『魂』 見えない
静かになった部屋の最奥の何もなかった壁が、砂のように崩れ落ちて穴が空いた。ちょうど人が通れるくらいの大きさのその穴から、青色の発光がある。木漏れ日のようにその光が穏やかで気持ちの良いものだったので、その光に目的の物があるのではないかと、もはや誰もが疑わなかったのは言うまでもない。
「レシキに数人の護衛をつけて、奥に進もう。残りの面子は魔物の邪魔が入らないようにこの部屋を死守するとしよう。くれぐれもセルファが来る前に、急いでだ」
「こんなタイミングでセルファが現れたら、絶体絶命ですねー。まあそんな都合の悪いこと起こりませんよ。しっかりセルファを閉じ込めたり、時間稼ぎはしっかりやったわけですし……」
「……いや、絶対絶命になるようだよ」カンラが冷や汗を掻きながら、入口の方を見ている。
「え……」アンナも入口を見る。そして、アンドロイドのなのに肝を冷やした。
「ガハハ。来てしまったようだな、最悪の、本当のラスボスという奴が」
ゆっくりとではあったが、間違いなく歩みを彼らへと向けている。
セルファ=ランバートその人が、遂に戦闘可能な距離にまで、近づいたのだ。
「早くいけ! アンナ、カンラ。お前らが護衛につけ。俺とガルラと残りの面子でセルファをこれ以上奥に進ませないようにする。何がなんでも、ダンジョンをクリアするんだ!」
「死なないで下さいね、クロイズ、ガルラ、みんな!」
「当たり前だ。この逆境、乗り越えなきゃ男じゃねえ!」
「ガルラ、また酒を一緒に飲むんだぞ……」
「ガハハ。うまい酒をたらふく買えるくらいの報酬が入るといいな!」
そういう会話を交わしてから、マルチプル・レイヴンは二手に分かれた。
黒髪のレシキは、走りながら気持ちがどんどん膨らんでいくのを感じる。
止まっていた時が、動き出そうとでもしているように。
失われた時間を、取り戻す瞬間がやってくる。
「頼んだぜ、みんな。そして待っていろ、セルファ!」
奥の穴に侵入して、彼らは真っ青に発光している隠し部屋に辿り着く。
一番最奥の、高台に、封印されている魔導宝具らしきオーブが光輝いている。
そして封印と思われる魂のような、丸いものも、空中に浮いて発光している。それが真っ青に光輝いて部屋自体を照らしているのだ。
レシキは躊躇することなく、その封印のための魂を、掴み取った。
その瞬間、手に激しい雷撃のような痺れが発生し、その痺れが全身に回って震えることになった。だが手を離す訳にはいかない。もっと力強く、レシキは魂を握った。
それは柔らかく、握りつぶしてしまえそうなほどだった。
やがて魂が、さらに強く発光する。
黒髪のレシキは、魂の中に意識が吸い込まれていくのを感じて、自分が時間も空間も跳躍するのを理解した。
魂への説得が、これより始まるのだ。
オッカムへと移住してから、早数年が経過していた。セルファは変わらず魔法の鍛錬を欠かすことなく、勉強もいっぱいして魔法に関する知識においても他の生徒とは一線を画すようになった。
中でも魔法の実技に関しては、学院の長い歴史の中でも最上位の、もっとも優れた魔法使いであると表彰されるほどの、有名人になっていた。
セルファは、レシキに話しかける。いつでもセルファはレシキと一緒に行動してきたし、修行も一緒にやってきたから、お互いのことはもうよくわかっている。レシキの魔法の才能は並といった程度で、セルファとの差は年々開いてきて、周囲からもなんであんな男といつも一緒にいるのだろう、と噂されることも多々あったが、当のセルファとレシキ自身は、昔と関係が変わることはなかった。
イスカリオテからオッカムへと移る時、レシキも一緒に来ることになったことにはびっくりしたけど、やっぱりレシキがいてくれて良かったような気がする。
トップであるということは、孤独になるということでもあった。
優秀な魔法使いを目指すすべての生徒にとって、憧れの存在として輝いて映るセルファではあったが、同時に畏怖の対象でもあった。やつは別の世界の人間で、出来がそもそも違う。
そう思われていては、友達などできるはずもない。
レシキ以外とは、表面的な付き合いしかできずにいた。だから、きっとレシキがいなかったら孤独な毎日を送ることになっていただろう、とセルファは推測することができた。そういう意味では、やはり彼への感謝の念というものも感じる。
「レシキは学院を卒業したら、どんな仕事に付くの? やっぱり、魔法に関する仕事をしたいんでしょ?」
「ああ、そうだな。俺は自分に合った仕事をしたいとは思ってるけどな。なにせ長年付き合うものだからな、仕事ってのは。自分と相性の悪い仕事を選んじまったら、生涯それに苦しめられることになる。だから俺は、自分探しってやつをしてみたいね」
「自分探し……。なにその、思春期真っ盛りの人間でも恥ずかしく思うような発言は……」
「恥ずかしいとか言うなよ! 俺は真剣に考えているんだ。この世界では幸せを自分からつかみとらなくては、不幸になっても仕方がないということがよくあるはずだ。俺はそれを知っている。だから、幸せになるための出来ることはいっぱい試しておきたいんだ。たとえ恥ずかしくてもだ!」
「ふうん。まあ、私は幸せになれるかどうかなんてどうでもいいかな。人生って結局、運だと思うし。どんなに幸せを追求しても、不治の病気になったり事故にあったりしたらそれで終わりじゃない。私たちは精神を持っているけど、肉体も持っている。その肉体が滅びたらそれで終わり。ってなったらさ、結局、幸せであり続けるなんて不可能だよ。肉体は、良い時と悪い時が間違いなくあるからね」
「俺が注目してるのはその精神の部分さ。精神が鍛えられれば、人は不幸な不運が発生しても、自分の心を多種多様に変化させて、その不運から来るストレスを回避できるんだ。自分を知り、どういう心なのかを知れば、その心をコントロールすることもできるさ。そう考えてみたらさ、俺が探求しなければならないのは、きっと精神なんだな。心なんだよ」
「じゃあ私はあなたが追求できないものを追求しようかな。肉体の限界に挑戦して、誰よりも屈強な魔法使いになれれば、あなたに足りない物を補えるから」
「筋肉むきむきになるのか? もてなくなるぞ、きっと」
「むきむきにはならないから! それに、別にもてたくて体を鍛える訳じゃないから」
「別にもてたっていいじゃん。お前、そもそも今まで、彼氏とかいたことあんの?」
「何言ってんのよ。あんただって彼女いたことあんの? 私は別に、彼氏とかなんていなくても、結婚できなくても、子孫なんて残さなくたって別にかまわないし……」
「もてないから、そういう閉鎖的な考えになっちまったんだな。かわいそうに」
「馬鹿にしないで! 意地悪なことを言うと、ハゲるよ!」
「なんでハゲるんだよ……お前は俺の発毛事情を知っているのか?」
「いや、発毛事情なんて単語、初めて聞いたんだけど……」
「まあいいや。こんな学生らしくもない会話は終わりだ! 今日も鍛錬するんだろ? 今から行くのか? なんか用事とかあんの?」
「ええと、なんか私、オッカムの最上層に呼ばれてて……」
「……はっ!? 最上層!? なんで、どういうこと、それ。なんで最上層になんて呼ばれるんだよ」
「知らないよ。なんか、総帥に呼ばれてるんだよね」
「総帥……。オッカムのすべてを決める人だよな」
「そうだね。まあ、何か重要なことなのかもしれないけど、何も教えられてないから何とも言えないかな」
「まあ、失礼なことを言って首をはねられたりしないように注意することだな」
「そんなこというわけないでしょ! 私だって、もう十分礼儀作法は学んでるんだから! そういう上辺だけの付き合いって、随分慣れてきてるし……」
「お可哀想なことで」




