第十八話
「な……」
決着は、一瞬で……同時に壮絶だった。
俺の視界の中に、実体を取り戻したパウルが居る。殆ど変わらない何時もの表情を貼り付けたその顔に、確かな驚愕の色が浮かんでいる。
「闇に棲む、無明の貴殿等が知り及ぶかは知らねども。
書には、『智恵をもち、悪をさけよ』と在る」
事も無げに口にしたのは、かの書の教え。パウルの術式を強引に破ったのは、文字通り邪を払い、寄せ付けぬ、破魔解呪の法である。
『神の奇跡とやら』を顕現するそれは、魔術師が通常扱うそれとは、技術体系そのものが異なると言う。尤も、門外漢の俺には、それ以上の事は、理解しかねるが。
「神の声を争いに携えるは、因果だが。因業に挑む私には、助けになったようだ」
表情を殆ど変えずに、淡々とカミラ。彼女を半ば呆然と見つめるパウルの右胸を、得物の銀剣が、深々と抉り、貫いている。魔力を帯びた銀製の剣は、傷口をじくじくと溶かし、焼いていた。
「……酷いや……」
吐息のような声が、弱い。
カミラの姿と戦い振りから考えて、パウルが選んだ選択肢は間違いでは無かった。どの道、剣戦闘や格闘では勝負にならない。ヤツが選んだ魔術戦も、物理戦闘を概ね無効化する霧化も、実に妥当な判断だった筈。
「今日日、司祭でも使わないぜ。そんなの、さア……」
そう、その判断は、普通ならば、間違いでは無かった筈。
破邪の術式までをも、司祭レベルに使いこなす――この有り得ないスタンドアローンが相手でなければ。同時に、パウルが勝利を確信し、余りに無造作に間合いを詰めて居なかったなら。結果が出るには、もう少し掛かったのだろうが。
「奢るな、吸血鬼。言った筈だ、私には時間が無いと」
冷然と、カミラは言った。パウルを貫いた切っ先が、傷を抉る。
「『もろもろの血肉ことごとく滅び、人もまた塵にかえるべし』」
力ある言葉が、錯覚か静けさすら感じさせる戦場の空気を震わせた。
顔が引き攣る。動けぬパウルの右半身が、貫かれた胸を中心に無様に膨らみ、それから弾けた。肉片が散り、どす黒い血が噴き出し、飛沫が、絨毯を、床を汚していく。右肩から向こうは、完全に原型を留めていない。血まみれの肉片と、爛れた皮膚が、不恰好にぶら下がっている。顔と首元、下半身は辛うじて残っていたが、血肉内腑と――実に、体の三分の一までも失い、よろめき後退するパウルは、吸血鬼からしても甚大な、深刻なまでのダメージを負っていた。
「……ああ。元より、人では無かったな」
人なる身ならば、三度は死ねる。カミラは、そんな攻撃が一撃必殺に届かなかった事を、皮肉に呟いた。その彼女がトドメに向かうよりも早く、俺は、止める。
「まぁ、ソレは、もう十分だろ?」
少なくとも手負いのパウルでは、このカミラが手に負えない事は、間違いない。
「……前座が、出しゃばり過ぎたな」
玉座を立ち、幾らかの冷笑を交え、荒く息を吐くパウルを見やる。リズはと言えば、瀕死のヤツに興味も払わず、楽しそうにカミラを見るばかり。
「待ち侘びたぜ、随分と」
「……………ディルク……卿」
カミラの薄青の双眸が、俺の姿を映している。
全く、リズの言う事は本当だった。『恋焦がれながら』、待ちに待ったこの二週間は、最高のテンションを、この邂逅に与えている。カミラが、パウルを退けるまでの相手ならば、尚の事。まさに、今この瞬間は、久しい望外それそのものに違いない。
この戦いの風が、何にも代え難い。高揚が、心を捕らえて離さない。果たして、吸血鬼が、永遠を生きたとて、何度そんな瞬間に巡り会えると言うのだろうか?
「お前は、最高だよ。殆ど、愛してるって言ってもいい」
カミラの顔が、奇妙に歪んだ。
刃を交わしたのは、唯の一度。口を利いた時間等、数分にも届くまい。だが、その感覚に、言葉に出来ない位の自信がある。
「理由以前の問題だな。俺は、お前を気に入ってる。
焦がれ、欲している。その顔を見れば、お前も、満更じゃあ無いんだろうが」
但し、彼女が求めるのは、俺の『首』なのだろうけど。
「……っ」
気楽に歩み寄りかけた俺に対し、カミラは身を翻して間合いを取る。
咄嗟に構えこそ取っているが、余り覇気は無い。代わりに覗くのは、緊張と、困惑が綯い混ぜになった表情だ。『礼儀』を知っているのか、それとも本能的に察しているからか。三下相手の時とは違い、随分と感情豊かな反応である。
……いや、それは、余りに豊か過ぎる反応だった。
正直、少し疑問に思う。パウルに相対するカミラ、リズに相対するカミラ。そして、この俺に相対するカミラ。それぞれが、同一人物とは思えない位に、バラバラでは無いか?
……その感覚に、少し『嫌な感じ』がした。
「まるで、すれ違う事、幾星霜。
離れ、離れて巡り会い――今日、漸く。お互い様、といった顔ですわね」
俺の思考を邪魔するタイミングで、不意に、鈴を転がすような声が、笑った。見詰め合う俺達に対して、些かわざとらしく咳払いをしたのは、リズである。
「不公平ですわ。私の出番は?」
「あると思うか?」
「無いと思いましたから、訊いたのですわ」
にべもない俺の一言に、リズは言う。
編み髪の先を、指先で弄り、少し悪戯っぽく俺を見ている。
「確かに私は、従者。ディルク様の御意思を尊重し、願いを叶え、盛り立てるのがその役目。貴方様の御意思を邪魔する事は、本懐ではありません。
けれど、ディルク様は、紳士でいらっしゃいますから。
当の騎士様御本人の御意思までは、無視する事をなさいませんでしょう?」
「……あん?」
「騎士様、御本人に尋ねてみようと言っているのですわ。
ディルク様と、この私と――彼女の敵が、果たしてどちらなのか」
この魔女も、時折、解せぬ事を言う。
彼女がエッフェンベルグ討伐隊の一員である以上は、俺との死合いを拒む理由はあるまい。リズとて、十分な強敵なれど……彼等の最終目標は、この俺の筈。
だが、カミラのあのリズへの激昂を思えば……それは、分の悪い話にも思えた。
カミラの年齢は、恐らくは十代だろう。
ならば、因縁の舞台は必然的に十年前。あの事件の主役になったリズは、彼女にとっても、特別な仇なのかも知れない。想像だけで結論を出すには、難しいモノがあるが。
「……馬鹿馬鹿しい。退がれよ」
強く睨む。
「ええ、仰います通り。でも、私も退屈ですの。
いえ――ここは、正直に申し上げれば。
パウルを容易く破る程の方を、ディルク様に素通しする訳には参りませんわ。これは貴方様を愛する女として、臣下として。譲れぬ矜持の問題ですわ」
「今更、それが通ると思うか?」
殺気立った俺を、リズは、あくまで涼やかに受け流す。
「ですから、最後の余興ですの。
あくまで騎士様が、ディルク様との直接対決を望まれるならば、私もここは退きましょう。ですが、彼女がもし、私を選ばれたならば……
ディルク様には、もう暫くゆるりと見物をして戴きたく存じますわ」
舌を打つ俺の不機嫌に構わず、リズは、長口上を垂れている。
経験上、こういう時の彼女が、頑と譲らないのは、分かっている。確かに、彼女の職分からすれば、それで当然だろう。今日、この最高の瞬間に。得難い馳走を目の前に、くだらない不和を起こすのも、馬鹿げてはいるが……
「カミラ。どっちとやりたい?」
決して、折れた訳では無い。単純に期待を込めて敢えて問う。
彼女が、俺と言ったなら、全ての問題は解決だ。それに、俺がこれだけ求めているんだ。返して貰って、心通じ合うのも悪くは無い。
「……」
カミラは、逡巡するように、その視線を、俺とリズの上で彷徨わせている。何処か、苦しげな表情。深い迷いのようなものが、垣間見えた。
やがて、彼女は、短く言った。
「……澱の魔女」
悲しいかな。
「道化だな。まるで」
苦笑い。その理由は、失恋の喪失感にも似た失望だ。どうやら、この時を焦がれ待っていたのは俺一人だけだったらしい。こうなれば、確かにリズの言う通り。男女のやり取りに、この上、駄々を捏ねても情け無い。
「だが、それは――」
「――お待ちになって。あんまり退屈なお喋りを聞かされたら……
私、自棄になって何もかも壊したくなってしまいそう。そも、カミラ様? どちらにせよ、私を倒さねばならぬのは、お変わり無いでしょう?」
俺の反応に表情を歪め、何かを言いかかったカミラに、リズが割り込む。
「覆水は盆には返らず。どうか貴方様の決意をお汚しになりませんように。
出来れば――そう、それが『救済』に成るように、最後まで――
――まさか、確実に勝てるとは……思っていらっしゃいませんでしょう?」
「……」
カミラは、余裕を含んだリズの顔を凝視したまま押し黙る。
視線は交錯。まさに、激しく鍔競り合う。
「……………」
長く、短い時間のその後で。全てを理解し、諒解したかのように、彼女は、言った。
「分かった。全て決着をつけよう、澱の魔女」
「ええ」
にっこりと笑ったリズに、カミラは、一言だけを付け足した。
「だが、一つだけ、訂正がある」
「……?」
「私は、必ず勝つ」
静謐と、最大の覚悟滲んだ凛とした声だった。