第二十一話
「ゃ……」
大きな薄青の瞳に、一杯の涙が溜まっている。
「っ……!」
気丈だったその視線が、今はもう見る影も無い。傷口を押さえる事も忘れ、カミラは両手で自分の口を覆っていた。
衣装の下は、既にずたずたに破られている。
組み敷き、押さえつけ、我侭に貪る。動く度に、『複数の』傷口から血が毀れる。強く、何度も頭を振るカミラの顔色は、まさに蒼白そのものだった。
「は……」
確かに美しい生娘『だった』。
それ自体は、気に入らない訳じゃない。喰らうならば、決して悪い獲物では無い。相応に手に入れたならば、さぞかし昂ぶりもしたのだろうが。
しかし、これでは――唯、普通に狩りをしたのと変わらない。
「何処で、何を……間違えたんだかな?」
貫き、貪り、突き上げる。
「……っ! ッ、っ……!」
やはり、俺は、今のカミラの姿に、どうしようも無い失望感を禁じ得ない。
悲鳴を堪える為か、彼女は、ずっと必死に口を押さえている。その努力だけは買ってやりたいが、全てを台無しにする位に――泣き顔が余りに幼い。
何かを堪えるかのように、表情を歪め、唯俺を悲しそうに見ている。最初こそ、抵抗は激しかったが、傷付いた彼女に出来る事等、たかが知れていた。
「気分位出して見せろよ。例えば、怒りに燃えて見るとか。
罵倒するか、唾を吐きかける位は、して貰いたいモンなんだがな」
「――――っ!? ……! っ……ッ」
傷口に指を突き込み、捏ね回してやる。
言葉にならない悲鳴と引き攣った表情は、彼女が受けた激痛を何より物語る。
なのに、刃向かう言葉も無い。その方が、ずっと、そそる。その方が、幾分か気も晴れるというモノなのに。
「聞こえねぇのか?」
諦念なのだろうか? いちいち簡単に表情を歪めやがる。
しゃくり上げるように、何度も小さな嗚咽を漏らしたカミラは、幾ら何回焚き付けても、されるがままに任せていた。
「それとも、俺の言う事は聞く気が無い――か」
細い顎を掴んで持ち上げると、ひとすじ大粒の涙が零れ落ちた。
壊す事すら容易そうな繊細な作り。指先に力を込めれば、弱々しい苦鳴の声が僅か漏れる。
「つまらねぇ女」
そんな言葉とは裏腹に、感情がささくれ立つのを自覚した。
思えば――思い返せば、出会いの時点から、おかしかった。
一目見たその時点で、何となく俺は『理解』していた筈だ。
「お前、何者だ?」
思わず、そう訊いた。ナンセンスを理解しながらも、訊いてしまった。
だが、同時に詮無い問い。期待しない問いでもある。
本当に、何故ここまで……コイツは俺を捉えるのだろう?
カミラが弱る程、悲しそうにする程、蒼白に顔色を失う程に、苛立ちが増す。こと、この女に関する範囲では、最初から俺は狭量だった。一度は、執拗に求め、焦がれ、それから今は、無性にその表情が赦せない。結局は、コイツは、常に特別だったという事だ。
それは、あのリズの言葉では無いが、アイツが『妬いて』もおかしく無い位には。
「え? 何とか言ってみたらどうだよ」
ビロードのように広がった血溜まりが、先程より随分とその量を増している。弱り切ったカミラは、俺の言葉に応えない。あの凛とした瞳が、朦朧と、虚ろに力を失っていた。
それでも、その手は、口元を押さえたまま動いてはいなかったが。
「――――」
何て、脆さか。
カミラは、死ぬ。もう数分も経たない内に、間違いなく、死ぬ。
一瞬、俺の脳裏を掠めた事実がある。掠めた欲求があった。
この美しく、強かった女を、『眷属』にしたなら、どうだろうか――?
リズは言った。自分は、俺の眷属であると。目覚めてからの俺は、新たにそういう存在を作り出しては居ない。その『再開』に、コレを使ったら良いのでは無いのかと。
リズは、不機嫌になるかも知れない。だが、悪くない思い付きだ。
「……っ……」
もう、抉り、突き上げても殆ど反応も無い。単なる木偶か、肉人形。見下ろす女の顔には、既に色濃く死の影がこびり付いている。この斜陽は、人の身では、振り払えない。
「死ぬか? それとも、永らえたいか?」
「……」
返事は、無い。
「なぁ、カミラ」
何とは無しに、硝子球のように、何も映さなくなった瞳を覗き込む。
執拗に口元を覆い隠していたその手を、既に力を失っていたその手をそっと外し、至近距離でその顔を見つめてみる。
「……」
血の匂いが混ざった弱い吐息と共に、僅かに唇が動いていた。
「何だって?」
それを言葉と認めた俺は、嬉々として一層その口元に注視した。
「……………」
「聞かせろよ、ほら。もう一度」
優しく、微笑みかけて、その最後の力を振り絞るカミラを励ましてやる。
やがて、彼女の唇は、辛うじてもう一度、最後の言葉を搾り出そうと僅かに開いた。
「そう。その調子――」
好奇心は、猫を殺すと云う。
此の世には、目を覆いたくなるような偶然とか。殆ど最悪を極めるとしか言えないタイミングばかりが、転がっている。
カミラの命が、数秒だけでも早く尽きていたなら。俺が、戯れにそんな風にしなかったなら。後、少しだけでも責め続けて居たならば。
少なくとも、俺は――身勝手な俺は、その言葉を聞かずに済んだのに。
「……」
「……あん?」
「……ぇ……」
唇が震える。声が、もう殆ど声にならない。
それでも、幽かに空気に溶けた一言は、あっさりと俺の世界を壊す。
「……は?」
声を上げた俺に構わず、カミラの瞼が、弱々しく閉じた。
繋がったままの身体は、まだ体温を保っていたけれど、既に脈打つ事を辞めていた。




