第二話:Cat and an old man
暑すぎることもなく寒すぎることもない、穏やかな天気に包まれた日の昼下がり。それなりに栄えている街の外れに、一軒の家があった。
お世辞にも綺麗な家とは言い難く、建築されてから数十年は経過していそうな木製のやや小さめの家で、玄関の扉は開放されていた。
その家の中では住人と思われる老人がゆったりとした椅子に腰かけて日に当たりながらすやすやと眠っていた。
そしてそんな静かな家に、さらに静かに――ほとんど無音で入っていく影があった。
それは誰かを探すかのように視線を動かしながらゆっくりと家の中を進んでいき、寝ている老人を発見するとすぐ傍まで近づいた。
「……起こしていいのかな」
そう呟くと今起きてくれるといいのになぁ、などと言いながら老人の周囲をうろうろし始める。
しかししばらくしても老人が起きないとわかると、話しかけた。
「あの、すみません」
されど老人の反応はなく、先ほどと変わらず気持ちよさそうに眠っている。
「もしもし、あの、えと、起きてくれないでしょうか……」
今度はちょっと大きめの声で話しかけたものの、怖気づいているのか最後には音量が下がってしまう。
それからまた起こそうと何度か声をかけたものの声が小さいのか、それとも簡単に起きないほど老人が深い眠りについているのか……一向に起きる気配はない。
「――よし」
すると、何か意を決したように老人の座る椅子の裏へと周りこんだ。そこで椅子の脚に手をかけると、ゆっくりと揺らし始めた。
始めは非常に小さい揺れだったものの、その揺れは少しずつ強くなっていき、
「ん……なん、だ……?」
揺らし始めてから数分が経過した頃、ようやく老人が目を覚ました。そしてすぐに自分が座る椅子が何故か揺れていることに気づくと、揺れの原因を探るためにやや警戒しつつ立ち上がり、周囲へと目を向ける。
「誰か居るのか?」
少し緊張した面持ちで自分の視線が届かぬ場所へとそう声をかけると、思ったよりも近くから声が返ってきた。
「ごめんください」
しかしその声が返ってきたのは家の中からではなく、窓のほうから聞こえてきた。すぐさまそちらへと老人が目を向けると――そこには誰も居なかった。
「………」
老人は驚いた表情をしながらそこを見つめる。しかし、驚いた理由はそこに誰も居なかったからではなく、
「今日の朝ご連絡を入れ、少し遅れてしまいましたがこの時間に蔵書の閲覧の予約を入れたものです」
すらすらと自分に人の言葉で話しかけてくるものが、人間ではなく一匹の小さい白猫であったからである。
そしてその白猫は自分が驚かれていることに気づくと、間髪入れずにまた喋りだした。
「えっと、僕の説明もしたいですし……とりあえずお邪魔してもよろしいでしょうか?」
数分後、老人は落着いて、また自分が先ほどまで寝ていた椅子に腰かける。――対面には例の白猫。
そして自分を興味深く観察していた老人に向かって白猫が話しかけた。
「もう話しても大丈夫でしょうか?」
「……あ、ああ。大丈夫です。よろしくお願いします。」
「では、自己紹介からしますね。僕の名前はシアルっていいます。今はこんな姿ですけど……元々は人間でした」
その過去を話すのは辛いのか、後半は少し低めの声になっていた。
「それは薄々感じておりましたが、未だに自分の目を信じることができません……」
しかし、それでも目の前の猫に対しての興味は尽きないらしくその外見に似合わぬ生き生きとした目で白猫を見つめる。
「はい、それは仕方のないことだと思います。――本当に珍しい呪いらしいですし」
「……呪い?」
その言葉を聞くと、老人は眉を寄せ、あからさまに怪訝そうな顔をする。そしてまたすぐに聞き返す。
「あなたが猫の姿をしているのは呪いのせいなのですか? 姿を変化させるなどの魔法ではなく?」
「はい、確かに呪いです。僕はこの姿になってから今まで一度も人間に戻ったことはありませんし、色々と試してはいますが戻ることもできません」
すると、老人はそこで一度会話を切って考え込んだ。白猫は続けて話す。
「他にも魔力が体の中に無理矢理抑えられているような感覚もしますし……」
そこまで話したところで老人が手のひらを見せて話を中断させ、そのまま口を開いた。
「私は――、私は、あなたがその姿になっている原因は魔法と判断していました。その理由は犯罪者や逃亡者であり、人前に自分の姿を表すことができないからだと、そう考えておりました」
「そして僕があなたの貴重な本などを盗りにきたのかもしれない――そう考えていたのですね?」
「ええ」
それを隠そうとすることすらせずに老人がはっきりと答え、また即座に喋りだす。
「しかし、すぐに間違いだと気付きました。盗むのなら私が眠っている間に盗んでしまえばいい話です。すると猫の姿をしている理由がわからなくなる、それを考えていたらあなたのほうから教えてくれました」
そこで一度喋るのを止め一呼吸置くと、
「そして私はあなたに興味が湧きました。もしかすると、あなたの事情を考えるとこれはとても失礼なことかもしれない。それでも、それでも私は……あなたが呪いにかけられた理由や、経緯をぜひ知ってみたいと思います。話してくれますか?」
全く悪そうな素振りを見せずに、やや興奮した面持ちで一気にまくし立てた。
それに対して白猫は気分を害した様子はほとんどなく、目を閉じて静かに頷く。
「もちろんお話します。むしろ、あなたのような人にはぜひとも聞いてほしかったです」
「ありがとうございます。それでは……お願いします」
「……この話は僕が子どもの頃、ある夜突然自分が住む村に見知らぬ人物が来訪したことから始まります」
話し慣れているのかほとんど詰まることもなく、親が子供に昔話を聞かせるように、静かに語りだした――