制裁 白髪のやっていくこと なすべきこと
晴れていた天気は一転して大雨となった。パツパツ、とテントに雨が降りかかる音がやけに響いている。
やっておくべきことを一通り終えて、レシキは丁度良い時間になるまでテントで待機していた。クロイズもいたが、彼はずっと眠っていた。ディスプレイが目の前に置かれており、そこに細かく区分けされた映像が映っている。
その内の一つ、酒場の風景を映し出している映像を、レシキは注視していた。多くの兵士たちがひたすらに酒を飲み続ける退屈な映像だったが、レシキはひたすらそれを見ていた。
やがて、一つの席から兵士たちが立ち上がったのを見て、レシキもそれに合わせてテントを出た。
その席には、大隊長の姿もあった。
「さて、上手くやれるかな……」
大雨が都合良く止み始めた。小ぶりになった雨の中を一応フードを被って、向かう。
夜道を、早歩きで進んでいく。広場から酒場まではたいした距離もないので、すぐに大隊長率いる兵士たちの姿が遠目に見えた。兵士たちがいる間は迂闊には近づけないので、ひたすら物陰から様子を窺う。暗いのが幸いしているので、発見される可能性は無い。
彼らを追跡すること十分後、マルゴッスがトイレに向かい、一人になった。兵士たちとの距離が開いた。今なら、暗がりを行けば発見される恐れはない。
「あの……マルゴッス大隊長殿……少しよろしいでしょうか」
「ん……誰だね?」
「レシキです。あの……例の『秘密』の件でお話があるのですが……」
「レシキくんか。……秘密か……なるほど、ここでもいいですか?」
「いえ、少し長話になると思うので、あちらの橋辺りで……」
「兵士たちを待たせているのと、あとトイレに入りたいのですが……」
「兵士たちには俺から言っておきます。大隊長殿は、トイレを済ましてきてください」
「わかりました。では、急ぐとしましょうか。明日も早いですからね」
マルゴッスは言葉はしっかりとしていたが、足付きが千鳥足だった。実にふらふらとしていて、いつ転んでもおかしくない様子だ。彼がトイレに向かったのを見て、レシキは再び物陰に隠れた。なるべく姿を隠しておかなければ、何でこの姿を兵士たちに見られるかわかったものではないからだ。
当然、待たせている兵士たちに伝言をする気はレシキにはさらさらない。
誰にも知られず、誰にも察されることなく、この行為をしなくてはならないからだ。
「待たせましたね、レシキくん。では向かいましょうか、橋、でしたね?」
「はい。兵士たちには大隊長殿が先に行っていると俺から告げておきました。橋はすぐ近くですし、そう長いこと時間も取らせません……。ご安心を……」
「別に急いでる訳ではありませんし、夜もまだまだ長い。時間のことは気にせず、用件を語ってくださって結構ですよ。あなた方を最前線から外せとか、そういう戦闘に関わることはそう簡単には変えられませんが……」
「いえ、そういうことではありません。あくまで、『秘密』の話ですから」
「なるほど……橋は、ここで良いのですかね。すみませんね、ちょっと酔ってて、判断能力が鈍っているようですが……」
「お酒を結構飲まれたのですか?」
「店長から村人から差し入れがあったということで、普段は飲まないような度数の高いお酒を飲みましてね。ちょっと、無理をしすぎました。言葉は大丈夫ですが、その他の機能がおかしくなっている自覚もあります」
「それでは、早めに終わらせましょう。川の流れを見つめると、気分が落ち着くそうですよ」
「川の流れですか。たしかに酔っている状態にはいいかもしれません」
川は増水していて流れが速い。こんなところを、たとえば足を滑らせて落っこちてしまうとしたら、命を簡単に捨てることになるだろう。呼吸ができず、水を大量に飲み、苦しみながら死んでいくことになるだろう……。
「で、一体どんな『秘密』の話なのですか? お互い、そう話すことがあるようには思えませんが」
「あなたは、自分の望みのために他人を巻き込むこともあると言いました。その話を聞いて、ああそうか、と思ったんです」
「わかってもらえますか。あなたも指揮する者として、そういう大胆さを持つことは良いことだと思いますよ」
「しかし、命を奪うとなれば話は別ではないでしょうか。戦場での命の価値は低いかもしれない。大義のために兵士が散っていくことは、当たり前のことかもしれませんが、それでも命とは、やはり誰のものであっても平等に、尊いのです」
「私はそうは思いませんが。命の価値は人によって違いますよ。くだらない命もあります。どうしようもない命もあります。消えていっていい命というのは、いくらでも転がっていますよ」
「そんなことは、ありません」
レシキの言葉に強い意志を感じて、マルゴッスは少し戸惑った。
「あなたは、何がいいたいのです。上官に向かって生意気な口を効いても、良いことにはなりませんよ。君と私は、どうやら価値観が違うようだ。価値観が違うということはどうしようもないことだ。ならば大人しく諦めて、価値観以外の点での共通点を見つけていこうではありませんか」
「私は、あなたのような人間を許せません。人の破滅を願い、自ら敗北し、負けることによって生じる命の消失に、虫けらのような扱いをしていますね。どうすればそんな人間を止められるか。説得するとかも悪くはないでしょう。しかし、あなたに説得は不可能そうだ。ならば、どうするか……どうすれば兵士1000人の命を、無駄にすることなく、良い結果を生み出せるか……」
「まさか、まさか、とは思いますが……あなたは……」
マルゴッスは後ずさりをして、その場から走り出そうとしたが、その瞬間に頭を大きななにかで鷲掴みにされてしまい、足が空中に浮いた。ばたばたとするが、それから逃れられない。
「な、何をする! 離しなさい! 人を呼びますよ! そしてあなたを処刑するよう進言して……」
「もう手遅れだなあ。お前の声は誰にも届かない。足元に魔法陣が敷かれていることには酔っ払っているせいで気がつかなかったようだな。沈黙の魔法陣……俺とあんたの声は、他の誰にも聞こえることはないぜ……」すでに銀髪は赤髪へと変わっていた。
「沈黙の魔法陣、だと……! 貴様、はじめっから私を殺すつもりで……そうか、あの度数の強い酒もお前の差金か! 私から判断能力を奪い、魔法陣にも気がつかせないための……」
「当たり前だ。誰にもバレないようにあんたを殺さなければならなかった……。これからお前を、どう殺すか、わかるか……? これは事故として扱われるんだ。お前の死体の肺からは大量の水が見つかることだろう。溺死するからだ……。だが、そもそもこんな何もない村で死んだら、検死のようなことがされるだろうか……。死体はシリウスには持ち帰られない……。お前の死の真相は決して暴かれることはない……。お前は今から、苦しんで、もがいて、死ぬ。死んでいった兵士の心を安らかにするため、死ぬかもしれなかった兵士たちの安心のため、お前がここで死ぬ!」
「や、やめてください! あなたのやっていることは殺人なのですよ! 戦争中といえど、こんなことは到底許されない! もしこのことがバレれば、あなたの人生だってお仕舞いなのですよ!」
「そうはならない。そうならないようにすれば、ならなくなるからだ」
「滅茶苦茶だ!」
「覚悟を決めろ。そして大きく息を吸い込め。せいぜい、長く生きられるようにな!」
川の水の中に、マルゴッスの顔を思いっきりつける。
当然暴れるが、暴れれば暴れるほど呼吸も辛くなり、恐怖も増していった。マルゴッスは呼吸ができなくなることをひたすらに恐れたが、逃れる術はなにもなかった。自分の頭部を掴んでいる巨大なものが何であるかすら、わからない。
死にたくない、死にたくない、死にたくない……。
念じるように繰り返すが、それはやはり何の意味もなさなかった。
やがてマルゴッスは動かなくなり、意識も失い、凄まじい表情になって朽ち果てた。
「川でトイレを済ませようとして、誤って転落……。そのまま溺れて、無様に死んでいった……。まあ、シリウスに死体を持ち帰られたりしない限りは、大丈夫だろう……」
銀髪はそう考えてから、その場を立ち去っていった。
マルゴッスの死体は、川の奔流とともに下流へとぷかぷかと、流されていった。
夜が更けて、やがて朝がきた。




