アンナ、走り、針を穿つ
レシキたちは敵小隊を倒したことで出来たその穴、突破点を目掛けて走り抜けて、いまやダンジョンに辿り着こうとしていた。障害はゴブリン部隊だが、一度ダンジョンに入ってしまえば、つまり囲まれなければ問題ではない。とにかくセルファのような難敵が増援として現れる可能性がある以上、時間は掛けられない。急がなければならない。
「特に、問題はないな」
「ああ、ゴブリン部隊ともまだ距離があるし、人間の部隊もいない」
「ガハハ。我の地雷が効いたな!」
「お前っていうか、もう一人の能力だろ……」カンラの突っ込みをガルラは笑って受け流す。
さて、特に問題もないように思えるこの状況。
実は、かなり問題のある状態であった。
気がついているのは、この時点では、アンナだけだった。
「みんな、私の言葉が聞こえないんですか。……一体全体、どうしちゃったんですか。これは、明らかに魔術や能力の影響だろうけど……そっちじゃないですよ、そっちじゃあ……」
まるで見当違いの方向への移動。小隊全員が、精神的な操作でも受けたみたいに、方向音痴にでもなってしまったみたいに、敵が大勢いるダンジョンとは真逆の方へと進むようになってしまった。地雷を使って敵を撃破した時点までは順調だったのだが、そのオッカムの人間小隊を倒してからすぐ、このおかしな変化が生じてしまったのだ。
「私が何とかしなければ……アンドロイドで精神操作を受けないような私にしか、この状況を突破することはできない。急がなければみんなの命が危険に陥る。そうならないために、やれることをやらなければ!」
アンナが悩んでいる間にも、呑気に彼らはゴブリンたちへと突っ込んでいる。
「ダンジョン入る前に、腹ごしらえもしときたいっすけどねー」
「アンナに頼めばいい。あれ、アンナがいないような……さっきから、いる気配はするのだが、何か存在が希薄というか、アンナがいるのかいないのかわからない感じがするな。なんだ、この感覚は」レシキが違和感を口にする。
アンナはそこで理解した。こちらの言葉が聞こえないようだが、こちらの気配を完全に察知できなくなっているわけではない。つまり、その違和感を突っついてやれば、アンナの希薄になった気配を濃厚にしてやれば、こちらの言葉もやがて聞こえるようになるかもしれない。
「少し痛いかもしれないですけど、我慢してくださいね、リーダー!」
アンナは、レシキに腹パンする。
「ぐおおっ!?」
ねじり込むような強烈な一撃が入ったことで、レシキが宙を舞う。地面に砂埃をたてながら落下して、苦しそうに嗚咽する。
「なんだ、敵の攻撃か!?」クロイズが慌てて周辺を見渡す。だが彼は敵を発見できない。
ゴブリン部隊は、もう目と鼻の先の距離まで近づいてきているというのに。
「なんか……小隊長は、急に吹っ飛んだんじゃないか?」カンラが戸惑う。アンナのことに気がついていないのだ。
「駄目か……殴ればみんなが私に気が付くと思ったのに、精神操作を深い所まで受けているのか、これじゃ駄目だ。発生させている大元を叩くか、もっと目立つことをして何とかみんなに私のことを気がつかせるか……。時間はほとんどない。急がなければみんなからは見えない敵の攻撃で、みんながやられてしまう……どうする、私……! アンナ=バースマンス13号……!」
「いてて。……今の腹パンは、アンナだな。どういうことだ、アンナ。なぜ今、俺を攻撃した。そもそもアンナはどこにいるんだ。姿がさっきから見えないが……」
「レシキ小隊長……! 気がついてくれた!」
アンナは、もう一回腹パンした。
「うがああ!」レシキは再び宙を舞い、地面にずしゃあと転がった。
「ガハハ。なるほど、アンナがやったのだと思って見ていたら、何かアンナの気配のようなものを感じたぞ。そこにいるのに、そこにいない。そんな違和感があるな。つまりこれは……」
「ああ。簡単なことだ。俺たちは、何かの能力か魔術かの影響で、アンナの姿を見ることができない状態にあるということだ」クロイズは立ち止まり、思考をはじめる。
「……お前ら、少しは俺を哀れに思ってくれ……。なんで二回も腹パンされなくてはならんのだ……。俺は身体はそんなに強くなくてだな……」
「それよりリーダー。敵から正体が完全にはわからない攻撃を受けている以上、無闇に進軍はやめたほうがいい。そしてアンナがいない所見ると、鍵を握っているのはアンナだ。やつが何かに捕まっているのか、それとも俺たちがおかしいのか。それはわからないが、とにかくアンナだ。あいつに問題を解決してもらうまで、俺たちはひたすら注意深く待機していた方がいい」
「……そのようだな。全員、ここで止まれ! アンナが普通に見える状態になるまで、この場で待機だ。セルファが増援で来る可能性もあるが、攻撃を受けているのに無闇に進軍する訳にもいかん。……アンナ、聞こえているなら、聞いてくれ。お前だけが頼りだ。お前に、俺たちの命運を任せた」
その言葉を聞いて、アンナの心は奮えた。
自分は頼られているのだ。人間の役に立つことが本懐であるアンドロイドとして、こんなに心躍ることはない。ここが活躍の場だ。私は、役に立つ、マルチプル・レイヴンの一員でありたい!
小隊の明後日の方向への進軍は止まった。
ゴブリン部隊に攻撃されたとしても、すぐに対応はできないだろうが、警戒していれば致命傷も避けられるはずだ。勿論、急がなければならないのは間違いないが。
ならば、後は出元を叩くということが必要だ。
この能力か魔術の大元。それは当然、あの人間部隊にいるはず。地雷を直撃して生き延びている奴が、元凶だ!
アンナは全力で走行をはじめる。砂埃が舞うほどのその勢いで、すぐに小高い丘への距離を縮めてみせた。
その接近を、泣きじゃくるポランが目撃した。
彼女はさらに泣いた。自分の能力が効かない相手、アンドロイドの存在を計算に入れていなかった自分の迂闊さを、呪った。ポランは拳で地面を叩きながら、もうとにかく号泣してしまって、何もかもが幻のような錯覚を感じることで、いわゆる現実逃避をはじめた。
もはや何も策がなかった。
「どうやら、あなたが元凶、のようですね……。生き残っているのも、見る限り、あなただけ」
アンナはポランを見下ろしていた。
その顔に影がかかっていて、ポランを現実逃避から帰ってこさせるだけの、威圧感があった。つまり人が人を殺そうとする時の、覚悟している戦争でよく見る目だった。
ポランはとにかく泣いた。
そのアンナという存在にびびってもいたし、後悔の念にとり憑かれてもいた。ついでに過去の様々な失敗も同時に思い出し、それらの苦しみを想起して悶えた。
だが、そうやって悲しむことももうできなくなるのだろう。死ぬとはそういうことだ。自分が考えてきた様々な不幸なこと、幸せなこと、泣きたくなること、怒りたくなること、喜びたくなること、そのどれもが失われて無へと還っていく。
その死という瞬間は、皆に平等に、いつかは訪れるのだ。
そのことが異様に悲しかった。やはり彼女は泣いた。拳をガンガンと地面に叩きつけながら、とにかく泣いてその平等な瞬間が訪れることが、無へと還ることが、怖いのだと気づいた。
それも、終わるのだ。
「あなたが能力など使わなければ、殺されることもなかったんですよ……私たちはあなたを殺すために追撃したりなんて、しないのですから」
「……はやく、殺せ」
「はい、殺します。この足裏の針で、あなたの脳天をぶち抜いて、苦しまずにあの世逝きです。……さようなら、名も知らぬ兵士さん。地獄で、会いましょう」
ポランの頭を、針で貫いた。
血がどろどろと流れて、水たまりのようになってしまう。
もう泣き喚く声は無くなって、静かになった。




