんなおぞましい兵器があってたまるものか! いいか、敵は何か特別な策を取っているに違いない。それが何かはわからないが、対策を取らねば撤退するしかない……。おい、ゴブリン部隊が、後三百やられたら、撤退を命令することにする。この司令部も引き上げる。防衛ラインを下げて、これ以上好き勝手やられることのないようにしなければならない」
「了解しました。そのように」
「さがれ」
兵士が去っていった後、ラシャイニはひどい目眩に襲われた。ショックなことに遭遇することこういうことがある。眉間に皺を寄せてから、彼女は撤退の準備をはじめなければならないだろうと察した。
「防衛には、引き下がることも大切だ。戦力が足りない時に、策がない時には、潔く退かなければならない。たとえ、屈辱を味わい、苦虫を噛み潰すように苦しめられてもだ!」
彼女はそういう意味ではたしかに冷静だったし、優秀な将であったかもしれない。堅実な、戦いについて知っている女なのかもしれない。
彼女の誤算は、相手がマルチプル・レイヴンという特殊な小隊だったという点に、あるのかもしれない。
その五十対千の戦いを、切り立った崖上から眺めているものがいた。それは全身を真っ黒いローブで身を包み、骸骨の仮面をつけていた。紛れもなく、ただの人間ではない。普通は駆け上がれないような崖上にいる時点で、一般人ではない。
その者は仮面の下で声が漏れない大きな欠伸をしてから、両手を上げて伸びをした。
ただひたすらに、その者は眺めるだけだった。
何かを見定めるように。何かを思案でもするかのように。
やがてそいつは影へと溶けて、姿をその場から消す。誰もそいつがいたことには気がつかなかった。空を飛ぶ鳥ですら、その存在を察知できなかっただろう。
その頃戦場では、女性化したクロイズと、アンナが、コンビネーションを組んで猛威を振るっていた。クロイズはあんなの背中におんぶしてもらい、そしてアンナはビーンズガンを跳躍して空中から放ち続けていた。放物線を描いて、敵陣へと落下していく豆鉄砲。
通常なら何の意味も為さないような、ただの嫌がらせのような射撃のはずであった。
だが、それは本来と違い、爆発する。
しかもその爆発の、熱量が凄まじい。一発の弾丸で、十匹くらいのゴブリンが同時に駆逐される火力と、範囲である。それが一発二発ならたいしたことはないが、ビーンズガンは一秒に十発程度射出できる上に、弾丸はコアに内蔵されていて無限のように体内にあり、補充さえしっかりすれば弾切れすることもない。
恐ろしい継続火力で、敵陣を駆逐していく両名。この戦場を支配しているのは、紛れもなく彼女らであった。
クロイズの能力は『爆発付与』。自分が触れている物、あるいは者に、爆発する属性を付与することができる。クロスボウを持たせれば、矢が爆発するし、このようにアンナに触れていれば、アンナが使用する武器ですらも爆発するようになる。
確かにそれは、戦争という集団戦の中では一人の兵士が持つには十分すぎる能力であった。とにかく距離がある、連射できる兵器さえあれば、無限に爆発によって兵士を爆散できるのだ。そう考えるととても恐ろしい能力だと言えた。
「いつでも女性になっててもらえれば、戦いももっと楽だったんじゃないですかね」
「私は男の方の私が、逆境で戦う精神を諦めた時、つまりかなりの窮地に追い込まれた時にしか変わることができない。つまり、私は切り札というわけなのよ。もっと崇めなさい。私は、男版のクロイズと違って、逆境とか、不利な状況とか、尊敬されないだとか、ごめんだわ。ひたすらにポジティブな圧倒的な、優越感に浸る女でありたいのよ」
「変わったお方なのですね。ていうか、男のクロイズとは真逆ですね」
「私はあいつが嫌いだし、あいつも私が嫌いなの。そもそも一つの体で二つの性別にならなくちゃいけない時点で、うまくいくはずもないんだけどね」
「まあ、私はそういうお方も嫌いじゃないですが。クロイズという人格はどちらも、素敵な方だと思っていますよ、今の所」
「あら、アンドロイドの割に半分だけはわかっているようね。何、ああいう男が好みなのかしら。恋でもしている乙女だなんて、実に人間的で面白いわね。気に入ったわ、私の言うことをしっかり聞くアンドロイドになりなさい。おいしい思いをさせてあげるから」
「私は恋だなんて、そんなものはしません! 何言ってるんですか、恋だなんてしてるわけないじゃないですか。私が恋をしてたら、アンドロイドという個性が失われますよ。私は恋なんてしませんからね!」
「なんか会話が噛み合ってない上に、どんだけわかりやすい性格をしているのかしら、あなた……」
そんな雑談をしている間に、ゴブリンたちはさらに三百程度は駆逐されていた。
ただひたすら、跳躍してビーンズガンを放物線状に放射し、着地したらまた跳んで放つ。そんな繰り返しだけで、まるで戦車を二十台くらい持ってきたかのような戦果だった。
ゴブリンたちは、進軍をやめて、撤退していく。
「引き際がいいじゃないか。ちょっと遅かったかもしれないけどな……」銀髪のレシキが笑う。
ビーンズガンを撃つことをやめたアンナは、先ほどの言葉に照れたまままだ、言う。
「私はですね、恋なんてしてないですよ! いいですか、絶対に忘れてください。撤回してくださいよ。私はですね、恋愛とかそういうものには興味を持っていない、人間味のないアンドロイドで……」
「……何言ってんだ、アンナ。恋の話を、あいつとしてたのか? 随分と余裕だな」
「お、男のクロイズで、ですか!? い、今のは独り言です。私は何も言ってませんし、照れてもいるわけないじゃないですか、このオタンチン!」
「……は?」
戦場は静まり返った。退路もしっかり確保された。もはや何も心配はないだろう。敵軍は自らの領地のもっと奥深くへと去っていったのだ。イスカリオテへの道は、随分と広く、そしてまだ地平線の向こうではあったが、確実にその先にそのシリウスはあるのだ。
行きはよいよい、帰りもよいよい。
特に問題も発生せず、小隊は帰り道を行きの時と同様の速度で、しかし心は随分と開放された状態で、進んでいった。
途中の休憩でも宴会のように騒ぎ、酒が入り、全員でふざけあい、何度も笑いあったのだ。
勝利の美酒に酔うとは、まさにこういうことをいうのであろう。
協力し合い、彼らは心技体を示したのだ。
賞賛されるべき、素晴らしきに値する、奇跡のような戦果を誰かは語り継ぐだろうか。それはまだわからないし、戦いは終わっていない。未来のことは、誰にもわからない。
一時の、休憩でしかないのだ。




