雲隠れ
殺してしまいたいほど人が憎い時がある。
消えてしまいたいほど自分が嫌いな時がある。
生きていく、という事が、自分でも信じられないほど怖い。長い長い人生の半ばで全力疾走したせいで、もうどうやったって前に進む事が出来なくなってしまったようだ。
時間という抗いようの無いものに引きずられるようにして大学入学以来の3ヶ月間を過ごしてきた。今思えば早く辞めて仕舞えばよかったのだ。
もともと争いごとには向かない人間だった。運動会の徒競走でさえ、一生懸命に走る自分が可笑しくなってしまって、勝ったことなんか一度もない。
面倒くさいことは避けて、自分の意見を隠して、そうやって十数年間生きてきたのだ。
それが何を思ったのか。何に怯えたのか。狂ったように勉強し出して、気がついたらそこそこの大学に入学していた。いや、そこそこの大学ではない、私にしては大層な大学だ。大層すぎたのだ。
小さい頃からずっと、私は大学生になる前に死ぬんだと思っていた。なぜって、大人になった自分が思い描けなかったからだ。これはきっと死ぬにちがいないと頭の片隅にいつも怯えていた。
でも違った。死んだのは私の親友だった。大好きだった、可愛らしい聡明な女の子が死んだのだ。心不全だそうだ。母は泣きながら私に、自殺でなくてよかった、と言った。返す言葉は見つからなかった。母の言葉に多少の怒りを覚えたからだ。
自殺は私にとって、自分を救うための手段だった。苦しい、苦しい日常から抜け出すためには、1つの道として、どうしてと自殺という方法が必要だったのだと思う。もしも彼女が、苦しんで生きることよりも、死んで楽になる方を選んだのだとしたら、私は自分を憎めばよかった。単純な話だ。私が彼女を救えなかったのだから。
周囲の人の反応は様々だったが、私を不快にさせるには十分な量の涙が流れていた。彼女のお母さんの涙には、とても耐えきれないような苦しみを感じたけれども、それ以外は本質の二割り増しで悲しみを表現している人ばかりだった。もっと悪いことには野次馬までいた。そんな人にも彼女は感謝するだろう。そういう子だった。
神様は、可愛らしい彼女を愛したのだと思う。その証拠にこの世に生きる苦しみから救われた。何を感じて、何を考えていたのか、今となっては知る術はないが、未来を包んでいる苦しみから救われることは、私にとっては価値があることだった。
彼女が正解だ。なぜ、苦しいと思った時に死ななかったんだろう。今更死に時が見つからなくなってしまった。
助けてくれ、誰かいるなら。
口に出した瞬間に痛い奴と化してしまうから言わないけど。
なんなら刺してくれてもいい。
これはただの暗い物語だから。
例年より長くつづいている梅雨の昼下がりに、何かの鳥が窓のそばを横切った。散らかった部屋を片付けている途中で疲れ切ってしまって眠りにつく。
よくある話だ。この不況の中ではなかなか、前を向いては生きれない。