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帝都コトガミ浪漫譚 勤労乙女は恋語る  作者: 道草家守
巻の三

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12/32

誤解が必要な時もある

 

 朱莉が勤める隅又(すみまた)商事は西洋式時計の輸入や、蓄音機の販売を行う貿易会社だ。

 そのなかで朱莉の業務は主に男性社員の補佐である。お茶くみや書類の整理、簡単な計算処理など名もない雑事が山と積まれる。

 女子社員は自分の仕事の傍ら、次々に頼まれる雑務をこなしていくのが通例だ。


 今日があの寮に住んでいた社員たちの出勤日だったらしく、そこかしこで火事と雷獣の話題で持ちきりだった。


 昼休み、自社の人気商品である時間が来るごとにレコードが鳴る時計から、名前も知らない西洋の音楽が流れる中、自分に与えられた机で朱莉は深く深く息を吐いた。


「二日も空くとちょっと堪えるわね……」

「大丈夫ですか。御作さん」

「あ、丸山さん」


 朱莉に声をかけてきたのは、同時期入社の丸山充子だった。年齢は朱莉と同じ年で、落ち着いた小紋柄の着物を着て、髪をシニョンにまとめた姿は、見るからに女学校出とわかる楚々とした雰囲気を醸し出している。

 同時期入社のよしみもあり、よく仕事を融通したり昼食を共にすることが多い女性だった。


「寮が燃えちゃったって聞いたから」

「まあ、とりあえず住めるところは見つかったからなんとかね。……私が居ない間、何かあったかしら」

「えっと、特にはなかったかな。人が減ってたから何人かの男性社員がちょっと怖くなってたけど……」


 そっと目を伏せる充子に朱莉が口を開きかけたが、被さるように野太い男の声が響いた。


「全くかみなり様なんて呼ばれるがね、うちの寮を狙わなくても良いじゃないか。おかげで余計な出費が出たし業務が滞るじゃないかね」

「こういうときのために弁士たちが居るのだろうに。言神なんて化け物を飼って居るのだから、血税の分働いてもらわねば割に合わん」


 大声で言い合いながら廊下を通り過ぎてゆくのは40代50代がらみの男たちだった。

 上等そうな身なりからして幹部たちだろう。

 隅又商事は百貨店に商品を卸すなど事業規模も大きく、朱莉のような下っ端だと幹部の顔を知らない事もままあった。

 ただ、過ぎていく幹部たちを見送った丸山は少し困った表情になる。


「雷獣が出てから、あんな感じで皆さん弁士様や言神の悪口を言う人が沢山出てきてるの」

「いつにも増してひどいわね」


 朱莉は思わず顔をしかめた。

 そもそも丸之内に本社を構えられるのは一流企業の証なのだが、その割には少々とがった物言いをする人間が多いように思えた。

 いや、大手だからこその強気もあるのかも知れないと朱莉は思いつつ、自分が言神が納められた文庫社に住んでいるとは知られないようにしようと改めて決意する。

 お給料分の仕事をして、お金がもらえれば良いのだ。それ以上は望まない。

 丸山はおずおずとうなずいた。


「うん。あと五坂課長が、御作さんが休んだのよく思ってなかったから気をつけてね」

「書類が遅いのを催促しに行ったのが響いてるのかしら、いやそれとも私が書類の間違い指摘したのまだ根に持ってるのか。そういえば訳文間違ってるのも言ったわね」

「多分ぜんぶだと思うの。御作さんの方が頼りにされているって評判だから」


 まぶしいものでも見るように丸山が眼を細めるのに、朱莉は少しこそばゆい気分と苦い思いを同時に味わった。

 五坂はよく女性職員を呼びつけて雑事をやらせる男性社員筆頭であり、女性職員から倦厭されていた。

 よく仕事で細かい間違いをするのだが、けして認めようとせず補佐した女性職員に責任転嫁するのも有名で気の弱い丸山が餌食になっているのを朱莉がよく助け船を出していた。

 とはいうものの、朱莉はまっとうに仕事をしているだけなのだが。

 そういえば今日は五坂と遭遇していないなと思いつつ朱莉は心にとめておく。


「わかったわ、ありがとう丸山さん。お昼食べて午後も頑張ろうね」

「はい。あれ、御作さんのお弁当、サンドイッチなの?」


 さてお昼だ、とずっと楽しみにしていたサンドイッチを取り出せば、丸山は口元に手を当てて驚いていた。

 やはりパン食が浸透して居ない中でサンドイッチを持ってくるのは珍しいだろう。


「今の同居人が作ってくれたんだ」

「御作さんが今住んでるのってどんなところなの」


 当然の疑問をぶつけられた朱莉は頬を掻いた。


「家の手伝いをしてくれれば住まわせてくれるって言ってくれた人が居てね。そこで書生みたいな扱いで居候させてもらう事になったんだ」


 朱莉は微妙に話をずらしたのだが丸山の感嘆は消えなかった。


「良かったね。御作さん。実家が遠いって聞いてたから心配してたの」

「まあね、寮も2ヶ月をめどに用意してくれるっていうし、それまではやっかいになろうと思う。ね、丸山さん御握り一つと交換しない?」

「良いのっ」


 丸山の表情が輝くのに朱莉はおにぎりとサンドイッチを交換してもらったのだった。



 終業時刻になるころには空きっ腹を抱えていた朱莉は、いそいそと帰り支度を始めた。

 サンドイッチはむっちりとした歯触りで大変おいしかったのだが、いかんせん腹持ちは少々良くなかったようだ。

 帰りに何か買って帰ろうか。そういえば夕飯の材料は大丈夫だろうかと考えつつ、朱莉が一階出入り口までおりていった。


「おや御作くん、やっと出勤してきたと思ったら残業もせずに帰るのかね。これだから女は」


 痛烈な嫌みを乗せた張り付くような声に朱莉が振り返れば、くだんの男性職員五坂がいた。

 鼻の下によく手入れされたコールマンひげを生やした五坂は、高圧的に朱莉の元まで歩いてくる。

 朱莉はめんどくさいながらも一切の表情をひそめさせて、会釈をした。

 一応目上の社員なので丁寧な態度を取るのである。まだこの会社にいたいもので。


「こんにちは、五坂課長。お邪魔にならないよう帰宅させていただきます」

「ふん、一身上の都合で休んだのだ。君が抜けた分おくれた仕事をしてゆくぐらいしたら……」

「御作さんありがとう! 君が肩代わりしてくれたおかげで定時で帰れるよ!」

「それはよかったです、中野さん。さようなら。……と、五坂課長続きを」


 別の男性社員に礼を言われた朱莉が会釈を返し向き直れば、五坂は顔を引きつらせていた。

 おや、嫌みを言っていたはずではなかったかと朱莉が首をかしげていれば五坂はわざとらしい咳をした。


「おっほん。全く君は生意気すぎるのはないかね。多少仕事ができるからって男を立てないとのちのち結婚したときに困るのではないかね」


 結婚するよりも自分が生きていく事で精一杯なのに考える余裕なんてない。

 だから朱莉は気にしないことにしていたが、心のどこかでひるむのも感じていた。

 それをかぎつけたのだろう。五坂が鬼の首を取ったような顔で言った。


「ああ、そうだったな君のような賢しい行き遅れの女、もらい手も見つかるはずもないし、見つかったとしてもよほどの醜男だろう。はっはっはっ」


 このあたりで五坂の気は晴れただろうから、もう少しで解放されるはず。

 帰ったらおいしいものを食べよう。最近お肉を食べていたからお魚が良い。

 切り身ではなく鰯でも鯵でもお頭付きのものを焼こう。きっとおいしい。

 朱莉はそっと手を握りしめて、今日のご飯に思いをはせる。


 と、視界の端にざわつく一角があることに気がついた。

 すぐに人垣が別れて現れたのは、やたらと顔の良い美々しい男性だ。

 襟足にかかるほどの髪を乱し、朱莉と目が合ったとたん、怜悧な顔を喜色に染めて小走りでやってくる。

 ぶんぶんと振られる犬の尻尾を幻視した。


「お仕事お疲れ様です朱莉さ……」


 朱莉は反射的に駆けよると、智人の口を全力で封じた。

 きゃっと頬を染める智人にかまう暇もなく朱莉は全力早口で告げる。


「今ここで様付けで呼んだり下僕宣言したらあなたを一生様付けで呼ぶわ私の社会人生活を守りなさい」

「は、はい?」


 とにかく殺意満載で言いつのれば智人はなんとかうなずく。

 すると放置する事になった五坂が顔を怒りにどす黒くして近づいてきた。


「御作くん!な、何だねその男は!」

「申し訳ありません五坂課長。こちらは今お世話になっている家の方です。私を心配して迎えに来てくださったようで」

「な、なにつまりは一つ屋根の下で暮らしていると! 不純異性交遊とはけしからんぞ!」


 言神であると言うことを隠したまま説明する事ができず、またその認識も何一つ間違っていないため朱莉は悩んだが。す、と表情をひきしめた智人が進み出た。


「いえ不純な気持ちなど一切ありません。僕は朱莉、さんを唯一無二の存在として大切にすると決めておりますので」


 朱莉はその瞬間帰宅しようとしていた社員たちがざっと聞き耳を立てる音を確かに聞いた。

 五坂の口があんぐりと開けられ、惚けたように智人を見上げている。

 その顔面崩壊具合も無理もない。

 なにせ智人という言神は美々しい青年の姿をしている。

 表情をほころばせていない彼は理知的にも見えさらに普段着ている三つ揃えはこのオフィス街では上等な実業家のような風格となり、上流階級の貴公子のように見えた。


 一応朱莉の願いを理解して実行してくれたらしい。

 頭の回転が悪くないのは知っていたし、必死に願っただけはあると思った。

 だが思い切り誤解が広がって居るような気がするの気のせいだろうか。


「な、な、な!?」

「では失礼いたします。また明日」


 五坂が混乱している事を良いことに、朱莉は素早く辞去の挨拶をすると素早く智人の手を取る。

 後ろで響くざわめきは全力で聞き流して、隅又商事のビルディングから離れた。

 あしたしごといきたくない、と本気で思った朱莉だった。








 ビルから充分に離れたところで朱莉はじっとりと智人を睨みあげた。


「来るな、と言ったつもりだけど」

「すみません、気になってしまいまして。迎えに来るな、とは言われて、居ませんでしたし」


 へりくつだとは分かっているのだろう、智人は少し身を引きながらもしょんぼりしていた。

 彼の肩には本鞄が下げられている。

 そういえば出会ったときもそうやって出歩いていた事を忘れていた。

 盛大にため息をついた朱莉は、くどいと思いつつ言いつのった。


「このあたりは弁士廃絶を主張する活動家も多いの。過激な連中にあんたが言神だって知られたら袋だたきにされてもおかしくないのよ」

「僕を守るためだったのですか」

「半分以上は自分のためよ」


 智人の表情がぱあと輝くのを見てられず、朱莉は目をそらした。

 だが智人は喜色に顔をほころばせながらも、胸に手を当てて軽く頭を下げた。


「ありがとうございます、ですがご安心ください。僕を言神だと見破る人は、それこそ同類か弁士でない限り居ませんよ」

「そういえば、確かに」


 今更ながら気がついたが、智人は眉目秀麗ではあるが、姿形は普通の青年と変わらない。

 口さえ開かなければ、どこぞの華族の御曹司にか見えないだろう。

 と、朱莉は隅又商事での騒動を思い出して遠い目になる。

 ちらっと横目で確認しただけだが、女子社員たちの色めきようからして、おそらくこの言神のことを婚約者かなにかと勘違いしていることだろう。

 まいったと頭を抱えかけたが、そういえば大して困らないなと気づいた。

 なにせ婚約者と誤解させておけば、智人との関係も、同じ家に住んでいる理由も全く説明しなくてすむのである。

 さらに一番隠しておきたい文庫社についても語らなくていい。


「あの、怒ってないのですか」


 よし、放置しようと朱莉が心に決めていれば、智人におずおずと声をかけられた。

 きょとんとしたが、朱莉は決まり悪く視線をそらす。


「まあ、今回は助かったしね。でも次はないわよ」

「肝に銘じて」


 朱莉が低い声音で念を押せば、智人は真摯にうなずいた。

 気が抜けると空腹を思い出し、と腹の虫が騒ぐ。


「はー。早く帰りましょ。今日の夕飯は……」

「真宵が用意してますよ。また本で学んだ洋食に挑戦すると言ってました」

「そ、れは楽しみだけど……材料費は大丈夫かしら」


 一抹の不安がよぎる朱莉だったが、空腹には勝てなかった。

 智人が当たり前のように本鞄を差し出し、朱莉の荷物を肩代わりするのに、なんともいえない気持ちになりながら歩き出す。


「朱莉様、そちらは少し方向が違うのでは」

「ちょっとより道したいの」


 不思議そうな顔をしながらも付いてくる智人を朱莉は目の端に確認しつつ。

 そういえば、どうしてこの場所が分かったのだろう、とふと疑問に思ったが、朱莉は腹が減りすぎていたので問い返す気力はなかったのだった。


 氷比谷公園の茂みには、朱莉の手ぬぐいだけが残されていた。






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