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帝都コトガミ浪漫譚 勤労乙女は恋語る  作者: 道草家守
巻の四

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20/32

けして悔いは残らぬように

 


 アイスクリンまで堪能した朱莉と智人が屋敷に戻ると、居間の長いすに大きな図体が寝そべっていた。

 その傍らには酒とつまみが置かれている所から、おそらく一杯やっていたのだろう。

 勘助は朱莉たちに気づくと片手を上げた。


「おーう帰りか。とんかつとやらはうまかったか」

「おいしかったわよ。……で、勘助なんでまだ外に出てるの。もう私が語ってからずいぶんたつけど」


 そうあの日勘助は、刀の姿で顕現したあと人の姿に戻ったのだが、今日に至るまで実体を保ったままだった。 

 一応自分の意思で言語りに戻れるようであるが、彼は悠々と屋敷に居座り、以前と変わらずのんびり酒をたしなんでいる。

 屋敷が広く大して困っていないためそのままにしているが、言神は一定の時間がたてば戻るもののはず。

 もしやその一定時間というのは数日単位なのではと宗形に聞いてみれば、一度語っただけならば長くても顕現時間は一日程度だという。

 朱莉から話を聞いた宗形は若干驚いた顔をしていたが、害がなければ放っておいても問題ないと言われた。調べるとは一言も言われなかったのはめんどくさがられた結果だろう。


『数日も顕現し続けるのが普通なら、智人を変わったなんて言わないぞ。君は一体なにをしたんだ』


 朱莉が宗形の呆れた顔を思い出していれば、くつろいでいた勘助はゆっくりと身を起こして言った。


「さーてなあ。たぶんお前の語りが俺にしっくりきちまったんだろ。たまにそういうことってあるらしいしな」

「はい。ごく稀に、言神の本質を違えずに語られた場合、飛躍的に能力が増したり顕現時間が延びたりいたしますので」

「宗形様はそう言ってたけど……」


 智人の補足は、朱莉も宗形に言われていたため納得したが、それでもまだ納得できないことがあったのだ。


「なら、顕現してるあなたが私に襲いかかってこないのはなんでなの?」


 勘助は「主君殺し」の逸話が呪いとなり、呼び出した弁士を斬り殺すはずなのに、この数日顔を合わせていてもまったくそのそぶりはなかった。

 酒をたしなみ、時々食事を共にし。朱莉が帰ってくればさらりとねぎらう。

 そこにはあの修羅の影は全くない。

 気のせいだったのかと首をかしげたくなるほどだが、朱莉には雨海に襲いかかった勘助の苛烈さが痛烈に焼き付いていた。

 すると気のないそぶりをしていた勘助が曖昧な表情になる。


「まあそれは理由が分からなくもないがな」

「分かるの?」


 思わぬ言葉に朱莉が目を丸くする中、勘助は人を食ったような笑みをうかべた。


「俺には二人主がいたんだぜ。全部が全部該当しねえって」

「そう言うもの?」


 そんないい加減で良いのだろうかと思いつつ、足が疲れていた朱莉は勘助の隣にとんと腰を下ろす。

 すると朱莉の頭に勘助の大きな手が乗った。

 あんまりにも唐突で顔を上げた朱莉は、勘助の表情に懐かしさと暖かみのような色があるのに気づいた。

 けれど、これは自分にむけられている感情ではないとなんとなく気づく。

 なにを見ているのかと朱莉が問いかけようとした言葉は、わしゃわしゃと髪をかき混ぜられた事によって呑まれた。


「それに、お前はどう見たって主君じゃねえからな」


 人を食ったような態度で言う勘助に、朱莉はむすりとへの字に曲げた。


「なるつもりもないから良いけど、何かむかつくわね。……お土産買ってきたんだけど、要らない?」

「お、なんだよ」

「酒一升」


 智人が革手袋に包まれた手でさっと荷物の中のひとつだったたっぷり酒の一升瓶を掲げれば、勘助はたちまち頭を下げてきた。


「すまんこの通りだ! 嬢ちゃんは主……とは違うかも知れねえが従うべき家主であることには変わりねえ!」


 完全に平伏している勘助がふざけているのは気配で分かったから、朱莉は満足して智人から受け取った一升瓶を渡してやる。


「大事に呑んでよね」

「おうよ、もう浴びるように呑まなくてもいいからな」


 勘助がにっかり笑ったところで、真宵が居間に現れた。


「おかえり主さん、お夕飯できた。たべる?」

「食べる! 肉じゃが楽しみにしていたのよ」


 朱莉が嬉々として立ち上がれば、酒瓶を抱えた勘助も同じように続いた。


「おうじゃあ俺もそれで一杯やろうかねえ。ってなんだ、その顔は」

「私の分まで取らないでよ」

「ばあか、そんなに喰わねえよ」


 呆れ顔になる勘助に朱莉は不審なまなざしを向けながら食堂へ向かおうとしたのだが、ふと振り返る。

 なぜか真っ先に傍らを歩くはずの智人がいなかったからだ。

 智人は荷物を置いた場所にゆるりと佇んで目を細めていた。

 その表情はまぶしげで、どこか憧憬のような物を感じさせた。


「どうかしたの、智人。夕飯食べに行こ」

「……いいえ、何でもございません。僕はこちらの荷物を朱莉様の部屋に置いてから参りますね」

「そんなの後で良いわ。自分でやるし」


 なにせ腹が空いていたのだ。だが誰かを働かせている間に食べるなんてことはできない。だが白い手袋に包まれた手で荷物を持っていた智人は眉尻を下げた。


「僕がやりたい仕事でもあります。お役に立つことが、従者の喜びですから」

「そ、う?」

「はい」


 いつものおもちゃを取り上げられた子犬のような表情だったが、今日はなんとなく気圧されて朱莉は固持するのをやめた。

 そう、少し慣れない店に行って疲れているのもあり、運んでもらえるのはありがたい。


「じゃあよろしくね」

「かしこまりました。すぐに参ります」


 智人はいつものごとく綺麗に頭を下げて立ち去っていく。

 その姿を見送りながらも、朱莉はただほんの少し違和を覚えた。いつもの智人の気がしたが、少々元気がないようにも思えた。

 なにか、変わった事があっただろうか。朱莉は首をかしげながらも食堂へ行こうとすれば、すでに行っていると思っていた勘助がまだそこに立っていた。


「え、勘助どうしたの?」

「いんや、なんでも」


 一瞬、表情が恐ろしいほど鋭かった気がした。けれどこちらを向いた勘助はいつもの表情で朱莉は首をひねりながら顔を覗かせている真宵の元まで歩いて行ったのだった。



 *


 箕島勘助はふらりふらり屋敷の中を歩いていた。

 そろそろ体が消えそうな予感はするが、強いて朱莉に呼んでもらわずともこの屋敷内では自由に行動できるため、大して不都合は起きないだろう。

 それにしても、と勘助は己を呼び出した当代の主を思い出す。


 黒髪をゆるりと流した、少しばかり表情の乏しい以外どこにでもいそうな娘であった。にもかかわらず、滑り出す言葉の鮮やかさと帯びた熱は箕島勘助という言神の芯をうがってきた。

 聞けば御作朱莉という娘は物語が嫌いな上、全く語りの訓練を受けた事がないのだという。

 だが勘助を作り替えたあの言の葉の連なりは間違いなく語りだった。

 たった1度の語りでここまで長く顕現したのははじめてだ。

 まさか、自分がかまわないと思う存在に出会うとは思わなかった。

 彼女の黒々としたまっすぐに己を見上げてくる眼差しに、主君ではなく妹を思い出したからだろう。


 朱莉は勘助を「義の益荒男」と称したが、勘助は己がどうしようもないくずであったことを自覚している。

 しかし、朱莉と同じ事を己の妹も口癖のように言っていた。


『兄様は和国一の益荒男にございます』


 次々に死地へと送り込まれる勘助を心配しながらも、そう言って見送り続けた唯一の家族。

 主が道を踏み外してゆくのを止めるべく、勘助が覚悟を決めたときもなにも言わずに見守っていた。

 しかし妹を幸せにすることだけはできなかった。

 それを思い出すだけで勘助の目の前は真っ赤に染まる。

 藩主の命によって嬲り尽くされたかつての妹だった亡骸をみたあの瞬間、勘助は確かに修羅へと落ちていたのだろう。

 それはもはや言い訳のしようがない事実である。


 だが、朱莉はそれを知ってもなお痛快な言語りをして見せたのだ。

 久しく忘れていた、妹のほほえみを思い出すほどに。

 彼女は弁士とならないのならそれでいい。勘助は彼女の語る箕島勘助であろうと決めた。

 故に、ほんの少し、世話を焼くくらい良いだろう。


 勘助が二階に上がった瞬間、音もなくその影が現れた。


「こちらには朱莉様の部屋しかございません。なに用ですか」

「よう、いい夜だな智人」


 険しく表情をすがめる智人に、勘助は悠々と片手をあげて見せる。

 このように冷徹なまでに冷えた表情をする智人を朱莉は知らないだろうが、勘助にとってはこちらの方がなじみ深かった。

 しかし誰かのためにこのような表情を浮かべるのを見るのははじめてだったな。と思い出す。

 このままだと話が進まないため勘助は早々に本題に入った。


「用があったのは嬢ちゃんじゃなくてお前だよ」

「僕にはありません。女性の部屋を訪問するには不適切な時刻です。お引き取りください」


 それも彼女に教わったのだろうなと茶化してやりたくなったが、勘助はぐっと飲み込む。そして智人の白い手袋に包まれた手をあごでしゃくって見せた。


「おう、手袋外さねえのか」

「……まだ業務時間なので」

「じゃあ言い方変えるわ。その手、見せてみろよ」


 智人の表情が止まるのを、勘助が笑みを納めて見つめた。

 無意識だろう智人が手袋に包まれたままの手を握る。

 数日前から手袋がはめられるようになっていたのを、勘助はすぐに気が付いた。そしてこの言神が隠そうとしている事実にも。


「外せねえか」

「特に意味はありませんので」


 だがそれは肯定しているようなものだと分かっているのだろう。ほんの少し後ろめたそうな色を宿す智人を勘助はじっと見つめた。


 一応は禁書あつかいになっているはずの己が、なぜこのような小さな文庫社に所蔵されているか。

 その理由は眼前の言神の抑止力といざという時のためであると勘助は知っていた。

 現存が確認されているだけで最高峰の対神魔、および言神に対する絶対の優位性を持っている箕島勘助は共に所蔵されているだけで周囲の言神に対する抑止となる。原典であればなおさら。生半可な言神では出てくることすらできないだろう。

 だが智人は平然と顕現したまま行動している。

 その異常を、今までここに赴任した弁士は誰も気がつかなかった。

 智人が彼らの前で真宵の補助として実体化しただけの言神のようにふるまい、屋敷から一歩も外に出なかったのもある。


 だからこそ勘助は、彼が急に外に出はじめたあげく人間をそれも娘を連れてきた事に驚いたものだ。彼女が暮らすようになってから、勘助は言語りの中でもずっと観察していたが、夜行智人という言神の印象ががらがらと崩れて驚いたものだ。


 己が知っている夜行智人という言神は、狡猾な獣だ。

 それもとびきり危険なたぐいの。


 周囲に興味がないからこそおとなしくしていたが、これが何かに興味を持った瞬間、いつ豹変するのかと警戒すると同時になぜあのようなただの娘だったのかと思った。人を喰らうつもりであれば、己の存在意義に賭けて断ち切るつもりだったが。

 そう、すでに勘助の中では過去のことである。

 手袋の下は勘助の刃の霊威にあてられ、ただれたままだろう手を握った智人が眉尻を下げていた。


「朱莉様には言わないでいただけますか」

「ほんとお前、嬢ちゃん命だな」

「当然です」


 智人がそんな人臭い表情を、感情を表に出すようになったのはあの娘が理由だ。

 その理由の一端をうすうす気づいていた。


「それはお前が言語りに封じられた理由だからか」


 ごっそりと、智人の表情がなくなった。

 幽鬼のような顔で見返す彼が行動を起こす前に、勘助は言葉を継いだ。


「嬢ちゃんに下ろされてるときに、ちいとばかし見えたもんでな」

「……ああ、なるほど」

「だが、それでも分からねえことばかりだ」


 ようやくほんの少しだけ肩の力を抜いた智人に、勘助はたたみかける。

 あの光景がかつて起きたことならば、この言神がなぜこのような事をしているのか疑問が残るのだ。


「てめえは嬢ちゃんをどうするつもりなんだ」


 腰に差した刀の柄に手をかけ、勘助は迫る。

 この距離であれば、今の智人なら仕留められる。あの娘に害をなす気があるのならこの場で斬ってもかまわない。

 だが勘助の放つ殺気は分かっているだろうに、智人は綺麗に笑った。


「僕はただ、あの子にしあわせになってもらいたいだけなんです」


 あの子、と智人が称した事に勘助は表情には出さないまでも驚いた。


「だって物語は、めでたしめでたしで終わらなきゃだめでしょう?」


 いっそあどけないまでに小首をかしげて言う智人の目を見つめていた勘助に、ゆっくりとその言葉の意味が染みわたる。

 勘助の胸にあるのは、朱莉という少女が、孤独に泣く姿。


「お前、まさか……俺や真宵を顕現させたのは」

「真宵が気に入ってくれたのはともかく、あなたのことは気に食いませんが、腕だけはよいですから。今のところ、僕を確実に斬れるのはあなたぐらいなものですからね」

 

 淡々と告げる智人に、勘助は呆れた。

 自分が言っていることが分かっているのだろうかこの言神は。それは勘助の腕を信頼しているといっているようなものなのに。指摘するつもりはないが朱莉と対峙した時と似たくすぐったさを覚えた勘助は呆れ顔になった。


「俺が嬢ちゃんを気にいるとは限らなかっただろうに」

「いいえ、気に入りますよ。朱莉様はこれ以上ないほど良き読者ですから」


 朗らかに、だが少しの痛みが混ざるような笑みにはしかし全く疑いは含まれず。

 勘助はあきらめて息をついた。このことに関してはもういくら言っても分からないだろう。何より害をなさないようであれば、それでいい。


「分かった、分かったよ一つ貸しだからな」

「なぜでしょう? 感謝される事しかないと思いますが」

「そういう所だぞ、嬢ちゃんに怒られるの」

「そうなんですか!?」


 刀の柄から手を離した勘助は、驚いた顔をする智人にふ、と声を低める。


「で、いつだ」

「……それほど時間はたたないかと」

「わかった。悔いのねえようにしろよ」

「はい」


 あっさりとうなずいた勘助は智人の肩を叩くと階下にある自室へと帰って行く。

 これ以上は踏み込める領域ではない。そう悟ったから引き下がったが。


「だがまあ、嬢ちゃんがなにを言うかねえ」


 しばらくは静観か。とあごを撫でながら思案したのだった。


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