第十九話
「カミラ様があんまり魅力的でいらっしゃるから。
私、真剣に妬けますわ。ディルク様、あんなにしょげていらっしゃる」
余計なお世話。
さて、至極不本意ながらリズとカミラの対決である。
対決構造は、魔術主体のリズに、白兵主体のカミラで、先のパウルのそれから大きな変化は無い。パウルの敗北を見て尚、悠然と対決を挑んだリズがカミラに対策を立てていないとは思わない。同時にカミラもアレを受けて尚前に出たリズに簡単な手が通用しないのは良く分かっているだろう。
「尊大にして倣岸極まりない。
成る程。私等、元より脅威と見做す迄も無い――か。
実に貴様らしいな、澱の魔女」
「とんでもない」
間合いは五メートルばかり。剣士の距離であり、魔術師の距離でもある。
カミラの構えは隙無い正眼。一方のリズは何時戦いが始まってもおかしくは無いのに無手に無造作、無防備なまま。唾棄するかのようなカミラの言葉を口では一応否定しながらも場違いにコロコロと笑っている。
「確かに普通の人間を敵とは思いませんけれど――私、貴方様には特段の敬意を払っておりますのに」
紅玉のような瞳をすっと細め、
「貴方様は紛れ無く『敵』ですわよ? 同じディルク様に焦がれる女として」
そんな風に、言いやがる。
「それに実際問題。貴方様はとてもお強い。
ヒトの身で、あの馬鹿鴉をあれだけ痛めつけるなんて、大したモノですわ。
天才的――まさにそう称するに相応しいお力。親御様の御教育が宜しかったのかしら? それとも、生まれつき優れた力をお持ちでいらっしゃったか……
少なくとも私が今までに見た敵の中では『第二番目』の使い手ですわね。もう少し熟されたなら――きちんと誰かの師事を仰げたなら……
……この私でも『分からない』位」
口元に手を当て、リズ。一方でカミラはそんな軽口にも強く奥歯を噛み締め、射殺さんばかりの目でそんな彼女を睨んでいた。
「……それがソイツのやり口だ。そう感情的になるんじゃねぇよ」
「まあ……!」
口を挟んだ俺にリズが目を丸くしている。
振られた男が口を出すのも憚られるが意趣返しに女の戦いに水を差してやる。軽口の内容は兎も角、彼女がリズを目の前に熱くなり易いのは確かである。
「……っ……!」
「様子程、可愛らしいヤツじゃねぇぞ。出来れば俺の出番を作ってくれよ」
「卿……」
カミラは俺の言葉に酷く複雑そうな顔をした。
敵に心配されたからか、それとも別の理由からか。
凛々しいカミラの部分的な覇気の無さは――どうにも、解せぬ。
「非道い御方。私の応援はして下さいませんの?」
「しねぇよ」
リズは、頬を膨らめた。
「益々、妬けて来ましたわ。私を取って頂くか、カミラ様が選ばれるのか――ここまで来れば、勝敗は単純な戦闘のそれに留まりませんわね?」
だが漆黒のドレスの裾を直し続けたその口調はあくまで十分な余裕を含んでいる。本気で拗ねている訳では無さそうだ。
俺とてこのリズがあのパウルのような姿を晒す羽目になるのは、望まないが……
「……いい加減、黙れ」
犬歯を剥き、低く、搾り出す唸るような声。
それは憤怒。やはり先程の様子とはまるで違う。
歯ぎしりすらしそうな位。殺気立つカミラの瞳は、まるで獣のそれだった。感情を剥き出しにした彼女は、リズと対照的に、酷く余裕を失っている。
……どうやら、俺のアドバイスは、焼け石に水だったようだ。それに、仮に敗れたなら、リズは間違いなくパウルの『ざま』では済まないだろう。
「怖い怖い。そういう余裕が無いのはいけませんわ。
淑女たるもの、万事流麗にたおやかに。心を平静に保ってこそ、ですわ。
簡単に猛り昂ぶっては待ち侘びた千載一遇すら逃がしてしまう。それで悲願を果たせますの?」
何時に無く上機嫌なリズと反比例して苛立つカミラ。爆発の瞬間が近いのは見るからに分かる。
「……黙れ、と言った。澱の魔女」
「お話は御嫌い?」
「相手が貴様で無ければ考えよう。しかし……」
恐らくはリズの軽口に耐えかねてカミラが――
「もうアンフェアな戯言は沢山だ!」
――やはり、仕掛けた。
五メートルの距離は、一足に詰めるには、やや長いが、魔術師が十全と術を練り上げるに十分とも言い難い。床を蹴ったカミラに対応し、リズも即座に後退を図る。
このリズとて、一級一流の吸血鬼。その反応と膂力は、唯の娘とは比べ物にはならない。 だが、それでも。短期の速力では、この俺をも上回るカミラは、完全な別格だった。両者の差は、如何ともし難く両者の距離を近付けている。
二節の防御魔術が、次なる第一撃に間に合わないのは、明白だったが……
「……………」
通常の人語には無い、不可解な音が、リズの唇から零れ落ちた。
それは、不明の音。凡そ聞いた事も無い、恐らくは、人為らざる一節の『詠唱』である。一瞬で現れた澱んだ殺気が、目の前の空間を――迫るカミラごと飲み込んで、収束する。姿勢を低く、肉薄しようとしたカミラの表情に、先のパウルを上回る狼狽が見て取れた。
……冗談だろ?
唯の一瞬の内の出来事に、咄嗟の感想はそこまでだった。
正直に言えば、カミラの驚愕は、この俺にも同じ事である。
空気が撓み、圧力が一点へ収束する。不可視の威力が、少女をその内に捉えた瞬間。
――ギッ……
鋼の軋み。破砕音。細く高い悲鳴と、重い物が倒れ込む音。
肺が破れ、漏れ出る弱い吐息。
「――では、これまでにいたしましょう」
漆黒のスカートが、翻り、元に戻る。
先の一言に応えるように、今更そう付け足したリズの目の前に、身体をくの字に折ったカミラが、倒れ臥していた。
まさに、一撃。息を吐く暇も無い、決着劇。
「……おりの、まじょ……!」
脇腹を押さえ、咳き込むカミラの言葉が、流石に弱い。
まさか、これだけの差があったとは。
カミラの実力を知る故に、予想もしなかった展開に、言葉が出ない。どくどくと漏れ出す大量の鮮血が、床に赤い染みを広げていく光景は、奇妙に昂ぶり――同時に冷めるそれだった。
「きさま……っ……っふ……」
何故なら――それは、深過ぎる。
甲冑ごと、その下の肉体までを削り削がれたのか。その傷の詳細は知れなかったが、それがヒトなる身にとっての――敵地にあっての致命傷である事は、明白過ぎた。
つまり、終わってしまったのだ、彼女は。得難い一事となる筈だった、この時は。
「まぁ、はしたない。ですが、誇って貰っても結構ですわよ。今のは、『割と』本気でしたの。尤も、ディルク様の御手前、一度で殺す心算迄はありませんでしたけれどもね」
嫌気すら差す位に淡々と、リズは現実だけを述べていた。
『二節の防御魔術に頼らず、三節の攻撃魔術を一節で紡いだ常識知らずの魔女は』、倒れたカミラを見下ろしている。
褒めながらも、結局は、手加減していた――何て言いながら。
「ディルク様も、御目が覚められたかと」
「……」
「人間とは、脆いモノですわね。命を賭した悲願も、その程度の傷で折れてしまう――」
口元に手を当て、リズは笑う。
「……ああ。失敗だったよ。やはり、強引にでも俺が出るべきだった」
「まぁ……次が、ありましたらば」
心底から、そう呟いた俺に、薄ら笑ったリズは、それ以上の言葉を返さない。確かにリズが負けるとは思っては居なかったが、折を見て戦いを止めよう等と甘く考えた事は、完膚無きまでの間違いだった。
まるで、在り様からして、違う。
こと破壊と殺戮に関して、此の世に、これ以上の魔術師が存在するのか――そんな疑問すら抱きたくなる位に、敵に相対する『澱の魔女』は、絶対だった。
結末が、こんな姿になったのは、パウルと同じく敵の常識を過信した――その実、過信と言っては気の毒だが――カミラの軽率だったとも言えるのだろうが。
戦い慣れているが故の判断は、流石に責めるには手厳しすぎる。『知っていたなら』対応出来る内容も、『そも、考え及ぶ範囲に無ければ』、初見で考慮は出来まい。
それに、俺も同じだったのだ。このリズを見誤っていた事は。俺がカミラの立場ならば、同じく床に転がる事になっていただろう。
「さて、如何しましょうか」
カミラは、口元を、何度も吐き出した血で汚し。あの美しく長い髪を鮮血の池に横たえ。立てないながらも、上半身を持ち上げ、見下ろすリズを睨んでいた。白銀の甲冑は既にひしゃげ、べっとりと血に染まり、手にした銀色の剣は、半ば手前より砕け散っている。だが、それでも彼女の『意志』はまるで緩んでいないようだった。
「……しは……」
「……え?」
「わ……っしは、まだ……んでない」
何が、彼女をそうさせるのか。幾度も、幾度も。搾り出すようにカミラは言う。
「わたしは――まだ、戦える……!」
「まあ……!」
リズまでもが、驚いた顔をした。
文字通り、血を吐くように叫ぶ姿は痛々しく、余りに愚かで……更に愛し過ぎる。
その双眸が、曇らずリズを射抜く程に。時折、俺に向けられる度に、身体に熱が入るのが、良く分かった。確かに、言葉は、真実だった。単純な結果の問題では、無い。勝敗の別等関係無く、彼女は、未だ終わっていない。
この敵は、皮肉にも、感動にも似た強い衝撃を俺に与えていた。
「……ディルク様」
果たして――冷淡なリズが、俺と同じ感想を抱いたのかどうかは知れないが。少しの沈黙の後に、肩を竦めた彼女は、こう言った。
「どうやら……私は、ここまでのようですわね」




