第六話:Correct pran, Choose pran
一台の馬車が、森の中を抜ける道をゆっくりと進んでいた。
人を運ぶ馬車ではなく――その幌に包まれただけの荷台には、様々な荷物が積まれている。
昨日に引き続き天気に恵まれており、荷台の前に座る御者は暖かい日光に当てられて居眠りをしてしまっていた。
指示する者が居なくともこの道は慣れているのか、はたまた一本道だからかはわからないが、馬は荷台を引いて進み続ける。
そんな平和な風景の中で、唯一変わった動きをしているものがあった。
それは荷台に存在し、御者と同じく眠ろうとしている。だが、馬車で人や荷物の運搬を生業としている御者と違い、馬車の揺れに慣れていないようでなかなか眠りにつけない様子であった。
ごろんと寝転がり睡眠の体勢ではいるものの、何度も寝返りを打っていたり、ようやく眠れそうというときにガタンと大きく揺れたりして起こされる。そんな悪循環を繰り返していた。
そしてその循環が両手の指では数えきれない数をちょっと超えたとき、ゆっくりと上半身を持ち上げた。
「まいったなぁ、これじゃとても寝れないよ……」
そう言いつつ大きく欠伸をするその姿は、紛れもない白猫――シアルであった。
「ダグラスさん、全然寝かせてくれないんだもん……元気ありすぎ……」
時は同じ日の早朝。馬車が出発した町の大通り。
「この馬車に乗っていけば、学園へと辿りつけるでしょう」
そう言いつつダグラスは大通りに停めてあった一台の馬車へと近づく。
「そ、でひゅか……ふあぁぁ……」
結局、ほぼ夜通しでダグラスと話してしまい、とても眠たそうにふらふらとした足取りでダグラスの指した馬車までやってくるシアル。
そんなシアルを軽く抱き上げると、傍の馬車の荷台へと乗せた。そのままシアルはそこに寝転がる。
「ほんとにありがとございまひた……」
呂律が回っておらず瞼が半分ほど降りた目の状態で、それでも何とかお礼を述べる。
「いえいえ、お礼には及びませんよ」
そして若者と徹夜で話していた老人とは思えないような様子でダグラスは答える。
「そんなことよりも、これから頑張ってくださいね。馬車での移動とは言え、距離がありますし」
「ふぁい……だいじょぶれす……」
相変わらず警戒心の欠片も感じさせないシアルだが、気にせずに続ける。
「何度も申しておりますが、お渡しした紹介書をあちらの学園の教員にお見せください」
「これでしゅねぇ〜……」
そう答え、首飾りに結び付けられた紙を引っ張る。
「そうです。それさえすれば大丈夫ですので」
「わかりまひた……」
そしてダグラスは頷いて言う。
「学園には侵入者感知用の結界が張られているでしょうが、逆にそれを利用して出てきた教員に見せるといいでしょう。――それでは、そろそろお別れです」
話しているうちに大通りには少しずつ人が増え始めてきた。じきにこの馬車も出発することだろう。
「とても短い間でしたが、非常に楽しませていただきました」
「ぼくも、ですー……」
先ほどよりも瞼が降りてきており、半ば無意識にシアルは答える。
「それはよかったです。またいつかこのお話の続きをしましょうね。では……道中お気をつけて」
「はい……だぐらしゅさんも……」
ほとんど寝ているシアルを見て最後に軽くその頭を撫でると、馬車から離れていくダグラス。
「……運命というものは、これだけ年をとっても本当にわからないものですね……」
最後にそう呟いたがその声は小さく、さらには既に寝てしまったシアルの耳に届くはずはなかった。
と、いうわけで馬車に揺られて運ばれているシアルであったが、
「ねむい……ねむい……」
ぶつぶつと独り言を呟きながら馬車を恨めしそうに見ているその姿は限りなく怪しい。勝手に乗っている以上、文句を言える立場ではないのだが。
その様子を見ると、町を出発してからほとんど寝れていないようだ。そんなシアルを一切気にすることなく馬車は容赦なく揺れ続け、進み続ける。
そして、寝れないで暇そうにしていたシアルが馬車から見える空に時折現れる鳥の数を数えて暇を潰し、その空が徐々に赤くなり始めた頃、
「――ん?」
ずっと自分を苦しめ続けていた馬車の揺れが無くなっていたことに気づく。同時に、進行も止まっていたことがわかった。
「どうしたんだろ……?」
目的の学園にはまだ早すぎる。と、いうよりまだエンポリアとシューレの国境にすら到達していない。
耳を澄ますと、馬車の前のほうから話声が聞こえてくる。
「……え?」
その話の内容に驚いていると、馬車はまたゆっくりと動きだす。しかしその進路は先ほどまでの道ではなく、別の町へと入るための大きな門だった。
「な、なんで? 学園に行くんじゃなかったのー?」
当然の疑問ではあるが、それに答えるものもなく馬車は完全に門をくぐり終え……その門も閉じられてしまった。
「ダグラスさん……間違えちゃったのかなぁ」
あの後、あの馬車が今日はこの町で1泊するということがわかった。最終的には学園の方向へと向かうようだが、こんなことは聞いていない。
「ま、いいか、今からいっぱい寝れるわけだし。……明日起きれなかったらやばいけど」
そう言いつつ眠るのに適した場所を探す。暗くなってきているので、首飾りをぶら下げた猫が塀の上を堂々と歩いていても注目する人間はいない。
そしてしばらく歩いていると――薄暗い路地裏で話している二人の人間を見つけた。
ただの酔っ払いなどでは無いことは、その二人が緊張に包まれていることからわかる。
「……?」
その二人に、シアルはちょっとした興味本位からこっそりと近づいて盗み聞きをしようと試みる。
片方の人間が時折周囲を警戒するように視線を話している相手以外にも向けているが、気配を殺して、屋根の上に居る、人間ではなく猫のシアルに気づくはずもなかった。
更に猫の聴覚は人間のそれよりも遙かに優れたものであり、ある程度近づいただけでその会話内容が聞き取ることができた。
そして、その会話を聞いていたシアルの顔がどんどん青ざめていく。
「なっ……」
その二人の会話は、シューレのとある町へオルガを用いての本格的な襲撃をかけるという内容であったからだ。
その内容に驚きつつも、もっと詳しく聞こうと近づいてみるが、それはできなかった。
話しているうちの一人が、シアルに気づいてしまったからである。そして気づくと同時に何の躊躇いもなく杖を向ける。
「っ!」
それに気付いたシアルも一瞬驚きはしたものの、全力でその場から離れる。
「くそっ、まさかばれるなんて……!」
屋根の上を伝って、時折下に降りたりしながら必死に逃げる。
しばらく走り続けた後、物陰に身を潜めて周囲を警戒するがどうやら追ってきてはいないようだ。
「――ふぅ」
それに安心して、小さくため息をつく。しかし鼓動は相変わらず緊張で高鳴っている。
結局、詳しくは聞くことができなかったために襲撃される町を知るまでに留まってしまった。
「学園に行く前に先に行かなきゃ……」
自分が行ったところで何ができるかわからない。もしかしたら何もできないかもしれない。
それでも、シアルは自分の身を危険に晒す道を簡単に選んだ。もともとこういうことを見過ごすことができない性格であった。
「できる限り早く動かなくっちゃ……。とりあえずそっちに行く馬車を探して、今日はもうその中で寝ちゃえばいいか」
そう呟くと、自分がこっそりと乗るべき馬車を探すために警戒しながらそっと物陰から出てくる。
そして自分の安全を確認すると、夜の町へと駆け出して行った――