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Baby Blood  作者: YAMIDEITEI
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第十一話

 黄昏のエッフェンベルグを一人の女が歩いていた。

 森の中には一本の道しかない。即ちそれは澱の底へと向かう城への道だ。血相を変えずに悠然と『引き返してくる』姿は早々見れるものではない。

「よう」

「……あら」

 距離は十メートル無い位。路傍の木に寄りかかり声をかける。

「待ってたぜ、噂の魔女殿」

「これはこれは御丁寧に。お初にお目にかかります、噂の御城主様」

 外見は二十歳前後だろうか。パウルに聞いていた通り美しい女だった。

 色気はあるが、顔立ちは何処か幼い。肩口位までの薄青の髪はウェーブがかっている。唇は薄く、大きな金の瞳はどちらかと言えばたれ目。左目下の泣き黒子が印象的だ。尖った帽子を被り、体にぴったりと張り付くような皮の装備の上から黒いマントを羽織っていた。後は左手だけに黒い手袋をしているのが気にかかる――

「この度は御留守に御邪魔しまして。

 あ、申し遅れました。改めまして……私、ミセス・ブラックモア。御存知の通り魔女ですわ」

「……ミセス、ブラックモア?」

 ――それから。続く不自然な名乗りが引っ掛かった。

「何か?」

「いや、ディルクだ。ディルク・レイス・フォン・エッフェンベルグ。それ以上はいらねぇだろ?」

 距離はもう五メートル無い。女――魔女は穏やかな空気を纏っていた。

 丁寧な口調、物言いこそリズに少し似ているが……与える印象は真逆に近いだろう。人当たりの良い笑みを浮かべて軽く言葉を返す様は実に社交的。恐らくは俺以外の誰にもこうなのだろうと思う。

「きちんと名前位は聞きたいんだがね。既婚者って事実は残念を通り越して無念に尽きるが」

「女性はある程度、そう。ミステリアスだからいいんじゃありませんこと?

 パウル卿からお話は伺っておりますわ。『名高き宝石の御領主殿』にお会いするのを楽しみにしていました……どうやら貴方様も同じだった様で光栄ですわね」

「気取るなよ。普通でいいぜ」

 確信を持って言った台詞では無かったが魔女はその言葉に目を丸くした。

「……あら。ばれてるんですね」

「どうやら当たりか?」

「ええ、多分。まぁ、少し疲れますよねぇ。肩肘張るのは」

 現金にも早速態度が変わっている。砕けた調子で言った魔女は俺の二メートル前で足を止めている。

「……猫の被り方失敗しましたかねぇ。自信あるんですけど。それとも見抜いた貴方を褒めとくトコですか?」

「単なる当てずっぽうだよ」

 魔女の目を見て冗談めいて笑う。

 理由は何となくそんな気がしたから以上の何者でもない。

 こうして会いに来たのも何となく以上の理由では無いから――それはただのいい加減だ。

「それで……用は無事に済んだのかい?」

「ええ、問題なく。パウル卿にはこの十年程何度も助けて貰ってますから。

 特に今回は重要で……あちらから連絡が来た位ですからね。

 ……まぁ、これが最後になるかも知れませんけど」

「最後か。そりゃまたどうして?」

 敢えて核心には触れずに会話を交わす。

「卿曰く『運命は動き出したから』だそうで。

 次があるかは分からない、つまらない安心は興を殺ぐ。

 決め付けはいよいよ尚早だ、とも言っておられましたねぇ。

 ……ま、相変わらずって感じですね。あの方は」

 パウルの『そういう』発言は俺にも再三覚えがある。魔術師ってヤツの職業病なのかも知れないが。

「それで暫定最後か。事情が変わっても状況が変わらなかったらまた……ってトコか?」

「まぁ、そうなりますかねぇ。私の方も少しこの辺りを離れる予定なので――丁度良いとも言えますけど」

「ふぅん。そいつは残念だ」

 出来ればちょくちょく逢いたい女ではある。

「次はベッドの上でお願いしたい所だったんだがね」

「ディルク様は女を甚振るのがお好きなんですね」

「否定は出来ねぇな」

「『姫君』も御可哀想に。そんな方に惹かれる気持ちは分かりますけど」

 魔女は口元に手を当てて笑む。

 十年付き合いがあると言う以上、当家のおっかない従者の事も当然良く御存知なのだろう。

 俺が眠ったのが丁度十年前だから俺とはギリギリ初対面という事になるのか、この場合。

「お前もそういうクチかね?」

「さあ? どうでしょうか。唯、そういう殿方は魅力的だとは思ってますけどね」

 少し目を細めた魔女の流し目は色っぽい。男を手玉に取るのが魔女なのか、男を手玉に取れるから魔女なのか。順番は知らないが成る程、本気を出されたら釣られる気持ちも良く分かる。

 だが幸か不幸か今日は本人にその気は全く無かったらしい。

 歓談の調子はそう長くは続かなかった。

「……ああ、うん、駄目ですね。私、駄目だ」

「駄目?」

「こんなやり取りがですね、……どうしても痛い」

 やぶからぼうの言葉が前後の反応と繋がっていない。

 打てば響いていたような軽妙な女が、酷く不器用に、酷く稚拙に頭を振る。

 劇的な変化は俺を戸惑わせるに十分だった。

「……何だよ、それ」

「や、それは……」

 当を得ないやり取りをした魔女は困ったような顔で頬を掻いていた。

「いえ、御気になさらず」

「しないと思うか?」

「……ちっとも」

 彼女は諦めたように深い溜息を吐く。

「……初対面でこんな風に言うのもどうかと思うんですけど」

 前置きをするその声はそれまでより少しだけ真剣さを増している。

「ディルク様は似てらっしゃるんですよ」

「誰に」

「私の、特別な方に」

 ざわと風が吹く。ねじくれた木立が揺れる。

 静かな微笑を湛えるその目が一瞬だけ奇妙な熱を帯びた時、俺は気付いた。

 最初に俺はコイツを冷静だと思ったがそれは恐らく間違いだ。

 恐らくはコイツは静かに壊れている。なかんずく、それをそうと知らせずに。

「……元々は暇潰しの心算だったんだがな」

 それよりはもう少し興味が沸いた。

 元は核心に触れる心算は無かったが予定を変更して訊ねる事にする。

「事のついでに……ちょっと詮索しても構わねぇか?」

「答えるとは限りませんけどね」

「それでいい。お前、何処の出身だ?」

 俺は問い、それから考え直して言い直す。

「いや、お前……ブリテン島の、ウェールズ辺りの出身じゃねぇか?」

「……何故、そう思います?」

 魔女はイエスともノーとも答えなかった。

 だが雰囲気は俺の言葉を肯定しているようにも思えた。

「まず雰囲気がイギリス(あっち)系統だ。……それから後は『ブラックモア』」

「あはは」

 魔女は俺の言葉を軽く笑い飛ばした。

 表情は笑みの形を作ってはいるが、目は余り笑っていない。ぞっとする冷たさがある。

 硬質の感情が色とりどりに艶めいていて、まるで宝石で出来た刃を喉下に突き付けられている気分だった。

 こういうのも目は口程に何とやら――そう言うのだろうか?

「……ま、お察しの通り……と思いますよ。

 バーリー・バート・ブラックモア。変に博識ですね。まさか御存知の方にお会いするとは思いませんでしたよ」

「俺ぁ今、記憶喪失でね。何時知ったかは分からんが。

『バッドジョーク・ブラックモア』。筋じゃ有名な盗賊王だ」

 名を聞いた時、まさか……とは思ったが。

 およそ三、四十年程前ウェールズを荒らし回った大盗賊は処刑される前の数年間、少女を連れていたらしい。

 少女の素性、後の行方共に時に埋もれ完全な不明ではあったが……

「……そこまで分かれば推測の理由は知れるだろ?」

 この少女は神に逆らう『異端』であったとされている。左手に楔を打たれた魔女だ。

 名前だけならば偶然とも言えようが、出身、年代、左手の手袋まで重なれば偶然と言い切るにはむしろ弱い。

「『有名人』に似てるって評価は光栄だと思うべきかね?」

「さぁ? あの方ならば面倒臭そうに『馬鹿馬鹿しい』と吐き捨てたでしょうけど」

 魔女は苦笑いを浮かべて左手の手袋を外した。

 それから俺に良く見えるようにその手の甲を前に翳す。

「まるで聖痕スティグマみたいでしょう?」

 焼けた楔を打ち込まれた左手の甲には見るも無残な菱形の跡が刻まれていた。直径二、三センチはあろうかという傷の周囲は盛り上がっており、焼け爛れた『当時』の陰惨さを今でも物語っている。

「元々大した話では無いんですよ。きっと概ねディルク様が推測している通り」

「……………」

「泣いても、喚いても。誰も助けてくれなかった――」

 魔女は俺から視線を外し、茜色の空を見上げて独白した。

「祈っても、抗っても無駄だった。

 叩きつけられるのは罵声と嫌な笑い声と……それから男の欲望と暴力ばっかり。

 拷問なんて表現はナンセンスです。あんなのは出来の悪い暇潰し。それなりに経験はしましたけどねぇ、やっぱり『何も知らず初めて喰らう理不尽』に敵う恐怖はありませんよ。

 何処まで本当かは知りませんけどね。『司祭様公認の魔女』だったそうで、私は。

 酷い話です。昔の私は魔女何かじゃなかったのに。

 ああ、でも結局魔女になったんですから――それは本質を見抜いた慧眼って驚くべきなんでしょうかねぇ?」

 陰惨な過去を気にした風もなくコロコロと笑う。

「人間ってのは面倒なモンだな。奪う事すら『理屈』を求めなけりゃ出来やしねぇ」

「そのお言葉は半分正解で半分間違いですね」

 魔女は空を見上げたまま続けた。

「少なくともあの方は違った。ですから半分は間違いです」

 彼女の口調は今までに無く強めだった。

「単純な話なんですよ。彼は悪魔マグス共を皆殺しにしてくれただけ。それだけなんです。

 それ以上は何もしてくれなかった。何もね。ついてきたければついてこいって……

 古い農具でね。滅茶苦茶に殴られて……私足折られてたんですよ?

 蹴られても縋り付いて歯を食いしばって彼の服の裾を噛んで……あはははは」

 語る内容が楽しそうな口調とはそぐわない。

 魔女はそこまで話してからはふと大きな息を吐いた。

「……いけませんね。やはり口が滑ると碌な事はありません」

「悪かったか?」

「いえ。たまにはこうして思い出さないと。薄情じゃないですか」

 魔女は再び俺に視線を戻していた。そう言う表情は何とも言えないそれ。

 恐らくはバーリーがこの女を助けたのは唯の気まぐれ。或いは事のついでか。だが彼女にとってそれは何の問題でも無いのだろう。『魔女』に必要なのは絶対的な救いだけで――善悪等では無かったのだろうから。

「『バッドジョーク』に嫁が居たって話は聞かねぇがな」

「あはは。先渡しで貰っているだけですよ。『もう一度会えたら嫁にしてやる』そうなので」

 言った人間が処刑された罪人ならばそのタイミングも知れたもの。

「名前の通りだな。悪い冗談だ」

「そうでしょうかね」

 黒い木立を揺らした風は女の静かな怒りのようだった。

 朗らかな女が見せる怖気立つような感情の揺らぎは、周囲の気温をたっぷり二度は下げた感覚。

「少なくとも私は本気ですよ? そしてそれを冗談かどうかを決めるのはディルク様じゃない」

 成る程、確かにコイツは魔性だ。

 声色から只ならぬモノを感じたから苦笑い半ばで謝っておく。

「悪かったよ。ついでにお前の『目的』が知れたのは愛嬌だがな。

 まぁ、そりゃパウルに頼る筈だよ。……しかし、最大禁忌か。大胆な事を考えるね、お前も」

「……失言でしたねぇ、これは」

「いや? いい女だろ」

 俺と似た表情を浮かべた魔女は溜息を一つ吐いた。

「でも……何となくどうして私が貴方様に出会ったのか……分かったような気がします」

「……? どういう意味だ?」

「うん、さっきのは忘れて下さい。やっぱり例外だったんですよ、感傷を今の私が語るなんて。

 感傷なんかに意味は無い。私の中では終わってない。それなのに、そんなの――ね」

 魔女はそれ以上自分の身の上話を続ける心算は無いようだった。

「この出会いに意味があった事を喜ぶべきでしょうか。それとも伝え切れない事を嘆くべきでしょうか?」

「……?」

「貴方様は多くを知るべきです。

 答えはあれど答える事は出来ない――それは『義理』に反しますから。

 ……ですが、せめても……いえ、違いますね。これは『求められて』の事だとも思うのですよ」

 代わりに続いた言葉は漠然としていて意味を測りかねたが、今度は俺についての話題らしかった。

「やっぱり職業病だな、お前等は」

「……?」

「魔術師が魔女に代わった所で変わらんって事さ。よくもまあお前等は煙に巻いてくれる」

「成る程――」

 彼女は納得したのか神妙な顔で頷いた。

「ではもう少しだけ分かり易く。

 運命の繰り手は私達を出会わせた。

 つまりそれは……必要な事で。それには意味があるという事なんですよ。

 ゲームにはルールがあって、楽しむならばフェアが要る。これが必要なパーツだと言うならば、貴方様があの方に似ているのも、私が昔話をする事になったのも必然なのかも」

「……………」

「それからもう一つ。貴方様が私の思うような方なら、今はこれで十分だという事。

 見込んで……と言ったら値踏みするようで失礼ですけど。私の心を乱したからにはそうでないと困ります。

 まぁ、私もお喋りを見込まれて――ここに居るんでしょうけどね」

「お前が無駄口を叩く事に意味がある、と。精々言葉を忘れないようにしねぇとな?」

「腑に落ちませんか? でも、これ以上はちょっと」

 皮肉交じりに告げると申し訳無さそうに頭を下げてくる。

「気にするな。理解はしてるぜ。だって世の中に納得のいく事の方が少ねぇだろ? 俺も、お前の存在も。

 意味は分からんがお前がそう言う以上は『そういうもの』なんだろうよ」

「恐縮です」

 言葉に意味が無いとは思わない。

 魔女の言う通りその言葉には特別の意味があるのだろう。

 今の俺が気付けない――分からない。そんな場所に隠れているだけで。

「お会い出来て光栄でした」

 魔女は真っ直ぐに俺を見つめて微笑んだ。

 夕日に映える彼女は息を呑む程美しく――穏やかな言葉は別れの時が来た事を告げていた。

「それに感謝もしてますよ、ディルク様。

 言葉にしなければ分からない事もある。言葉にする事で強まる想いもある。

 ……別に褪せていた訳ではないですけどね。私はまだ諦めない。諦めないでいられると確信しましたから」

 頷くと彼女は歩き出した。

 俺の横を抜け、数メートル進み足を止める。

「ああ、忘れてました。最後に一つだけサービスを」

 振り返った彼女は思い出したように口を開いた。悪戯な笑みをその顔に乗せて。

「御腰の黒剣は――運命を従え、捻じ伏せるに適した剣である事をお忘れなく。

 それが人間であろうと魔女であろうと悪魔マグスであろうと吸血鬼であろうと変わりなく、ね」

「良く知ってるな」

「作者ですから」

 魔女は言った。事も無く。

「それもロマンチックに言うならかくも運命は惹き合う……ですかね。

 私の作品を貴方様が持っていらっしゃっる。それを知る方は他には居ないでしょう。

 だからこそ意味がある。貴方様にはまだ誰にも知れない『力』がある。それはつまり計算の外ですから。

 必ず、挑む困難の助けになる筈。或いは――その逆ですらあるかも知れませんけどね」

 予想外の所で愛剣のルーツを聞いた。何せ使い手すら初耳だ。

「運命は世界の必要。或いは自ら現世うつつよにしがみつく為の生存力」

「抽象的だな」

「そんなモンですよ、魔術なんて」

 魔女は笑った。軽く。

「隠されたコマンドは大いなるデンス。誰も知らない貴方様だけのもの。

 起動は魔術を知る貴方様ならば可能でしょう。黒犬は『貴方様と敵を天秤に掛けて』その真価を発揮する。

 肉体ではなくその運命を。弱きの存在を根底から完全に喰い殺す――そういう魔術回路が仕込んであります。

 ……ま、『再生』の方を探した結果の副産物です。正直使用の方は御勧めしませんけどね」

 彼女は腰に視線をやった俺には構わずにもう一度「御機嫌よう」と身を翻す。

 その後姿に俺は声を掛ける。

「もう一度逢えるか?」

 三度、風が吹く。木立が揺れる。

「生憎と。多分二度と逢いませんわ。私『貞淑な』魔女ですから」

 振り向きもしないで帰って来たその言葉が魔女との最後のやり取りだった。

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