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軍人には気をつけろ

 はっと智人(ともひと)が我に返ったような顔をしたが、それは朱莉(あかり)も同じだった。

 即座にきびすを返してがれきへと向かう。このような茶番に付き合っていられるほど余裕はないのだ。

 新手の美人局(つつもたせ)というやつだろうか、それとも遊郭へ売り飛ばそうとする女衒(ぜげん)だろうか、若い燕になろうとでも言うのだろうか。


「ま、待ってください!」

「若い燕を囲えるほど収入はありませんので他を当たってください」


 引き留めようと立ち上がる智人に朱莉は氷点下にまで冷め切った目を向けたが、彼はめげなかった。


「どうか逃げないでくださいあなたの力になりたいのは本当なんですっ」

「ではさっきの言葉は偽りでしょうか」

「本心十割ですが!」

「ごきげんよう」


 女学生時代の挨拶でばっさりと断ち切り、朱莉は火事の検分をしている警官の元へと歩いていった。

 横暴と名高い警官とて、現行犯でつきまとわれていれば助けてくれることだろう。


「どうか弁明を、僕は言神(ことがみ)ですから安全ですから!」

「おまわりさーん、助けてください!」

「あっまって、待ってください!」


 いまだにあきらめない言神を取りあわず朱莉が声を上げようとすれば、目の前に制服の男が立った。


「はいはいお嬢さん、そこまでだ」


 警官とは少し違う色の生地の詰め襟姿で立ちはだかっていたのは、30代半ばほどの男性だった。

 その詰襟に見覚えがあり軍人かと一瞬警戒した朱莉だったが、全身から漂うやる気のなさに困惑する。

 適当に切ってますといわんばかりの髪にやる気のない眠そうな顔つきといい、詰め襟の前を緩くあけて着崩しているのといい、規律を重んじる軍では異質だった。

 しかし智人がほっとしたようにその軍人の男に声をかける。


宗形(むなかた)! 遅いですよ」

「お前が早すぎるんだ。まったく俺は働きたくないと言っているのにな」

「貴様ら、一体なにを騒いでいるんだ」


 やれやれと軍人風の男が肩をすくめるなか、騒ぎに気がついた警官たちがいかめしい表情で集まってきた。

 その剣幕に朱莉は面倒な事になったと首をすくめていたが、警官たちは宗形を……正確には着崩している制服を見るなり背筋を正して敬礼をする。


「これはこれは、活動弁士殿でありましたか! ご足労いただきありがとうございます」 


 活動弁士(かつどうべんし)、と言う単語に朱莉は耳を疑った。

 活動弁士は神々たる言神を従える存在で、軍の中でも精鋭(エリート)だといわれている。

 思わず眼を走らせれば、宗形の腰のベルトには細身の剣と一緒に大ぶりのポーチがくくり付けられている。ちょうど本が数冊入りそうな。

 宗形は、警官たちの最敬礼を当然のごとく受け止め、軽くうなずいた。


「陸軍弁士部隊所属、宗形だ。雷獣は別の弁士が追っている。君たちにはここを頼む」

「はっ」

「あと、この娘は雷獣を間近で目撃したのだそうだ。参考のために連れて行くぞ」

「はっどうぞご随意に!」


 まてなぜ付いていく事になっていると抗議しかけた朱莉だったが、すでに頼みの綱だった警官が去って行ってしまった。

 だらしない格好の宗形とうさんくさい言神、智人と一緒に取り残されてしまい呆然としていれば、とん、と肩に宗形の手が乗った。


「じゃあ君、ちょっと一緒に付いてきてもらおうか」

「……いちおう理由をお聞かせ願えないでしょうか」

「こいつの本を開いただろう?」


 宗形がくい、とぞんざいに指さすのは、落ち着かない様子ながらもたたずむ智人だ。

 確かに開いたがそれがどうしたと言いたかったが、有無を言わさない雰囲気を醸し出すのはさすが軍人といったところだろうか。

 軍人に逆らう気概などただの娘である朱莉にあるはずもない。

 問答無用で連行されかけたが、朱莉はそれでも踏みとどまった。


「待ってください、あと一つだけ」

「まだあるのか?」


 やる気のなさそうな表情にもかかわらず、鋭い気配を放つ宗形に朱莉は真顔で言った。


「付いていったらご飯食べさせていただけますか」


 やっぱり焼き鳥だけじゃ足りなかったのだ。腹へらしのままではなにもできない。

 宗形はどことなくめんどくさそうな表情になるが、朱莉がじっと見つめていればあきらめたように息をつく。


「……店屋もんでも頼むか。智人頼んだ」

「わかりました。よろこんで!」


 宗形に願われた智人がぱっと表情を輝かせて頭を下げる。

 宗形にどことなく脱力感が漂う中、朱莉はちいさく拳を握った。





 最新式の車に乗せられてたどり着いたのは市部谷(しぶや)だった。軍事施設の集まる物々しい空気の中にたたずむ重厚な石造りの建物だった。

 暗がりの中で電灯に照らされる門柱に「活動弁士協会」と書かれていたからそういう所なのだろう。


 そして朱莉は案内された応接間でせっせこカツ丼をかき込んでいた。

 鶏肉の後に豚肉とはなんて贅沢なのだ。さすがは軍人太っ腹だとしみじみとする。

 宗形が食べるのが牛飯だったことも気にならない。


「よく食べるな、御作(みつくり)嬢」


 車内で自己紹介だけはしていたため、互いの名前は了解していた。

 宗形に名を呼ばれた朱莉は顔をあげた。


「仕事帰りだったもので。戦の後は腹が減るものです」

「ああ、そうだったか」

「ついでにこうも熱心に見られるとやけっぱちにもなります」

「……なるほど」


 あきれ顔だった宗形が納得の表情になる。

 米の一粒まできれいに食べきった朱莉は、ようやくあきらめてソファの傍らに立っている眉目秀麗な言神、智人に視線をやる。

 目が合うと、智人は頬を薔薇色に染めて恥じらった。顔が良いだけにたいへんに映えるが先ほどの発言を覚えている朱莉はまったく心が動かなかった。


「じゃあ御作嬢、お互いに腹が落ち着いたところで本題に入るぞ」

「はい」


 朱莉が居住まいを正せば、宗形はひょいとその場に立つ言神を指さした。


「俺は宗形(むなかた)。先ほども名乗ったが陸軍所属の活動弁士(かつどうべんし)だ。弁士についてはわかるか」

「活動写真に台詞と筋を付けて語ってくださるお仕事のことですね」

「いや最近はそれも弁士と言うが」

「冗談です。書物の物語を語ることで、言神様を顕現させて神魔魍魎を調伏する事のできる方々、のことですよね」


 ひくひくと宗形の顔が引きつるが、一般人の朱莉にとってはそちらのほうが身近だ。

 言神と彼らを呼び出す弁士たちの活躍によって人々は神魔の横暴から解放されたのだ、と朱莉は尋常小学校や女学校で習った。

 以前は弁士の家によって秘匿されていた技術が文明開化と共に軍部と結びつき、若干身近になっていた。


「正確には神魔を封じた専用の本が必要なんだが。で、これがその言神、智人だ」


 宗形の言葉と共に、智人はひときわ優雅に頭を下げる。

 朱莉はそういえば、書物を開いたときに飛んでいった文字が彼の名前だったのでは、とふと気づいた。


「で、こいつは俺が一応預かっている言神なんだが少々特殊でな。勝手に出歩く」

「はあ」


 意味がよく分からず朱莉が生返事をすれば、宗形は少し考えた後腰にぶら下げていた鞄から本を一冊取り出した。

 表紙が硬い素材で作られた洋装本を、宗形は無造作に開くと声を上げた。


「”その怨念は闇深く、しかしその忠義は偽りなし。定義されしは犬神、名を黒江(くろえ)”」


 やる気のない表情からは一転して朗々と響く声に驚いた朱莉だったが、次いで開かれた書物から立ち上る文字が、人の……少女の形を取って驚いた。

 音もなく宗形の隣に降り立った少女は髪から着物に至るまで黒づくめで、肌だけが病的に白い。さらに頭には犬のような獣耳が生えていた。

 言神だ。

 まとわりつくような黒い空気を身に纏う少女は朱莉にも智人にも一切興味を示さず、宗形だけを見た。


「ご主人、なにようか」

「この皿を外に居る誰かに返すように言ってきてくれ」

「あいわかった」


 こくりとうなずいた少女は、朱莉のどんぶりと宗形のどんぶりを軽々と持つと、扉の向こうに消えていった。

 その後ろ姿に見えた犬のような尻尾が揺れるのを朱莉が見送れば、宗形が話を再開した。


「今のが弁士がやる語りだ。本を開いて語る事ではじめて言神は顕現する。だがこいつは誰に語られるでもなく勝手に顕現し続けてるんだよ」


 勝手に顕現し続ける言神、というのはつまりは封じられていないのと変わりがないわけで。


「それ結構な問題では」

「気合いで顕現してます」


 ぐ、と力こぶをつくって見せる智人を宗形と朱莉は無視して話を続けた。


「まあいくつか理由があるんだがめんどくさいから割愛して。一言でまとめると無害なうえ読める弁士が居なかったから見逃されていた」

「むがい」

「無害だったぞ。今までは」


 めんどくさいだけで割愛して良いのかと思いつつ、朱莉の言いたいことが分かったのだろう宗形に念を押された。

 話も進まないので朱莉はひとまず置いておくことにする。


「で、本が読めないんですか。ここにあるのに?」


 ぴんとこずに朱莉が首をかしげれば、宗形は智人に向けて手を差し出していた。


「智人、お前の言語りを貸してくれ」

「はい、どうぞ」


 智人が素直に鞄から取り出した言語りを受け取った宗形は、先ほどと同じように開こうとする。

 しかしその表紙は宗形の指が白くなるほど力を込められても、のりでくっつけ合わせたように開かなかった。

 朱莉があれと思っていれば、心底めんどくさそうな宗形は無言で朱莉へと本を差し出した。

 改めて見てみればその書物は薄い。これだけ立派な装丁にしては厚みが朱莉の小指ほどしかない。


 朱莉は柔らな焦げ茶革張りに金色の箔押しで「夜行智人 言語り」と書かれているそれの表紙をめくってみる。

 火事場と同じようにあっさりと表紙はめくれ、中表紙となる柔らかな紙が見えた。

 今回は金の文字が飛び出したりはせず、普通の本と変わらない。

 ただついでに他のページも見てみようかとめくろうとしたのだが、目の前で顔を赤らめる智人に気がついた。


「あ、あんまりじっくり見ないでください」


 まるで秘密でも覗かれるように恥じらう智人に朱莉が眼を目を点にしていれば、宗形は心底面倒くさそうに言った。


「というわけでこの言神は君を語り手に選んだ。だから君、こいつの管理をして……」

「お断りします」


 宗形の言葉を遮って朱莉は強く拒否をした。不作法と言われようが投獄されようが関係なかった。

 ぱたりと言語りを閉じてテーブルの上を滑らせた朱莉は、背筋を伸ばすと面食らう男性二人を見据えた。


「言語りの管理をすると言うことは弁士になるって事でしょう。私は物語が嫌いです。関わりたくありません」


 今勤めている隅又商事も時計などの精密機械を扱う会社だから選んだくらいなのだ。その体現のような存在、しかも出会い頭に押し付けられるなんて冗談じゃない。

 朱莉が物語の事を考えただけでぞわぞわとする肌を押さえてにらめば、宗形は天を仰いだ。


「めんどくせえ。智人、お前の事なんだから説得任せた。俺は適当に許可を出す」

「分かりました」


 良いのかよと朱莉は本気で思ったが、宗形はソファに寝そべると本気で寝始めたのだ。

 なんだこのやる気のなさ。さすがに朱莉が唖然としていれば、宗形の代わりに眉目秀麗な智人が進み出た。


「ではお話を変わりまして、この智人が提案いたします」

「なにを言われても……」

「まず厳密に言いますと、弁士になっていただく必要はございません。次いで僕を引き受けてくだされば、朱莉様は僕が預かっている文庫社(ぶんこしゃ)、と呼ばれる弁士専用の屋敷に住み込む事ができます」


 とうとうと語られた話に、頑なだった朱莉はぴくりと反応してしまった。

明日も更新します。

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