「8」
「駅から歩いて15分、住宅街を抜けて線路を越えた……あった、ここか」
俺は初めて俊哉の働くカフェに来ていた。
あまり人目には付かない場所で働きたかったという俊哉は、今暮らしている駅から2駅離れた場所で働き始めたらしい。
ここは前回と違っていた。
前はそもそも大学の近くにある居酒屋で働いていたのだ。だからなのか友達や女の子達が大勢押し寄せて来ていた。
どんな影響があって今の考えに至ったのかは分からないが、とりあえず見てみようと今日足を運んだのだった。
「…………入りづらい」
そのカフェは昔ながらの喫茶店を思い出させるような造りになっていた。木造で、窓は曇りガラス、入り口は引き戸になって、色とりどりのステンドグラスが様々な形で正方形に収まりおしゃれだ。
でも、今の大学生の姿では入りづらい、しかもチャラい感じだし。お呼びでない感じがバシバシする。
きっと……一杯のコーヒーが1000円とかするんだろう。
シフォンケーキにはきっと五分立てくらいの生クリームがかかってて絶対に美味しいやつ。
そして、きっとカウンターの奥にネルドリップコーヒーを淹れるマスターが「いらっしゃい」って
「お兄さん、入らないのですか?」
「うわぁ!」
そこにはランドセルを背負った男の子が立っていた。
くりっとした大きい目にその上で切りそろえられたサラサラの髪が揺れていてなんだかかわいい。
「えっと、きみ、入るの?」
「はい、僕ここで毎日勉強してます」
「え、ここで?」
「だめ……ですか?」
「いや、だめじゃないよ」
男の子はニコッと笑うとじゃあ一緒に入りましょ、と言って俺の手を引きながら扉を開けた。
「いらっしゃい……」
「こんにちはー」
想像していた通り、カウンター席の奥にマスターがいた。
しかし、思っていたよりも広く、テーブル席などもあるようだ。
男の子は挨拶をするとそのまま奥に進み、窓際にある4人掛けのテーブルに座った。
「お兄さん、座らないのですか?」
「座ります」
恐る恐る座ってみる。
店内も全て木材で作られているのか暖かみがある雰囲気で、窓際の壁には本がぎっしりと詰まった本棚が置いてあった。
カウンターの奥にいるマスターの後ろには沢山の種類のカップとソーサーが並び、飾ってある。
「……すごいな」
「お兄さん、おじさんの作るコーヒーは美味しいと評判です。おじさんはその人に合わせてカップを選んでコーヒーを出してくれるんですよ」
「え、そうなの?」
「はい!」
自分のことのように目を輝かせて話すこの男の子を再度かわいいなと思いつつ、話してくれた内容に興味惹かれた。
「カップ……選んでくれるのか」
それはとっても楽しみだ。
それならちょっと高めのコーヒーでも頼んでしまいそう。
そう思いながらテーブルの端にあったメニューを開いた。
「ん、このメニュー……」
「全部マスターの手書きだ、達筆だよな」
「お、しゅんや、おつかれ」
「おつかれ、ありがとな、来てくれて」
見上げた先には白シャツに黒いエプロンを付けた俊哉の姿があった。
黒いエプロンといっても、肩の部分が少し細くなってて、なんとなくカッコいいデザインのやつだ。
いや、もしかしたら俊哉が着ているからそう見えるかもしれないが。
「佑、いつものでいいのか?」
「はい!ありがとう!」
「あ、名前、たすく君?ていうんだ」
「そうです」
「知らなかったのか?」
「うん、店の前で会った」
「……はぁ、全く」
俊哉が佑君に、知らない人に無闇に話しかけてはいけない、しかもこんな細目で怪しそうな奴は以ての外だと説いている間にメニューを見ることにする。
いや、後で訂正はするけどね!!
俺、怪しくないよって!!
☆本日のコーヒー
『ロースト 浅』
『ロースト 中』
『ロースト 深』
※淹れ方がネルドリップ、ペーパードリップ、サイフォンから選べます
☆カフェオレ ホット・アイス
※カフェオレに使用するコーヒーはドリップです
☆水出しアイスコーヒー
☆紅茶 ホット・アイス
『ダージリン』
『アッサム』
『アールグレイ』
「……サイフォンもやるのここ」
「ああ、マスターの趣味だ」
「……すごいね」
皆様はコーヒーの淹れ方が何種類かあるのをご存知だろうか。
俺は、繰り返す世界1回目からコーヒーにどっぷりとハマり、一人暮らしになると、毎朝自ら豆を挽いてドリップし、コーヒーを飲んでいた実績がある。
因みに、ネルドリップとペーパードリップの違いは、布か、紙かの違いだ。しかしこの2つの口当たりの違いったらない。ここがコーヒーの面白いところ。
家では管理などの問題でペーパードリップにしていたが、実はネルドリップの方が好きだったりする。
なんといっても口当たりがまろやかになるのだ……。
というか、こんなメニュー始めて見た。
名前じゃなくてローストで書かれているし、淹れ方も3種類もあるなんて。コーヒー知らない人が見たら何も分からないのでは。
「…………淹れ方とかローストで豆が違ったりするの?」
「ああ、少し違う、マスターが裏で焙煎してるんだけど、色々工夫して変えてるらしい」
「ロースター完備!?マスター何者なの」
「ただのコーヒーオタクだ、因みに頼めばフレンチプレス(という淹れ方)もできる」
「……今度じっくり話す機会を設けたいレベル」
「というか、俺はお前がそんなにコーヒーに詳しいことに驚いてるぞ」
「あー……好きなんだよね」
まぁ、生きてる年月が違いますからね、そういう趣味が出来てしまっても仕方ないですよね……。
でも大学生がこんなに詳しいのはちょっと怪しかったのかもしれない。
少しだけこの好奇心を抑えよう。
そう思ってメニューに目を戻した。
「ネルドリップがいいから、それに合うやつお願いしますって伝えて。あと、この紅茶のマフィン食べたい」
「はいはい」
俊哉が去ると目の前の佑君が真剣に勉強していることに気がついた。
なにやら算数を解いているようだ。
「………………」
「………………」
話しかけてはいけない気がして口をとじた。
代わりに周りに目を移す。
部屋の角にはそれぞれ違う観葉植物が置いてあり、壁に掛かる時計も昔ながらの振り子時計。全ての家具が少し使い古されているように見えるが、それがこの店にいいバランスでマッチしている。
目をつぶると、密かに音楽が流れていることに気がついた。
恐らくこれはジャズ。
音楽は詳しくはないが、この店にはこの音楽が合っているのだろう。心地が良くて溶けそうだ。
ここにずっと居てしまいたい。
毎日女の子から俊哉を守るのはもう疲れた。
そんな事を思ってコーヒーを待っていたらカランと音がして入り口の扉が開いた。
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