第五話
それは罪深く奇妙に高揚するそんな行為だった――
喉を粘つく熱い液体が通り過ぎる。口の中に広がるのは噎せ返る程に濃厚な味。口元を伝い顎から滴り落ちる赤い雫が染みとなりシーツを汚す。
「は――……ぁ……」
至近距離。首筋をくすぐる距離で女のか細い吐息が漏れた。
その渇望を癒す事は他人の命で自分を継ぎ足す行為に他ならぬ。多かれ少なかれ食事には代償が付き物だから。耳元を撫でる苦鳴の声には取り合わない。
「――っ、あ……ッ……!」
喘ぎにも近い声。
下世話な話だがいざ喰らうならば、やはり女の肉が最高だった。喉から溢れそうになる鉄分の美酒を久方振りに味わえば満足感に唇が歪む。身体が奥から沸騰する。
道徳も無視して強欲に唯貪る。ごくりと命を飲み干した。
足掻くように空中を引っ掻いた女の手が見る間に枯れていく。瑞々しかった肌がはりとつやを失い皺になる。老いたその腕は力を失いふらふらと俺の背筋を滑り降りた。
女が脱力した分と同じだけ強く抱きしめ、ごくり、ごくりと飲み干していく。最後の些細な抵抗はすぐに消え彼女はされるがままになった。ふと首筋より視線を上げ見やれば。美しかったその顔から、先程までの面影が消えていた。瞳に輝きは無く、眼窩は落ち窪み、頬はこけ、肌は青くなるを通り越し、土気色に生気そのものが失せている。
これに命を幾らか戻せば新たに眷属が出来るのだが――十年振りの食事では堪えもきかない。
「ぁ――」
最後の声が余りに儚い。
もう一飲みすると彼女は完全に動かなくなった。
脱力した身体が俺にもたれ掛かる。決して愉快では無い重みは人なる身の知る単純な死。
「残酷なシーンですわ」
もたれ掛かってくる女の肢体を突き倒すと、ベッドの傍らに控えていたリズが洒落を含んだ言葉を吐いた。
「そんな風になさったら、御可哀想」
その可憐な花のような少女の顔に場違いで酷薄な笑みが乗っている。
「良く言うぜ。少なくとも、俺以上に人間何てどうでもいい癖に」
目は口ほどにモノを言う。本人に隠す心算すら無いならば尚更だ。
「女性の扱い方は紳士の嗜みでしてよ?」
「この貪欲はお前に倣った心算だったんだがな」
俺の目前でリズが男を食い殺したのがつい先刻。
何せ記憶喪失症だ。慣れ知らぬ部分ではリズは俺の教師でもあった。女を喰らう俺に対して男は好かぬと言うリズのそれは、当人曰く「それが、乙女心ですわ」との事らしいが。
「牛飲馬食。命貪る事、唯の獣の如くだ。反論はあるかね?」
「あら、心外ですわ。
私、御食事に感謝して御冥福を『お祈り』する位の余裕は持ち合わせておりましてよ?」
「……け。良く言うぜ」
咳払いをして水差しから水を含む。口元の血を拭う俺にタイミング良く白い布を差し出したリズは、そんな俺を見て華やかに笑っていた。
「ああ。だが……食い足りねぇな」
十年の時間を埋めるのはやはり並大抵の事では無いのだろう。女の命を飲み干しても俺はまだ飢えていた。
「ふふ、流石ディルク様ですわ。では、私が……新しく獲って参りましょうか?」
「いいや」
即座の申し出に首を振る。
「それには及ばねぇよ」
ベッドから立ち上がり、小首を傾げたリズの背後に回る。不思議そうに振り向きかかった彼女を背後から抱きすくめ、耳元で囁くようにそれを問う。
「こういう時、お前はどうするんだ?」
腹が膨れれば次は……かと。短絡的な欲求には我ながら呆れるが何せこれも十年振りだ。昂ぶるだけ昂ぶった体が不埒に求めるのは必然で、要するに貞節何ざクソ喰らえ。
「……あら」
首筋への口付けにくすぐったそうにしたリズは「ふふ」と小さく含み笑った。
「てっきりお呼びでは無くなったのかと思っておりましたのに」
「何だ。飯の後じゃあその気にゃならねぇか?」
少し意地悪く言ってやると、
「……少しだけ悔しゅう御座います」
身を竦めたリズは正面を向いたままやや俯いた。
「どうして?」
編み髪を手に取り口付ける。香油か何かの所為か、生来のものか。密着したリズの香りは仄かに甘い。
「……分かって、いらっしゃる癖に……」
極々些細な恨み節。
唇を押し当てた部分から冷たい肌に熱が入る。真白い肌に朱が差していた。元が抜けるような白だけにその差がはっきりと分かって少し可笑しい。腕を回し下腹部を軽く撫で胸元にそっと触れ、首筋をぞろりと舐め上げればそれだけで。愉快な位に少女の身体は反応する。
「分からねぇな。言えよ、ハッキリと」
「っ、……ッ……」
リズは俺の言葉に小さく息を呑む。
「っ、ディルク様に求められて……」
「あん?」
「も、求められて……不満に等思う筈が御座いません……っ……」
言った彼女は色さえ知らぬ生娘のように羞恥にその身を震わせた。些細な刺激にもおこりのようにびくつきながら強さを失った掠れ声で言葉を続ける。俺の『命令』に応える為に。
「私、ずっと……ずっとこの時をお待ちしておりましたの。
幾歳も、眠る貴方様を見つめながら……毎日見つめながら、この時をっ……!」
言わされているというのに気付けばリズの言葉は熱っぽく陶然としたモノに変わっていた。言葉からは恥じらいや躊躇いといったモノさえ消え失せ、暴発しそうな程に強い感情だけが伝わってきた。
「へぇ?」
「一つの、御遠慮もなく。わ、私の全ては貴方様のモノ」
リズは俺の手を取り自らの胸に強く当てた。
「全て、貴方様のモノですから。どうぞ御随意に」
少女の声に。必死で媚びるようなその姿に喉がからからに渇いていた。
「ああ――そうかよ」
「きゃ――」
俺は言って少し乱暴にリズを向き直らせる。そしてそのままベッドへと突き倒した。
上から組み伏せる。重力に従って垂れ、頬を撫でた俺の髪にリズは小さく身を竦める。
「……っ……」
「残念だが、今日は余り優しくしてやれそうにねぇな」
ベッドの上にしどけなく横たわるリズは圧し掛かった俺を見上げていた。
「ディルク様は非道いお方。女の気持ちを御存知無いからそんな風に仰る」
「はん」
「方法何て――今更何の問題になりましょう?
どうぞお好きに私を『使われ』ませ。道具のように、奴隷のように。
私の望みは唯一つ、それは……」
艶やかな薄い唇が微かな笑みを湛えた。俺の首に手を回した彼女は――
「……いいえ」
――小さく頭を振って嘆息する。
「戯言はここまで。今はどうか……リーゼロッテめに御慈悲をば」
濡れた瞳でそんな風に言いやがる。
やっててつまんないと止まるかも。