第八話:Cause of magic
薄く月明かりに照らされる森の中を通る道をシアルは進んでいた。
空を見上げると、月には微かに雲がかかっておりぼんやりとした光が見えるだけであった。
「……よし、追ってきてない」
ダリオとの戦闘が繰り広げられた場所からはもうかなり離れており、さらに追い掛けてくる気配もしないのでもう大丈夫だろうと安心する。
「ちょっと休もうかな、っと」
あれからずっと脚を動かし続けていたので相当疲れたのだろう。木にもたれかかると脚を投げ出すようにして座り込む。
「うぅ、馬車を壊されちゃったのはつらいなあ」
そう言いながら現在の自分の位置、ここからリーネまでの大体の距離を予測し、うなだれる。
「まだ結構ある……」
そして、先ほど自分を襲った男を思い出す。
「さっきのダリオとかいうひとは何なんだろう……。やっぱり、昨日の町のひとたちの仲間かな」
そんな様子で考え込むシアルであったが、
「まあ、今考えてても仕方ないよね……。先を急がなくっちゃ」
そう言うと立ち上がり、先に進もうと歩き始める。
「んっ?」
そんなシアルに空から何か冷たいものが降ってきた。それは徐々に徐々に激しさを増していく。
「雨か……参ったなあ。今風邪でもひいたりしたら大変だ」
そして道から外れて木の下に戻って先を急ぐ。しかしそれでも完全に防ぐことはできず、木の葉を伝って落ちてくる水滴や風によって流された水滴が時折シアルの体を叩く。
先ほどまでぼんやりと輝いていた月はすっかり雲に隠れて見えなくなってしまっていた。
そうして進んでいたシアルだったが、体を包む白い毛がしっとりと濡れ始めたころ。
「あ……なんだろう」
道から外れた森の中に明かりを見つける。
「家、かな? もしかしたら雨を防げるかもしれない」
すると、道に沿って歩いていた脚をその明かりへと向ける。ここからでも明かりが見えるということは、そう遠くにはないだろう。
少し歩くと、すぐにその建物が見えてきた。人目をはばかるように、木々に隠れているその建物は小さい家だった。
軒下など、屋根のある場所を探そうとさらに近付いてみると、
「……おや?」
自分のものではない人の声が家の中からではなく外から聞こえてきた。できる限り自然に、本物の猫らしい動作でその声が聞こえてきた方を見る。
「迷い人ではなく、迷い猫かな?」
視線の先にはこの家の居住者であろう、一人の女性が立っていた。年齢は30歳ほどだろう。敵愾心や警戒心は見られない。
「おいでおいで」
そしてその場にしゃがみ込むと、シアルを手招きし、
「にゃー」
猫の鳴き真似をしながら、猫のふりをしながら近づいてきたシアルを抱き上げる。
「あらら、こんなに濡れちゃってるじゃないか」
「にゃう……」
「ふふ、そう悲しそうに鳴くな。拭いてあげるからな」
そう言うと、そのままシアルを連れて家の中へと入っていった。
「えっと……何か拭くものは……」
中へと入れられると、シアルは玄関脇にすぐ降ろされ、そこで家の中を歩きまわる女性を見ながら座って待っていた。
「――あったあった。ほら、拭いてやるから我慢しなー」
そして女性はタオルと思しき布を持ってきてすぐにシアルの元へと戻ってくる。そのままシアルの体に布を被せ、上からわしゃわしゃと拭きはじめる。
「暖かくなってきたけど、それでもこんなに濡れちゃったら風邪もひいちゃうぞ?」
「なーぅ」
猫の真似のままだが、応えるようにして鳴く。
「よしよし。それにしても、ずいぶんと人に懐いている仔だね」
その言葉にやや動揺してしまうシアルだが、
「ん……? なんだ、君は飼い猫か」
シアルについている首飾りを見ると、勝手にそう解釈してくれた。
「あまり飼い主さんを心配させちゃだめだぞー。……よし、こんなものでいいかな」
最後にそう言うと、拭くのをやめる。まだ僅かに湿ってはいるものの、シアルの毛からだいぶ水分がなくなっていた。
「にゃー」
お礼を言うように、自分を拭いてくれた女性を見て一鳴きする。
「可愛い仔だね……。名前は何て言うんだい?」
「?」
しかしシアルはそれには応えず、何を言っているかわからない、といった様子で首をかしげる。
「わかるわけないか。私の名前はランカスターって言うんだ、よろしくな」
その様子を見ながら、年に比べるとやや若く綺麗な顔で笑いながらそう名乗った。
「今日はもう雨が止まないだろうから、ここで寝ちゃってもいいぞ。とは言っても、何もないけどな」
シアルも、今急いでいくよりもここでしっかり休んで雨が止み次第出発しようと考えて言葉に甘えることにした。
そしてそこで丸まって寝ようとしていたらランカスターが近づいてくる気配がした。
「あら、もう寝ちゃったのかい? せっかくごはんを作ったのに」
その言葉に次いで自分の側に皿と思われる食器が置かれる音、やや空腹のシアルには耐えがたい香りが届いてきた。
「……にゃう」
シアルはすぐに起き上がると、一度さりげなく女性に軽く礼をしながら用意されたものを食べ始める。
「食べちゃったら寝てもいいから。起こしちゃって悪かったな」
そう言いながらシアルの頭を優しく撫でると、少し離れた椅子に座って本を読み始めた。
心の中で人間の言葉でものすごく感謝しつつ、そのおいしいごはんを食べ終わる。そして空いていたお腹が満たされると、疲れも相まってすぐに眠くなってくる。
そして再びその場に丸くなると――すぐにすやすやと寝息を立て始めた。
「………」
何か考え事をしているのか、読んでいる本のページも捲らずに、空っぽになった食器も片付けずに、ランカスターはただじっとしていた。
次の日の早朝。まだ日が昇り始めたころで、ほとんどの人間が寝ているであろう時間。
シアルは窓から差し込む光に起こされると、そのまま窓から外を見て雨があがったこと、そしてランカスターがまだ寝ていることを確認する。
なるべく音を立てないようにそっと窓を開け、その隙間から家を出る。そして最後に家の中へと向き直り、
「……ありがとうございました」
小さな、本当に小さな声でお礼を言うとまた静かに窓を閉め、朝の日差しに照らされて朝露が光る森の中を国境へと走り去っていった。
それから数時間が経ったころ。ランカスターは目覚め、ベッドの上で身を起こした。
そしてシアルがいなくなったことを確認すると、
「……どうなったかな、あの仔……」
一人さびしそうにぽつりと呟いた。