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シスターのたまご

作者: 夏祭那奈緒

12/24

夏祭那奈緒です。

久々投稿でございます。

どうぞよろしくお願いいたします。


 村の北外れに小さな修道院がある。ジェイクは五年ぶりにフランスからここ、イギリスの地元へ戻った妹夫婦の義弟に「知っているかい」と尋ねた。

 義弟のユンは軽く頷き、スコッチをぐいと喉に流し込んだ。立ち上がり、ダーツの的に向かって矢をふわり投げると、木製のスリムな矢は緩やかに軌跡を落とし、的から十センチはずれ、隣の絵画に刺さった。

 ジェイクはユンの恐る恐る振り返る様子にクスクスと笑った。煙草を深く吸って、窓際に置かれた黄色い、小さな花へと吹きかける。花弁は揺れ、葉が煙たそうに揺れた。

 窓の向こうではキッチンに数人の女性が料理をせわしなく行っているのが見える。そのうちの一人、妹の笑顔が眩しくも、大笑いしている顔に、どこか老けたなと感じさせた。

「確か妻の友人だった女性がシスターをしているとか。でも一度も行ったことはないよ。友人だったという話を聞いただけで。それ以外は何も」

「そうだ。カレンの友人だった女性だ。アニーという赤毛の子で、実家は花屋なんだ」

「へぇ、花屋。花が好きなカレンにはぴったりだ」

 ユンはなるほどと矢を絵画から丁寧に取り外し、指先で小さく穿った穴を撫でた。

 絵には色とりどりの花が描かれ、店の看板が上部に記載されている。

「そう、その絵の花屋の娘だよ。とても素直で、いい子だ。村でやる収穫祭の時には麦種をウチに一番に持ってきてくれてね、カレンにもどうぞってな具合に。まぁ、もうないが」

「ふうん。で、その赤毛の修道女がどうかしたのかい、義兄さん。さぞかし淑やかで美麗な方なんだろう?」

 ジェイクはウィスキーをチビと口に含むとまた煙草を吸い、ため息をついた。

「そうだな。器量はいいし、スタイルだって悪くない。顔も妖精みたいに綺麗で、学生時代は男どもは誰だって彼女を見ていた。今は落ち着いて年相応のおばさまさ。と言っても年齢ほど老けては見えないから、今でも求婚されるらしい」

「いいね、美人は。シスターになったのはいつ頃なんだい?」

「ちょうどお前たちが結婚する一年前だったかな」

「今日が結婚五年目のお祝い日だから、六年前か。ちょうど僕が病で倒れていた頃だな。そうか彼女は家の花屋を継がなかったんだね」

「ちょっと手が不器用な子なんだ。絵や演奏はとても器用にこなすんだが、それ以外は何かと苦手で」

「カレンとは逆というわけか」

 ジェイクは彼女のお菓子を食べて寝込んだ話や、花瓶をいくつ壊したか、なんて昔話を懐かしむよう、ウィスキーの入ったコップを空にするまで笑いあった。


 ○


 不意に時計を見ると、針が十七時を指している。そろそろ料理が出来上がった頃かと二人は椅子から立ち上がり、妹が昨日作った厚くて甘いクッキーを口に含む。ジェイクは最後の一服と煙草に火をつけた。ユンは窓を開け、陽の落ちた涼しげな陽気の光を浴びた。庭に咲いたスノードロップの細やかな匂いをかぎ、娯楽室に飾られた絵を一周見渡す。

「なるほど、ここに飾られた絵は件の修道女が描いた絵というわけだね」

 ジェイクは満足げに頷いた。

 途端、激しく何かが割れる音が娯楽室に響き渡った。同時に大きく叫ぶ声もする。ガラスが、というより食器が砕けた音の方が近いだろうか。誰かが皿でも落としたかと二人は早歩きで食堂へ向かう。

 しばしして食堂側から、母が泣きじゃくる姪のエイダの側について緩慢に歩くのが見えた。

「エイダがヘマでもしたんだろうか」

「しっかりした子だとは思うが、今年六つになる子だぞ。だから仕方ないこともあるに違いない。あの限りじゃカレンに怒られた後かもしれんが、慰めてやりなさい」

「ええ、それはもう。義母さん、どうも。エイダがすみません」

 母は「いいのよ」とか細くつぶやき、ユンにエイダを引き渡した。ジェイクはそんな母を一度軽く抱きしめ、何があったか尋ねた。

 しかし母は視線を外すばかりで「カップを割った」と言ったぎり、何も答えない。エイダは嗚咽し、ユンの胸に顔を押し付けている。

「とにかく、食堂へ行こうか」

 ユンがそういうと、母とエイダはぶるぶると体を震わせたかと思えば、二人の体をつき放し、どこへともなく駆け出した。

 ジェイクとユンは顔を見合わせ、娯楽室に戻ろうと体を翻したところで声をかけられる。

「ジェイクさん、それとカレンの旦那様」

 瞬間、ジェイクの体が硬直した。ジェイクはユンに返答するよう目配せし、自身は目を眠るようにつぶり。額の汗を手で拭った。ユンは振り返る。

「ええと、君は」

 ユンの見ているものが間違っていなければ、それは修道服だ。

 けれどどことなく汚れている。白い襟や紺いろん布地にどことなく赤みの色がついていた。

 彼女はステンガンを持ち、こちらに砲身を向けている。ユンは緊張した。

 フードを外し、後ろで縛った赤毛の髪が風に揺れた。

「私、わざとじゃないんです。本当です。信じてください」

「お、落ち着いてください。一体何があったんです?」

「カレンがこの村に帰って来ているって聞いていてもたってもいられずつい」

「つ、妻を知っている修道女ということは、ひょっとしてアニーさん、ですか?」

「ええ、そうです。私どうしてもカレンに謝りたくて。お祝いの麦酒、それと手作りの料理を」

「料理を、ですか。ちなみに何を」

「カレンの好物のフィッスアンドチップスを」

 おかしい。彼女はフィッスアンドチップスが大の苦手だ。

「油をオリーブオイルをふんだんに使ったギンギンの油がついています」

「カレンは今どこに」

「いってしまいました」

「どこへですか」

「私の顔を見るなり運んでいたティーセットを私に向かって投げつけ、泣き叫ぶので私もつい動揺してしまい、銃を」

「銃をどうしたというんだ君は!」

 ジェイクは我慢の限界だったのか振り向き、アニーの顔を見据えて怒鳴りつけた。

 しかし視線を下ろし、ステンガンを見るや否やスコーンを割るように崩れ落ちた。

「今のジェイクさんのように白目をむいて」

「なるほど。その服についた赤いのはまさか」

「ええ」

「そんな」

「ケチャップです。修道院で取れたトマトを使って作った特製ソースなんです」

「そんな……」

「二ヶ月は使えるよう瓶でお持ちしたんですが、どうしてかカレンが嘔吐を」

 修道院でどうやってそんな大量のトマトを作ったのだろうか。

 さぞかしカレンには「毒を二ヶ月飲み続けろ」と聞こえただろう。

「そうですか。ところで今日は何を謝りになりたくて来たんですか?」

「それはもちろん、昔酒に酔った勢いで彼女の恋人を殺しかけたことをです」

「な、なんだって?」

「当時、私は若かったのです。お祝いの席でした。酔った勢いで、彼女の恋人に手作りのたまごスープを飲ませたのです。彼は倒れ、フランスの高名なお医者様のところへ行ったとか。私たちは泣く泣く距離を置きました。カレンは海外で花屋を、私はここで修道女になり、二度とあのような過ちを犯さぬために努力しました。いつか彼女に私の美味しい手料理を振舞って謝るために! そしてカレンが村に戻ったと聞いたのが昨日の夜でございました」

 ユンは話のうちから玉の汗を全身から出し、ブルブルと震え、動悸が収まらない。今にもだるく倒れそう。

「カレンの旦那様、私、来る前景気付けに少量ワインを飲みましたが、何も心配ありません。たった瓶二本。これで今日中にきちんと和解してみせます。あ、そうだ旦那様。手作りのオムライスはいかが? 今なら特製のソースもついて」


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