第九話:Chance or necessity
ランカスターの家を出てからだいぶ時間が経った。太陽は既に真上にまで昇り、お昼時を知らせていた。
そしてシアルは休まず進み続け、ようやく国境まで辿りついていた。
「つかれた……本当につかれた」
そう言うシアルは国境に設置された検問所からやや離れたところに立つ木に登ってのんびりと休んでいた。
とは言っても、ただ休んでいるだけではなく、いかにして国境を越えようか考えているところであった。
「同盟国だけど、さすがに国境は警備されてるなあ……」
エンポリアとシューレは険しい山岳によって隔たれており、それに沿うようにして国境線がひかれていた。
その山岳地帯の、両側が崖になっている谷の間に検問所はあり、自然の防壁が密入国を防いでいた。
しかし、それでも標高が高い部分の山を登山してでも密入国しようとする賊は居ないわけではなく、そういった連中の対策として山々のところどころには物見やぐらが設置されていた。
やぐらには伝達魔法、またはそれに準ずる魔具が配備されており、いつでも情報の送受信が可能となっている。
そしてそういった物見やぐらは勿論のこと、今シアルが見ている関所にも魔法使いが待機しており、そう簡単には入れなくなっていた。
「やっぱり、本物の猫のふりをするしかないかなあ……」
そう結論付けると、木から慎重に地面まで降り立ち、今度はなるべく警戒心の強い猫を装って徐々に検問所まで近づく。
ある程度近づいたところで人々を警戒しているような素振りでその場に座りこみ、できるだけ見つからずに行ける方法はないか思案する。
「………」
そして荷物満載の馬車を見て何か思いついたようで、森の中まで戻っていく。
そこで先ほどと同じような荷物を積んだ馬車を見つけると、その下へと猫らしい機敏な動きで滑り込んだ。
下に潜り込むことに成功した後はそのまま馬車と一緒にゆっくりと検問所まで進んでいく。
当然のように検閲がなされるが、荷物が多くてそちらに時間がかかり、また馬車の下はとても人が入り込めるようなスペースはないためか調べられることもなく、遂にシューレへと入国することができた。
喜びを噛みしめながら、しばらく馬車の下に居続ける。そして、ある程度検問所から離れたところで飛び出して先を急ぐ。
「ここからなら急げば……今日中には辿りつくはず!」
ようやく見え始めた目的地を想像して力を取り戻したシアルは谷間の道を全力で駆け出していった。
それから更に数時間経過し、太陽が西に傾き始めたころ。
「あと少し……がんば、ろう……」
息も切れ切れになりながら、シアルはいよいよリーネのすぐ近くまで辿りついていた。
国境を越えてまではさすがに追っ手もくることはなく、今日は天候にも恵まれ、さらに昨晩はしっかりと食事も睡眠もとることができたのでかなり早いペースで来ることができた。
「そろそろ、見えてくるはず……」
へろへろになりながらも、その歩みは決して止めることはせず。
「あ、あれかな」
そしてその頑張りに応えるように、ようやくリーネが姿を現し始める。ここから見る限りでは火や煙などはあがっておらず、まだ襲撃はなされていないように見える。
「よかった、間にあった、みたい。……もうひとふんばり!」
そう言うとペースを上げて町へと急ぐ。しかし、近づくにつれて異変に気付き始める。
確かに不審な煙はあがっていないし、人々の叫び声などが聞こえてくるわけではない。
だが、逆に煙がただの一つもあがっていないということや、町なら絶対にあるであろう人々の喧噪すら聞こえない。そう――静かすぎるのだ。
「まさか、まさか……」
最悪の事態を想定し、長旅で疲れた体も厭わずに町へと急ぐ。そして、その光景を目にしてしまう。
「そんな……!」
リーネは、既に崩壊していた。逃げたのか、それとも殺されたのか、動いている人間は全くおらず、既に動かなくなった人が時折倒れているだけであった。
建物もほぼ全てのものが全壊しており、今ではただ元々町があった場所には大量の瓦礫が転がるばかりである。
「間に合わなかったんだ……」
その事実を認識し、意気消沈するシアル。しかしそれでも、
「……まだ、誰か生き残っている人がいるかもしれない」
その状況にただ絶望するだけではなく、少しでも良い方向に動こうと、歩みを止めることはしない。
優れた聴覚に全神経を注ぎこみ、どんな物音でも決して聞き逃そうとはせず、瓦礫に下敷きになっているかもしれない人に呼びかけながら進み続ける。
そうして生存者を捜してくシアルであったが、意外にもあっけなく生きている人間を発見する。
「あれ……っ!」
しかしそれはこの町に住み襲撃から生き延びた人間ではなく、軍服を着たものと、魔法使いらしいローブを纏った――襲撃者と思しき人間であった。
その姿を確認すると、反射的に近くにあった瓦礫の山の影へと隠れるシアル。
しばらくそのまま息を潜め、気配を殺してじっとしているが、襲撃者にばれた様子はない。
できるだけゆっくりと、警戒心を最大限まで高めながら、瓦礫の影からそっと顔を出す。万が一の時に備えて、敵の戦力をしっかりと分析するために。
「人数は……魔法使いが2人、普通の兵士が3人、かな。片方はたいしたことなさそうだけど……もう片方の魔法使いは……ちょっと手強そうだ」
次に、何をしているのかを知るために観察する。すると、その5人の他にもう一人動く人影があった。
どうやらこの人間は町の住人らしく、襲撃者たちに囲まれてその小さな体を細かく震わせていた。
そして、その人物を確認した時点でシアルは5人を相手に戦う覚悟を決めていた。
「まずはあの子を避難させなきゃいけないから……なんとかして少しでも離れさせて、できればその時にザコはまとめて……」
数で劣るからには不意打ちをしかけ、その差を縮めることから始めなくてはならない。
失敗は絶対に許されない以上、本気で作戦を考えなくてはいけないため、疲れを無視してできるだけ効率のよい作戦を練り上げていくシアル。
「――よし、やろう」
そして作戦が決まったのか、淡々といつもと変わらぬ口調で呟くと、
「母なる大地、恵みの大地。時には生命を助け、時には生命を葬るこの大地よ。全てを受け入れ全てを支えしその偉大なる力、今我らの前に現れ、その力見せつけてみせよ!」
物陰に隠れたまま詠唱を始め、戦闘の引き金となる魔法を唱えた――