二人だけの世界
最上層に繋がる転移装置前までやってきたセルファは、案内人であるペケさんと挨拶をする。ペケさんは気さくな人で、「この度はおめでとうございます」とセルファにお辞儀した。
シビリゼーションシール・キャンセラーがシリウス内上層には備わっているため、転移装置のような文明の利器を使うことができるのは、大変わくわくすることだった。
魔法でもないのに、まるで魔法のように人の生活を利便にする。
セルファはペケさんの背後に付き従い、転移装置に足を踏み入れて、最上層へと転送される。
移動した感覚も、乗り物に乗った感覚もない。
気がついたら、そこにいた。
「ここが最上層ですか……」
「総帥がお待ちですぞ。あなたがやってくることを、心待ちにしているはずです」
「なぜ、私なんでしょう」
「あなたが有能な魔法使いだからですよ」
扉が開けられて、奥に座っている男の姿見えるようになる。総帥だ。総帥の趣味なのか、部屋はどこかモダンな装飾で、落ち着く配色の部屋だった。
「私はここまでですぞ。奥へ、お進みください、セルファ殿……」
「はい」
セルファは前に歩み出て、総帥と向かい合う。
総帥は目の前に小さなディスプレイを出して、それをいじくっていたが、セルファへと顔をやがて向けて気さくな調子で話しかけてきた。
「この度はおめでとう、セルファ=ランバート。率直に用件だけ言わせてもらうけど、今回君には大事な使命があるんだ。このオッカムの命運を決定づける、大事な役割が、君に託されることになってね」
「私が、ですか……。ただの学生の、私に?」
「君の能力はオッカムのどの魔法使いよりも潜在能力がある。成長の余裕を残しながら、現在の実力だけでいっても、このオッカムのトップクラスだ。まだ若く、それに綺麗だし。うん、申し分ないよ。君なら何の問題もない。このオッカムのために、生贄になってくれないか?」
「生贄?」
「ああ、そうだ。生贄。魂を捧げて、ダンジョンを守る封印となってもらいたい。我々の戦力となる魔物を生み出す生産工場であるダンジョン。そのダンジョンはオッカムにとっての重要な拠点だ。魂という封印を為すことで、絶対に破れぬ鍵となってもらいたい。幸い君はここに一人で引っ越してきたはずだから、君の封印を解除できるような奴もいないだろう。まあ、イスカリオテにそういう人間がいたかもしれないが、そんな人間がわざわざオッカムの領地にやってきて封印を解くことなど、可能性は低いからね」
「あの……これは栄誉あることなんですよね。一人の魔法使いとして、シリウスに貢献できることは最高の喜びですよね」
「そうだ。よく教育されているようだね。これ以上の栄誉はない。考えるまでもないよね。何も命を捧げる訳じゃないんだ。ただ魂と体を分離させてしまうだけさ。密接に影響しあう精神と肉体と分けることは人間にとって良いことではないだろうが、君という器なら耐えることも可能だろう。強い人間には、難しい任務が与えられてしかるべきだ」
「私は、強い、ですか? でも、生贄になったら、もう魔法の練習はできなくなるんでしょうか。それに、私には親友がいて……その人とイスカリオテからここまで、ずっと一緒で」
「何を言ってるんだ。君はずっと一人だったじゃないか」
「えっ?」
「君はこのオッカムに家族だけで来たはずだ。親友なんてオッカムにはいない。いつも上辺だけの付き合いだけはして、大切な仲間など一人もいない。君が魂を捧げて悲しむ人はいない。両親だって、栄誉あることを喜んでくれるだろう」
「私は、一人だった……? たしかに、何かがおかしい……。この状況、この会話、すべてに既視感がある。ここは、何? 私は、何をしているんだっけ?」
「苦しむ必要はないよ。その苦しみですら、すぐに忘れられる。さあ、こちらに来たまえセルファ=ランバート。手を取り合おうじゃないか」
「はい……」セルファの目から光がきえた。
そして一歩前へ踏み出て、総帥の手を握ろうとした瞬間に、声が聞こえた。
それは、彼女のすぐ横で座っていた。いつの間に、椅子などあったのだろう。
座っている男は、よく知っている人だ。
レシキ=レイニーデイだ。
「なんでここに……」セルファの目に再び光が灯った。
「あり得なかった過去。あるかもしれない未来。ここは、可能性の夢。だから俺もお前も、ありえない会話を交わして、ありえない記憶が植えつけられていた。お前と別れてから、俺は自分のやらなければならないことを思い出した」
「そうじゃなくて、なんでここにいるのかって……」
「願ったら、ここに辿り着いた。まるで夢遊病にでもかかったみたいに」
「ここは夢なの? じゃあ、私は生贄にならないの? このオッカムに貢献できる、またとないチャンスだったから私は、手を取ろうとして」
「そんなものに、栄誉なんかにどんな価値があるっていうんだ? 人に褒められる人間になりたいのか? そんな一時的な、ちょっとしたことで墜落するようなあやふやな、名誉欲なんかに浸って自分を見失うんだぜ」
「レシキ。なんか難しいことを言えるようになったね。子供の頃は、あんなに馬鹿だったのに」
「馬鹿じゃない。俺は、小難しいことを考える奴とずっと一緒にいて、少し成長しただけだ」
「そっか。そうだね。私たち、一緒じゃなかったんだ……。この夢の中での日々は、あくまでも夢」
「夢でも偽りじゃない。現実が真実とは限らないように。だから、この夢で起きることも真実になりえるんだ。俺は、お前を説得しに来たんだ、セルファ」
「説得? 私を?」
「イスカリオテからここまで、お前を助けるためにここまで来た。兵器になって、人を殺戮する機械になるなんて、お前の望む姿じゃない。こっちにこいよ、セルファ。今から、ここを出て行くんだ」
「え、でも……。変えられることじゃない。説得とか云々じゃない。私がいくら違う未来を期待したって、現実は高いお城のようにそびえ立ってる。シリウスの意志が、私の意志を塗り潰す。だけど絶望じゃない。私は、シリウスのために貢献できて。レシキだって、私のことを褒めてくれるでしょ。よくやったって」
「くだらねえな、セルファ」
「え……」
「褒められるだとか、貢献されるだとか。そんなことより、俺たちと暗黒の支配者になったほうが絶対に楽しい。この世は、俺たちが俺たち自身の手で、幸福を生み出して、幸福まみれにするために存在している。不幸なんて消失するように、世界の人々が手を取り合っていける。全員が協力すれば、きっと世界の悪い部分は、すべて終わりを告げるんだぜ」
「何言ってるの……。暗黒の支配者って、何その中二病……。幸福だけなんてそんな子供染みた夢、叶うわけ……」
「本当にそう思うか?」
「私は、幸せになりたいわけじゃないよ」
「じゃあ何のために生きてるんだ? なぜ、この世に生を受けて、苦しみを享受しているんだ?」
「それは……大きな目的のためだよ。私はただ、みんなに……」
「言ってみろよ」
「褒めてもらいたいんだ。みんなに、私がすごいって、心の底から褒めて欲しくて……」
「……なあ、お前だって幸せを望んでるじゃないか。こんな封印のための生贄になっていたら、そんな幸せを感じ取ることだってできない。こんな薄暗いダンジョンで一人ぼっちじゃ、誰もお前の勇気を褒めたたえてくれることもない。とても寂しいんだ。孤独だ。お前は、苦しむために生まれてきた訳じゃない。お前が生まれてきたのは……」
レシキは立ち上がった。何かを決意したような瞳が、燃えるように光を宿していた。セルファはその光に吸い込まれそうになるのを感じた。なぜ、気がつかなかったのだろう。この人が、こんなに眩しい人だったことを、セルファは初めて知った。
手が、差し伸ばされた。
「手を、握れ。俺が、お前を引っ張っていけるように」
「でも……」総帥の手と、レシキの手。その二つを見比べた。
「俺たちが一緒に過ごした時間は間違いなく存在していた。俺はそれがとても大切な時間だった。だからそれが失われてから、ずっと俺の時間は止まっていた。お前はどうなんだろう。俺は知りたい。教えてくれないか」
「私は……」セルファは自分の手を胸に当てた。答えが、出た。その眩しさが、とても眩しかった。
涙が溢れた。ずっと、誰かに救ってもらいたかった。自分の力だけじゃ何もできなかった。
こうやって、自分の大切なものを、はじめて素直に受け入れることができた気がする。心の奥底から手に入れたい、握り締めてみたい手が、こんなに信じてみたいものだって、セルファはわかった。
涙が頬を伝い、流れる。
「私も……あなたと、一緒にいたかった。オッカムになんて、来たくなかった。生贄になんてなるより、ずっと一人ぼっちでいるより、誰よりあなたに褒めてもらいたい」
「ああ。そうだな」
「褒めてもらえるかな?」
レシキはこくりと頷いて、そして伸びた手を思いっきり掴み取った。
目を瞑って、その暖かさを感じ取る。二人はしばらく、黙ったままそこに立っていた。
お互いの心を、確認でもするように。
「ずっと、素直に言えなかった。お前は毎日自分に厳しくて、そして優しかったよ。見た目も昔好きだった人にそっくりだった。そんなお前だから俺はずっと好きだった。ずっと、親友でもいいかって満足していた。だけど、それは俺の本当の気持ちじゃなかった。幸せになるためには、それじゃだめだったんだ。だからお前を引き止めることもできなかったから。……セルファ、行こう。俺たちが共に生きられる未来を、一緒に作っていこう」
涙をぬぐって、セルファは笑った。そして言う。
「……うん。好きだよ、レシキ」
レシキもにかっと微笑んだ。彼の止まっていた時間が、動き出すように。
「俺もだ、セルファ」




