童女の本気はすごかった
翌朝、朱莉はあくびをかみ殺しながら、智人の用意してくれた和食を食べた。
ご飯は昨日まとめて炊いておいた冷や飯だったが、味噌汁と小松菜のおひたしが用意されて十分すぎるくらいだった。
「朱莉様、夜更かしされていたのでしょう。もう一眠りされますか」
「ううん、やるべき事は沢山あるもの」
智人に気遣われた朱莉は、少し目立ってしまっているだろう眼の下のくまを気にしつつ立ち上がった。
「ねえ智人、お願いがあるのだけど」
「お願いですか!!!」
智人のぱあっと表情が輝くのに反射的に引いてしまうのはしょうがないだろう。
「そんな喰い気味にされても……まあ簡単よ。真宵と話がしたいの」
一晩かけて真宵の言語りと弁士たちの日誌を読み通した朱莉はすこしだけ理解できた気がしていた。
おそらく真宵という言神は、人がとても好きだ。
智人とは別の方向で人間に好意を寄せ、住処を整えることを生きがいにしている。
朱莉の荷物を移動させず、朱莉たちが帰宅したときも妨害らしい妨害をしなかったのも、朱莉を追い出したいとは思っていないからだろう。
心の内を知られるのが嫌であれば、智人のように読まれることを拒絶できたのにそれもしなかった。
それは、たぶん朱莉をどう受けいれていいか分からないからだ。
今まで受けていた仕打ちと、それでも人と関わるのをあきらめきれない思いで揺れ動いている。それが嫌がらせという行動に出ていたのだろう。
まるでここに居る、と主張するように。
だから、朱莉は話をしたいと思ったのだ。できれば顔を見て。
けれど、今までの弁士と同じように言語りを盾に呼び出しても意味がない気がしていた。
「だからこれから真宵ちゃんを見つけ出そうと思うの。協力して……」
「お任せください」
くれないかしら、と朱莉が続けようとしたとたん、うやうやしく頭を下げた智人が消えた。
あれ、と思っているうちに通路の向こうでドスンバタンと派手な物音と共に悲鳴が響く。
「ぴいっ!!」
「朱莉様が対話を望んでます。来なさい」
そしてじたばたと暴れる真宵を小脇に抱えた智人がたいそう得意げな顔で歩いてきた。
「朱莉様っ! 真宵を連れて参りました!」
「あんた幼女になにやってんのばか! 早く下ろしなさい!」
朱莉が全力で命じれば、智人はきょとんとしながらも真宵を下ろす。
「いえ、真宵はこのような姿をしていますが朱莉様よりも何十年も年上ですよ」
「それは言語り読んで分かっているわ! 穏便に話し合いたかったのにこれじゃ意味ないでしょうが! これからはお願いの理由を聞いてから動きなさい!」
「は、はい!」
朱莉が本気で怒っているのは分かったのだろう、智人は何度もうなずいた。
息をついた朱莉は廊下にへたり込む真宵を見下ろす。
よほど恐ろしいめに遭ったのか、下ろされた真宵は長い髪を惜しげもなく広げてぐったりとしていた。
音からするにかなり乱暴にされたように思えたが外傷はないようである。
あったらさらに怒っていたと思いつつ、朱莉は真宵の前に座り込んだ。
手入れがおろそかになっているような長い黒髪の間から、黒目がちの瞳がこちらを向くのが分かる。
「あなたの言語りを読んだわ。それから弁士たちがあなたになにを要求したかも。それでも私を追い出そうとしなかったのはなぜ」
弁士たちの記録は程度の差はあれ、この屋敷の主に選ばれた喜びと、珍しい言語りを試す喜びが綴られていた。どうやらこの屋敷は自分が思っているよりも特別な文庫社だったらしい。朱莉は文面から伝わってくる彼らをまるで新しく手に入れたおもちゃに喜ぶ子供のようだと感じ、彼らが言うことを聞かない言神にいらだっていくさまにあきれ果てた。
弁士というのはおしなべて自己中心的なのだろうか。
だがともかく、真宵はそんな弁士たちのいらだちをすべて受け止めてきたらしい。
それでもなお、朱莉を全力で拒絶しなかった理由が知りたかった。
朱莉が辛抱強く待っていれば、不安に瞳を揺らがせた真宵は小さな声で言った。
「家には人が必要なの。真宵だけではだめなの」
朱莉は真宵の言語りに書かれていた一節を思い出していた。
”その妖、さる豪商の屋敷にて赤子の童が生まれしとき、世話をするため現れり
――よき人が住まいしとき、温かきところとするために、妖は心を砕きて整えり”
家の管理を任されているからこそ、それに住まう人間が居なければならない。マヨイガであり座敷童である彼女の存在意義であると言うことだろう。本当に言語りに書いてあったとおりだった。
「でも、今までの主さまに気に入ってもらえるように沢山沢山お家を変えたけど、気に入ってくれなくてみんな出て行っちゃった。もう、疲れてしまったの。あなたも、また真宵をいらないって言うかも知れないって思ったら怖かった」
朱莉がはじめてまともに聞く真宵の声は、あどけなく悲痛だった。髪の内側から覗くように朱莉を見る。
「また、おうちをつくりかえたいの」
それなら、従う、と言わんばかりの彼女に、朱莉は首を横に振った。
「いいえ、いらないわ。私はあなたの主じゃないもの」
「……弁士さんじゃないの」
はたり、と眼を瞬かせる真宵に、ようやく本題に入れるとほっとしつつ朱莉は続けた。
「そうよ。私は誰も住まないこの家の管理を任されただけ。あなたを使おうと思わないし、ただ住まわせてもらえればいいの」
「でも、智人が僕の主さまって言ってる」
「あははあれはねーどうしようかな、って思ってるんだけど」
「朱莉様は僕のご主人様ですよ!」
「あんたは黙ってて。……でもまあそうね」
智人の主張をばっさり切った朱莉は、真宵に向き直った。
「こいつは私のことを好きでご主人様、っていうけど、真宵ちゃんは真宵ちゃんでしょ? 私をそう呼びたければ呼べば良いし、呼びたくなければ呼ばなくて良い。だって私に嫌がらせしたくらいには自分の意思があるんでしょう」
「……っ」
息を呑んで後ろめたそうにする真宵に、朱莉は茶目っ気たっぷりに言う。
「そうね、だから私が頼まなければならないのよ。できれば部屋を一つ融通してもえないかしら」
「どんな、おうちがいい?」
かすかな声音に、朱莉は驚いたが、返事は決まっていた。
「私はあくまで間借り人だもの。あなたが住みたい家にしたらどうかしら」
「真宵の好きな?」
「この家、無理矢理和風を取り入れてるけど、洋風が好きなのでしょう?」
真宵の着ている着物は振り袖だが、袖や襟元にさりげなくレースがあしらわれている。
そのなじませ方は、自分で研究して試行錯誤しなければちぐはぐになってしまうことだろう。だが真宵の衣装はしっくりとなじんでいた。
朱莉は明確に言葉にはしなかったが、視線で気づいたらしい。真宵の表情が上気した。
「いいの。ほんとうに」
「……あ、ただ家としての機能だけはあると良いわ」
言語りに書いてあったマヨイガの性質上、住まいの域から出ないだろうが朱莉が少し心配になって付け足せば、真宵はすうと立ち上がった。
「真宵の言語りは?」
「ここにあるけど」
「開いてて」
つられて立ち上がった朱莉が本鞄から取り出して開いてみせれば、真宵はくるりとその場で身を翻す。
ゆるりとなびいた髪の間で、あどけない顔がほころんでいた。
「朱莉様、しばらく動かないように」
「え?」
智人の忠告に朱莉が首をかしげたとき、ぱん、と真宵が柏手を打った。
「意に応えよ。我が分身」