地味なものでも結構くる
まず二階に自分の寝床となる部屋を決めた朱莉は、生活領域となるだろう玄関と自室、それから食堂に至るまでの通路の片付けと掃除を第一目標とした。
のだが。
「なんで、こんなに、物が、多いの!」
手ぬぐいで口元を覆った朱莉が、一階のひと部屋に廊下を埋め尽くしていた箱の一つを空き部屋に置き直した。
これの中身は確か、何だか分からない置物の詰め合わせだったはず。
玄関に積み上げられていた箱の中身は、置物や陶器の食器をはじめとした美術品らしきもの、美術品ともいえない古道具などだった。
さらに他の部屋も改めてみれば、刀剣や農具などなぜここにと言うような物品がしまい込まれていた。
部屋の一つに地蔵が並んでいたときは、もはや途方に暮れたものだ。
荷物を運ぶ智人が、朱莉の言葉を拾って律義に答えてくれた。
「これらは全部、今までの弁士が置いていったものですね。古い物には時々神魔が憑いて居るものがありますのでそれを言語りに移してゆくのも弁士の仕事なのです。ただ、価値のあるものは骨董屋に引き取られましたが、処置に困った物はこうして一時保管していくうちにこのような量に」
「倉が必要な案件だと思うんだけど」
「いちおう、倉もあったのですが、何年か前の弁士が取り壊してしまいまして」
その弁士を朱莉は小一時間ほど問い詰めたくなったが問題はまだあった。
それは、部屋の半分以上に積み上げられた本の山だった。
「それと何でこんなに本があるのかしら。これ言語りじゃないんでしょ」
その大半は最近よく出版されている新聞や雑誌、書籍本のたぐいらしい。
活字で印字されているそれはそれなりの財産になるはずだが、こうも無造作に大量に置かれていればありがたみは一切ない。
積み上げられ方が悪かったらしく、どさりと落ちて開いた本の頁が読めてしまい、朱莉は顔をしかめた。
「しかも、物語ばっかりだし」
ちらっと題名を確認したかぎりでは専門的な本もあるようだが、大半は文学小説などの架空の物語だ。娯楽に読まれるような本がどうしてこんなに沢山あるのだろう。
朱莉が落ちた本をそうと極力中身を見ないようにつまみ上げて戻していれば、智人が困惑したように言った。
「本、そんなにお嫌いですか」
「本は嫌いじゃないわよ。ただ架空の物語が生理的に受け付けないだけなの。こう背筋がむずむずというかぞわぞわとしちゃって」
朱莉が通った女学校では少女小説が流行っていたが、全く読めないせいで浮いていた位だ。
読書感想文をしたためろという課題に、英語の教科書について書き連ねた猛者は朱莉くらいだろう。ふざけていると取られたものの、訳文が秀逸だと間を取って乙になった。
会社勤めになってからは縁がなくて快適だ、と朱莉がしみじみとしていれば、智人がものすごく悲しそうな情けない顔になっていた。
「そう、ですか。そんなにですか」
「だって物語って、全部嘘でしょう? 私は嘘を楽しめないの」
おそらくそこに尽きるのだと思う。根拠がなく、ただ作者の思うがままの妄想が書き殴られたもの。それを楽しむ人種が居ることも知っているし、朱莉も否定する気はないが、己は楽しむことができない。それだけの話なのだ。
こてりと首をかしげる朱莉に、智人はもの言いたげな表情をしていたが、話を元に戻すようだ。
「その、なぜこんなに本があるかですが。これはかつての弁士が残していったものや、宗形や面倒くさがってなげに……こほん。もとい置いていったものですね。弁士の”語り”の言い回しや語彙を鍛えるのには多読が一番らしくて、本はたまる一方なのだそうです。ただこの屋敷には書庫がないので……」
「そもそもこの屋敷設計間違っているのでは」
ここは弁士のための施設ではなかったのか。と朱莉が素直に疑問を呈すれば、智人は苦笑を浮かべた。
「初期の設計図を見る限りはあったのですが、途中で消えてしまいまして……あ、ここに置きますね」
消えた、という表現に朱莉は違和を覚えるが、智人はどすんと重そうな音を立てて複数の箱を置いた。
言神である智人は細身の優男に見えようと、並の男の以上の身体機能があるらしい。
おかげで荷物はこびはこれで終了だったが。
「さて、これでやっと掃除に移れるけれど、も」
朱莉が部屋から出ようとすれば、唐突に扉が閉まった。
試しに取っ手を回してみれば、鍵までかけられている。
またか、と朱莉は顔を引きつらせた。隣では怒りと申し訳なさのような色を浮かべた智人が頭を下げた。
「すみません、真宵がまたいたずらを……。こうなったらすべての扉をぶち抜いて……」
「そうしたら真宵ちゃんがひねくれるわよ。とりあえず、窓から出て外から開けてみてくれる?」
「かしこまりました」
その言葉と残して智人は窓の鍵を開けると、すぐに外から鍵を開けてくれた。
ちなみに残った古道具が扉の前に積み上げられていたという。
無事に外に出た朱莉がふと振り返れば、廊下の奥で翻る黒髪が見えた。
間違いなく真宵だ。
「こら、真宵!」
智人も見つけて追っていくが、すぐに見失ったらしく肩を落としていた。
朱莉たちは真宵によって地味な妨害を受けていた。
彼女はこの屋敷の中を自由に動き回り、縦横無尽に地味な嫌がらせをしかけてくるのである。
やること自体は、扉を閉めたり歩いて行く先に物を置いたりといった程度だったが回数が多く、朱莉も少々困っていた。
一応真宵の言語りを朱莉が肌身離さず持っているため、朱莉自身に直接危害を加えることはないらしい。
本を持った相手に名前を呼ばれるとその相手の命令を聞かねばならないからだ。
とはいえ直接手を出しこそしないものの、いっそあっぱれなほどの嫌がらせをけしかけてきていた。
それでも朱莉はめげずに智人と共に箒とぞうきんを構えたのだが、移動ごとに扉が閉められるのは当たり前。バケツは倒され、ぞうきんは目を離したすきに高い照明に置かれ、箒は見事に足を引っかける場所に置かれていた。朱莉は引っかかった。
なんとか掃除を終わらせたと思えば、最後には部屋に移動させておいたはずのがらくた類が掃除した廊下に綺麗に並べられたのを目の当たりにした朱莉はその場に崩れ落ちた。
部屋を見に行っていた智人はもはや平身低頭だった。
「本当に申し訳ありません……朱莉様の自室にも本が積み上げられておりました」
「なるほど、あっちも折れる気はないと」
本が嫌い、と言うのをどこか聞いていたが故の選択だろう。とはいえ、智人と朱莉の2人がかりで移動させた荷物を1人で移動してのけたのだから、覚悟が違う。
「とはいえ、さすがにここまで来るとしんどいわね……」
「いかがなさいますか。言語りはこちらにあります。これ以上悪化する前に禁じる事は可能です」
「そうなの」
「はい、言語りにはそれだけの力があります。言神にとって分身同然。傷つけられれば弱体化しますし持つ者に逆らうことができません」
「重くないかしらそれ!?」
先ほどよりもまじめな声音で提案する智人に、思わず朱莉は今も斜めに下げている本鞄に触れた。
命と変わらないものを預かっていると言われてしまえば戦いてしまうのも当然だろう。
だが朱莉の反応を智人は疑っていると取ったらしい。
するりと朱莉に近づくと、本鞄を指さす。
「僕の言語りで試してみてくださって良いんですよ」
かすれた声でささやかれたが、朱莉は智人の期待するようなにこやかさに半眼になった。
「あなた、私に言われたらわりと言うこと聞いちゃいそうじゃない」
「はっそうでしたね!?」
どうにも抜けたところのある智人に朱莉は息をついた後立ち上がった。
片付けは怪しい限りだが、ひとまず最低限の埃は追い払えている。
「仕方ない。先に買い物にいきますか。智人、付いてきてくれるかしら」
「良いのですか。僕が家に残って片付けをする事もできますが」
「買わなきゃいけないものが山のようにあるのよ。私一人じゃ持ちきれないわ。男手が居てくれると助かるの」
「僕がお役に立てますか!」
「さっきからそう言ってる。このあたりにあるお店も知らないの。教えてちょうだい」
たすきを外した朱莉が言えば、智人はぱっと表情を輝かせると恭しく頭を下げる。
着物がそのままなのが少し気になるが仕方ない。
視線を巡らせても、真宵の引きずるほど長い黒髪の影はないが、きっと見ているだろう。
朱莉は聞こえるように大きな声で言った。
「じゃあ真宵ちゃん、外に買い出し行ってくるわ。留守をお願いね」
たん、とどこかで軽い足音が聞こえた気がした。