第十五話
その功罪は別にして。往々にして運命という女は性質が悪い。
気まぐれで身勝手。それを望めばそっぽを向く癖に望まなければ押し付ける。
飼い慣らすには難しい『その女』が動き始めたのは今回も余りに突然の事だった。
始まりは或る日人里を襲った出来損ない(グール)共が全滅した事だった。連中は脳まで腐った雑魚共には違いないが、宝石にその報が齎されたのはまさに晴天の霹靂だった。
「百年に一度……じゃなかったっけ?」
「申し訳も御座いません。この十年で二度目、ですものね」
「ああ。案外いい加減なモンだよな。そういう前例っつーモンはよ」
無論責めた訳では無いが、リズは俺の冗句に軽く苦笑いをしている。
「いやア。なかなか壮観でしたよ、アレは」
そんな俺達にパウルが何処か楽しげにそう言った。
「はためき、ひらめく獅子の旗。
剣の銀光、盾の勇猛。知識究めし魔術師に、並々ならぬ聖者の祝福――」
事態を生んだ理由は単純だ。
おどけたパウルが調べた所に拠ればエッフェンベルグに程近い或る村――件の群が全滅したレネスには現在大規模な軍団が駐留しているとの事である。絢爛な甲冑を身に着けた騎士、練達の兵士達。褒章を代価に血生臭には決まって顔を出す黒騎士共。魔術師に、教会から遣わされたか聖職者の姿も幾らか見えたという。その数は総じれば実に千近くにも上ると言うではないか。それでは初めから偵察をしに行ったパウルは兎も角、然したる力も持たぬ無考えな連中が壊滅するのは道理である。
「――思わずこう全身の血が奮い立つような。
ありゃ本気だ。あの伯爵家、親子揃ってやる気みたい。どうやら仇を討つ気満々ですよ?」
フリートベルグ辺境伯。近隣一帯を含める広大な領地を束ねる大貴族である。
十年前の大征伐を敢行した彼の父はリズ自身の手で討たれたという。
そして今度の陣容はその時を上回る御様子だ。
「いやはや、困りましたねェ……?」
細いパウルの瞳に邪悪な色が浮かんでいる。こんな事態を喜ばしく受け取る辺りやはりコイツは俺の同類だ。
「いやア、大変だ……♪」
「期待通りか」
「それを御望みだったのでしたらば」
呟いた俺を見たリズは薄く笑む。
確かにそれは再三考えた通りの結果である。
大掛かりにヒトを狩れば何れ戦いに及ぶ可能性となるのは分かっていた。
予想よりずっと早く思い切りが良かったから、少し驚いた事は否定出来ないが。
「……しかし、暫くは自由に動き難くはありますわね」
付け加えられた言葉にリズの顔を見やる。
「私達は兎も角、下位の連中には些か荷が重い。
それに私達は私達で――孤立する訳にはいきませんでしょう?」
彼女は嬉々とする俺に同調の意を示しつつもむしろ釘を刺す口調で言った。
……他ならぬこの女が家畜と見下す人間の敵共を恐れる事等天地が逆転しようと有り得まいが、二度目の不覚で俺を倒される事だけは避けたいのだろう。
言葉こそ戦争に対する慎重論の形を取ってはいるがその本音は知れていた。
何せそもそもこの女は下位の眷属を心配したり、戦いについて不安を抱くような『構造』をしていない。
「うわア! リーゼロッテサマはお優しいなア!」
茶化す道化は間違いなく知っている。分かっている。
リズが俺と自身を除く宝石眷属が全滅した所で涼しい顔をしているだろうという事を。
その『全滅した所で』にコイツすら含まれるだろうと言うのはまぁ……同情するが。
「信用が無ぇなぁ」
「……え?」
「言われずとも倒される程の無茶はしねぇよ。
そう思われる事自体愉快じゃねぇし、そうなる気もしねぇがな」
「――――」
見透かされたリズは僅かに表情を強張らせた。
……全く聡明な割には分かり易い反応をする。元はと言えば一度は不覚を取りコイツを一人で残した俺が悪いのだ。まさかこの過保護癖を咎め立てる資格もあるまいが。
「だがそれはそれとしても。座して待つってのも賢明な判断とは思えねぇな」
「……と仰られますと?」
「前の戦いは待っての迎撃で失敗したンだろ?
人間ってのはどうあれ学習する動物だ。案の定今回は前より多い」
まぁ連中が治安維持に努める気か、それとも此方に早晩決戦を挑んでくる心算かは現時点では読めないが。イニシアティブを握られて良い事は無さそうだ。
「さて。お前達はこの場合どうするべきだと思うね?」
個々の単純戦闘力においてヒト為らざるエッフェンベルグの軍勢がそう引けを取るとは思えないが、備わった弱点ばかりは如何ともし難い所がある。吸血鬼は基本的に日中にはその真価を発揮しない。
無論、俺やリズ、パウルといった時刻に余り制約を受けない個体も居るが、軍勢が全体としてその本領を発揮するのは夜で、人間が力を存分に振るうのは昼である。つまりこの場合互いの条件は噛み合う事を知らない。迎撃側は常に一方的な不利を強いられるという事だ。
「リズ?」
「……その、申し訳御座いません」
「へぇ。リズにも不得手はあったか」
平素より泰然自若とその余裕を崩さない、そんなリズには大吸血鬼の自負と自信があるのだろう。その力が余りに絶大が故に小細工等不要と考えてきたのかも知れない。或いは本当に――可憐な姿に相応しく戦術や戦略面には疎いのかも知れない。彼女は少女の顔をして困ったように俺を見ていた。
「まぁ……リーゼロッテサマはお嬢様ですからね。
それはそれは――本当に高貴な生まれでいらっしゃるカラ……」
パウルはそんなリズをニヤニヤと眺めている。コイツは俺の言いたい事を薄々分かっている様子だが、主従を弁えて『以外の』理由から答えを言う気は無いらしかった。
「そんな高貴な姫が戦争に門外漢なのは仕方ない事でしょう?
リーゼロッテサマは傅かれるのが役目。戦争は他の役目。
伯爵様は知らないですケド。……ああ、人間の貴族の子弟は戦争が仕事みたいなモンでしたっけ?」
「さて、な」
フリードベルグの実力は知らないが、パウルの言う通り戦争に不慣れという事もあるまい。
この後の増援が無いとも限らないし、睨み合い交戦を悪戯に先延ばしにしても好転は望めまい。
「動くか」
その意味は小さくは無いだろう。
そもそもこの場合本陣を襲うだけが戦争では無い。態々領主直々に軍勢を駆り出して来た以上は近隣の町村の治安維持を無視するという訳にも行くまいし。士気を挫き、消耗を重ねさせる方法は、幾らでも思い付く。
仮に昼間の決戦になったとて此方に余裕とペースがあれば問題は減じるだろう。
リズは以前に言った。かの大征伐では、見事な朝駆けを受け痛打を受けたと。それは取りも直さず『見事では無く不完全であったならば』結末が同じだったとは限らない――裏面の事実をも意味している。
「要は討って出ればいいのさ。連中に十分な準備をさせない。有利な状態で戦えばいい。
何も本当の決着までは付けずとも――焦れて早晩仕掛けて来てくれるように仕向ければいい。
タイミングが絞れれば幾らでも対処はつくだろうし、な」
「――――ぁ……」
言わせる事を諦めそう言うと――リズの表情が不思議に緩んだ。
琴線に触れたかのように紅い瞳は潤み濡れている。俺を見つめる彼女の視線は何時に無く熱っぽく、隠せない強い想いが伝わってきた。
一体今の何処にそんな話が……?
「いやア、流石に御立派。二の轍は踏ませない、と」
俺の思考を邪魔するようにパウルが賞賛の声を上げた。
「吸血鬼ってのは、ですねぇ。得てして何時だって自信過剰なモンですから?
ボク達は、そういう意味じゃほとほと戦下手でしてねェ。効率が悪い事この上無い。その正々堂々たるや人間の騎士サマも真っ青ってモンです。
流石にディルクサマですよ。その御慧眼、かつてと些かも変わりありません。
……ああ、これじゃ『戦争には』勝てなかったワケだ。ボクの考え何て早々上手くいく筈が無い」
彼はそう続けて耳障りな声でけたけたと笑い出す。
「……何が言いたい?」
「いやア、御気になさらず。ディルクサマの御言葉に感じ入ったまでですよ」
「殺しますわよ」
不意にリズが殺気立って低い声を発した。
「はいはい。分かってますって、リーゼロッテサマ。
……でも今のは半分位は感謝して貰いたいんだけどなア」
パウルは小さく肩を竦めて口を閉ざす。
「……………」
正直、少し不愉快ではある。
一連の様子の意味は良く分からなかったが、さしもの彼もそれ以上の無駄口を叩こうとはしなかった。
「本当にコレは躾が足りなくて……失礼しました」
問うタイミングは遅きに失した感がある。リズはすっかり何時もの調子に戻っていた。
「では私達の方策は……此れより近々討って出る……という事で。
戦力はどう編成いたしましょう? 撹乱に近隣を襲わせる……で宜しいのですわよね?」
俺が肩を竦めると咳払いを一つしたリズは少し早口でそう聞いた。
「その心算で居るがな。一つ二つ訂正しとこうか」
「……え?」
「出るのは近々じゃねぇ。今晩だ」
「――――」
「いやア、ディルクサマは豪放な御方だ!」
一言にリズは息を呑み、パウルは先の自粛も何の。再び軽快に笑い出した。
「それに今晩のは適当な戦力を編成だの、撹乱だのなんて話じゃない。
あるだけ――動員可能な限りの全戦力を相手本陣に、だな」
言葉を切って二人の顔を順番に見る。
「王者の構えか。リズのやりようはいい目隠しになったかもな。
レネスを半壊する位の戦果は上げにゃ意味がねぇ。
ま、いきなり決着が付く程甘くも無かろ。引き際にだけは注意は要るが……
夜は俺達の時間。ましてや連中の到着は、昨日今日」
昨日今日――ならばこの時点での攻勢は予測すまい。
彼等が宝石を討ち果たさんとする戦力を揃えその自負を持ってこの地にある以上は。
流石に思うまい。威力偵察以上の敵が即日大挙して現れる等とは。ましてやそれが過去の戦いで腰が重かった敵相手ならば、尚の事である。
「眷属が百に出来損ない共が何百か。数の上では……まぁ、不利か?
備えという意味ではほぼ同等。連中が普通の警戒をしてないとは思わんがね。
意識の隙間を突こうと言うならば今日をおいて他に最良はあるまいよ?」
夜に紛れれば接近は容易く不測の事態が起きようとも土地勘無き敵は深追いを避けるだろう。俺が指揮官ならば状況の把握以前に攻め上る事はまずしない。裏を返せば『まともな指揮官』ならこんな真似はすまい。
なればこそ、今日。何より折角のこの時を一時でも早く楽しみたい。
「いい夜になるぜ、今夜は」
それは殆ど確信に近い、魔的なまでの勘の冴え。
口の端を歪め、そう言えば――言葉は現実になるような気さえした。