レシキの暗躍
マルゴッスとレシキは夜道を歩き、木造の小さな古ぼけた橋にやってきた。ほとんど人気もなく酒場の灯りもないそこで、マルゴッスはしばらく川を見つめていた。
「今回の作戦はお疲れ様でした。あなたにも良く働いてもらったと思っています」
「指揮する者の命令を聞くことは当たり前のことです」
「……そう言ってくださると、助かるのですが」
聞きたいことはあるが、それを尋ねるのには多少の勇気が必要だった。だが、聞かずに済ませる訳にもいかない。あんな中途半端な命令のせいで、多くの仲間の命が奪われたことは事実だ。
レシキが口を開こうとすると、マルゴッスがそれより先に言葉を紡ぐ。
「あなたはこう思っている。兵士たちも噂しています。あの指揮官は相当の臆病者なのだと。自分が死ぬことを恐れて、真っ先に撤退したのだと」
レシキは冷や汗のようなものを掻くのを実感した。しかし、自らそのことを言うということはもっと深い理由があったのだとも感じる。
何が事情があったのかもしれない。
「私はただ、負けたかっただけです。敗北が、望みだっただけなのですがね……」
「は?」耳を疑った。
この小男、今なんといったんだ?
「レシキ君には話しておきます。あの危機的状況を脱してみせたのには、なにか特別な理由があったのでしょうね。つまり君には秘密がある。となれば、私の秘密を話しても、君はそれを簡単にばらすことはできないはずだ。私は今お酒も入っていてね。そういうわけで、少し語りたくなったのですが……」
「……秘密など、ありませんが」このマルゴッス。こちらの能力に気がついている……。
「あなたの秘密については深く追求することはやめておきます。だからあなたも私の秘密について深く入り込んでこないようにして下さい。交換条件というやつですよ」
つまりこのマルゴッスは秘密をばらされるような事態を避けるために、俺だけに秘密を語るつもりだということだ。しかし、本当に秘密を保持したいなら、交換条件などせずに、ひたすらに黙秘した方がいいのではないか。
このマルゴッスは、なぜ秘密を語ろうとするのだろうか。
この小男の話を聞けば、わかるかもしれないが。
「なぜ負けたがるのか。それはつまり、私の求めるものに近づくから、です」
「求めるもの、ですか」
「人にはそれぞれ望みがあります。個人の自由というものは、そういうものです。誰もが自分の心に望みを持っていていい。そんな自由を持てることは幸せですよね。ですがそこに問題が一つだけあります。たくさんの人間の協力が必要な望みは、つまり他人を望みのために巻き込んでしまうことは許されるのか、です」
「どうでしょうね。望みが人によって違うのは事実ですが、協力してもらう程度ならば良いのでは?」
「それが、命を差し出すような代物でもですか?」
「なっ……」レシキが思わず横を見ると、切れ長の目が見開かれているのが暗がりでもわかった。
「私は負け続けることによって、兵士たちの死を見たい。夢を求め、活路へ向かうために、ひたすらにもがき苦しんで、最後には命を散らしていく。ああ、その瞬間の何と気高いことでしょうか! やがて兵士たちは後ろから指をさすでしょう。あの指揮官は、ひたすらに臆病なのだと! 彼らのいうことはごもっともですが、私は他人からの評価などどうでもいい。愚かな指揮官の命令で、絶望して、最後には破滅していく。そう、私は破滅したいのです。この世を破壊したいのだと言ってもいい」
「随分と、規模のでかい迷惑行為ですね」
「いいですかレシキくん。人は必ずどこかで終わる。生まれたからには、やがて終わらなければならない。生か死か、です。そんな二者択一の中で、人生に一度しか経験できない中で、その多くの人間の一度きりの死を、私のせいで生が終わっていく瞬間を、どうして楽しめないというんでしょうか。私はやがて無能指揮官として完全に印を押されて、破滅していくでしょう。しかしきっと、その破滅は私だけのものではない。大勢の兵士が破滅し、絶望する。なんという贅沢! 愉悦! あはははははっ! おっと、失礼。大きな声を出すと、村人に迷惑でしたね。し、しかし、まったくもって破滅というものへの憧憬は、なんともどかしい……あは、あはは、あははははははは!」
「……あんたは……」レシキは絶望のようなものを持った。
このような男に指揮官をつとめられれば、1000人規模の大隊はやがてこの男の言うとおり破滅していくだろう。よく今まで全滅せずにいられたものだ。あの撤退命令も、多くの兵士たちを殺すために行った、計算された愚かな命令だったというのか。
「レシキ君。わかっていると思うが、互いのためにも今夜の話は無かったことにしなくてはならないよ。私は君たちの目的についても、能力についても、聞きはしない。しかし、私の指揮下に入ったからには、勇敢に戦ってもらうつもりだ。我々はこの戦力を保持したまま、オッカムへと戦いを挑むだろう。わかっていると思うが、君たちは最前線だ。……せいぜい、死なないよう努力したまえ。……では、また明日から頼むよ。レシキ=レイニーデイよ」
マルゴッスは酒場のほうへと戻っていった。
レシキはしばらく川を眺める視線を送っていたが、実際には川など見てもいなかった。ひたすらに思考していた。そして危機感も募らせていた。
一つの思いつきをひねり出した所で、彼は広場のテントへと戻り、クロイズとガルラに適当な会話をしてから、床についた。




