魔道学園入学案内
「魔導学園日記」の前日談、本編ではそんなに出番のなかったサーフェイの伯父・王宮魔導師から見た甥についてとその他。
王宮魔導師の憂鬱
「さて、ご理解いただけただろうか。もうよろしいかな」
自分からふっかけた論争を完璧にやり込められて返す言葉もない相手に簡単な挨拶だけで背を向ける。
それを許されるのが彼、王宮魔導師タザニア・ブリュー公爵という人物だ。
まだ四十を過ぎたばかりの年齢だがまもなく王宮魔導師長になるだろうと目されており、それだけの才覚も魔力も備えた、第一級の魔導師である。同時にブリュー公爵家を繁栄させる優れた当主でもあった。
この国に公爵家は十ほど在るのだが、そのうち『ブリュー公爵家』は二つを占めている。
タザニアが当主を務める王都の本家と、もう一つは辺境、国境に面する領地を有するブリュー辺境公爵家だ。
どちらも魔導に優れた人物を輩出することで知られている。そして、本家分家の関係ながら大きな差異があることも有名だ。
本家の公爵家(通常『ブリュー公爵家』といえばこちらを指す)の人間が政治的に卓越した才を示すことが多いのに対し、分家のブリュー辺境公は魔導に溺れ、他を省みないことで知られている。
先代の辺境公はそれこそ王都にも滅多なことでは姿を見せず、生涯独身を貫いたという極めつけの変わり者だ。そして子のない彼の後継者として辺境に赴いた当代の辺境公爵もまた、勝るとも劣らぬ変人ぶり。
一応妻帯して血を継ぐ子を成した、それだけはまだマシな点。
その妻は隣国の貴族の娘だったが、こちらも噂がたつほどの魔導狂い、似た者夫婦とはよくいったものだ。この分家筋がタザニア・ブリュー公爵にとって最大の悩みの種。
「これは兄上、よくおいでくださいました」
本家公爵の来訪に、無邪気な喜びを表情に出して出迎える分家公爵。というか、彼にとっては忙しい兄が遠いところまで訪ねてくれた、というにすぎない。
その、己の立場が理解できていない弟の様子に兄の公爵はこめかみを抑える。
「……カイヤ、身分を弁えなさい。おまえがわざわざ客を迎えに出ずとも、応接室で待っておればよかろう」
「せっかく兄上においでいただいたのですから。それに実は、応接室がちょっと使えませんので。いや、おいでになると判っていれば片付けたのですが」
ははは、と屈託なく笑う顔にますますタザニア・ブリュー公爵は頭痛をひどくする。そこにかけられた声も、彼の頭痛を癒す役には立たなかった。
「まあお義兄さま、いらっしゃいませ」
奥からパタパタと軽い足音をたてて駆けてきたのは、主の妻である公爵夫人。しかしまるでその辺の娘のような粗末な服をまとい、侍女もつけない身軽さだ。
「……アイオラ、そなたもだ。仮にも公爵夫人であろう、侍女の一人も付けぬとは何事か」
「だってお義兄さま、侍女達は口うるさいばかりで何の役にも立たないのですもの。おまけに、魔力も低い子ばかりで」
弟の妻であるアイオラは腹立たしげに言うが、それはむしろ当たり前だ。貴族の子女の方が魔力は高いが一般に女性は男性に比べると低い魔力しか持たない。彼女自身が希な例外であるせいもあるのか、その辺りが理解できていないらしい。
領主として地位を与え、子どもも産まれたというのに弟夫婦には全く領主としても親としても自覚が出来ていない。それをと見て取ってタザニアは溜息を吐いた。
「……私も忙しくなりそうでな、しばらくは顔を出せんのだ」
どうにか片付けた応接室に落ち着いてタザニアが言うと、カイヤとアイオラはきょとんとした。それから顔を見合わせる。
「えーと……兄上ほどの方なら、お仕事もさぞやお忙しいでしょうが……」
「それが、私どもに何か?」
「……おまえ達は、私が目を離すと自分達の好きなことしかせんのではないかと心配でな。きちんと領地の経営をするよう、釘を刺しにきたのだ」
きっぱり言い切られてカイヤはさすがに眉を寄せる。
「兄上、いくら私でも判っておりますよ。今はですね、村ごとに代官職をおいてそれぞれを見させておるのです。そうすれば私が直接見聞きせずとも、その村をまとめてくれますからな」
「ほう? おまえにしては気の利いたことだ」
そうした統治方法はあるし、言ってしまえば王家が貴族にやらせているのも同じことだ。領地を個々に分けてそれぞれを管理させる、全部を直接見るより手間もかからない。ただしその相手は選ぶ必要があるが、それをどこまで判っているものか。
「しかしそれだと、任せる人間を選ぶことが難しいが」
「ああ、それはアガットがしてくれました。彼の人を見る目は素晴らしいですよね」
あっけらかんと返されてタザニアも絶句する。
アガットはタザニアが弟夫婦に付けた家令だ。もとはタザニアがブリュー領で使っていた家令だが、年もいったし彼の育てた人間に後を任せ、引退すると言うところを頼み込んで弟についてもらった。領地経営の何たるかはよく判っているし、確かに人を見る目もある、のだが。
「……代官をおく、というのはアガットの意見なのか。あれは昔気質で、そういうことは嫌いそうに思ったが」
「ああ、いえ。最初に言い出したのは、サーフェイなのですよ」
「は?」
一瞬弟の口から出た言葉の意味が掴めなかった。その兄の反応に気づいた様子もなく、カイヤは得々と続ける。
「いや、頭のいい子ですよ。私やアイオラは領地経営には向かないから他の人間に任せた方がいいと、アガットを説得してくれましてね。おかげで、思う存分研究が出来ています」
「そうそう、せっかくお義兄さまが来てくださったのですから、あの子もご挨拶させなくては。今呼びますね」
にこにこと言ってアイオラが何やら小さな魔道具を取り出す。ちょちょいと操作して声をかけた。
「サーフェイ、伯父様がおいでよ。帰ってらっしゃい」
『判りました、母上』
彼女の呼びかけに、高い子どもの声が返ってくる。そのことより、その魔道具がタザニアには気になった。王都でも見たことがない。
「何だね、それは」
「そういえばこれもあの子が言い出して作りましたの。離れた場所にいる人間と会話できるのです、お互いに相手の識別記号を登録しまして。これだと魔力の消費も少なく、話も通じやすくて重宝しておりますわ」
「サーフェイはなかなか発想力がありますよ、いい魔導師になるでしょう」
弟夫婦の脳天気な言葉にタザニアはもう何度目か判らない頭痛を覚える。
遠方の人間と会話をする魔導はある。けれどそれは魔力の消費も激しく不安定なものだし、何よりその会話したい相手を特定して繋げるまでがとても大変なのだ。それをこの魔道具で補助して簡単に出来るとなれば、革命的な発明と言っていい。
「……サーフェイは、幾つだったかな」
「え、えーと。三つくらいじゃなかったかな」
「まあ嫌だ、あなたったら。この前四つになりましたわ」
後で帰ってきた本人に確認したところ。
「五つになりました、伯父上。ご無沙汰しております」
ちょこん、と頭を下げる甥は弟よりその妻に似たのか可愛らしい。ブリュー公爵家特有の蒼い瞳、幼い子ども特有のきめ細かい肌はちょっと日に焼けてあまり貴族の子らしくはない。おまけに何やら、大きな袋を担いでいた。
「久しいな、サーフェイ。……一体何を持ち帰ってきたのだね」
「村で、加工している豚肉を分けてもらってきました。良かったら伯父上にもお召し上がりいただきたいと思いまして」
当人と、アガットが言うにはサーフェイが村の豚を育てている家の子どもと仲良くなっていろいろその家で肉の加工やら何やら試しているらしい。
「これがなかなか美味なものを作るようになりましたので。是非ともタザニア様にも、ご賞味いただければと」
アガットも妙に機嫌がいい辺り、相当なものなのだろうと想像はついた。出されたのは分厚く切った豚の三枚肉、だが確かにふつうのソテーとは見た目からして違っている。そして何より香りが素晴らしく食欲をそそった。
「ほう、これは」
言われるまま一口大に切って口に入れると、普通の豚肉にはない香ばしい独特の風味と濃縮したようなうま味があふれる。確かにアガットが誉めるだけのことはあった。
しかし問題は、それをこの五つの甥が生み出したらしいことだ。
「状態保持の魔法を掛けなくとも、保冷だけである程度は日持ちするものなのです。塩漬けにした豚をさらに煙で燻します」
「確かにそうした風味はあったが……そんなことで持つものなのか?」
「今、いろいろ試しています。……ブリュー領は小麦が生産できる地域も限られていますから、いろいろなものを産して領民の暮らしの足しになればと」
はっきり言って父親よりよほど領主としての意識が育っている。それから別のことも確認しなければならないと思い出した。
「それとサーフェイ、おまえの母が使っていた遠方の人間と話をする魔道具だが」
「はい?」
「あれはなかなか優れたものだ。王宮の魔導師棟で調べて、他でも使えるようにしたいのだが」
「でしたら、これをお持ちください」
言われることを予期していたのか、サーフェイは紙を差し出してきた。そこにはいかにも子どもじみた字で、けれど精密に魔導の手順や使い方が図も交えて書かれている。
「これは」
「魔道具の設計に使ったものです。こうして書き残しておけば、他の魔導師が見ても再現がしやすいのではないかと」
ここまで考える五歳児がいるだろうか。思わず呆気にとられているタザニアに、サーフェイはもの言いたげな視線を向けている。
「あの、伯父上。……これでお金をもらえないでしょうか」
「金? ……確かにこれを、作り方や使い方を含めて売ることは出来るが……」
「出来たらそれで、領民に読み書き計算を教えたいのです。皆、小麦や野菜を作るか豚や鶏を飼うかしているのですが、時々商人に騙されることがあるらしくて……子どもだけでいいので、学校を」
それもまた、領主として思いついたのであれば希有なことだ。貴族の子どもや裕福な商人の子なら幼いうちから教育を受けるが普通の領民、サーフェイが言うような農民達はせいぜい自分の名が書け、一桁の計算が出来れば十分、というところだ。無論、魔導を使えるほど魔力があるとなれば話は別だが。
「それも興味深いな。……領地のことは、カイヤではなくおまえに任せた方が良さそうだ」
「アガットや他の代官達の助けもあってのことです。父上や母上はあまりそうしたことに興味がおありでないので」
その辺はサーフェイも判っているらしい。確かに彼がいれば、弟達は放っておいても大丈夫だとそう考えたタザニア公爵はまだ甘かったのだ。
タザニアは順調に出世し、王宮魔導師長にまで上り詰めた。その合間に、彼自身の息子はやはり魔導師になって地方へ赴任し、娘はやはり地方の貴族に嫁いだ。
息子もそれなりに魔導師としては使えるが、その魔力は決して高いものではない。魔導師というより、政治に強いある意味では極めてブリュー公爵家のその血筋にふさわしい男だった。地方に行くことで、その辺りの貴族に人脈を作って王都に戻ってくるだろうと信用できる。
圧倒的に魔導に優れていたのは甥のサーフェイだ。父親である弟は暢気なものだったが、その発想は五歳の当時からずば抜けていた。基本の魔導は父のカイヤと母のアイオラが教えたが、それも一つ一つ丁寧に記録を取り、大概の魔導師達が勘と経験で身につけるものを自分なりに数値化していたらしい。その間に近くの村で育てている野菜や肉・卵の加工方法や新しい作物の育て方、畑の活用の仕方など多岐に渡っていろいろ研究していたようだ。
そのうち、アガットが高齢もあって引退をほのめかすようになった頃。サーフェイが八歳になり、王都の魔導学園への入学を検討し始めた時に、その当人から緊急の連絡が来た。
『伯父上、急な連絡申し訳ありません。出来るだけ早く、おいでを願いたいのですが』
彼の発案した魔道具は今や魔導師達の必需品である。一部では騎士団にも支給が始まっている。互いに緊密な連携が取れるようになったことは、その戦闘力を格段に引き上げた。
大規模な魔物の襲来や出没していた盗賊団を掃討し、国の危機を救ったとして騎士団のみならずタザニアを始めとする王宮魔導師にも褒賞が出た。その際、元々を作ったのはサーフェイであると告げたのだがあまり周囲には本気にされなかった。何しろ当時の彼はやっと六歳、タザニアでも他の人間に聞いた話なら信用するまい。
それはさておき、タザニアの魔道具に連絡を寄越してきたサーフェイはひどく慌てていた。年齢より遙かに大人びた彼にしては珍しいが、その時点でサーフェイはまだ八歳だったのだ。
ただ事ではない、とタザニアが慌てて弟の領地に駆けつけた時、アガットもずいぶんと狼狽えていた。今ひとつ要領を得ない彼の説明によると、カイヤがアイオラに、何らかの術をかけたのであるらしい。
屋敷の地下室で夫婦は長らく何事か研究していた。それが、アイオラの持って生まれた強大すぎる魔力の抑制術を作るためだったことを後になって知る。
タザニアの弟でありサーフェイの父親であるカイヤ・ブリューもまた、優れた魔導師だった。それまでは強大すぎて制御の難しい魔力は封じておくしかなかったのだが、彼の作った魔道陣によってアイオラの過ぎるほど強大な魔力は、用意した魔石に充填されていく。この調子ならば使い切った魔石を完全に補充するどころか、新しい魔石を売りに出せるくらいだ。魔石は魔道の補佐や魔道具の使用に欠かせない貴重鉱物で、高値で取引されている。
問題は、その術をかけられたアイオラが全く目覚めず、反応も返さなかったこと。正確に言うなら彼女を寝かせた寝台にその陣が書かれているのだが、術を発動させる前に眠らせた彼女に触れることも出来ず、そして術も解けない。
その事実を悟ったカイヤは激しく取り乱し、それによってアガットが状況に気付いた。しかし魔道には通り一遍の知識しかない老家令はまだ八歳の幼さながら既に魔道の基礎を収めていたサーフェイに事態を伝え、そしてサーフェイもこれは自分の手に負える状態ではないと見て取って速攻伯父に連絡を寄越したのだ。
駆けつけたタザニアにも、しかし手の付けようがなかった。カイヤが組んだ魔道陣は、アイオラの魔力を魔石に充填するだけでなく、自身の維持にも使っている。そのため術が解けるには、彼女の魔力が尽きる必要があるのだが、アイオラは滅多にいないほど強大な魔力量がある。おまけに術の影響か、意識のないまま彼女の身体は空気中にある魔力の源、魔力元素を取り入れてはそれを強大な魔力に変換させる、一つの増幅機関と化していた。
「……父上の魔道陣の、詳しい内容が判れば良かったのですが……」
しょぼんと項垂れるサーフェイだが、もちろん彼が悪いわけではない。彼の両親はタザニアにはもちろん、息子や家令にも内密で研究を進めていたのだ。
カイヤは慌てたのか取り乱したのか、自分の術を無理矢理解こうとして反動を喰らい、こちらも意識を失っている。打ち所も悪かったようで意識が戻るかどうかも判らない。
魔道の、新しい術を生み出す研究は常にある程度の危険を伴っている。しかしここまで、術者と術の対象者が共に意識不明の重体になるようなことは滅多に無かった。いざというときの解除手順を決めておかなかったカイヤの不手際でもあり、それは実証実験をせかしたアイオラ自身の責任もあった。そのことは、実験の手がかりを求めて見つけたアイオラの手記にも明らかだった。
さすがに両親がこの状態では辺境にサーフェイ一人を置いておくわけにもいかず、少し予定より早かったが彼は王都の貴族や魔力持ちが通う通称『魔道学園』に編入することになる。ここでようやっとアガットの引退が叶うことになった。
初めて王都の、その学園に連れてきた時サーフェイが建物を凝視して何やら呟いていたのが気には掛かったが、詳細を確認する余裕もなかった。
実を言うとサーフェイは、幼い頃カイヤやアイオラに放置されていたらしい。さすがに乳飲み子の時分は乳母が付いていたが、乳離れしてその乳母を解雇して以降は殆ど顧みられなかったようだ。侍女や側仕えもおらず、アガットが派遣されるまで衣食住さえまともに用意されていなかったという。
しかしその間に、この甥は自分で身の回りのことをすることを覚え、読み書き計算を独学で身に付け果ては近在の村々に出向いて農民達の話を聞いて回ったり彼等に新しい作物を育てさせたり収穫の加工方法を編み出したり、とてもその年齢では考えられないことをしていた。おかげで、その辺のいい加減な領主よりしっかりと領地を把握してはいるが反面貴族としての振る舞いは全く出来ていない。
当人は王宮や社交界に出るより魔道の研究に励んでいる方がいいというが、そうもいかない。カイヤだってそうやっていたわけだが、あの弟よりこの息子の方がずっとマシだしまだ若い分幾らでも叩き込みようがある。
サーフェイは学園でも極めて優秀で、タザニアも保護責任者として鼻が高かった。学園を通常の半分以下の期間で卒業後、学園に残って研究生活を続けたい、と言う希望も勿体なくは思ったが結局は受け入れたのは、サーフェイがそれまでに努力していたことを知っていたせいでもある。
ちなみにサーフェイが学園に通っていた間もその後も、彼の母親は一度も目覚めなかった。父親は時折目を覚ましたが、寝台から起きることは出来ず、医療魔道の恩恵で辛うじて生き長らえている状態だった。母親はずっと移動も出来ず(させられず)辺境のブリュー公爵領の、屋敷の地下室に残されたまま。
彼女の側には魔道でその状態を監視するようにしてある。また、その魔力をためた魔石も交換の必要があってサーフェイは頻繁に通っていた。
そんな状況が変わってきたのは彼が学園の講師となってしばらく経った頃。
当時、王国内には不穏な出来事が続いていた。大雨による鉄砲水や崖崩れ、逆に干ばつでひどい不作になった地域もある。ブリュー領はサーフェイがいろいろと作物の種類を増やしていたためもあって領民が飢えることはなかったが、その代わりのように別の災厄が起きた。
「伯父上、魔物が出たそうなので一度戻ってきます」
「それは……大丈夫なのか」
「ええ……私より第二王子がお忍びで来る、と言う話がありまして」
何がお忍びだ、という感があるが第二王子アダティスは僅かな供だけを連れて地方を回ることもある。彼は彼なりにこの王国の礎になるべく努力しているようで、それなりに評判はいい。
とは言え彼の身に何かあれば、代官の首は飛びブリュー公、この場合カイヤかサーフェイの立場も悪くなることは確実だ。それを案じてタザニアは、王都の騎士団から人を回してもらっていた。無論、国王と第一王子の許可を得てのことだ。
この世界で、『魔物』というのは一般に、野生動物が強い魔力を取り込んで異形化したものをいう。普通は山野に生息していて人里には出てこないが、まれに遭遇すると危険極まりない。
それがこのところ頻繁に姿を見せているので、領内の自警団だけでは不安だと代官から連絡がきたそうだ。そして第二王子がその辺りを視察したいという要請も。
もちろん危険だからと断ろうとしたが、国民の危険を払うのも王族の務めと本人が主張して押し切ったらしい。護衛は付けているはずなので最悪の事態は避けられるはずだが何かと気は遣う。
その辺りの調整もあって代官では処理できない懸案もあり、サーフェイの存在が必要だった。
結局、恐れていたように第二王子の視察の最中に魔物の襲来があり、魔物を退けたのは王子の護衛と密かにそれに付けられていた騎士団の一隊、そしてこれは全く予想外の領民の少女だった。彼女のその大きな魔力に王子が目を付けて、魔道学園に編入させたという。
「そのこと自体はいいんです、王子としては当然のなさりようでしょう」
言いながらサーフェイの表情は冴えない。
「というと? その子どもに何か問題があるのか?」
訝って尋ねるタザニアにサーフェイは書類を差し出した。
「子ども、と言っても王子と年は違いません。あの年で編入とは聞いたことがないし、それに……そうした力の強い子どもがいる、とは全く報告がなかったのです」
「それは確かにおかしいな」
タザニアもサーフェイの懸念は理解できる。強い魔力はすなわち大きな力、であればそれを持つ者は公に届け出る必要がある。この国の法で決まっていることだ。
それに添えばその娘とやらは代官を通して領主であるブリュー公、つまりサーフェイの元に届け出ておかねばならなかった。必要なら持って生まれた魔力の測定だって出来たはずで、それを申し出てこなかったのは不審である。
「親は何と?」
「親は全く気付かなかったと。……ただ本人は、自分の魔力が大きいと判っていなかったら魔物が出る山に一人で彷徨くものでしょうか」
「うぅむ……」
確かに些か異様な話だ。魔力を持っていることが判れば幼いうちから高い教育を受けることが出来る(しかも無償)なのだから、それを隠す意味は全くない。或いは何か後ろ暗いことがあるのか、とタザニアは手の者を使ってその娘の身辺を調べさせた。
本人が申告した通り村の農家の娘で、けれど親兄弟とはあまり仲が良くない、というか外で遊び歩いて家の手伝いもしない持て余し気味の子どもらしい。幸い食うに困ってはいないので売られるほどではないが、容姿がいいこともあって村に収まる人間ではないと言われていた。良くも悪くも浮いている、というのが調べさせた者の結論。
「どこか、大掛かりな組織が裏に付いているわけでもないようです。あくまで個人の問題ではないかと」
その少女が監視対象になったのは無理もないだろう。郷里の村でも浮いていたのは雛には希なる美貌の故、ではなく。それをちやほやと褒めそやす揃って素行の良くない連中と付き合いがあったためだ。そうした良くない噂のある人間が、貴族や王族の側にいるのはそれだけで警戒が必要になる。
さすがに弁えていたのか王都にくると故郷のそうしたろくでなしとの付き合いはなくなったが、代わりに学園内にいるやはり素行の良くない、成績も態度も悪い貴族の子弟達と仲良くしていると報告があった。
もっとも本命はやはり第二王子らしい。しょっちゅう彼を捜して学園内で大声を張り上げたり見かねて声をかけた他の生徒にあり得ないような態度をとったりと評判は悪い。
『殿下なら、今は修練場だから邪魔をしない方がいいわ』と親切で声をかけた女子生徒に『そんなこと言って私と殿下の仲を引き裂く気でしょう! 騙されないから!』と叫んだり相手が男子だと『私に気があるの? 駄目よ、私には心に秘めた方がいるんだから。でもまあ、お友達にならなってあげてもいいわ』などと、不遜極まりない。もちろん評判は悪いのだが、本人は高位貴族の子弟、特に見た目のいい男にはとても愛想がいいという。
「或いは、ただの色ぼけ娘ではないかと……」
調べさせた手下の者が微妙な表情でいうのも判らないでもない。更にサーフェイによれば肝心の勉学には不熱心で座学は私語・居眠りと教師にとっても嫌われる存在になっているらしい。
甥自身はそう口にはしなかったものの彼女を気にかけてはいるようだ。それも当然だろう、その少女は義妹と同じく強すぎる魔力を持て余す女性。母の末路を知っているからこそ、同じような能力を持つ彼女の行く末を気に掛けるのは当たり前だ。或いは少女が真面目に自分の力を御するべく努力するようなら何らかの手助けをしてもいいと思っていたかもしれないが、とてもそういう状況ではなかった。監視・調査をさせた者達も彼女に好意を抱く者はおらず、はっきり言って排除すべきでは、という論調が強かった。
しかしその小娘が、まさか王子を攻撃して捕縛されるとは思わなかった。本人は『ちょっとふざけただけなのに、何で!?』と全く反省の色もなく喚きたてるばかり。
普通ならば、本当に親しい友人同士のじゃれ合いであるというのならば相手方からもそう申告があり、騒がせて済まなかった、で終わる話だ。しかしその相手が王族の一人であればそう簡単にもいかないし、当の第二王子自身、彼女の減刑を望まないと明言した。
どうもそれ以前にも、何度か注意をしていたのに全く改善が見られず、王子も匙を投げたらしい。他の、同じ学園の生徒達も誰一人嘆願を出してこないというのも珍しい。元々彼女は平民であって何の身分もないこともあるが、見栄えと家柄のいい異性を追いかけてばかりで同性の友達が全くいなかったらしいのだ。
それにしてもあの強大な魔力をただ封じてしまうだけでは惜しいと、カイヤが残した術式を見ながら考える。正確にはカイヤがアイオラに掛けた術式を、サーフェイが判る範囲で書き起こしたものだ。
この、術式を一定の形式で書き起こすこともサーフェイが発案し、魔導師に広めている。これで同じ術式のはずが人によって微妙な差異があった部分が明確になり、また新しく作ること、改善したり違う使い方を編み出すことも今までより容易くなっている。
カイヤの術式はそう複雑ではないが、かなり魔力を必要とする。対象者の強すぎる魔力を制御するために一定の魔力を長時間使うのはなかなか大変なのだ。
しかしそれを、魔道具にさせるのはどうだろうか、とふと閃いてタザニアは自分で術式を起こしてみた。元々彼も魔導師としての腕は一流、弟には一歩譲るにしても実力はある。それに新しく作るよりあるものを改良する方が得意でもあった。
その技量を用いて弟の術式を改良してはみたのだが。
「……下手な魔道具では容量が足りぬな。ここの魔導装置くらいは必要か……」
計算してみると王宮の動力を賄う魔導装置くらいは必要になりそうだ。それだけ彼女の魔力は大きい。だからこそ惜しい、とは感じる。
人並みの判断力と真面目さがあれば、その持ち主は十分な戦力となり得たはずだ。それが色恋沙汰にのみ執着して己を高めることも身分を弁えることもしなかった、哀れな愚か者。惜しいとは思うがタザニアもだからといって情を掛ける気はない。
その術式を、魔導師達が目に付くところへ放置したことに何らかの意図がなかったか、と言われれば断言はできない。彼は王宮魔導師長として、その魔力を制御できない者を処罰することは義務だ。けれど重すぎる処罰はタザニア自身に傷が付く。かといって魔力を封じるだけの処罰では軽すぎ、何をしでかすかしれない。それと判っていて、後は蓋然性に賭けた。一つには、その少女がサーフェイやその他学園の女生徒等を口汚く罵って魔導師達の苛立ちを誘っていたためもある。
この状況に及んでもまだ、自分の立場を理解できない。その愚かさを放置するわけにいかないと考える者が出てくることも予想がついた。
ブリュー公爵家の人々は青系の石から名前を付けています。サーフェイはサファイアでしたがタザニア伯父はタンザナイト、父はカイアナイト、母はアイオライト。