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帝都コトガミ浪漫譚 勤労乙女は恋語る  作者: 道草家守
巻の三

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11/32

都会にも憩いはあるものです

 朱莉が文庫社(ぶんこしゃ)の管理業を引き受けて2日はあっという間に過ぎ、朱莉の出勤日となった。

 出勤用の斜めがけ鞄を持った朱莉が、玄関でブーツのひもを結び直していれば、あきらめきれない様子の智人がのぞき込んでくる。


「本当に、言語りを持って行ってはくださいませんか」

「昨日も言ったでしょ。会社には余分なものを持ち込めないの。没収されたら戻ってこられなくなるし、処分されるのも嫌でしょ」

「うう……」


 すごすごと引き下がる智人と入れ違うように、真宵がやってきた。

 豪奢な振り袖にたすき掛けをし、フリルの付いたエプロンを身につけている彼女は小風呂敷の包みを差し出してくれる。


「主さん、おべんと作った。持ってって」

「真宵ちゃんなんて良い子! 素敵! ありがとう!」


 食料調達をどうしようかと考えていたので、朱莉が嬉々として受け取れば、真宵は得意げな顔をして見せた。智人に。

 しかも智人は歯ぎしりせんばかりに悔しがっていた。


「ぐぬぬ……僕だってやり方さえ学べば朱莉様のお弁当をご用意できますし」

「その前に真宵が主さんの好みを覚えるもの」


 10年一緒に居たのであれば、仲が良いと思っていたのだが、少々考えを改めなければならないのかも知れない、と朱莉は遠い目になった。

 だが、丸一日この張り合いに付き合わされれば受け流すことも覚えると言うものだ。

 そのため、朱莉はにらみ合う二人の言神を置いて立ち上がる。


「じゃあ、おとなしくしててね」

「ではお見送りいたしますね!」

「会社までついてきたらこれから真宵ちゃんにだけ世話を頼むわ」


 ぴし、と固まる智人が、すごすごと靴を脱ぐのに、朱莉はやっぱりかと息をついた。

 読み取れるようになってしまったのが恨めしい。


「し、心配ですが。どうぞ行ってらっしゃいませ」

「いってらっしゃい」


 その声に朱莉が思わず振り返れば、若干肩を落とす智人と楽しげな真宵に手を振られていた。 

 朱莉が扉に手をかけたまま硬直しているのを智人がいぶかしむ。 


「どうかなさいましたか」

「なんでもない。行ってきます」


 誰かに見送られるのが久しぶりで戸惑った朱莉だったが、すこしくすぐったい気分で彼らに手を振り返したのだった。





 春の気配が感じられても朝は未だに肌寒い。肩掛けを胸の前でかき合わせながら、朱莉は足早に路面電車の駅へ向かう。

 親宿から、勤め先のある丸之内(まるのうち)までは路面電車が通っていたため、いつもより早く家を出るだけで良くて助かった。


 昨日あらかじめ買ってあった定期で駅を通り、朱莉はスーツを着た勤め人に混じって電車に乗り込む。

 これで職場近くまで心配せずにむかう事ができるとほっとする。

 路面電車からの窓からは木造とビルディングが混ざった猥雑な景色から、徐々に洗練されたものに変わっていく。

 併走するのも人力車から自動車が増えていく。

 最寄り駅に降り立てば、そこは朱莉のなじみ深い街丸之内だ。

 この東華の経済発展の中心地なため多くの人間が行き交い、様々な企業の本社が集まっている。

 朱莉が入社した隅又商事もその中の一つだ。

 灰色や鈍色の無機質なビルディングが立ち並ぶが、開発が進む中でも森林の残る公園が広がり憩いの場となっていた。


「まあ、前は陸軍の練兵場だったらしいけど」


 会社にはこの氷比谷(ひびや)公園内を突っ切った方が早いため、朱莉が緑が目に優しい公園広場を通り過ぎようとすれば、拡声器によって増幅された声が響いた。


『……であるからして、すでに文明開化も久しい今、神魔魍魎などという存在は過去のものとなった! にもかかわらず政府は弁士などと言ううさんくさい輩を重用し、言神などという危険な存在を野放しにするのを今すぐやめさせるべきだ!』


 そうだそうだと声をあげる男たちが掲げる看板や段幕には「弁士廃絶、言神は燃やせ!」などという過激な言葉が並んでいた。


 最近、この氷比谷公園では言神を毛嫌いする焚書派と称される大衆運動家たちが集まる場となっていた。

 焚書派は弁士たちが扱う言神たちを危険視しており、過激派はすべての言語りを燃やすように要求しているのだ。

 朱莉は物語は嫌いだが、自分に関わってこないものであるから正直興味がない。しかし関わりをもった今では少々眉をひそめたくなってしまう。

 ただ絡まれるのも嫌なので、広場を突っ切るのはあきらめた朱莉は、脇道にそれた。


「焚書派は今日も元気ね……」


 これがあるから連れてきたくなかったのだと、朱莉は息をつく。

 まあ、突っ切れずとも街の喧騒から離れた静謐な空気を味わえるのだから良いものだ。

 近くの茂みが不自然に音を立てた。


 興味を引かれた朱莉が覗いてみれば、灰色の毛玉がいた。


「……犬?」


 うずくまっているために大きさはよく分からないが、朱莉が抱え上げられそうな程度で、ふっさりとした尻尾が優美ではあった。


 ぴくんと震えた獣は顔をもたげる。

 思ったよりもすっととがった顔立ちをしていて犬かどうかあやしかったが、都会であるしいろんな野犬が居るだろうと朱莉は深く考えなかった。

 警戒心丸出しでうなる獣は薄汚れていたが、それでも流れるような体つきは美しい。

「あんたずいぶんかっこいいし、どこかから逃げ出してきたのかしら。都会で生きるのは大変だろうに、自由に生きたいと思っちゃったかしら?」


 今日は早く出たから、多少寄り道しても大丈夫だったはず、と朱莉はついついしゃがみ込んで観察しはじめた。

 ここまで近づいていても獣は朱莉から逃げていこうとしない。それだけの力がないのかも知れない。

 その細身の体つきはもしや満足に食料にありつけて居ないからかも知れない。東華に住みはじめたころ食べ物の高さに涙を呑んでいたことを思い出した朱莉は、ごそごそと鞄からお弁当包みを取り出した。


「あなたは都会生活の第一歩を踏み出したのだし、なら先輩としてちょっと手伝っても良いと思うのよ……ってうわっ豪華」


 かぱっと弁当箱を開けた朱莉は素に戻った。そこに詰め込まれていたのはハムやチーズが挟まれたサンドイッチだったのだ。菜っ葉が挟まれ彩りも工夫されており、おやつの代わりだろう、ミカンがころんと包まれていた。

 西洋文化が好きな真宵らしいメニューだったが、ふとこれを作るのにいくらかかったのだろうと遠い目になる。が、今は考えないことにした。

 朱莉はそのサンドイッチをふたきれ取り出すと、自分の手ぬぐいを皿代わりにおいてやった。

 さすがにこのサンドイッチを地面に置く勇気はない。

 目の前に置かれたものに、興味を引かれたのか、灰色の獣はそっと上半身だけ起こして近づいてくる。

 どうやら動物でもこのサンドイッチの価値は分かるらしい。奮発して2きれにしてよかった。


「よし、都会でも食べ物は沢山あるからね。お互い頑張って生きような」


 この距離なら届くかも知れない、と朱莉はそっと獣の頭に手を伸ばす。

 触れる寸前、指先にしびれのようなものを感じた気がしたが、手触りは意外となめらかだった。

 手の下で獣が硬直する気配がしたが、逃げてはいかなかったから、朱莉はもうひと撫でだけして立ち上がる。


 そろそろまじめに向かわないといけないだろう。

 それにしても昼食休憩が楽しみになったと思いつつ、朱莉は氷比谷公園を後にしたのだった。


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