桜の木の下に死体がある話
「桜の木の下には死体が埋まっている」
彼女は未だかたい蕾がぽつぽつとつき始めたばかりの木を見上げ、ピンと伸ばした人差し指を木の根元に向けた。いつでも人が少ない丘の上にたった一本だけ聳える桜は、樹齢何年かは知らないがかなり大きい。周囲へと張り出した枝は影を作り、僕と彼女をすっかりのみこんでいる。
肌寒い風が丘の上を通り過ぎると枝が騒めき、彼女の髪がぶわりと広がった。黒い髪がはらはらと元の場所に収まるのを眺めてから、僕は彼女の指の先を追った。
「そこに死体が埋まってるの?」
「うん」
「どうして?」
「埋めたから」
白々しい会話は馬鹿馬鹿しく、けれど僕らには必要なことだった。僕らには、というよりも彼女には、と言う方が正しいだろうけど。彼女は罪を明らかにすることを求めているから。
桜の木の下には死体が埋まっている、というフレーズは、その元ネタを知らなくとも聞いたことはあるというほどには有名だろう。僕は一応元ネタが小説であるということは知っているが、それを読んだことはない。だから元ネタではこのフレーズがどのような場面でどのように使われているのかすら僕は知らない。彼女は知っているのだろうかと疑問に思ったが、それは今この場においては重要ではないだろうと小さな問いをかき消した。僕は彼女がどんな意味でそれを言ったのか分かっている。ならば元ネタがどうであれ、僕と彼女にとっては問題ないだろう。
「どうして埋めたの?」
「死体を隠すために」
「殺したの?」
「殺していない、殺し合ったんだ」
「どうして?」
「いつも通りの些細な喧嘩だよ。いつも通りじゃなかったのはその結果、二人とも死んでしまったことだけ」
まるで見てきたかのように彼女は語る。しかし実際のところ、彼女はそれを見ていないはずだ。何故ならばそれが起こっただろうその時、彼女と僕は一緒に学校にいたのだから。僕自身が証人となり、彼女の潔白は証明される。そして僕の潔白も同様に、彼女によって証明されるだろう。
「誰が死んだの?」
「両親が」
彼女は木の根元をじっと見つめたまま静かに言った。その目はじっと何かを見据えているようで、まるで土の下の二つの死体を見つめているようだと思った。
死体は養分になるのだろうか。バクテリアに分解され、肥やしとなり、桜を淡く色づかせるのだろうか。今は蕾がつき始めたばかりだが、一月後には死体を養分にした花を咲かせているのだろうかと、そう考えると何故だか少し愉快だった。最後の共同作業か、と心の中で呟いた僕の顔はぴくりとも笑わなかったけど。
「どうして埋めたの?」
「隠すためだよ、さっきも言っただろう」
「そうじゃなくてさ、どうして警察に通報するんじゃなくて埋めたのかって話だよ。普通、警察に行くよね?」
「それは……」
ここで、初めて彼女が口ごもった。滑らかに動いていた口が止まる。よほど言いづらいことなのか、彼女は視線をゆらゆらと彷徨わせ瞼をそっと伏せた。長い睫毛が影を作り、彼女の端正なつくりの顔に憂いの色を乗せた。彼女とは約三年の付き合いになるが、いつ見ても綺麗な顔をしているなあとぼんやりと思った。長い黒髪も、抜群のプロポーションの体も、左右対称の整った顔立ちも、僕にとって好ましいものだ。ただ、来月から僕たちは違う大学に入学するため、もうこれまでのように彼女の姿を見ることは出来なくなる。それは少しばかり残念なことだった。
彼女は口を閉ざしたまま数十秒ほど沈黙していたが、やがて大仰にため息を吐いた。
「ああ、駄目だ。私はそれに答えられないよ」
「へぇ?それはどうして?」
「だって、分からないんだ。いくら考えても納得のいく答えが出てこなかったんだよ。悔しいことにね」
彼女は桜の木から視線を外し、おもむろに僕の方を見た。正面から見る彼女の顔は、やはりとても綺麗だった。
「私が確実に言えるのは、君が両親の死体をここに埋めたということだけだよ」
目撃者である彼女は、そう言ってにこりと僕に微笑みかけた。いつも通りのその笑みに僕を責めるような雰囲気はなく、ただ事実を言っているだけという様子だった。
僕を責めず、怖がることもしない彼女は変わり者というか、オブラートに包まないで言ってしまえば頭がおかしいのではないかと思った。まあそんなこと、僕が言えたことではないけれど。
「ふぅん、そっか。それじゃあ答え合わせ、する?」
ちなみに、彼女が言ったことは殆ど正解だ。埋められた二人分の死体は僕の両親で、当時の状況から察するに喧嘩のはずみで死んでしまったらしい。いやはや、あんなに喧嘩していたのに死ぬときまで一緒だなんて、なんとも仲が良いものだ。
警察に通報しなかったのは、ただ単に大事になるのが嫌だったからである。何せ、大学受験が目の前に迫っていたものだから。「喧嘩で死んでしまった」よりも、行方不明の方がまだ穏便に済むだろうと思ったのだ。実際はそれはそれで面倒なことになったのだが。やはり所詮は子供の浅知恵で、僕は自分の考えの浅さを思い知ることになったのは余談である。
「うーん、いや、今はいらないかな。私が君の罪を知っていて、君が『私が君の罪を知っていること』を知っているということが重要だからね」
彼女はもう一度ちらりと桜の方を見た後、僕に向き直った。彼女の長い黒髪がさらさらと風になびく。青い空、白い雲、桜の木、ひとけのない丘の上。これで桜が満開だったらきっと絶好のシチュエーションだっただろう。彼女は大きく呼吸し、そうして頬を可愛らしく赤らめながら魅力的な笑みを浮かべた。
「このことをばらされたくなかったら、私と付き合ってください」
脅迫の形をした告白に、男の趣味が悪いなあと思いながら僕は「いいよ」と軽く頷いた。